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上智大ミスコン出身の元アナウンサーが“キャリア迷子”から司法書士事務所を開業するまで

日刊SPA! 2024年4月1日 8時53分

 元アナウンサーで、現在は司法書士として活動する岡部茉佑さんが1月に司法書士事務所を開業。自身のX(旧Twitter)で伝えた投稿が大きな話題を呼び、50万インプレッション超えを記録した。
 彼女は「Abema News」でキャスターを務めるなど、いわば“花形”のアナウンサー職から難関資格かつ一般的には馴染みの薄い職種に転向した。実際、20代女性の司法書士は非常に珍しいという。

 今回は、全く異なるキャリアを歩むことになった背景などを本人に直撃した。

◆大学3年で憧れだった「ミスソフィア」に出場

「1年ほど前に開設した、司法書士の先輩・同期を中心にフォロワー500人ぐらいのアカウントで、普段ほとんど投稿していなかったんですが、あのバズがあって1700フォロワーぐらい増えました。士業の方ってわりとSNSやっている方が多いので、そこから“いいね!”が広がっていったという感じでしたね」

 東京・江戸川区の出身の岡部さんは上智大学3年生だった2015年、大橋未歩さんや杉浦友紀さんなど、数多くの有名女性アナを輩出し、“アナウンサーの登竜門”とも呼ばれたミスコンテスト「ミスソフィア」(※現在は廃止)に出場。

 ファイナリストとして活動し、大学4年生になるタイミングでフリーアナウンサー系の芸能事務所からスカウトされたことが大きな転機となっている。

「いわゆる“ガクチカ”(※学生時代に力を入れたこと)的にはテニスサークルで合宿係を頑張っていたくらいで、将来やりたいこともずっと定まっていなかったので、将来を考える意味でもミスコンに出てみたいなって。高校生のときにいろんな大学のミスコンを調べていて、もともとミスソフィアに憧れて上智に入学したところもありました。なので、実は入学当初から密かにミスコン出場を狙っていたというか、様子はうかがっていましたね(笑)」

◆他のアナウンサー志望の子よりも少し出遅れて…

 実際に「ミスソフィア」出場のスカウトがあったのは大学3年生の頃。テニサー所属でミスコン出場とは、それはそれでベタな話だが、当時は教育格差問題や子ども支援などにも興味があり、必ずしもアナウンサー志望というわけでもなかったらしい。

 アナウンススクールの講座を受けたのは、所属事務所のレッスンとしてスクールに通い始めたのが最初だったという。

「毎日ひたすら修行という感じで大変でした。アナウンサー志望の子は大学1年とか2年の頃からアナウンスの勉強して、大学2年時にミスコン出場することも多いんですけど、それまで私はわりとボケ〜っと学生生活を過ごしていたので……。

 一般企業を目指して就活するなら、アナウンサーの道は諦めなければいけないという状況で、最終的には貴重な経験を積めるフリーアナウンサーの道を選びました」

◆競争に揉まれて意識した自分の“市場価値”

 在学中から岡部さんは、生放送ラジオ番組「よんぱち 48hours 〜WEEKEND MEISTER〜」(TOKYO FM)のアシスタントMCや、ABEMA NEWSチャンネルのキャスターに抜擢。新人フリーアナウンサーとして活躍の場を広げていった。

「鈴木おさむさんがパーソナリティを務めるラジオ番組では、ゲストさんに聞く質問を考えたり、ニュースの原稿読みが多かったです。AbemaTVでは災害や事件、スポーツ結果などの速報を出す夜勤業務もやっていました。他のアナウンサーの方の代打で声が掛かることも多かったので、遊びの予定などは立てにくかったですね。

 生活は夜勤があるぶん不規則でしたが、歩合給の芸能事務所が多いなか、私のいたところは非常に良心的で固定給だったので、待遇的にはとても恵まれていました」

 しかし、アナウンサーとして活動を始めて2年ほど経った2017年末には事務所を退所。23歳にして自らアナウンサー業からあっさりと身を引く。

「ひと言で言えば、長く生き残っていく自信がなかったんです。当たり前の話なんですけど、いずれは世代交代する現実や、業界に揉まれて競争社会の熾烈さを痛感したというか。

