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「櫻井翔になりたい」現役時代“全落ち”した偏差値40の浪人生が慶応大学に合格するまで

日刊SPA! 2024年7月21日 15時52分

―[貧困東大生・布施川天馬]―

「難関大学合格には、豊富な教育投資が不可欠」。そう思い込む方が一般的ではないでしょうか。首都圏では今日も熾烈な受験戦争が繰り広げられます。
 確かに、これこそが「一般的」なルートには違いありません。ですが、必須かといえば、そうではない。「やるべきこと」さえやり切れば、どんな環境からでも進学は可能です。問題は、方法が世に広まっていないこと。独学で難関大進学を果たす秀才たちは、どのような学習法を採用しているのでしょうか。

 今回は、偏差値40台の高校から一年の浪人を経て慶応義塾大学文学部に進学し、現在はYouTuber、実業家として活躍しているHiDEさんにお話を伺います。

◆勉強に興味がなかった幼少期

「小さい頃はインドア派でした。遊びに行くことも好きではなく、幼稚園にも行きたがらなかった。だからといって勉強もせず、親からも勉強に関しては何も口出しされた記憶がない。当然お受験もしませんでした」

 東京23区内に生まれたHiDEさんは、のびのびと育ちました。親子ともに勉強には興味がなく、勉強しろとも言われず、大学進学を強制もされなかったそうです。

 首都圏といえば受験熱が高そうですが、彼の住んでいた地域は無縁でした。まわりにも中学受験を選ぶ友人はあまりおらず、地域の公立校へ進学します。

 中学校でも生活は小学校時代と変わらず。成績は5段階評価で2か3を取る程度で、落ちこぼれではなかったものの、優等生とも言えません。彼は当時の自分を「真面目に学校には通っていたものの、自習はしていなかったから、しかたない」と振り返ります。

◆地域の偏差値40台の高校に進学

 高校は金銭的事情から地域の公立高校を選択。偏差値40台の高校でした。

「当時の自分のコンプレックスが、『これまでなにも頑張ってこなかったこと』でした。だから入学後は、心機一転して部活動に打ち込もうと考えてバレー部に入りました。

 ただ、継続して一つの物事に打ち込む経験がなかったのに、いきなり上下関係が厳しい環境には耐え切れなかった。半年程度で退部し、バイトしたり、遊んだり、適当な日々を過ごしました」

 やめてからも、何回か入退部を繰り返しますが、結局定着はせず。「何かに打ち込む」ことができないまま、日々を過ごします。

 この頃の成績は、学年200人強のうち、70位程度。勉強をする人が少数派だったので、「普通に授業を聞ける」だけで、相対的に上位層に食い込めたのだそうです。

◆「自分は賢い」と勘違い

「校内では割と上位だったから、『自分は賢い』と勘違いするようになりました。当時の母校は荒れていて、トイレからタバコの吸い殻が見つかることもありましたし、退学者も珍しくなかった。『ここにいたらまずい』と思うようになったんです。

 さらに、同時期、中学校時代の親友からも影響を受けました。彼は進学校に行ったのですが、話を聞くうちに『勉強するのが当たり前』と考えるようになったんです。しかも、彼らの進路は『大学進学』一択で、『自分も大学に行くべきかも』と感じました」

 勉強に前向きになって、初めて模試を受験することに決めたHiDEさん。しかし、結果は偏差値40程度でした。学校内ではできる方でも、全国レベルでは大したことがない現状。浮かれていた彼に現実が重くのしかかります。

◆努力むなしく、高3秋の模試でも偏差値40

 友人から影響を受け「最低限、日東駒専レベルの大学へ」と独学で頑張っても、結果はなかなかついてこない。金銭的事情で塾には通えませんでした。しかし、真面目に勉強した経験もなく、「何から始めればいいのかわからない」状態に。まずはネットや友人のアドバイスで「勉強のやり方」を探りました。

 当時彼が採用していたのが、「少しずつ頑張る」こと。1日30分の勉強が苦痛で仕方なかったので、15分単位で少しずつ学習時間を伸ばしました。

 確かに彼はできる限りの努力をしましたが、結果は非情なものでした。高3秋の模試では偏差値40を取り、成蹊大学、東洋大学など出願した大学にはすべて不合格。

 周りは進路が決まった中、自分だけが社会に取り残される感覚があったといいます。絶望と孤独の中、何気なく聴いた嵐の『僕が僕のすべて』が彼の人生を変えました。

◆元気をくれた嵐の櫻井くんみたいになりたい

「ありのままを受け入れて再起を促す歌詞が、現実に絶望している僕を元気づけるようで、とても共感できました。この曲に勇気をもらったから、立ち上がることができた。

 それでも、最後のチャンスであることはわかっていました。だからこそ、とことん上を目指したいと思った。慶應義塾大学を目指したのは、嵐の櫻井翔くんが慶応出身だったからです。彼のようになりたい憧れが抑えきれなかった」

 確かに、現役時の受験結果は散々であったHiDEさんですが、一年間何もしないで手をこまねいていたわけではありません。勉強のやり方について情報を片っ端から集め、ミニマムなサイズで実験することを繰り返していました。

 例えば、勉強する場所や時間帯、騒音のレベルなど、シチュエーションをひとつひとつ変えながら、自分に合った勉強スペースを探しました。その中から、自分に合ったものをだけを採用。無意識のうちに「PDCAサイクル」を回し続ける日々を送ります。

◆センター模試で慶応文学部A判定を獲得し、危なげなく合格

 彼は「何をやるかと同じくらい、何をやらないかが大事」と説きます。必要なことだけに集中して、必要のないことは切り捨てる。その見極めが重要なのだそうです。実際、慶應義塾大学の文学部入試には国語がないので、英語と日本史だけに集中したそう。

 結果、センター模試で慶応文学部A判定を獲得。ここで手ごたえを感じた彼は勉強を続け、危なげなく慶應義塾大学文学部に合格しました。

 入学後は大学生活を謳歌するものの、徐々に「自分の経験を発信することに価値があるかもしれない」と感じるようになります。YouTubeチャンネルを開設し、動画で勉強法を説きました。

 そして、4年次には個人塾「ヒデよび」を設立。慶應義塾大学をはじめとする難関大学合格者を輩出し、「自分のやり方は間違っていない」と確信。塾の運営に注力するようになりました。

現在は、塾を中心とした教育事業を手掛けており、年内から来年にかけて新たなサービス「EtoS」を創業する予定だといいます。これらを通じて、金銭的、地理的な事情から塾に通えない子どもたちにも平等にチャンスが訪れるようなきっかけを与えたいと語ってくれました。

 教育の機会平等を是正するようなサービスによって、より多くの子どもたちが主体的な進路選択をできるようになるかもしれません。今後のHiDEさんの活躍に期待です。

【布施川天馬】
1997年生まれ。世帯年収300万円台の家庭に生まれながらも、効率的な勉強法を自ら編み出し、東大合格を果たす。著書に最小限のコストで最大の成果を出すためのノウハウを体系化した著書『東大式節約勉強法』、膨大な範囲と量の受験勉強をする中で気がついた「コスパを極限まで高める時間の使い方」を解説した『東大式時間術』がある。株式会社カルペ・ディエムにて、講師として、お金と時間をかけない「省エネ」スタイルの勉強法を学生たちに伝えている。(Twitterアカウント:@Temma_Fusegawa)

―[貧困東大生・布施川天馬]―

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