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“違法な攻略法”で稼いだ50歳元パチプロの「その後の人生」。ブラック企業に就職した結果…

日刊SPA! 2024年7月2日 8時53分

 朝から晩までパチンコやパチスロを打ち、勝ち金で生活をするパチプロ。20代ならまだしも、30代、40代となるにつれ、世間の風当たりの強さに足を洗う者も多い。気ままな稼業の代名詞とも言われる彼らは、一体どんな人生を歩んでいるのだろうか。
 今回は前回に引き続き、パチスロの「セット打法」でしのいだ経験のある大場裕樹さん(仮名・50歳)が歩んできた壮絶な人生の後編をお届けする。

◆セット打法は業者にとって“保険”

 バンドを組んでメジャーデビューを夢見て上京した大場さんは、その夢の途中でパチンコ・パチスロの虜となり、ギターを弾く日々からレバーを叩く日々へと移り変わっていく。そしてパチスロ店でたまたま出会った、3つ上の「ヤマちゃん」という人にセット打法の勧誘を受けることに……。

 指示通りに打つと、本当にビッグが揃い続け、見事大勝ちに成功。大場さんはセット打法についてさらに詳しく知ろうとしたが、グループやネタの出所については堅く口を閉ざしていたという。

「私が聞いたのは、セット打法は裏モノのロムを仕込む業者にとって“保険”だということ。裏ロムなんて、それ自体違法なわけじゃないですか。業者は踏み倒されたら警察に言うわけにもいかないし……ってワケで、トラブルになったときの保険としてセット打法を仕込んでいるということはヤマちゃんから聞きましたね。ただ、ネタの出所などは何度聞いても一切口を割りませんでした」

◆店長に裏に連れて行かれることも…

 セット打法のネタが来るのは数か月に一度程度。しかも、万枚出せるようなものではなかったと大場さんは話す。

「抜いた枚数は最高でも5千枚くらいだったと思います。万枚なんて出したことないですし、勝ち金はその場でヤマちゃんに半分渡していましたから、ウハウハじゃなかったですよ。他にもメンバーがいたようなので、抜いた総額はもっとあったんじゃないかと思いますが、同じ店に何度も行くってことはなかったですね。正直、その辺の事情については、ヤマちゃんは絶対に教えてくれなかったんです。一度、セット打法をやり始めた途端、店長らしき人がヤマちゃんに声を掛けて、裏に連れていかれたんですが、ものの10分ほどで戻って来て、『話はついたから、今日は帰ろう』って。あのときはさすがに冷や冷やしましたね(苦笑)」

 こうした事情があったため、大場さんにとってセット打法は「たまにやる割のいいバイト」程度の感覚だったという。

◆表ネタの攻略法でしのぐ

 しかし、蛇の道は蛇。ヤマちゃんはそのスジのネットワークからなのか、さまざまな攻略法を知っており、大場さんと組んで表ネタの攻略法を使ったこともあったと話す。

「ヤマちゃんはとにかくネタをたくさん持ってて、いろんな“表ネタの攻略法”を一緒にやりましたね。表ネタってのは、セット打法のような仕込みではなく、バグとかプログラムや配列のミスを突いた攻略法のことです。セット打法よりも表ネタの攻略法を一緒にやった思い出のほうが記憶に残ってます。しかもネタが早いんですよ。導入前の台の情報もいくつかあって、なんで知ってんの?って驚いたことは一度や二度じゃありません」

 こうして10代後半から20代にかけて、大場さんはドップリとスロットにハマッた青春を過ごしたのである。

◆セット打法では出禁にならなかったが……

 こうしたプロ行為を続けることで、店を出禁になったこともあったようだ。

「セット打法じゃ追い出されたことはなかったけど、攻略法を使って追い出されたことは何度かありますね(苦笑)。一番、思い出に残っているのは岡崎産業のコアっていう台。変則押しすることで複合で小役を取ることができたんです。完全にメーカーがリール配列をミスしてたんですよね。このネタをヤマちゃんは導入前からなぜか知っていて、2人で設置店探して連日朝から抜きまくりました。

