第一次UWFの旗揚げから今年で40年。アントニオ猪木のために設立され、カルト的な人気を誇った団体の「40年目の真実」とは? 愛弟子だけが知る「猪木の素顔」とは? アントニオ猪木とUWFに人生を翻弄された前田日明と藤原喜明の二人によるNGなしのガチンコ対談をお送りしたい。気になるテーマは「道場破り」についてだ。
(本記事は『アントニオ猪木とUWF』(宝島社)より、一部抜粋したものです)
◆「キング・オブ・スポーツ」と公言したゆえに道場破りが続々と…
──前田さんが若手の頃は、道場破りも含めて新日本に勝負を挑んでくるような人がまだいた時代ですよね。
前田日明(以下、前田):猪木さんが「プロレスはキング・オブ・スポーツ。格闘技のなかでいちばん強い」ってことを公言しちゃってたから、興味半分のヤツも含めて変なのがいろいろ来ちゃうんだよ。で、道場に直接来るヤツもいるし、事務所に電話がかかってくると「道場に行ってください」って会社が勝手に言うしね。
──「あちらへどうぞ」と(笑)。面倒なのが来たら、道場に丸投げだったんですね。
藤原喜明(以下、藤原):だから俺なんかはずいぶんやったよ。
◆道場破りをグチャグチャにして小遣い30万円
──藤原さんがそういう役目だったわけですか。
藤原:いや、そんなの俺だって嫌だよ。カネにもならないし、わけのわからないヤツを相手にしたくねえもん。でも、いざそういうのが来ると、みんな「腹が痛い」とか「ヒザをケガしてるから」とか言ってその場からいなくなるから、俺がやるしかないっていうだけでね。そうなったのは俺が新日本に入って3年くらいの頃からだよ。
──入門3年で自然とそういう位置に立たされてしまった、と。
藤原:で、ある時俺が、道場破りのヤツをグチャグチャにやったら、「よくやった」って小鉄さんが30万円くれたことがあったな。「えっ、こんなにもらっていいんですか?」って。普段はそんなのもらえないからさ。まあ、会社のカネだろうけどね(笑)。
前田:俺が新日本に入門するきっかけも、道場破りみたいなのが関わってるんだよ。当時、大塚剛っていう名古屋の空手家がやってるプロ空手がTBSで全国放送されていて、そこの選手が新日本に「スパーリングをやらせてくれ」って来たんで、小鉄さんが藤原さんと佐山さんに「お前ら、どっちかが相手しろ」っていう話をしたんだよね。
──その“スパーリング”が事実上の道場破りだったわけですね。
前田:それで佐山さんが「空手家とどう闘おうか」と考えてる時、大阪巡業中に公園で空手の稽古をしていた田中正悟とたまたま出会ったんだよね。それが俺と新日本の接点だから。
──なるほど。
◆頭に来て「テメー、この野郎! ぶち殺してやる!」
前田:でも結局、猪木さんの付き人で佐山さんはどっかに行ってる時、そのプロ空手のヤツが道場に来たから藤原さんが相手したんだよ。
藤原:もともとスパーリングって話だったから、そんなグチャグチャにやるつもりはなかったんだよ。でも、途中で「ブレイク」って言われて離れた瞬間、ハイキックをバカーンと入れてきたんで俺はもう頭に来てさ、「テメー、この野郎! ぶち殺してやる!」って、バババババッとやって終わらせたんだよ。あの時いいハイキックもらったけど、俺は倒れなかったよ。
前田:最後は蹴り足をつかんで、立ったままバキバキッて極めて終わりだったんですよね。俺は入門直後からそういう話を聞いていたから、「どうやったのかな?」と思って自分なりに研究して、それをリングス時代にディック・フライにやったんだよ(笑)。
──あのスタンド状態で、足首をバキッと折る危ない技は藤原さんが元祖だったんですね(笑)。
藤原:蹴り足を脇でキャッチするのは、ムエタイにもある技術だからね。東京北星ジムでもよく練習したよ。
◆「死んでもいっさい責任は負いません」という紙にサインさせ…
前田:あと佐山さんが凱旋帰国した時にタイガーマスクで有名になって、「タイガーマスクにチャレンジ」みたいな企画があって、その時、俺らが相手したんだよ。
──『少年サンデー』かなんかの企画ですよね。
藤原:そこそこ人数がいたよな。それで俺が最初に行ったんだよな。一応、柔道や空手をやってるヤツが集まったってことなんだけど、パッと見たらみんなちっこいんだよ。本気でやって大ケガさせるわけにもいかないけど、手加減しすぎると「プロレスラーはたいしたことなかった」とか言い出すヤツがいるだろうから、倒したあと肋骨にカカトをバカーンと入れてな。肋骨にヒビが入ってもそんな大ケガじゃないけど、2カ月くらい息をするだけで痛いから、怖さを植えつけるのにちょうどいいんだよ。そういうのを3人くらい相手したかな。その次、お前がやったのか?
