2007年11月、一人のグラビアアイドルが華々しくAVデビューを飾った。元・芸能人のセクシー女優として人気を博した板垣あずささんは、約5年の現役生活の後にAVを引退し、タレントとして活動を続けている。
彼女は現在、一児の母であることを公表しており、セクシー女優としてAVに出演していた“過去”も、母として子どもを育てている“今”も、世間に隠すことはない。
とはいえ、AVに出演する多くの女性が“普通の女の子としての幸せは諦めなければいけないのかな?”という将来の不安を抱えているのも事実である。そんななかで、板垣さんのインタビューからセクシー女優引退後の人生、一人の母親としての“生き方”が見えてくるかもしれない。
◆AVに出演したら「完全に“裏の世界の住人”になると思っていた」
——2004年に『週刊ヤングジャンプ』主催の制コレにノミネートされ、翌年よりグラビアアイドルとして活躍。その後、どのような経緯でAVデビューすることになったのでしょうか?
「実際に『AVやってみない?』と声が掛かったのは、すでにアイドルを辞めた後のことで、ちょうど東京のキャバクラで働いていた時期ですね。
これは売れないアイドルあるあるなんですけど、仕事がある時だけ地元の新潟から通いで東京に来ていたんですよ(笑)」
——AV出演に対して抵抗感はありませんでしたか?
「普通にありましたよ。私はその頃はセクシー女優がそんなにメジャーな存在だとは知らなかったんです。完全に“裏の世界の住人”になると思っていました。
親には勘当され、親戚にも二度と会うこともなく、恋愛も結婚もできず、“普通の女の子としての幸せは一切諦める覚悟”まであったくらいです」
——そこまで思い詰めていて、逆によくデビューの意思を固められましたね。
「ぶっちゃけ、決意するのを急かされていたんです(笑)。話が出た時にはすでに『18歳デビュー』と銘打てるかどうかギリギリの時期だったんですよね。
それに、モデルみたいな仕事に対する憧れはあったし、自分自身ができることが他になかったのも正直なところです。まあ、何もしないでいるよりはいいかな、という感覚でした」
◆突然の引退時、すでに妊娠5ヶ月「産まないという選択肢はなかった」
——デビュー後は順調に人気セクシー女優の道を歩んでいきましたよね。
「ただ、現場に対してはめちゃくちゃ反抗していましたよ。なにしろ水着のグラビアだと思って行ってみたらヌード撮影だったり、『聞いてないんだけど』ってことが次々に降りかかってくるから。
私はデビューするとなっても、まだAV=真っ黒なケースに入って売られているDVDという怪しさ満点のイメージしか持っていなくて。作品ができあがってみたらパッケージに顔は載ってるし何だかキラキラだし、その挙句にもともと『レンタルはNG』と言ってあったのに、わざわざレンタルDVDの会社の偉い人が挨拶に来たりして、私としては『なんで!?』って気持ちでした」
——それって、今の時代では完全にアウトなやつでは……。
「17年前の話ですからね。当時は契約書がなくて、すべてが口約束なわけです。レンタルについては当時在籍していた事務所のマネージャーが完全に私にウソをついて、メーカー側に勝手にOKを出していたと後に知りました」
——2010年に一度AV引退を表明し、2012年に復帰。しかし2015年頃に、再び突然の引退をしていますね。もしやこの時……?
「お察しの通り、妊娠していました。子どもができていることを知らずに撮影現場にも行っていました。すでに5ヵ月くらいだと判明したと同時に、仕事は全てバラシ(キャンセル)にしてもらっています」
——その時点で産むことは決めていたのですね。
「産まないという選択肢は考えませんでした。周りからは『今の状況では無理だ』と言われましたよ。でも、もしこの子を産まなかったとしても、AVはもう辞める気でいました。
とはいえ、そうしたら私は、上京したての頃のように何もない人間になってしまう……。またからっぽになることだけは、どうしてもイヤだったんです」
——少し踏み入った話になりますが、お子さんの父親は?
「妊娠したことは話しましたが、相手はただ困っているだけでした。二ヶ月くらいの間、籍を入れるとか養育費だとかで揉めて、私の方が『もういいわ!』ってなったんです。
私はもう忘れます。あなたはこれまで通り、好きに生きてくださいって。認知もさせていません」
——その方とは、もう連絡もとっていないのでしょうか。
「連絡できる状態にはしてありますが、私の方に気持ちがなさすぎて、子どもと会わせる時間も無駄だと感じるようになってしまって……。結果として、母子二人で楽しくやってこれたので、これで良かったのだと思っています」
◆私はものすごく恵まれているシンママ
——今、お子さんは何歳ですか?
