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『千鳥の鬼レンチャン』B‘z稲葉のモノマネで話題、49歳元会社員が脱サラして「ものまねアーティスト」になったワケ

日刊SPA! 2024年7月1日 8時52分

 5月に放送された『千鳥の鬼レンチャン』(フジテレビ系)で、B’zオンリーモードに挑戦し、本人の歌唱と勘違いしそうなほどの高クオリティーの稲葉浩志さんのモノマネで、しっかりと爪痕を残した、ものまねアーティストの中村素也さん(49歳)。
 B’zのものまねをはじめた理由、テレビ出演の反響、また謎のヴェールに包まれたままのプライベートに迫った。

◆『鬼レンチャン』出演で知名度爆上がり?

――『鬼レンチャン』で披露されたB’zモノマネ、本当に稲葉さんの声にそっくりで驚きました。反響はいかがでしたか?

中村素也(以下、中村):SNSでの反響が大きかったですね。特に、Instagramでは「めちゃくちゃ似てた!」「(ものまねが)うますぎる!」などのありがたいコメントをたくさんいただきました。この反応を見て、最近になってTikTokもはじめました。

――これまでにも何度かものまね番組に出演されていますが、その中で一番反響が大きかったのは?

中村:難しいところですね……。はじめてのテレビ出演は2008年の『爆笑そっくりものまね紅白歌合戦』(フジテレビ系)だったんですが、誰かがYouTubeにアップした僕の出演動画が200万回再生を超えていたんです。当時はまだYouTube黎明期だったにもかかわらず。

でも、『鬼レンチャン』の放送後に行った営業先で、いつものようにショーの最後にカツラをとったら、お客さんから「カツラ被ってるから、『鬼レンチャン』の人だってわからなかったじゃん」と言われました(苦笑)。なので、僕が知らないだけで、『鬼レンチャン』で僕のことを知ってくださっている方は意外と多いのかもしれません。

――確かに、その髪型は中村さんのトレードマークのようなものですよね。

中村:そうなんですよね。学生の頃は普通に生えてましたが、25歳ぐらいから気になりだして……。まぁ、遺伝だからしょうがないと思ってたら、今のようになってしまいました。今となっては僕の武器でもあるので、もう生やすことはできませんね(苦笑)。

◆B’zのコピバンに誘われ稲葉さんのものまねアーティストに

――はじめてのテレビ出演が2008年ということは、今から16年前。実は長い芸歴をお持ちなんですね。そもそも、中村さんが稲葉さんのものまねをはじめたきっかけは何だったのでしょうか?

中村:B’zのコピーバンドをしている「Jo’z(ジョーズ)」というバンドに誘われたからです。社会人になってから洋楽のハードロック系のコピーバンドを組んで活動していたのですが、その中で久保沢さんという方と知り合いました。2010年に、「一緒にやらないか?」と誘われてJo’zに加入したんです。

 いま振り返ってみると、もう30年以上前になりますが、初めてB’zを見た高校時代からカラオケでよくB’zの歌を歌っていました。ハードロック系のコピーバンド時代は、独学で歌の練習をする中で少しずつ声量がついていって、高いキーが出せるようになると、「自分も稲葉さんみたいに歌いたい」と思うようになっていましたね。

 それに、稲葉さんのルーツに当たるようなバンドをコピーすることも多かったので、何かご縁があるんじゃないかと勝手に感じていました。

◆稲葉さんの魅力とは?

――かなり昔からお好きなんですね。中村さんにとっての稲葉さんの魅力とは?

中村:もちろん、かっこいいとか歌がうまいとかもありますが……。本当におこがましいんですが、歌詞を読んだり、歌を歌ったりしている時に、実は似たような価値観や考え方を持っているんじゃないかと思うことがあるんです。表面上は明るく見せていても、心の中には暗い一面もある。決して完璧な人間ではないんだ、みたいな部分に共感するんです。

 今年は稲葉さんのソロライブもありますし、10年ぶりの新作ソロアルバムもリリースされましたし、いちファンとして全力で応援したいと思います。

――現在は、ものまねのステージ営業をメインにされているようですが、こちらはいつから?

