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“生理の貧困”にタンザニアで立ち向かう28歳の日本人女性。ナプキン工場の資金難や嫌がらせを乗り越えて

日刊SPA! 2024年7月4日 15時52分

外国人などひとりもいないタンザニアの小さな町で、生理用ナプキン製造の工場長をしている28歳の日本人女性がいる。神奈川県出身の菊池モアナさん。
いったいなぜタンザニアで生理用ナプキンをつくろうと思ったのか? 彼女の原動力と今後の展望を聞いた。

◆「日本より儲かるんだろう」

「日本人のお前がどうしてタンザニアでビジネスをしている?きっと日本でやるより儲かることをこっそりとやっているんだろう。事業の本当の目的は何だ?」

2023年、タンザニアで事業を始めて半年たった頃の菊池さんは、タンザニア政府の移民局担当者からこうつめ寄られた。いつも気丈な菊池さんだが、この時ばかりは、悔しくて悲しくて、涙が止まらなかった。

「お金儲けを目的にビジネスをしているんじゃないのに、そう思われていることがショックでした。新卒の時の給与の半分も受け取っていない状態で、必死にやっているのに」

この時のたかぶる気持ちを思い出して笑顔を曇らせる菊池さん。しかし、このエピソードは数ある試練のひとつにすぎない。

◆ジュラシック・パークのような大自然

菊池さんは1995年、神奈川県川崎市で生まれた。「モアナ」という名前にはご両親の熱い想いが込められているが、正真正銘の日本人だ。この名前の由来については後述しよう。菊池さんが国際協力の分野に興味をもったのは、中学時代の先生が平和学習に力をいれてくれたのがきっかけだ。

初めてタンザニアの地を踏んだのは菊池さんが大学3年生の時である2017年8月。文部科学省が運営する「トビタテ!留学JAPAN」の奨学金を活用した。菊池さんがイギリスでの8ヶ月の留学を終え、タンザニア北部の水道もガスもない村で教育事情の調査を始めた時だ。標高1300メートルの山奥での生活は、「ジュラシック・パークの世界をちょっと整えたような」環境だったと言う。水道はないので、川に水を汲みにいき、洗濯も川で行う。お湯も沸かせず、バケツいっぱいの冷水で「冷たい!」と叫びながら風呂に入った。

「小さい時は、自然教育を大切にする幼稚園で毎日どろんこまみれになって遊んでいました。典型的な野生児として育てられ、幼少期から自然にふれていた経験がめちゃくちゃ生きましたね。タンザニアの村での生活は大自然すぎて、普通の日本人女子だったら耐えられないようなところもありましたが、だんだんと平気になりました」

この調査をしている間に、当時付き合っていたタンザニア人、ウィリアムさんとの子どもを妊娠していることが発覚する。当時の菊池さんは青年海外協力隊に入るという夢を実現するためにやりたいことが山ほどあり、出産するつもりはなかった。

「妊娠がわかった時は、どこで中絶できるのだろうということをまず考えました」

中絶しないでほしいというウィリアムさんの説得に対しても「産めないものは産めない」とはっきり伝えた。ところがこの時、タンザニアでは容易に中絶ができないことを知った。

タンザニアにも中絶手術を請け負う闇医者がいたが、二度と子どもが産めない身体になったり、ひん死の状態になったケースを聞いて怖くなった菊池さん。そこで、ビザ更新のため訪れた隣国のウガンダで、タンザニアでは購入できない中絶薬を入手した。しかし、ウィリアムさんの涙ながらの説得もあり、タンザニアではその薬を飲む決心がつかなかった。

◆中絶か。シングルマザーか

日本に帰国したのは、お腹の子どもが12週目の頃。中絶以外の選択肢を考えていなかった菊池さんの心を変えたのは、病院で見たエコー写真だった。おなかの中に宿る命を初めて自分の目で見た時に、「産まない」という固い決意が揺れた。

「父親にも全力で止められました。『シングルマザーになったら生活に苦労する。そんな崖っぷちに向かおうとしている娘を止めない親などいない』と」

産んでも産まなくても後悔があると考えた菊池さん。どちらの後悔なら、残りの人生でも背負って生きていけるだろうかと考えて、産むことを決めた。

「青年海外協力隊という夢は諦めないといけないけれど、夢の先にある志は『国際協力』でした。それなら子どもがいてもできるのでは、と気づいたんです」

親や周りの友達の強い反対を押し切って出産をした菊池さんは、父親であるウィリアムさんをタンザニアに残したまま日本でシングルマザーとなった。

2020年に幼子を抱えたまま、新卒でボーダレス・ジャパンに入社。この会社は、社会問題に取り組む社会起業家を育成し、事業運営の資金サポートも行っている。最初の1年間、現場で経営を学ぶために再生エネルギー供給事業や技能実習生向けの日本語教育事業の立ち上げに関わった。この時に勤務先が福岡となった菊池さんは、この生活で改めてシングルマザーの苦しさを身をもって体験する。神奈川の実家を出て両親のサポートなしで、当時2歳の息子と2人暮らしをスタートさせた菊池さんは、生活に困るほどの経済状態に陥ったこともあった。