「8歳の男の子です。4月で小学3年生になります」
——子どもがいることを公表したのはいつ頃だったのでしょうか。
「ファンの皆さんに打ち明けたのは、息子が生後6ヶ月くらいの時ですね。隠すという発想がなかったんですよ。隠し通せる自信もなかった。
これからはこの子が主体の人生になっていくのに、改めて母になった私とは別の“板垣あずさ”を生み出せるほど、自分は器用じゃないとわかっていたんです」
——ファンが離れていくことは考えなかったのですか?
「それは頭をよぎりましたけど、離れるならきっとその程度だなと(笑)。それに、私は子どもを産むというかなり凄いことを成し遂げたんだし、きっと受け入れてもらえるだろうとも思っていました。実際、ファンの方たちは母子ともども応援してくれていますよ」
——息子さんは、SNSでもファンの間で「王子」の愛称で知られていますね。
「実は、ファンイベントにもけっこう同伴しているんです。明日も大阪でイベントがあるんですけど、一緒に新幹線で向かう予定ですよ」
——えっ!そこまでできるほど、ファン公認なんですか。
「映画の現場に連れていくこともあります。その時は事務所の社長が“じいじ”として発動して、ずっと一緒に遊んでくれています(笑)。賛否はあるかもしれませんが、家に一人でいさせるよりもずっと安心できますよ」
——家族の手助けなどはなかったのですか?
「私の実家は地方ですし、もともと疎遠気味ではあったので……。実際に助けてくれているのは、やっぱり東京で暮らしている周囲の仲間たちですね。事務所の社長以外にも、SODのスタッフさん、リアル友達……みんな私に子どもがいることがデメリットにならないようにサポートをしてくれています」
——核家族化が進む現代において、なかなか珍しい環境ですよね。
「私一人じゃ無理ですよ。とても保育園じゃまかなえません。だって子どもって、大事な仕事の前にかぎって風邪を引いたりするし、不測の事態が起こりすぎるんです。
ワンオペで子育てをしている人って、本当に働く時間がないんですよね。私はなんとかやっていけているだけ。ものすごく恵まれているシンママなのだと思います」
◆息子からの嬉しいひと言「だって僕のママ、アイドルだもん!」
——息子さんに自分が元セクシー女優であることは、いつかは打ち明けるつもりですか?
「そうですね。いつかは話さなければいけない時が来るとは思います。でも、今の時点で私が普通よりもだいぶセクシーなママであることは理解していますよ(笑)。『うちのママが可愛いのは嬉しい』とか言ってくるし、『ママが大好き』っていう気持ちは伝わってきます」
——実生活の中で、仕事のことが周囲にバレて困ったことはありませんか?
「それが全くないんですよね~。ご近所さんから指摘されたこともありません。でも園長さんから卒園式で『応援しています』と声を掛けられたので、一部でバレてはいるのだと思います」
——仕事のことがきっかけで、友達から息子さんがからかわれてしまったりするなどの懸念はありますか?
「傷つくかな、と考えることもあるけど、私はハナから隠して生きているわけではないですから。こんな格好をしていても、今年度のPTA役員を務めあげましたし、授業参観にも行っていますよ(笑)。
そういえばこの前、息子が友達から『〇〇のママ、マジでギャルだよね!』とか『可愛いね!』って言われているのを聞いたんです。そしたら『だって僕のママ、アイドルだもん!』って返していたんですよ。あれは、本当に嬉しかったな……」
——息子さんとの関係がとても良好であることが伝わるエピソードですね。
「仲良しかどうかについては、ハッキリと『YES』ですね。最近は息子も友達の家に泊まったりもしているので、だんだん私がいなくても大丈夫になってきているんですけど、まだ私が一緒にいたいんです。男の子なので、きっと今しかかまってくれないでしょうし……」
——最後に、今後の目標を聞かせてください。
「いずれは、無理のない程度のサイズ感の小さな居酒屋を経営したいと思っています。それでも、死ぬまでセクシーなことは続けていたい。息子が自慢に思うくらいの美魔女になることが、これからの夢です!」
<取材・文・撮影/もちづき千代子>
彼女は現在、一児の母であることを公表しており、セクシー女優としてAVに出演していた“過去”も、母として子どもを育てている“今”も、世間に隠すことはない。
とはいえ、AVに出演する多くの女性が“普通の女の子としての幸せは諦めなければいけないのかな?”という将来の不安を抱えているのも事実である。そんななかで、板垣さんのインタビューからセクシー女優引退後の人生、一人の母親としての“生き方”が見えてくるかもしれない。
◆AVに出演したら「完全に“裏の世界の住人”になると思っていた」
——2004年に『週刊ヤングジャンプ』主催の制コレにノミネートされ、翌年よりグラビアアイドルとして活躍。その後、どのような経緯でAVデビューすることになったのでしょうか?
