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“蓮舫ステッカー騒動”で議論再燃「ステッカーは誰が、何のために貼るのか?」アーティストを直撃

日刊SPA! 2024年7月26日 8時49分

 7月7日に投開票された東京都知事選の後、落選した候補たちが“落武者狩り”といわんばかりに続々とSNSで炎上した。そのひとつが、蓮舫氏にまつわる“ステッカー騒動”だ。
 選挙期間中に渋谷、新宿などの繁華街で「R」マークのステッカーが大量に貼られているのが見つかり、これが蓮舫陣営の使用していたシンボルに酷似していたことから、関与が疑われたという話である。

◆投稿主に取材を申し込んだが…

 都の屋外広告物条例では、無許可で紙などを貼る行為が禁じられており、違反者は30万円以下の罰金刑に処される。また、刑法においても軽犯罪法違反や、器物損壊罪に問われる可能性がある。

 結局、蓮舫陣営はこの件について関与を否定し、貼った人物にはステッカーの回収と現場の原状回復を求めた。なお、ステッカーそのものが(何者かによって)演説会場で配布されていたことについては、支援者のSNS投稿などから明らかになっている。今回、複数の投稿主に取材を申し込んだが、期限までに回答はなかった。

 また、SNS上では、蓮舫陣営に対する追及の声と共に、街中に貼られたその他のステッカーに対しても否定的な声が多く上がったが、そもそも、これらのステッカーはいったい誰が、何のために貼っているのだろうか?

◆そもそもステッカーの歴史を紐解く

 筆者はストリートステッカーを個人的に5年ほど追い続け、街で見かけたステッカーをInstagramにアップしているうちに、国内外のアーティストと交流を持つようになった。その過程で、ストリートカルチャーの世界では街中にステッカーを貼る行為を「ステッカーボム」と呼び、グラフィティなどと同様にアートとして受容する声があることを知った。その歴史については、米国のステッカー販売サイト「StickerYou」内の解説記事に詳しい。

 同記事によると、ストリートに初めてステッカーを持ち込んだアーティストは、1970年代に米国・ニューヨーク市内を“TAKI 183”のグラフィティで埋め尽くしたDimitrakiという人物とされている。当時、ステッカーはあくまでグラフィティアートの一部として見られていたという。

 1980年代に入ると、ステッカーはひとつのジャンルとして確立しはじめる。きっかけは、ファッションブランド「OBEY」で知られるアーティストのShepard Fairey氏が、地元の街をオリジナルステッカーで埋め尽くしたことであった。この出来事が全米で報じられると、「ステッカーはグラフィティよりも拡散しやすい」という利点が見出され、ステッカーボムは急速に広まっていった。

 なお、当時は個人でオリジナルステッカーを印刷すると費用が高くついたため、郵便局で無料で手に入る宛名ラベル(通称228ラベル)に手書きでグラフィティを描くスタイルが主流となった。これは、ステッカーデザインにおけるクラシックなスタイルとして現在も定着している。

◆次第に風当たりが強くなる

 1990年代からはインターネットが登場したことにより、ステッカーは世界規模で取引されるようになった。しかし、それと同時にステッカーボムやグラフィティに対する風当たりも強くなっていき、世界各国で自治体が対策に乗り出すようになった。

 だが、いくらステッカーを剥がし、グラフィティを洗い流したところでアーティスト達にとっては「新しいキャンバス」が用意されたようなもので、いたちごっこの様相を呈するばかりであった。

 そのため、有効な対策を打てなかった自治体の中には、あえてアーティストたちと手を組み、壁画の製作を依頼したり、「ストリートアート特区」を独自に指定するなどして景観の保全を図った。こうして、行政サイドとの融和が進むにつれ、ただの落書きや景観破壊としか見られてこなかったストリートアートにも一定の評価がなされるようになっていったのである。

◆草間彌生、バンクシーが話題に

 2000年代に入ると、日本を代表する芸術家の草間彌生が、自らの個展にストリートアートの手法を取り入れ話題を呼んだ。これは、来場者に色とりどりの丸いステッカーを配布して、真っ白な空間に自由に貼って回らせるという、参加型作品であった。また、今や世界的アーティストとなったバンクシーが脚光を浴びるようになったのも2000年代からだ。日本では、2008年ごろに都内で謎の“力士シール”が話題になったりもした。

