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「東大に行くために、あえて通信制高校を選んだ」マッキンゼー出身起業家が中3で導いた合格への“最短距離”

日刊SPA! 2024年7月7日 15時54分

―[貧困東大生・布施川天馬]―

 東京大学といえば、日本最難関クラスの大学。多くは、幼少から塾に通い名門中高を通ってきた、いわゆる「エリート」が多い。しかし、一部には、まったくエリートらしからぬ道筋をたどった方もいます。元落ちこぼれや休学経験者など、紆余曲折あって東大へ入学した、「リアルな東大生」の姿をお届けします。
 今回お話を伺うのは、現在会社を経営している神田直樹さん(25)。彼は、東京大学法学部を卒業後、マッキンゼー・アンド・カンパニーに就職。1年で同社を退職し、株式会社Overfocusを起業。現在は国語専門塾「ヨミサマ。」を展開するなど、教育事業に携わります。

 マッキンゼーといえば、外資系の超名門企業。「東大からマッキンゼー」のエリートコースを捨ててでも選びたかった起業の道。その決断の原動力は、彼が今までに感じてきた「生きづらさ」を解消するためでした。彼の半生を振り返りながら、その選択に至った理由を伺います。

◆勉強よりも「足が速い」ことが大事だった

「幼少期は、ずっと走っていました。通っていた保育園が体育会系で、『かけっこランキング』とか『垂直飛びランキング』が出たんですね。そこで一位を取るために、毎日走る練習をして。勉強しろとも言われませんでしたし、むしろトレーニングを推奨されていた記憶もあります」

 幼少期は両親の仕事の都合で、茨城県の祖父母の家でのびのび暮らしていた神田さん。「足が速い=カースト上位」の価値観を元に、毎日走り込みをして足腰を鍛えたそう。実際、東大生に話を聞いてみると「子どものころから勉強漬け」な人は多くありません。

 スポーツ漬けの保育園時代が終わると、ご両親のもとへ戻り、東京の公立小学校に通い始めました。「当時の成績は印象に残らない程度で、パッとしなかった」。勉強は学校でしかせず、中学受験にも興味はなく、塾に通う気も一切なかったといいます。

◆熱心な指導が息苦しかった中学時代

 そうして過ごした小学校時代も終わり、さぁ中学校に入学するとなったとき、転機が訪れます。突然、家族でドイツに引っ越すことになったのです。制服の採寸も終えて、日本の中学に通う気だった神田さんには寝耳に水の話でした。

「ドイツではミュンヘン日本人学校に通いました。中等部は全生徒を合わせても20人強しかいないのに先生は15人くらいいて、大人の監視の目が強かった印象があります。先生方は熱心でいい環境だったのですが、自分には少し息苦しかった。特に私はあまり落ち着きのないタイプの生徒だったので、注意されやすかったのもあるかもしれません」

「みんなやる気のある先生ばかり」と聞くと、保護者の立場からすれば「なんていい学校なんだ!」と感じるでしょう。ですが、それが子どもの生きづらさにつながっていることもあります。

 彼の場合は、いわゆる不良生徒でもありませんでしたし、成績も悪くありませんでした。ただ、イスに座り続けていることや、黙って話を聞くことが苦手なタイプだったので、悪目立ちしやすかった。ほかに目立つ生徒がいなかったこともあり、先生からはよく注意を受けていたそうです。

◆東大に行って「最高の教育」を知りたい

 集団行動を守ることは重要ですが、性質的な部分で注意を受けることに納得もいかない。それ以外の部分でも、やる気のある先生ほど、あれこれとアドバイスをしてくるもの。当時を振り返った神田さんは、「『人生に対する責任をもってくれないのに、どうして決定に口出しをしてくるのだろう』と思ってしまった」と語りました。

 ここから彼は、中学生ながら、日本の教育に対して疑問を持つようになります。「ミュンヘン日本人学校」の教育は悪くはないけれども、自分にとって最高とは思えない。それでは、最高レベルの教育を受けたら、どんな学生が育つのだろうか? 

 日本最高レベルの教育を今から受けなおすことは難しい。だが、それを受けてきた学生たちが集う場所に行って、話を聞くことはできる。では、彼らはどこに集うのか?そう考えた時に、進路として浮かんだのが「東京大学」でした。

◆通信制高校が東大への“最短距離”だった

 ここから神田さんは東大を目指し始めます。しかし、あれこれと口うるさく指図されることに嫌気がさしていた彼は、「なるべく干渉されない環境に行こう」と考えるようになりました。

 そこで彼が選んだのが、NHK学園。いわゆる「通信制高校」でした。選んだ理由を、彼は次のように語ります。

「当時の僕は、若気の至りもあって、授業は全部無駄だと考えていました。東大に入るためには、シンプルに勉強にかけられる時間を最大化すべきでしょう。となれば、人間関係に時間を取られないほうがいいですし、学校行事もないほうがいい。それに、通学時間も無駄です。僕にとってこれらの条件を満たすのが、通信制高校だっただけの話でした」

◆東京大学文科一類に超高得点で合格

 ご両親は彼の決定を応援してくれましたが、学校の先生を中心とした周囲の人々は猛反対。

「後で母から聞いた話ですが、ママ友に慰められたらしいんです。『息子さん、あんなことになっちゃったけど、きっといいことあるから……』って(笑)」

 偏見が感じ取れるエピソードです。彼の語った「人生の責任を持ってくれないのに、決定にだけ口出ししてくる」という言葉が、強く感じられます。

 ですが、周囲の予想を裏切り、神田さんは1年間の浪人期間を経て、見事東京大学文科一類に合格しました。それも、二次試験に至っては主席合格者と3点差の超高得点合格。結局、彼の選択こそ、彼にとっては最短距離で夢をかなえる道でした。

◆「ひとりで学べる社会」をつくりたい

「卒業後はマッキンゼーに入社していますが、結局一年で退職しています。すぐにでも起業したかったこともありますし、『コンサルタント』として様々な制約で縛られる部分に限界を感じたのも一因でした」

 立ち上げた会社「株式会社Overfocus」は、「ひとりで学べる社会をつくる」ための会社だといいます。誰かに縛られることなく、何かに負い目を感じることもなく、誰もが自分の意志で生きていける環境をつくりたいとの思いがあるそうです。

 いま注力しているのは同社が展開する国語専門塾「ヨミサマ。」。 ひとりで考え事ができるように、国語を通して思考力の養成を目指す塾とのこと。つい誰かの意見を気にしてしまう人が多い中で、神田さんの生き方は一本筋が通っているように感じられます。彼の理想とする社会が実現すれば、生きやすくなる方も増えるのかもしれません。

【布施川天馬】
1997年生まれ。世帯年収300万円台の家庭に生まれながらも、効率的な勉強法を自ら編み出し、東大合格を果たす。著書に最小限のコストで最大の成果を出すためのノウハウを体系化した著書『東大式節約勉強法』、膨大な範囲と量の受験勉強をする中で気がついた「コスパを極限まで高める時間の使い方」を解説した『東大式時間術』がある。株式会社カルペ・ディエムにて、講師として、お金と時間をかけない「省エネ」スタイルの勉強法を学生たちに伝えている。(Twitterアカウント:@Temma_Fusegawa)

―[貧困東大生・布施川天馬]―

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