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偏差値40から東大合格したアイドルが明かす、“親がしてくれて良かった”と思うこと

日刊SPA! 2024年6月2日 8時52分

 かつて現役東大生アイドルとして活動し、「ミスiD2022」ではファイナリストに。現在はベンチャー企業に再生医療の研究職として勤める真城奈央子さん。今後はアイドル復帰を目指しているそうだ。
 東大と言えば、超高学歴として知られている。いったい、どうやったら入れるのか? そんなワケで、今回は真城さんに東大に合格するまでの紆余曲折や、勉強のコツを聞いてみた。

◆「両親から『勉強しろ!』って言われたことはない」

 昨年、東京大学農学部獣医学科を卒業した真城さんだが、「私は両親から『勉強をしろ!』って言われたことはないんですよね」と話す。

「そもそも『宿題しなさい』とも言われたことがないかなぁ。だけど、勉強できたらカッコいいとか、良い大学に行けたらカッコいいとか、そう思わせてくれる環境だったかもしれません」

 学習面で両親にしてもらったことで印象に残っているのは“読み聞かせ”だという。

「絵本の定期購読をしてくれていたので、物心がつく頃には本を読む習慣になっていましたね」

 小さい頃から本を読む習慣があるのは“東大生あるある”だと真城さんは言う。

「親は『勉強しろ!』とは言わないけど、テストで点が良かったり、難しい問題が解けたりしたら、たくさん褒めてくれました。できないことを責められることはなかったけど、できたところに関してはすごく褒めてくれたので、幼いながらも“勉強をがんばったら褒めてもらえる”と思っていました」

◆偏差値40から東大A判定が出るまで

 真城さんはドイツ生まれのイギリス育ちの帰国子女だという。

「父の仕事の都合で長くヨーロッパで暮らしていたのですが、小学校の低学年って人格形成期じゃないですか。まったく英語が話せない状態だったから“言葉が話せない子”とイジメられたりもして、けっこう大変でしたね」

 小学校6年生のときにイギリスの受験塾に通って帰国後に中学受験をするも「第一志望には受かりませんでした」と苦笑い。

「海外にも日本に帰ってから受験する子のための学習塾があって受験勉強したんですが、第二志望の学校の帰国子女枠でなんとか合格したという感じでした」

 中学から高校2年生までは部活一色。成績も「ぜんぜん東大を目指せるレベルではなかった」というから驚きだ。

「陸上部だったのですが、部活のことだけ考えて過ごしていました」

 部活を引退する直前に東大受験を決意したという真城さん。その理由とは?

「勉強のほうがわかりやすく努力が結果につながるというか……。陸上はどんなにがんばっても身体能力や素質の部分も大きくて、限界を感じてしまいました。でも勉強はがんばればがんばったぶんだけ点数や偏差値にかえってくる」

 勉強に気持ちを切り替えた当時(高校2年生)の全国模試では偏差値40。東大を目指すには「無謀な数字」だったというが、あえて目標を高く掲げた。

「それからは基本的に全てを逆算しました。“東大に行く”という目標を立てたので、それを達成するための小さな目標を立てていく。さらにはその小さな目標を達成するためのもっと小さな目標を立てていくんです。

 例えば、問題集を買います。この問題集を次の模試までに5周やると決めたら、逆算して1日に何ページやればいいか計算するんです」

 この勉強方法は、大学受験の際に通っていた予備校のチューター(サポート役)から習ったという。持ち前の根性で入試前の秋の模試では東大A判定が出ていたそうだが……。

◆早稲田大学に通いながら“仮面浪人”

「本番では早稲田と理科大は受かったんですが、東大だけ落ちてしまい本当にショックでした」

 真城さんは早稲田大学に入学するも自分の中でどうしても納得ができず、“仮面浪人”をすることに。

「悔しくて悔しくて。これは自分の問題ですね。親に『早稲田でもちゃんと単位を取るし、受験費用や教材代は全て自分で払うから、もう1度だけ東大を受験させてください』と頭を下げました」

 両親はそれを快諾してくれ、真城さんのハードな学生生活が始まった。

「次に落ちたら諦めると決めていたので、普通に進級できるように単位を取りつつ、塾講師のバイトをして、空いた時間はすべて東大に向けて受験勉強。もう本当にぜんぜん寝ていませんでした」

 周囲がサークル活動などでキャンパスライフを謳歌するなかで、流されることはなかったのだろうか?
 
「仮面浪人の体験談をネットで検索していたんですが、やっぱり流されてしまって挫折する人が大半という印象でしたね。みんなが楽しそうにしているなかで、私は“自分の居場所はここではない”という思いが常に頭の片隅にありました」

 苦労の甲斐あってか1年後に見事合格。真城さんは「これが私の人生で初めての成功体験でした」と目を細める。

「中学受験も陸上も中途半端な結果しか残せず、がんばったことがちゃんと報われた瞬間でした。『東大に落ちた』という負の感情が抜けなかったけど、やっと肩の荷がおりました。両親もとても喜んでくれて、本当にうれしかったです」

◆努力する両親の背中を見てきたからこそ…

 そして、実際に入学した東大ではどうだったのか?

「東大はみんな基本的に第一志望で入ってきているし、全国の優秀な人が集まっているので刺激的でしたね」

 真城さんは、自身が東大に合格できたのは「幼い頃から努力する両親の背中を見てきたからかもしれない」と話す。

「父は朝早く家を出て終電で帰ってくるような仕事人間だし、母は大人になってから剣道を始めてそのまま先生になったりと、とにかくパワフルなんです。年齢を重ねても新しいことにどんどん挑戦していて、『やりたいことをして生活するのがいちばんだよ!』って、カッコいい背中を見せ続けてくれているんですよね」

 筆者は東大と聞いて「両親からとんでもない英才教育を受けてきたんじゃないか」と思っていたが、意外にも再現性のあるシンプルなものだったのだ。

<取材・文/吉沢さりぃ、撮影/藤井厚年>

【吉沢さりぃ】
ライター兼底辺グラドルの二足のわらじ。著書に『最底辺グラドルの胸のうち』(イースト・プレス)、『現役底辺グラドルが暴露する グラビアアイドルのぶっちゃけ話』、『現役グラドルがカラダを張って体験してきました』(ともに彩図社)などがある。趣味は飲酒、箱根駅伝、少女漫画。『bizSPA!フレッシュ』『BLOGOS』などでも執筆。X(旧Twitter):@sally_y0720

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