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かつての“天才子役”が“宇宙的な俳優”に。同級生の記者が明かす「グッときちゃった」瞬間

日刊SPA! 2024年6月21日 15時51分

リストラされた父親に黙ってピアノ教室に通う。天才ピアノ少年として芽吹くものの、父親と揉み合いになり、階段の上からスライド……。
その少年役は、当時12歳だった井之脇海が演じている。彼がスライドしたあの階段は“宇宙観”だった。あれから月日は流れ、今や井之脇自身が何か、宇宙的な俳優になったように思う。川口春奈主演のドラマ『9ボーダー』(TBS系、6月21日よる10時最終話放送)では特にそれを強く感じた。

イケメン研究をライフワークとする“イケメン・サーチャー”こと、加賀谷健が、ひとりの友人として本作の井之脇海を解説してみたい。

◆「大きくなられて!」の一言

雪解けみたいな演技である。新しい春にぴったりのドラマ『9ボーダー』に出演する井之脇海を見て晴れやかな気持ちになった。先に打ち明けておくと、実は彼とは日本大学芸術学部時代の友人関係。映画学科の演技コースに在籍した井之脇と監督コースのぼくは、両コース合同の実習などで学んだ。

だから「井之脇」とかしこまって呼ぶと面映い気もする。このコラムを書く前、大学時代について「海君、書いていいかい?」と聞けば、「書いていいよ!」と応じてくれる。ぼくより年齢こそ下でも精神の成熟度は格段に上。ひとりの俳優との呼応を噛み締めつつ、初めて出会った、あの昼のことを心置きなく追想することが出来た。

あれは確か、現在は閉鎖されている所沢校舎の学食。共通の友人を介して海君がやってくるまでの間、ソワソワ、ソワソワ。だから出会ったというより、正確には、お目通りがかなったというべきだろう。いたずらにこういう表現はしたくないが、当時のぼくにとって、井之脇海とは“天才子役”だったのだから。入学前から憧れていた彼に入学後に出会えるとは夢にも思わず、ひと目見てすぐ口をついて出てきたのは、「大きくなられて!」。素直にこの一言だったと記憶している。

◆憧れの天才子役との縁

キャリアのはじまりは早い。9歳で名門「劇団ひまわり」に入団。12歳のとき、一躍その名が知れ渡ることになる。香川照之主演の映画『トウキョウソナタ』(2008年)で、香川と小泉今日子の息子役で出演した。リストラされてもなお強権的に振る舞う父親に対する小学生の純粋な反抗と葛藤が内的に探られつつ、黒沢清監督特有の外的なアクション演出が、井之脇の存在をダイナミックに引き出していた。

例えば、息子の反抗心に激昂した香川が、二階へ駆け上がり、突き飛ばされた井之脇がダダダッと階段をスライドする場面の衝撃。黒沢監督がおそらく参照しただろう小津安二郎の『風の中の牝雞』(1948年)に比肩すべき静かなるアクション空間に投げ出され、仰向けにスライドする井之脇。黒沢監督による映画の力学に魅せられて日芸に入学したぼくからすると、同じ学科に憧れの俳優がいたことの偶然と映画的な縁を感じずにはいられなかった。

同作のラスト、井川遥扮するピアノ教師の導きで発表会に参加した少年が弾いたのが、クロード・ドビュッシーの「月の光」。左手以外は本人が弾いている。12年後、初主演映画『ミュジコフィリア』(2021年)では、並外れた感性を発揮する音大生役を演じ、今度は両手とも吹替えなし。どちらの役も現代音楽で共通し、響き合う。『トウキョウソナタ』からの流れがアンダンテ(歩くような速さで)のようにもアレグロ(速く)のようにも感じられる。『ミュジコフィリア』の取材現場で、卒業以来の再会を果たしたのも音楽映画の奇縁がもたらした通奏低音だろうか。

◆ワンショットの持続を体感

大学時代の友人である一方、純粋に俳優としての井之脇海を見るということは、スリリングな体験に他ならない。対象となる俳優の演技に並走し、見つめることのワクワク感。それはあたかも撮影現場の袖で眼差しているような感覚だ。

「よーい、スタート」から「はい、カット」までの間、井之脇がひと息に演じ、気を吐く瞬間を追体験するというのか。今、彼の演技にすごいことが起きているというグルーヴ感を共有するというのか。そんな体感が特に強かったのが、2023年末に放送された『あれからどうした』(NHK総合)だった。

