火星は今でこそ不毛の惑星ですが、生まれてからしばらくの間は地球とよく似た環境を維持していたと考えられています。かつて火星の表面にはかなりの量の液体の水があり、火山活動も活発だったと考えられています。今では水も火山も、その痕跡を表面に残すのみではありますが、表面の物質を分析してかつての環境を推定する研究が続けられています。
アメリカ航空宇宙局 (NASA) の火星探査車キュリオシティは、火星探査を高精度で行う、まさに “走る実験室” です。キュリオシティは2012年8月6日に、火星のエリシウム平原にあるゲールと呼ばれるクレーターに着陸しました。
ゲールクレーターは38億年前に形成された後、しばらくの間は水を湛えた湖であったと考えられています。火星が液体の水を持っていた時代の地質学的証拠があると推定される事から、キュリオシティの着陸地点として選ばれました。ライス大学によると、ゲールクレーターには10億年前まで液体の水があったらしいという証拠をキュリオシティが発見しています。そして2015年に、ゲールクレーターの堆積物を掘り起こし、どのような鉱物が含まれているのかを分析しました。
すると、堆積物には鱗珪石 (りんけいせき、Tridymite) と呼ばれる鉱物が、最大で15.6w% (重量パーセント) という高濃度で含まれている事が分かり、科学者たちを驚かせました。
鱗珪石は二酸化ケイ素の鉱物であり、岩石で一般的な石英 (綺麗な結晶は水晶とも呼ばれる) と同じ組成ですが、生成環境が異なる鉱物です。科学者が驚いたのは、鱗珪石の生成環境が火星では想定外であったためでした。
鱗珪石の生成環境は870℃から1470℃という高温が必要で、また珪長質マグマというケイ酸塩に富んだマグマも必要です。珪長質マグマの火山は地球ではセント・ヘレンズ山や薩摩硫黄島など、爆発的な噴火と火山灰の噴出を伴う火山として知られています。
ただし、鱗珪石は高温でのみ安定して存在する鉱物であり、ゆっくり冷えると石英に変化してしまいます。このため、鱗珪石が地上で観られる条件は限られており、地球では日本、イタリア、グリーンランドなど、限られた場所でしか見つかりません。
一方、火星で見つかっている岩石のほとんどは玄武岩質マグマというケイ酸塩に乏しいマグマが由来となっており、珪長質マグマ由来の岩石は非常に乏しいです。玄武岩質マグマの火山はキラウエアや伊豆大島など、火山灰をほとんど噴出せず、マグマを静かに流す事が特徴です。
ゲールクレーターで見つかった鱗珪石は堆積物の1つの層に集中しているため、状況的に最もあり得るのは火山灰が鱗珪石の由来だった可能性です。しかし、火星にそのような火山がある証拠は今のところ見つかっておりません。また、二酸化ケイ素と水との長年の相互作用や、隕石衝突で一時的に生じる高温高圧は、マグマ以外の源から鱗珪石を生じさせる事がありますので、これらと区別する必要もあります。ゲールクレーターは、まさにそのような環境だからです。
ノーザン・アリゾナ大学のV. Payré氏らは、ゲールクレーターの鱗珪石が火山灰に由来するのかどうかを様々な角度から調べました。
Payré氏らはまず、鱗珪石の結晶構造がどの程度しっかりしているのかを、鉱物の同定に使われるキュリオシティのX線回折装置「XRD」のデータから解析しました。その結果、ゲールクレーターの鱗珪石の結晶構造は非常にしっかりとしており、結晶度の低い部分がほとんどない事が分かりました。これは、オパールのような非常に結晶度の低い二酸化ケイ素では説明できないものです。この点から、鱗珪石が水との相互作用で生じた可能性が排除されます。
また、ゲールクレーターの鱗珪石は、単斜晶系という結晶構造を持っている事も分かりました。これは鱗珪石が高温で生成された後、急速に冷却された事を示しています。このような環境は、爆発的な噴火で火山灰になるまで岩石が破砕されるか、隕石衝突のような環境でしか存在しない事が、地球で見つかる単斜晶系の鱗珪石の研究で判明しています。
ここまで絞れたところで、次に調べるのは鱗珪石以外の成分です。ゲールクレーターで鱗珪石が見つかった堆積物サンプルの半分以上はケイ素に富むアモルファス成分 (結晶度が非常に低いか全く無い物質) ですが、残りは灰長石、正長石、鱗珪石、磁鉄鉱、クリストバス石、無水石膏で構成されている事が分かりました。