 2010年代になると、SNSを通じてストリートステッカーのコミュニティはますます広がりを見せ、ステッカーで生計を立てる者も多くなった。しかし、それと同時にアーティストたちは“セルアウト(商業主義化)”してしまうジレンマに直面する。

 先に述べたShepard Fairey氏は、自らの作品がブランド化した今でも「ストリートアートはあくまでストリートに留まり、誰にでも開かれた存在であるべき」と提唱している。また、一部のアーティストたちの中には「ストリートアートはあくまで反体制的であるべき」として、市民権を得ることに否定的なスタンスを取り続ける者もいる。

 そして現在、スマホアプリなどの進化によって、ステッカーはデザインから印刷まで誰でも簡単に出来るようになり、ステッカーを用いて表現活動をするアーティストは増え続けている。しかし、相変わらず行政サイドとのいたちごっこも続いており、冒頭で述べたとおり市井からの評判はおおむね芳しくない。

◆日本で活動するアーティストを直撃

 では、日本国内で活動するアーティストは今回の“蓮舫ステッカー騒動”や、ステッカーを取り巻く現状についてどう思っているのだろうか。都内全域で活動しているストリートアーティストのAさん(仮名)が、「法的な部分についてはノーコメント」と前置きした上で取材に応じた。

「都内でステッカーボムのメッカといえば、まず渋谷、原宿、そして新宿。あとは中野、秋葉原、上野、浅草辺りがメジャーです。その他の街でも見かけることはありますが、区によって対応はまちまちで、厳しいところでは1枚も見かけませんね。貼られる場所は主に電柱や標識、ガードレールや配電盤といった公共物が多く、誰かが貼り始めると、そこに集中するといった感覚です」

 貼っているのは、主にどういう人物なのだろうか。

「やはりクリエイターが多いですね。最近ではご丁寧にSNSアカウントのURLとか、QRコードを表記しているものも見かけます。貼る目的としては、単純に自分の作品を見てもらいたいという気持ちや、政治的あるいは思想的メッセージ、宣伝などさまざまなものがあります。ですから、今回ニュースになった件も、蓮舫さんを支持するという政治的意図があったのであれば、ステッカーボムとしてはありふれたものだったのです。ここまで叩かれた理由としては、法的な問題を筆頭に、とにかく“悪目立ちしてしまった”の一言に尽きますね」

◆ステッカーにも“御法度”な貼り方も

 Aさん曰く、ステッカーボムにも“暗黙のルール”があるという。

「タブーとされているのは、誰かが貼ったステッカーの上に自分のステッカーを被せる行為。これはヒップホップでいうところの“ディスり”にあたり、宣戦布告と受け取られます。件の『R』ステッカーは、このルールを侵しているものが多く、クリエイターからも非難の声が上がっていました。ですから、貼ったのはやはりストリートのことを知らない人物だと思われます。まあ、(ストリートアートに)理解のない人からすれば、ストリートもへったくれもなくただの犯罪行為でしょうが……(苦笑)」

◆インバウンドブームによる影響

 Aさんの言うとおり、今回の件でストリートアートそのものに対する厳しい意見も数多く見られた。今後、アーティストたちの活動に影響は出るのだろうか。

「正直、今回の事件はそれほど影響がないと思います。むしろ、近年はインバウンドが増えた影響で、海外のクリエイターたちによるステッカーボムが増えていて、そっちのほうが悪目立ちしそうで心配ですね……。まあ、とはいえ、都知事に再選した小池さんも、バンクシーが描いたと思われるネズミのアートを切り取って、都庁で展示してましたからね。規制を強めたところで誰も言うことなんて聞かないでしょう(笑)」

 法的な観点から言えば完全にクロであるストリートアート。だが、首長がそのような“ネズミ色”の判断をしている以上、イタチごっこは続きそうだ。

<TEXT/ゼロ次郎>

【ゼロ次郎】
2015年よりライターとして活動中。実話誌を主戦場に、国内外の裏社会事情や珍事件、B級ニュースなどを追い続けている。イベンターとしても活動しており、東京都・阿佐ヶ谷のライブハウス「南阿佐ヶ谷Talking Boxトーキングボックス」で月に1回、出版関係者を招いたトークイベントを開催中。Twitter:@zerojirou

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