第3話「制服を脱いだ警察官」では、警察官たちの軽妙な日常が本人の視点と客観的事実とのズレとしてコミカルに描かれる。井之脇が演じたのは、正義感は強いがちょっと頼りない巡査の青柳健太。休憩時間、先輩・金澤真由(岸井ゆきの)と人数分のお茶を入れながら会話する場面。それぞれ肩越しのショットが数カット切り返される内、岸井のグルーヴィーな呼吸に合わせた井之脇が恐るべき持続力のある演技を表出した。井之脇海に何かが宿る瞬間を体感したのだ。「この海君、ほんとにすごいな」とテレビ画面に釘付けになりながら、膝をたたいた。

◆井之脇海の宇宙観

ワンショットの中に存在し、演技を持続させること。これは、俳優の能力として当たり前のことだと思われるかもしれない。でも想像以上に難しい。もっと言うと、この当たり前が出来ている俳優の方が実は少ない。

俳優の基礎的能力を確認しながら、井之脇の出演最新作『9ボーダー』を見るとどうだろう。第1話の初登場場面でまずびっくりする。主人公・大庭七苗(川口春奈)の姉・大庭六月(木南晴夏)が経営する会計事務所に面接にやってきた松嶋朔(井之脇海)が、一見して何とも風変わり。ハムスターのカゴをどうして抱えているのか、朔が事情を説明する間、カメラが興味を示すかのようにスゥッとズームアップ。

カメラワークが予定調和ではなく、思わず寄ってしまったというこの感じ。朔はとにかく喋りまくる。独り相撲のような人だ。井之脇は2022年に『エレファント・ソング』で舞台初主演を果たしていたが、朔役の持続力はどうも演劇的だなと思ったらば、そうだ、坂東玉三郎が言っていた言葉にピッタリなのが。

「ひとつの空間をパッと区切られたときに、その区切られた中にパッと宇宙観を表現出来る人たち。それが演劇的な人たちだと思っています」

これはスイスの映画監督ダニエル・シュミットが東京を舞台に玉三郎の姿を追った幽玄的なドキュメンタリー映画『書かれた顔』(1995年)のインタビュー場面での言葉。「演劇的な人」を敷衍すれば俳優の条件とも理解出来るが、カメラが思わず寄ってしまった井之脇のあの演技は、まさにフレーム内の「宇宙観」だった。

◆「いいんですか!」にグッとくる

面接では六月が朔の留学先だったナポリで食べたピニャータ・パスタがどこの店だったか聞くのだが、これが素晴らしい伏線になる。六月が別居中の夫・成澤邦夫(山中聡)から離婚届をつきつけられ、ひとり、泣き濡らす屋上。そこへ朔が。店名がわかったと言ってやってくる、その伝え方まで変わっている。特技のマジックで名刺を目の前に出し、それを一枚の写真に。このイリュージョン。井之脇の宇宙観をはっきり見た気がした。

思わずグッときた六月は面接の合格を伝える。意外な採用通知に朔は、横断歩道を挟んで、「いいんですか!」とクリアな声で叫ぶ。この「いいんですか!」が朔の口癖というか、朔を朔たらしめるシグネチャーとなる。六月に好意を寄せた朔が焼肉に誘われたとき。大庭湯で借りた着替えをもらったとき。などなどすべて「いいんですか!」と涼しい顔をする。見逃せないのが、第5話でアミューズメントパークに行く場面。バスケットボールのシュートを決めたら告白の返事をほしいと言うが、惜しくも外し、くずおれて膝を叩く。床に手をついた朔に六月が「ちょっと考えさせて」と言うと、「えっ」とゲンキンな表情で顔を上げる。「えっ、そこはいいんですか!じゃないの!」と突っ込みたくなる。

採用通知の第一声以来、毎話で彼の「いいんですか!」を聞くのが楽しみになる。ところが、第7話ラスト、朔は自転車とぶつかって入院する。メガネを外し、頭にぐるぐる包帯を巻いた姿を見て自然と思い出す。階段からスライドしたあの少年もまた包帯をぐるぐる巻きにして診察室から出てきたことを……。第8話で六月からリニューアルする大庭湯の試食会に誘われた朔が、まだ包帯を巻いた格好で囁き声の「いいんですか!」を響かせる。15年以上の時を経て、包帯というアトリビュート(持ち物)を取り戻したかつての天才子役に感じた憧れが、誇りに思う気持ちに高まる。何だかグッときちゃったよ、海君(!)。

<TEXT/加賀谷健>

【加賀谷健】
コラムニスト・音楽企画プロデューサー。クラシック音楽を専門とするプロダクションでR&B部門を立ち上げ、企画プロデュースの傍ら、大学時代から夢中の「イケメンと映画」をテーマにコラムを執筆。最近では解説番組出演の他、ドラマの脚本を書いている。日本大学芸術学部映画学科監督コース卒業。Twitter:@1895cu

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