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伝説の“レディース総長”引退後の波乱万丈。元ヤン・シングルマザーの“子育て”とは――大反響トップ10

日刊SPA! 2024年3月2日 15時44分

反響の大きかった2023年の記事を厳選、ジャンル別にトップ10を発表してきた。今回は該当ジャンルがなかったが実は大人気だった記事を紹介する!(集計期間は2023年1月~10月まで。初公開2023年7月13日 記事は取材時の状況です) *  *  *

 1989年に創刊され、90年代には社会現象を巻き起こした伝説のレディース暴走族雑誌『ティーンズロード』で、カリスマ的な人気を博した女性がいる。栃木県のレディース暴走族「北関東硬派連盟貴族院・女族」元2代目総長のかおりさん。

 あれから30年の時を経て、その壮絶な人生を綴った自叙伝『「いつ死んでもいい」本気で思ってた…』(大洋図書)を7月13日に上梓。台湾人として生まれ、喧嘩に明け暮れた少女時代から、レディース引退後はどのような人生を歩んだのか……。今回は詳しい話をうかがった。(記事は全2回の2回目)

◆レディース総長を引退後の人生

——『ティーンズロード』で全国的に知られた存在になったかおりさんは、総長を引退後は雑誌の常連だったレディース総長たちで結成されたボーカルユニット「鬼風刃(きふうじん)」メンバーとして活動していたと思います。その後はみなさんどうされているんですか?

かおり:当時のメンバーとは今も交流があります。普通に主婦をやっていたり、自分でお店をやっていたり。あとは、NPO法人を立ち上げて行政と仕事している子もいますね。

——社会的に活躍されている方も多いんですね。

かおり:やるとなったらとことんやる人は多いかもしれないですね。ヤンキーって、じつはボランティアが好きな人とかも多いんですよ。基本的に世話焼きというか、家族や仲間、居場所やコミュニティみたいなものへの思いが強いから。私も地元の商工会議所やら青年会やら、地域ボランティアみたいな活動はよくしていました。

◆銀座の高級クラブでNo. 1ホステスに

——かおりさんは「鬼風刃」の活動を機に、芸能の道を志して上京。生活のために六本木のキャバクラや銀座の高級クラブで働き始め、No.1にもなったと聞きました。

かおり:夜の世界では、ある意味、初めての挫折を経験しました。銀座の高級クラブで地蔵になっていたら(お客さんとの会話に何も参加できずにいたら)、ママから「ボーイさん、灰皿と一緒にこの子も下げて」という屈辱的な扱いを受けて……。

地元ではどこでもチヤホヤされて、道の端を歩いたこともなかった私には、かなりショックな出来事。ただ、それがきっかけでしたね。バックヤードでひとしきり泣いたら、負けず嫌いに火がついて。売れているホステスの子の動き方を必死になって研究しましたね。お客さんにもらった名刺に会話の内容とかすべてメモして地道に覚えて。

——トップまでなれるのがすごいところですね。

かおり:いま考えると、あまりお客さんに媚びないで、たまにヤンキー感が出ちゃうのが良かったのかもしれないです。ホステスとして大切な基本は抑えつつですけど、別にキャラを変えたりはしなかったので、「お前、ヤンチャしてきただろう?」「え、わかります?」みたいなやり取りはよくありました(笑)。

◆子どもたちがグレてしまったことも…

——かおりさんは2年間ホステスとして働き、そこで知り合ったお客さんと結婚されました(その後は離婚)。2人のお子さんを育てていましたが、長男は思春期の頃、非行に走ったこともあったそうですね。

かおり:やっぱり自分がやったことは自分に返ってくるんだなって。ただ、地元ではどこに行っても“かおりの息子”として見られてしまうせいか、ヤンキーにはなりきれなかったみたいですけど。私、息子たちが小さい頃から何も隠さず、オープンに話していたので。自分から「カッコよくない?」って昔の写真とか見せていたぐらいだったし。

——いざ自分の子がグレてしまうと、内心ヒヤヒヤだったのでは?