「実際に『AVやってみない?』と声が掛かったのは、すでにアイドルを辞めた後のことで、ちょうど東京のキャバクラで働いていた時期ですね。
これは売れないアイドルあるあるなんですけど、仕事がある時だけ地元の新潟から通いで東京に来ていたんですよ(笑)」
——AV出演に対して抵抗感はありませんでしたか?
「普通にありましたよ。私はその頃はセクシー女優がそんなにメジャーな存在だとは知らなかったんです。完全に“裏の世界の住人”になると思っていました。
親には勘当され、親戚にも二度と会うこともなく、恋愛も結婚もできず、“普通の女の子としての幸せは一切諦める覚悟”まであったくらいです」
——そこまで思い詰めていて、逆によくデビューの意思を固められましたね。
「ぶっちゃけ、決意するのを急かされていたんです(笑)。話が出た時にはすでに『18歳デビュー』と銘打てるかどうかギリギリの時期だったんですよね。
それに、モデルみたいな仕事に対する憧れはあったし、自分自身ができることが他になかったのも正直なところです。まあ、何もしないでいるよりはいいかな、という感覚でした」
◆突然の引退時、すでに妊娠5ヶ月「産まないという選択肢はなかった」
——デビュー後は順調に人気セクシー女優の道を歩んでいきましたよね。
「ただ、現場に対してはめちゃくちゃ反抗していましたよ。なにしろ水着のグラビアだと思って行ってみたらヌード撮影だったり、『聞いてないんだけど』ってことが次々に降りかかってくるから。
私はデビューするとなっても、まだAV=真っ黒なケースに入って売られているDVDという怪しさ満点のイメージしか持っていなくて。作品ができあがってみたらパッケージに顔は載ってるし何だかキラキラだし、その挙句にもともと『レンタルはNG』と言ってあったのに、わざわざレンタルDVDの会社の偉い人が挨拶に来たりして、私としては『なんで!?』って気持ちでした」
——それって、今の時代では完全にアウトなやつでは……。
「17年前の話ですからね。当時は契約書がなくて、すべてが口約束なわけです。レンタルについては当時在籍していた事務所のマネージャーが完全に私にウソをついて、メーカー側に勝手にOKを出していたと後に知りました」
——2010年に一度AV引退を表明し、2012年に復帰。しかし2015年頃に、再び突然の引退をしていますね。もしやこの時……?
「お察しの通り、妊娠していました。子どもができていることを知らずに撮影現場にも行っていました。すでに5ヵ月くらいだと判明したと同時に、仕事は全てバラシ(キャンセル)にしてもらっています」
——その時点で産むことは決めていたのですね。
「産まないという選択肢は考えませんでした。周りからは『今の状況では無理だ』と言われましたよ。でも、もしこの子を産まなかったとしても、AVはもう辞める気でいました。
とはいえ、そうしたら私は、上京したての頃のように何もない人間になってしまう……。またからっぽになることだけは、どうしてもイヤだったんです」
——少し踏み入った話になりますが、お子さんの父親は?
「妊娠したことは話しましたが、相手はただ困っているだけでした。二ヶ月くらいの間、籍を入れるとか養育費だとかで揉めて、私の方が『もういいわ!』ってなったんです。
私はもう忘れます。あなたはこれまで通り、好きに生きてくださいって。認知もさせていません」
——その方とは、もう連絡もとっていないのでしょうか。
「連絡できる状態にはしてありますが、私の方に気持ちがなさすぎて、子どもと会わせる時間も無駄だと感じるようになってしまって……。結果として、母子二人で楽しくやってこれたので、これで良かったのだと思っています」
◆私はものすごく恵まれているシンママ
——今、お子さんは何歳ですか?