目の前の仕事に追われながら、頭のなかにあったのはタンザニアで出会ったシングルマザーのことだった。国の支援制度に頼らざるを得ないほど困窮した時期もあったが、それでも日本でシングルマザーとなった自分の守られた環境は、同じ境遇のタンザニアの女性たちと比べてあまりにもかけ離れていると気づいたのだ。

「日本で出産してシングルマザーになった私は、周りから多くのサポートを得られました。タンザニアの女性にはそれがなかったということを思い出し、シングルマザーのサポートをしたい、と思ったのが今のビジネスのきっかけです」

タンザニア政府による2016年の調査では、38%の世帯が母子家庭であるというデータもある。筆者自身も現在タンザニアに住んでいるが、日々シングルマザーの多さを実感している。子どもの通う幼稚園の先生やママ友達など、タンザニアではシングルマザーをあちこちで見かける。

「若年妊娠によるシングルマザーを助けたい」という想いが募った菊池さん。その手段として、「生理用品を無料で手にでき、性教育を受けられる状況を作る」という社会的にも影響の大きいビジネスを考え付いた。

世界銀行の2018年の調査によると、タンザニアでは人口の約半分が1日300円以下で生活をしている。そのため、多くの女性は1箱200円近くする生理用品を買えない。古い布切れやティッシュペーパーで代用している女子学生たちは、学校で経血が漏れることを心配し生理中は学校を休むことになる。その結果、授業についていけなくなり退学するケースが多いのだ。

「この世に生まれたその魂を、思いっきり輝かせて生きてほしいんです。どんな女性も、シングルマザーたちも、みんなが自分らしさを取り戻して、いきいきと輝いていくことのお手伝いがしたいんです」

◆工場稼働から3カ月で資金難に

2021年に生理用ナプキンの製造・販売のために、Borderless Tanzania Limitedを設立した25歳の菊池さんは、ボーダレス・ジャパンから初期費用として500万円、運営資金として800万円を受け取り、タンザニアに渡った。

菊池さんがナプキンの製造を行う工場は、タンザニアの大都市ダルエスサラームから車で2時間ほど離れた人口26万人の町キバハにある。ここに決めたのにも理由がある。最寄に大きなバスターミナルがあり、商品の配達に便利であること、税制優遇の特別地域であること、そしてサポートしたい若年妊娠女性たちが多く住む地域であることだ。実際に、工場がオープンすると、求人を出す前から2週間で300人以上もの女性が仕事を求めて工場に押し寄せた。

ところが事業は最初から躓いた。新型コロナの影響もありインドの企業から購入した製造機械の到着が9か月遅れたうえに、日本人が経営者というだけで大企業と判断され想定外のライセンス料を請求されたのだ。

取得が必要なライセンスは7つ。その中でも特にひどかったのは、通常25万円のライセンスに対して60万円の請求書が発行されたこと。通常の20倍のライセンス料を請求されたこともある。菊池さんは、会社の規模を理解してもらうために、何度も政府と交渉を重ね、また中小企業団体の組織に加盟するなどして、最終的にトータルで170万円以上あったライセンス料を30万円までおさめることに成功する。

「様々な手段で嫌がらせをされ、外国人からお金を搾り取ろうとしているのがわかりました。なんとか頑張って資金の管理をするべく耐えたんですが……」

会社の立ち上げから13カ月後の2022年の8月にようやく工場が稼働するも、同年11月には資金が尽きる手前まできていた。そこで日本人向けにクラウドファンディングに挑戦し、550万円を集めて首の皮一枚つながった。

◆大手と戦わずアイデアで勝負

タンザニアのスーパーに行けば、女性の買い物客たちは大手企業の販売する生理用ナプキンをかごに入れている。小さな工場を持つ菊池さんが、生理用ナプキン市場に参入するのは無謀な戦いにも見えるが、実はそこに戦いを挑んではいない。

「同じ土俵で勝負しても資金力で負けます。もちろん、日本の技術(吸水ポリマー)を使った素材なので、商品の質では勝負できます。でも、そこで戦うより、届け方を工夫してパンチをきかせたプロモーションをやっていこうと思っています」

