Infoseek 楽天

「赤黒の全身刺青」と「世界最大の軟骨ピアス」…超個性派の古物商が思う「日本社会への違和感」

日刊SPA! 2024年7月3日 8時53分

 そこに現れた男性の、やけに長い睫毛とすっと整った鼻筋に目がいく。顔全体、あるいは身体全体を引きで見たとき、黒と赤に塗られていると思った皮膚が刺青によるものだったと気づいた。大黒堂ネロ氏。ほぼ全身を墨が覆う彼は、「まだ進化中です」と静かに微笑む。その真意と人生の到達点について聞いた。
 大黒堂氏は滋賀県で生まれ育った。最初に刺青を施したのは18歳のとき。右腕すべてに墨を入れたのだという。

◆目立ちたくて“この姿”になっているわけではない

「幼少期から刺青が好きだったのかと聞かれるのですが、まったくそんなことはないんです。それからこれもよく勘違いされるのですが、別に目立ちたくてこの姿になっているわけでもないんです。きっかけは本当に些細なことです。ちょうど知り合いに刺青をしている人がいて、興味本位でした。でも最初に彫った刺青は私の好みに合わなくて、『この人なら満足させてくれる』と思う彫師さんをやっと見つけたのは20代前半のときでした」

◆「中身を見ようとしてくれる人」が好き

 そこから大黒堂氏の刺青は加速度的に増えていった。一方で、大黒堂氏は古物商として正業を持っている。真面目さはこんな話からも伝わってくる。

「古物商を始めたのは、もともと裁縫が好きだったことに端を発するんです。自分が着るための服を製作してながら、販売もしていました。ところが生計を成り立たせるためには自分が着るものばかりも作っていられませんよね。ちょうど古いものも大好きだったことから、古物商として生計を立てようと思いつきました。実は現在でも、裁縫をやるために古物商以外のモデル活動をやったりしているんです。

 古物商の仕事において大切なのは、古物市場に行って先輩たちとかかわり、つながりや信頼を築き上げることです。紹介でのみ入ることを許される場所もあります。全国古書籍商組合連合会というところの組合員になるのですが、そうした連帯が非常に大切になってくる仕事です。同業者でもお客様でも、最初は僕の姿を見てぎょっとしますが、ものの数分で違和感なくいろんな話をしてくれますね。そういう風に、外観ではなくて中身を見ようとしてくれる人たちが僕は好きです」

◆刺青はライバルであり、「常に闘っている」

 フォルムに惑わされず、ひとりの人間としてみてほしい――。その思いの根底には、こんな哲学がある。

「刺青を入れている人でありがちなのは、刺青そのものが自分のアイデンティティになっているケースですよね。そうなると、その人自身ではなく、刺青ばかり興味を持っていかれてしまいます。しかし僕は、常に刺青と闘っているんです。常に変化していく僕の刺青と、それに負けまいとする自分の葛藤があるんです。僕は『ドラゴンボール』の作者・鳥山明先生を尊敬していて、よく外見が『フリーザみたい』と言われるのですが、はからずも刺青が孫悟空で自分がベジータの関係性になっていると思っています。ライバルとして、凌駕しようと切磋琢磨する関係です」

 自らに施した刺青がライバルとは、妙な言い回しだ。だが大黒堂氏の「刺青を入れる自分」についての分析はなるほど面白い。

「刺青を入れる際に必ず伴う痛み。これも僕は人生においてひとつのヒントになるのではないかと思っています。痛みというのは自分の弱さを表していますよね。もちろん、自分の弱さを知ったところで、刺青が痛くなくなるわけではありません。けれども、対策を考えて解決することはできます」

◆幼少期のころから言い表せない孤独感があった

 大黒堂氏の幼少期は、どのような少年だったのか。現在の彼に通じる思想の欠片を、独特の言い回しでこう表現する。

「一言でいうとスケベでしたね(笑)。小さい頃は姉について回って、同年代の女の子と遊んで、『パンツ見えたらラッキー』とか思ってました(笑)。反面、結構悪ガキの一面もあって、近所で3人組とかになってイタズラしたり。かと思えば幼稚園くらいのときから『世界中が自分を監視している』となぜか思ったりして……そんな感じの子でした。言い表せない孤独感はいつもありましたね。いじめられているわけでもなく、みんなの輪のなかにいるのに、ひとりみたいな」