「8歳の男の子です。4月で小学3年生になります」
——子どもがいることを公表したのはいつ頃だったのでしょうか。
「ファンの皆さんに打ち明けたのは、息子が生後6ヶ月くらいの時ですね。隠すという発想がなかったんですよ。隠し通せる自信もなかった。
これからはこの子が主体の人生になっていくのに、改めて母になった私とは別の“板垣あずさ”を生み出せるほど、自分は器用じゃないとわかっていたんです」
——ファンが離れていくことは考えなかったのですか?
「それは頭をよぎりましたけど、離れるならきっとその程度だなと(笑)。それに、私は子どもを産むというかなり凄いことを成し遂げたんだし、きっと受け入れてもらえるだろうとも思っていました。実際、ファンの方たちは母子ともども応援してくれていますよ」
——息子さんは、SNSでもファンの間で「王子」の愛称で知られていますね。
「実は、ファンイベントにもけっこう同伴しているんです。明日も大阪でイベントがあるんですけど、一緒に新幹線で向かう予定ですよ」
——えっ!そこまでできるほど、ファン公認なんですか。
「映画の現場に連れていくこともあります。その時は事務所の社長が“じいじ”として発動して、ずっと一緒に遊んでくれています(笑)。賛否はあるかもしれませんが、家に一人でいさせるよりもずっと安心できますよ」
——家族の手助けなどはなかったのですか?
「私の実家は地方ですし、もともと疎遠気味ではあったので……。実際に助けてくれているのは、やっぱり東京で暮らしている周囲の仲間たちですね。事務所の社長以外にも、SODのスタッフさん、リアル友達……みんな私に子どもがいることがデメリットにならないようにサポートをしてくれています」
——核家族化が進む現代において、なかなか珍しい環境ですよね。
「私一人じゃ無理ですよ。とても保育園じゃまかなえません。だって子どもって、大事な仕事の前にかぎって風邪を引いたりするし、不測の事態が起こりすぎるんです。
ワンオペで子育てをしている人って、本当に働く時間がないんですよね。私はなんとかやっていけているだけ。ものすごく恵まれているシンママなのだと思います」
◆息子からの嬉しいひと言「だって僕のママ、アイドルだもん!」
——息子さんに自分が元セクシー女優であることは、いつかは打ち明けるつもりですか?
「そうですね。いつかは話さなければいけない時が来るとは思います。でも、今の時点で私が普通よりもだいぶセクシーなママであることは理解していますよ(笑)。『うちのママが可愛いのは嬉しい』とか言ってくるし、『ママが大好き』っていう気持ちは伝わってきます」
——実生活の中で、仕事のことが周囲にバレて困ったことはありませんか?
「それが全くないんですよね~。ご近所さんから指摘されたこともありません。でも園長さんから卒園式で『応援しています』と声を掛けられたので、一部でバレてはいるのだと思います」
——仕事のことがきっかけで、友達から息子さんがからかわれてしまったりするなどの懸念はありますか?
「傷つくかな、と考えることもあるけど、私はハナから隠して生きているわけではないですから。こんな格好をしていても、今年度のPTA役員を務めあげましたし、授業参観にも行っていますよ(笑)。
そういえばこの前、息子が友達から『〇〇のママ、マジでギャルだよね!』とか『可愛いね!』って言われているのを聞いたんです。そしたら『だって僕のママ、アイドルだもん!』って返していたんですよ。あれは、本当に嬉しかったな……」
——息子さんとの関係がとても良好であることが伝わるエピソードですね。
「仲良しかどうかについては、ハッキリと『YES』ですね。最近は息子も友達の家に泊まったりもしているので、だんだん私がいなくても大丈夫になってきているんですけど、まだ私が一緒にいたいんです。男の子なので、きっと今しかかまってくれないでしょうし……」
——最後に、今後の目標を聞かせてください。
「いずれは、無理のない程度のサイズ感の小さな居酒屋を経営したいと思っています。それでも、死ぬまでセクシーなことは続けていたい。息子が自慢に思うくらいの美魔女になることが、これからの夢です!」
<取材・文・撮影/もちづき千代子>