 若くて優秀なライバルがどんどん出てくるし、フリーよりも自局のアナウンサーを起用する流れも強い環境で、自分が現状以上に突き抜けられるのか不安でしたね。第二新卒として扱われる25歳前後という年齢も意識して決断しました」

 30代からのキャリアに悩む女性アナが多いイメージは世間一般にもあるだろうが、岡部さんの転職先はリクルート社が展開する「ゼクシィ」の営業職。メディアやSNSで露出することもなく、裏方としてコンサル営業などの業務に従事したそうだ。

「アナウンサーとしての実力や経験があれば、セミナー講師や結婚式の司会などの需要は当然あると思うんです。でも、私は新卒の頃からフリーだし、アナウンサーとしての経験も浅い。だからこそ、自分の市場価値を上げて、後のキャリアが広がるような会社に第二新卒で入りたいと思いました」

◆誰とも被らない人材に

 なぜ、そこから司法書士に?

「リクルートは“5年在籍したら長い”と言われるような会社で、自分で会社や副業をやっている方が多く、私も入社時から先のことは常に考えていました。私の性格的にも個人事業主として独立して働く方向で考えたんですが、私の母と叔父が不動産会社を営んでいる関係で比較的身近な職業だったことなどもあり、リクルートを2年で退職し、司法書士の試験勉強を始めました」

 司法書士は年1回の試験の合格率が5%前後の難関資格。岡部さんは2回目の受験で合格したが、総勉強時間は1年半で2700時間に達したそうだ。ちなみに、司法書士の女性比率は2割に留まるという。

 語弊を恐れず言えば、法曹関係の専門職の中でもかなりニッチな職という気もするのだが、それも織り込んだ上でのキャリアデザインだったようだ。

「今までの自分の経歴に法律という強みを掛け合わせたら、誰とも被らない人材になるだろうなと。学生時代に法律事務所でアルバイト経験があり、国家公務員を目指していたこともあるんですが、その頃から法律の勉強はわりと好きでしたね」

◆「経験を余すことなく、無駄にしない」

 不動産登記の書類作成や手続き代理、会社を設立する際の定款作成など、実はスタートアップ支援も司法書士の主な業務。相続登記の申請義務化も控え、高齢化社会に突入して久しい昨今は家族信託などの生前対策も業界的に伸長している領域だという。

 独立もしやすく、岡部さんは約1年の司法書士事務所での勤務を経て、この1月の事務所開業。冒頭に紹介したSNS投稿につながった。

「あの投稿の写真は開業にあたって友達のカメラマンに撮ってもらった1枚で、たくさんの写真に埋もれてしまわないように、あえて写真は一番盛れている一枚だけ。文章も短くシンプルなものにしたんです。もともとリクルート時代にブランディングやSNS運用に携わっていた経験が活きたと思います」

 SNSを見た人からの問い合わせも多いそうで、今後はセミナーやYouTube活動、雑誌や書籍など、メディアでの執筆・監修なども積極的に行なっていく予定だとか。衝動的に動くタイプかと思いきや、改めて大学進学やミスコンのエピソードから振り返ってみると、意外なほど計算高い戦略家だ。

「基本的に将来が不安で先のことを考える時間が長かっただけなんですけど、“キャリア迷子”によく陥りつつ、虎視眈々とマーケットを見て、打算的に考えるタイプかもしれないですね(笑)。忙しく働いていると、その環境に流されてしまいがちですが、自分と向き合う時間や内省の機会を持つことは大切なのかなと。

 やはり自分の経験を余すことなく、無駄にしない意識は常にありました。一応、テレビ慣れはしているので、アナウンサーの経験を生かしながら活動していきたいです」

<取材・文・撮影/伊藤綾>

【伊藤綾】
1988年生まれ道東出身、大学でミニコミ誌や商業誌のライターに。SPA! やサイゾー、キャリコネニュース、マイナビニュース、東洋経済オンラインなどでも執筆中。いろんな識者のお話をうかがったり、イベントにお邪魔したりするのが好き。毎月1日どこかで誰かと何かしら映画を観て飲む集会を開催。X(旧Twitter):@tsuitachiii

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