そう話す菊池さんからは、数えきれないほど様々なアイデアがポップコーンのようにポンポンと飛び出してくる。格差の激しいタンザニアにおいて商品にメッセージ性を加えることで、生理の貧困に問題意識を持つ富裕者層のサポートを取りつける方法。男性が女性にナプキンをプレゼントすることが「かっこいい」と思ってもらえるような価値観の変換を狙った発信など。

菊池さんのビジネスモデルもユニークだ。生理用ナプキンが1箱(8枚入り)購入されるごとに1枚のナプキンを地元の女子学生に寄付する。さらに、学校にナプキンを寄付する際には、性教育の授業も一緒に提供するというものだ。

この性教育を学校に届ける試みも、菊池さんのアイデアマンぶりを示す。宗教的な背景もあり生理の話題がタブーであるタンザニアにおいて「性教育を提供しましょう」という提案は拒否されることが多い。実際に、多くの開発支援系の国際機関はいつも断られていると聞く。しかし、生理用ナプキンの無償提供とセットにすることで、菊池さんの戦略通り、学校に性教育を届けることができているのだ。

「ナプキンの寄付はどこの学校でも本当に喜ばれます。その結果、性教育を届けるという提案も断られたことは一度もないです」

2021年の創業から3年目、これまでにタンザニアの小中学校で21回の性教育を行ってきた。11歳から20歳まで、その数はおよそ3500人に及ぶ。2023年には、売り上げ以外に、工場見学による収益や日本からの寄付もあり、1万5000枚近くのナプキンを寄付することができた。

「シングルマザーだった自身の経験を生かし、日本人がタンザニアでナプキンを販売」というニュースはタンザニア社会でもインパクトがあるようだ。現地のテレビ局からの取材を受けるなどしてタンザニアのメディアも注目している。「あまり目立ってタンザニア政府に目を付けられたくないので、今は、どちらかというと目立たないようにしていますけれど」と苦笑する菊池さん。タンザニアで暮らし始めると同時に、ウィリアムさんとの念願の結婚も果たし、今は6歳となる息子さんを一緒に育てている。

◆「モアナ」らしい生き方

好きな言葉は「意思あるところに道は拓ける」。そんな菊池さんには、各政府機関の担当者からの嫌がらせや理不尽な理由による罰金の脅しなど、今も多くの苦難がふりかかる。彼女はなぜ次々と現れるこういった試練を乗り越えながら、タンザニアでの事業を続けるのだろうか。そのエネルギーと原動力の秘密は、彼女の名前に隠されていそうだ。

モアナという名前は、ご両親がハワイ語の「大海」から名づけた。菊池さんは、大学生時代に学校になじめず、うつ状態になったことがあった。落ち込んだ菊池さんを救ってくれたのは、名前の由来であるハワイでの体験だった。心を閉ざしていた彼女は、ハワイで世界中から集まった仲間と出会い、大海のように無限に広がる未知の世界があることを知った。ハワイでの経験は、のちに菊池さんがタンザニアを訪れるきっかけにもなった。

「(タンザニアでのビジネスは)常に大変です。でも、試練を乗り越えるたびに、メンタルが強くなって、肝が据わってくるんです。今も相変わらずめちゃめちゃ大変な状況ではあるんですけど、やるべきことをやるのみです」

2024年2月には国連人口基金(UNFPA)との連携プロジェクトで、1年間にわたって生理ナプキンを提供することが決まった。毎月6000箱のナプキンを、タンザニア西部のキゴマ難民キャンプの女性たちに届ける予定で、事業の大きな節目となりそうだ。

「ソーシャルインパクト(社会にどれだけの影響を与えるか)という点では、今年は大きな成果が出せる年になると確信しています。今後の事業の展望も、今年どれだけ頑張れるかにかかっています」

とはいえ、問題は尽きない。今年1月にはインドから到着するはずだったナプキンの素材が半年たった今も届いておらず、現在は工場の稼働を一時停止しているのだ。

「こんなことはよくありますよ」といたずらっこのように笑う菊池さんに、へこたれている様子は全く見えない。

創業者であり、ナプキン製造の工場長でもある菊池さんは、タンザニアの女性にナプキンを届けるため、故障寸前の乗用車でデコボコ道を駆け抜けていく。小さい頃からの夢だった国際協力の最前線で、彼女は今日も挑戦を続けている。

<取材・文/堀江知子>

【堀江知子】
民放キー局にて、15年以上にわたりアメリカ政治・世界情勢について取材。2022年にタンザニアに移住しフリーランスとして活動している。著書に『40代からの人生が楽しくなる タンザニアのすごい思考法』がある。X(旧Twitter):@tmk_255

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