でも、3日目に行ったら台に座る前に店員から声を掛けられて裏に連行されて、『なんかやってますよね?』って。そしたらヤマちゃんは『はい、やってます!』って即答したんですよ(笑)。あれはビックリしましたね。普通、隠すじゃないですか。でも、ヤマちゃんのすごいのは、『手順を教えるから、今日だけは打たせてくれませんか?』って交渉し始めたんですよ。まだ、その時点では攻略法はほとんど出回ってなかったんで、店長も考え込んで、『じゃあ、今日だけはいいけど、もう二度と来ないでくれ』って。でも、こんなのはレアケースで、だいたいは問答無用で追い出されましたね」

◆ヤマちゃんとの突然の別れ

 だが、楽しい時間が長く続かないのは世の常。ヤマちゃんとの別れがやって来たのであった。

「ある日、ヤマちゃんと飲んでいたときに『オヤジから跡を継いでくれって言われてさ、このままスロット打って生きてくのもなぁって思ってたところだし、実家に帰ろうかなって』と言われたんです。なんかもう、すごい喪失感でしたね。心に穴が空くっていうか……。スロット打っても心ここにあらずみたいな感じになってしまったんです」

 とは言え、悠々自適ともいえる生活を捨てて社会人になるという選択を、大場さんはなかなか選ぶことができずに、その後もスルズルとスロットを打って日銭を稼ぐ日々を過ごしていった。

「ある日朝から4号機の初代秘宝伝を打って、設定6を摑んだんです。最初はすごく興奮したんですが、夕方くらいからはもう、出るのが当たり前で完全に“作業”になったんですよね。結局、1万2000枚出て、そのメダルを流すのを見てたら、ふと『もう、いいかな』って思い、これがきっかけでスロプロ生活から足を洗いました」

◆パチプロ引退後の就職先は…

 その後、大場さんは履歴書を書きまくり、なんとか潜り込んだのは小さな広告代理店だった。

「広告代理店って言っても、インチキ出会い系のデタラメな広告を作る会社でした。もちろんブラック企業(苦笑)。会社というか事務所に3日泊まり込みとかザラでしたね。夜中の2時まで仕事やって帰ろうとしたら、飲みに連れて行かれてそのまま昼前まで飲んで、会社で仮眠して夕方から営業行って……みたいな生活でした。アホみたいに忙しかったんですが、ノリが合っていたのか居心地はよく、結局30歳過ぎまで厄介になりましたね。それからはweb系のまともな広告代理店に転職して、何度か広告代理店や広告制作会社を転職して、今は最初に入った広告代理店の先輩がやってる制作会社でディレクターやってます」

 パチプロから制作会社のディレクターとは、驚くべき人生である。いわば、勝ち組ではなかろうか。そう大場さんに問うと、大場さんは複雑な顔をしてこう答えた。

「オレが20代の頃から雑誌で見かけたパチスロライターが今でも現役でやってたりするのを見ると、オレはあそこまで極められなかったし、オレは本当にスロットが好きだったのか? バンド諦めてまでのめり込んだあの時間は、実は無駄だったんじゃないのか?って思いますよ。決して勝ち組なんかじゃないです」

「年を取るとモヤモヤしちゃうんだよなぁ」と胸中を話してくれた大場さん。だが、自堕落な生活から抜け出し、今の地位を摑むまではそれ相応以上の努力があったことは間違いない。それは誇ってもいいのでは……と聞くと、大場さんは「そんなもんかなぁ」と複雑な顔を見せた。

取材・文/谷本ススム

【谷本ススム】
グルメ、カルチャー、ギャンブルまで、面白いと思ったらとことん突っ走って取材するフットワークの軽さが売り。業界紙、週刊誌を経て、気がつけば今に至る40代ライター

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