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“近代日本の象徴”だった名作レトロ建築の世界。爆破解体された「朝鮮総督本庁舎」を写真で振り返る

日刊SPA! 2024年6月29日 8時50分

明治以降、日本は欧米の様式と技術を急速に取り込み、数多くの絢爛豪華な近代建築を建てたが、取り壊されもう二度と見ることができなくなったものも多い。その代表格が、日本がソウルに建てた破格の規模を誇る名建築「朝鮮総督府本庁舎」だ。負の歴史遺産として爆破解体される2年前に撮影した貴重な写真とともに、撮影時のエピソードを、『もう二度と見ることができない幻の名作レトロ建築』(扶桑社)の著者で、これまで2,500棟余りの近代建築を撮影してきた建築写真家・伊藤隆之さんに解説してもらった。
◆破格の規模を誇る古典主義の名建築

朝鮮総督府本庁舎は、横浜や神戸の居留地で活躍していたポーランド系ドイツ人建築家ゲオルグ・デ・ラランデによって設計された。

しかし、建設中にラランデが病没したため、その後は朝鮮総督府営繕課の野村一郎や国枝博を中心に建設が進み、総建設期間15年という歳月と総工費636万円、現在の価値で約254億円という巨費を投じて、大正15年に朝鮮総督府本庁舎は竣工した。

◆意外にも、すんなりと許された館内の撮影

私の初の海外旅行先はソウル。その目的は、「朝鮮総督府本庁舎」の撮影だった。訪れたのは「朝鮮総督府本庁舎」が負の歴史遺産として爆破解体される2年前の1993年。

当時、「朝鮮総督府本庁舎」は韓国の国立中央博物館だったので、館内に入るのは問題なかった。大胆にもアポなしで大判カメラを持ち込んだが、警備員からはとくに何もいわれなかった。

おかげで予想を超える立派なインテリアを撮影できた。展示物の撮影でなかったのが幸いしたのかもしれないが、貴重な写真を残すことができた。

大ドームを頂いた外観は、古代ギリシャやローマの作品を規範とする古典主義を基調にしており、建物全体を覆う花崗岩はソウル市郊外で産出したものだ。

◆もう見ることができない、絢爛豪華なインテリア

正面玄関の階段を上がって館内に入ると、エントランスホールにはさらに階段があり、その頭上を仰ぐと5階吹き抜けの天井にはドーム型のステンドグラスが光を落としていた。

その大きさやレースのような繊細な文様は、日本の近代建築史上最高のステンドグラスと思える美しさだった。

階段を上がると、開放的かつ雄大な中央大ホールに導かれる。高いヴォールト天井の明かり採りの窓が洋画家、和田三造が描いた大壁画「羽衣」を浮かび上がらせていた。

床一面に広がる圧巻の大理石のモザイクは、朝鮮地元産のものを使用していた。

ホールの三方には2層の開放的な回廊を巡らせ、正面には手すりが流麗なラインを描く対の階段を設置。その階段を上がった奥には、天井全面がバロック様式による漆喰装飾で覆われた大会議室が続き、豪奢でボリュームのある空間が展開していた。

戦後この庁舎で大韓民国の成立宣言が行われ、長らく政府の中央庁舎として使用されていたが、1986年に国立中央博物館に転身。韓国にとって歴史上の負の遺産として、金泳三大統領の命によって1995年に取り壊された。

現在は解体された残骸の一部が、天安市にある独立記念館の野外に展示してある。

<文/伊藤隆之、後藤聡(エディターズ・キャンプ) 写真/伊藤隆之>

Architect Data
所在地:大韓民国ソウル特別市 
設計:ゲオルグ・デ・ラランデ、朝鮮総督府営繕課 
施工:朝鮮総督府直営、清水組 
竣工年:大正15年(1926) 
解体年:平成7年(1995)

【伊藤隆之】
1964年、埼玉県生まれ。早稲田大学芸術学校空間映像科卒業。舞台美術を手がけるかたわら、日本の近代建築に興味をもち写真を学び、1989年から近代建築の撮影を始める。これまでに撮影した近代建築は2,500棟を超え、造詣も深い。これまで、『日本近代建築大全「東日本編」』『同「西日本編」』(ともに監修・米山 勇 刊・講談社)、『時代の地図で巡る東京建築マップ』(著・米山 勇 刊・エクスナレッジ)、『死ぬまでに見たい洋館の最高傑作』(監修・内田青蔵 刊・エクスナレッジ)などに写真を提供してきた。著書には『明治・大正・昭和 西洋館&異人館』(刊・グラフィック社)、『看板建築・モダンビル・レトロアパート』(刊・グラフィック社)、『日本が世界に誇る 名作モダン建築』(刊・エムディーエムコーポレーション)、『盛美園の世界』(刊・名勝盛美園)がある。

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