中村:2013年からです。全国各地で披露宴の余興をはじめとする色々なイベントに出演されてもらっています。Jo’zも含めると、ものまねの活動は月平均4~5回。ほとんど週末です。というのも、実はまだ地元の長野県に住んでいて、平日は仕事をしているんです。

◆意外なプライベート!長野在住、個人事業主、実家暮らし

――長野県在住なんですね、驚きました。

中村:生まれは愛知県なのですが、高校生のときに親の都合で長野県に引っ越しました。以来、ずーっと長野県に住んでいます。

――平日はどんなお仕事をされているのですか?

中村:製造業です。元は正社員として働いていましたが、ものまねをはじめてから個人事業主になり、今は派遣社員として働いています。

――ご家族に、ものまねを仕事のメインにすると話した時の反応はいかがでしたか?

中村:今も両親と同居しているのですが、金銭的に不安定な状況の中ではじめたので、反応はあまりよくありませんでしたね(苦笑)。いまだに「反対」とも「賛成」とも言われていませんし、色々と言われることもありますが、ものまねの仕事に向かう時は「頑張って」と言われるので、今は黙認状態に近いのかもしれません。

◆本人に会ったことはないけど…お母様とは何度も

――長く稲葉さんのものまねをされていますが、ご本人にお会いしたことは?

中村:直接お会いしたことはありません。岡山県に行った時には、ご実家のイナバ化粧品店さんに寄らせてもらうのですが、何度かお会いするうちに、顔を覚えていただけるようになりました。お母様はとにかく明るくて懐の広い方で、色々とよくしていただいています。

――中村さんのものまねは、ご家族も認めてるんですね?!

中村:認めていただいているかどうかは分かりませんが、行くたびに可愛がってくださいますね。実は僕、「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2017」で、ゴールデンボンバーさんと共演させていただいたことがあるんですが、その時の映像がお母様に気に入ってもらえたようで、僕が行った時にお店で流してくださったこともありました。

◆今後の目標は長野在住ものまねアーティスト、ご本人と会う

――最後に、今後の目標を教えてください。

中村:基本的には、このまま長野を拠点に活動しながら、テレビ番組に呼ばれれば上京するスタイルが、自分に合っているのかなと思っています。両親もいい年ですし、2人の身体も心配です。何かあった時のことを考えると、自分が近くにいたほうがいいでしょう。

 それに、まだまだ地元の知名度が高いとは言えないので、しっかり「長野在住のものまねアーティスト」として根付きたいですね。その上で、ものまねを発信していきたいです。

――何かの形で地元に貢献できたらいいですね。叶えたい夢などは?

中村:大きな目標でいうと、稲葉さんご本人とお会いすることです。今年中にお会いできたら何も言うことはありません。

 あと……できればCDデビューしたいですね。実はこれまでに何度か話はあったんですが、浮かんでは消えを繰り返してきました。ものまねアーティストではなく、アーティストとしてCDが出せたら、本当に嬉しいです。

<取材・文/安倍川モチ子 撮影/篠田英美>

【中村素也】
1975年生まれ、愛知県出身。高校時代に長野県へ移り、現在も長野県に暮らしている。平日は派遣社員、週末はものまねアーティストの二足の草鞋をはく。全国で結婚式披露宴をはじめとする各種イベントに出演するほか、ものまね番組へのテレビ出演もこなしている。ものまねレパートリーはB’z(稲葉浩志)、WANDS、L’Arc~en~Ciel、TMネットワーク他

【安倍川モチ子】
東京在住のフリーライター。 お笑い、歴史、グルメ、美容・健康など、専門を作らずに興味の惹かれるまま幅広いジャンルで活動中。X(旧Twitter):@mochico_abekawa

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