前田:俺も3人くらいやりましたね。
藤原:ムチャな企画だよ。どうせ「死んでもいっさい責任は負いません」みたいなことが書かれた紙にサインさせただけでやってるんだから。今なら大問題だろうな(笑)。
<談/前田日明・藤原喜明>
(本記事は『アントニオ猪木とUWF』(宝島社)より、一部抜粋したものです)
◆「キング・オブ・スポーツ」と公言したゆえに道場破りが続々と…
──前田さんが若手の頃は、道場破りも含めて新日本に勝負を挑んでくるような人がまだいた時代ですよね。
前田日明(以下、前田):猪木さんが「プロレスはキング・オブ・スポーツ。格闘技のなかでいちばん強い」ってことを公言しちゃってたから、興味半分のヤツも含めて変なのがいろいろ来ちゃうんだよ。で、道場に直接来るヤツもいるし、事務所に電話がかかってくると「道場に行ってください」って会社が勝手に言うしね。
──「あちらへどうぞ」と(笑)。面倒なのが来たら、道場に丸投げだったんですね。
藤原喜明(以下、藤原):だから俺なんかはずいぶんやったよ。
◆道場破りをグチャグチャにして小遣い30万円
──藤原さんがそういう役目だったわけですか。
藤原:いや、そんなの俺だって嫌だよ。カネにもならないし、わけのわからないヤツを相手にしたくねえもん。でも、いざそういうのが来ると、みんな「腹が痛い」とか「ヒザをケガしてるから」とか言ってその場からいなくなるから、俺がやるしかないっていうだけでね。そうなったのは俺が新日本に入って3年くらいの頃からだよ。
──入門3年で自然とそういう位置に立たされてしまった、と。
藤原:で、ある時俺が、道場破りのヤツをグチャグチャにやったら、「よくやった」って小鉄さんが30万円くれたことがあったな。「えっ、こんなにもらっていいんですか?」って。普段はそんなのもらえないからさ。まあ、会社のカネだろうけどね(笑)。
前田:俺が新日本に入門するきっかけも、道場破りみたいなのが関わってるんだよ。当時、大塚剛っていう名古屋の空手家がやってるプロ空手がTBSで全国放送されていて、そこの選手が新日本に「スパーリングをやらせてくれ」って来たんで、小鉄さんが藤原さんと佐山さんに「お前ら、どっちかが相手しろ」っていう話をしたんだよね。
──その“スパーリング”が事実上の道場破りだったわけですね。
前田:それで佐山さんが「空手家とどう闘おうか」と考えてる時、大阪巡業中に公園で空手の稽古をしていた田中正悟とたまたま出会ったんだよね。それが俺と新日本の接点だから。
──なるほど。
◆頭に来て「テメー、この野郎! ぶち殺してやる!」
前田:でも結局、猪木さんの付き人で佐山さんはどっかに行ってる時、そのプロ空手のヤツが道場に来たから藤原さんが相手したんだよ。
藤原:もともとスパーリングって話だったから、そんなグチャグチャにやるつもりはなかったんだよ。でも、途中で「ブレイク」って言われて離れた瞬間、ハイキックをバカーンと入れてきたんで俺はもう頭に来てさ、「テメー、この野郎! ぶち殺してやる!」って、バババババッとやって終わらせたんだよ。あの時いいハイキックもらったけど、俺は倒れなかったよ。
前田:最後は蹴り足をつかんで、立ったままバキバキッて極めて終わりだったんですよね。俺は入門直後からそういう話を聞いていたから、「どうやったのかな?」と思って自分なりに研究して、それをリングス時代にディック・フライにやったんだよ(笑)。
──あのスタンド状態で、足首をバキッと折る危ない技は藤原さんが元祖だったんですね(笑)。
藤原:蹴り足を脇でキャッチするのは、ムエタイにもある技術だからね。東京北星ジムでもよく練習したよ。
◆「死んでもいっさい責任は負いません」という紙にサインさせ…
前田:あと佐山さんが凱旋帰国した時にタイガーマスクで有名になって、「タイガーマスクにチャレンジ」みたいな企画があって、その時、俺らが相手したんだよ。
──『少年サンデー』かなんかの企画ですよね。
藤原:そこそこ人数がいたよな。それで俺が最初に行ったんだよな。一応、柔道や空手をやってるヤツが集まったってことなんだけど、パッと見たらみんなちっこいんだよ。本気でやって大ケガさせるわけにもいかないけど、手加減しすぎると「プロレスラーはたいしたことなかった」とか言い出すヤツがいるだろうから、倒したあと肋骨にカカトをバカーンと入れてな。肋骨にヒビが入ってもそんな大ケガじゃないけど、2カ月くらい息をするだけで痛いから、怖さを植えつけるのにちょうどいいんだよ。そういうのを3人くらい相手したかな。その次、お前がやったのか?
前田:俺も3人くらいやりましたね。
藤原:ムチャな企画だよ。どうせ「死んでもいっさい責任は負いません」みたいなことが書かれた紙にサインさせただけでやってるんだから。今なら大問題だろうな(笑)。
<談/前田日明・藤原喜明>