◆欲望に隷属している姿を眺めるのが好き

 大黒堂氏の言う“スケベ”。これは、彼の人生の根幹に鎮座しているのかもしれない。

「スケベというのは何も性的な事柄に限らないんですよね。人が隠そうとしていたものが見える瞬間、秘密が暴かれるとき、得も言われぬ色気を感じるという意味です。たとえば古物商をやっているとそういう瞬間に遭遇することは多いです。最後までその人が隠したかったであろうものに触れると、『スケベだな』と思います。あるいはもっと大きな視点でいえば、『この事実を隠したかったからこうやって世の中が変わっていった』みたいな歴史の裏側ってあるじゃないですか。それも同じですね。

 ほかには、人が食べ物を食べているときはスケベですよね。『胸焼けしちゃうけど食べちゃう』なんていうのは、それがわかっていて依存している状態だと思いますが、欲にまみれた姿がスケベだなと感じます。自分は欲望をなくしたフラットな状態にして、欲望に隷属している姿を眺めるのが好きなんです」

◆「親からもらった身体を大切にしろ」に違和感

 道を行き交う人の群れでも、大柄な全身に刺青を施した大黒堂氏の姿は異彩を放っている。だがほとんど他人の視線は気にせず、常に意識は自己へ向いている。

「基本的に街を歩くときは、鏡やガラスに映る自分の姿がどうかを気にしているので、他人の言葉はあまり入ってきません。面白いのは、僕に話しかけてくる初対面の人の多くは、だいたい刺青か軟骨ピアスのことを話題にするんです。ちょっとした統計を取っているのですが、やや傾向めいたものもあるなと最近わかってきました。僕は分析するのが好きなんでしょうね、きっと」

 特に日本において根強い刺青への拒絶感についても、大黒堂氏はこんな風に分析する。

「よく用いられる文言に『親からもらった身体を大切にしろ』というものがありますよね。しかし親からもらった身体を食品添加物や着色料にまみれた食事で満たすのは批判の対象にならないのに、刺青だけは批判を超えて誹謗中傷してもいいという雰囲気が醸成されているのは疑問だなと感じます」

◆「刺青のコメンテイター」が日本にいないからこそ…

 決してブレることのない自身の考え方を持ち、今なお刺青も中身も“進化中”と語る大黒堂氏には、次なる目標がある。

「今年11月に『The Allstars Tatoo Convention』という世界的なイベントがアメリカ合衆国マイアミ州で行われるのですが、そこにスペシャルゲストとして招待されています。当面の目標は、海外においても発信できる足がかりをつくりたいと考えています。私の軟骨ピアスは世界で最も大きなものだと思っているので、ギネス申請をして認められて、身体改造の分野でも発言できる存在になれたらと思っています。現在、日本においては文化人の枠で発言をする刺青のコメンテイターなどはいないので、あらゆる問題について自分自身の考え方をお話する機会が今後増えていけばいいなと考えているところです」

 世の中は「オリジナリティを持て」「個性を大切に」と喧伝するが、一方で目立った者たちを嘲り笑い、容赦なく負の感情の沼へ引きずり込む。石を投げる人間と投げられる人間は二極化し、誰が投げたか知るすべは少ない。

 異形なるがゆえに人から話しかけられ、その繰り返しによって大黒堂氏が相手の魂胆をほぼ正確に見抜けるまでになったのは、なんとも興味深い。もはや一方的に石を投げられるだけの存在ではあり得ない。だがそれすらどうでもいいほどに、大黒堂氏は誰も見たことのない自分への“進化”を夢見て邁進する。常に発展途上。完成はしない。それでも高みを目指して、一歩を踏み込む。

<取材・文/黒島暁生>

【黒島暁生】
ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki

この記事の関連ニュース