かおり:共通の話題ができて楽しかったですよ(笑)。息子から最初に「クソババア!」と言われた時なんて嬉しくてニヤニヤしちゃいました。テレビで尾木ママも「クソババアって言われたら子育て成功」と言っていたんで。

——そんな長男もすでに落ち着いて家庭を構えているとのことですが、今は大学生の次男はどんな感じだったんですか?

かおり:次男は本当に手がかからなかったんですよね。人並みに反抗期はありましたけど、私の子どもの頃みたいに「兄ちゃんばっかり可愛がってズルい!」みたいなことも一切なく。

◆子育てで意識していたのは「絶対に話を聞いてあげる」

——かおりさんが子育てで意識していたことはありますか?

かおり:離婚して一人で息子たちを育てると決めた時に、まずは本当に何でも話してくれるような関係をつくりたいと思ったんですよね。自分の幼少期を思い出して、人に話を聞いてもらえなかったことが何よりも寂しかったので。

だから、どんなに忙しくても「ママ、ママ」って寄ってきた時の話は絶対によく聞いてあげようと。それだけはとにかく心がけていました。そうすると、向こうから何でも話してくれるようになるのでオススメです。

——反抗期でさえ、息子さんたちと“よく会話している”という印象を受けました。

かおり:私の場合は子どもにいっぱしのことを言えないというか。徹底して話を聞くことしかできないんですよね。頭ごなしに自分の考えを押し付けられない。「じゃあ、自分はどうだったの?」って切り返されたらそれまでなので(笑)。

——かおりさんがひとりで子育てされて、2人の息子さんも立派になられたので。父親の存在意義についても考えてしまいました……。

かおり:ただ、叱る時に子どもの逃げ道を用意してあげられなかったんで、そこはやっぱり難しかったし、けっこう悩みました。叱った後のフォロー役がいないから。キツく叱った後に子どもを慰めてくれるような存在がほしかったです。

私の周りはみんな若くして結婚したから、シングルマザーや再婚者が多い。片親のせいか、子どもたちは自立心が強いしっかり者が多い気もして。夫婦そろって子育てしたほうがいいとは思うんですけど、結局いかに愛情表現できるかなのかな。親はずっと子どもの応援団でいればいい。

◆“義理”や“人情”を大切に生きていれば、最終的には悪いようにはならない

——生きづらさを感じていたり、“居場所”を求めて夜の街にたむろしたりする若者はいつの時代もいると思いますが、かおりさんが今の子たちを見て思うところなどはありますか?

かおり:私も根底は寂しがり屋だから、仲間とたむろする気持ちは全然わかりますよ。当時はSNSなんてなかったけど、私も“栃木のかおり、ここにあり“みたいな感じで名を上げたいと思っていたので。ある意味、それも“承認欲求”だと思う。ただ、今の子たちは流れてくる情報量が多すぎて、少しかわいそうかも。いちいち目についてしまって、自分と他人を比べてしまうから。

ただ、私もさんざん周りに心配や迷惑をかけてきましたけど、時代が変わっても、“義理”や“人情”を大切に生きていれば、最終的にはそうそう悪いようには転がらないとも思っていて。あとは気合と根性(笑)。それを忘れなければ、大丈夫な気がしますね。

<取材・文/伊藤綾、撮影/藤井厚年>

【伊藤綾】
1988年生まれ道東出身、大学でミニコミ誌や商業誌のライターに。SPA! やサイゾー、キャリコネニュース、マイナビニュース、東洋経済オンラインなどでも執筆中。いろんな識者のお話をうかがったり、イベントにお邪魔したりするのが好き。毎月1日どこかで誰かと何かしら映画を観て飲む集会を開催。X(旧Twitter):@tsuitachiii

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