また、元素の濃度を調べると、ケイ素の量に対してアルミニウムが少なく、チタンが比較的多めである事も分かりました。これらの成分は、流紋岩質マグマ (珪長質マグマの1種) と比較的一致します。ただし、比較的と評したように、それだけでは全てを説明できるわけではありません。
ここで、ゲールクレーターにかつて存在していたと考えられている湖が、不一致な部分を埋めてくれます。水は火山灰に化学的風化を生じさせるからです。ケイ素に伴いやすい元素であるアルミニウムは水に溶けだしやすく、アルミニウムの濃度の低さは、水に溶け出してしまったからであると考えると説明がつきます。
また、水との相互作用では、結晶度の低い二酸化ケイ素は水に溶けてしまいますが、結晶度の高い二酸化ケイ素は水にほとんど溶けません。これにより、結晶度の低いオパール質の二酸化ケイ素は水に溶けてしまった一方で、結晶度の高い鱗珪石が高濃度で湖底に沈殿したと考えれば、分析した堆積物の状態を説明できます。現場の状況は隕石衝突ではなく、珪長質マグマの火山灰が最も理にかなっている事を示しています。
以上から、かつての火星で起きた噴火について、以下のようなストーリーが考えられます。
かつての火星には流紋岩に近い成分を持つ珪長質マグマを抱えた火山がありました。火山はゲールクレーターから数千km離れた場所にあったと推定されます。この火山のマグマだまりの中で、マグマに溶けたままの成分と、マグマに溶けきれず結晶化した成分に分かれる分別結晶作用という現象が起きました。この分別結晶作用は少なくとも2回起こり、1回は正長石を、もう1回は鱗珪石と灰長石を生じたと考えられます。
そして37億年前から32億年前のヘスペリアン期のどこかの時代で、この火山は爆発的な噴火を起こしました。この時、マグマから生成された火山灰の中に、鱗珪石も含まれていました。この火山灰がゲールクレーターを満たしていた湖に降り注いで堆積し、その後ゲールクレーターから水が干上がるまでの間に化学成分の変化が起こり、現在観察される堆積物が生じた、と考えられます。
火星では玄武岩質マグマの証拠は十分にありますが、珪長質マグマの証拠はほとんどありません。しかしながら今回の、ゲールクレーターで見つかった鱗珪石に関する研究は、過去の火星で少なくとも1回、珪長質マグマを伴う火山の爆発的噴火が起きた事を示しています。
また、鱗珪石以外の成分の割合は、噴火の前にマグマの成分が大きく変化する現象が起きていた事を示しています。これは火星表面の地質学的・化学的変化を示しており、火星の惑星科学的な進化を測る上で非常に興味深いものです。
過去の火星探査車は、近赤外線による成分分析に留まり、透明度の高い珪長質マグマの成分を見逃していた恐れがあります。これに対し、キュリオシティはX線で分析するXRDを搭載している事から、今回の発見に繋がったのかもしれません。2021年2月にジェゼロクレーターへ着陸したNASAの火星探査車パーサヴィアランスも同様の機器を搭載しており、新たな証拠が見つかるかもしれません。これからの火星探査や研究にも目が離せません。
関連:生物由来の可能性も? 火星探査車「キュリオシティ」のサンプルが示す炭素同位体比
Source
Image Credit: NASA/JPL-Caltech/MSSS; Payré et.al. V. Payré, et.al. - Tridymite in a lacustrine mudstone in Gale Crater, Mars: Evidence for an explosive silicic eruption during the Hesperian (Earth and Planetary Science Letters) Rice University - Study: Explosive volcanic eruption produced rare mineral on Mars Kazuhide KAWAI, et.al. - The first finding of monoclinic tridymite in terrestrial volcanic rocks (Mineralogical Journal) Richard V. Morris, et.al. - Silicic volcanism on Mars evidenced by tridymite in high-SiO2 sedimentary rock at Gale crater (Proceedings of the National Academy of Sciences)文/彩恵りり