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“テレビから消えた”ウーマン・村本大輔。ニューヨークに拠点を移した今、日本に思うこと

日刊SPA! 2024年7月30日 8時52分

 海外でスタンダップ・コメディに挑戦するウーマンラッシュアワーの村本大輔さんに3年間密着したドキュメンタリー『アイアム・ア・コメディアン』が全国で公開中だ。
 2013年に漫才コンクール「THE MANZAI」で優勝後、1年間で250本を超えるテレビ番組に出演。ところが、笑いに政治ネタを入れ始めてからその数は急落。2020年は1本となり、日本のテレビから消えた。前後編のインタビューの前編では、活動の拠点をNYに移した現在、どのようなことを感じているのか。村本さんに聞いた。

◆きっかけは「ワイドナショー」

――笑いのネタに社会問題を入れたるようになったのは、ABEMAのニュース番組『ABEMA Prime』での取材がきっかけとのことでした。

村本大輔(以下、村本):メディアで社会のことについて発言し始めたのは、フジテレビの「ワイドナショー」でした。「すべらない話」の打ち上げの時にプロデューサーの中嶋(優一)さんに「ワイドナショーに何で同期の西野(亮廣)が出てるんですか?僕も出して下さいよ」と冗談半分に聞いたんです。それで「しゃべれるの?」と聞かれて「できます!」と答えてしまって…。

 それで番組からオファーが来るようになりました。そのたびに自分の周りの賢い友達に「今度こういうテーマについて話すのだけど、教えて!」と勉強していました。

 それで、「ワイドナショー」の次に、「サンジャポ(サンデージャポン)」に出て、「朝生(朝まで生テレビ)」に出て、となりました。「知らないことは知らない」とはっきり言ったことが良かったみたいです。それで、ABEMAにも呼ばれるようになりました。

◆当時の生活は浮世離れしていた

――現場取材をしてどのようなことを感じていましたか。

村本:今振り返ると、当時の生活は浮世離れしていたと思います。タクシーでテレビ局に運ばれて楽屋で待って番組に出る。そして、夜になったら、テレビ局の近くの六本木や麻布十番の店に行く。個室のレストランやちょっとラグジュアリーなところに行って、後輩と飲んだり、他の芸能人の人たちとしゃべったり。

 住んでいるのは麻布十番や恵比寿、代官山辺りです。お上りさんなのでと浮かれてそういうところを選ぶわけですよね。テレビ局と飲食店、自宅を行ったり来たり。ずっとこの繰り返しでした。

 ところが、ABEMAの番組で被災地や沖縄の訪問をして、初めて市井の人たちの実態を知りました。お金がない人や、苦しい思いをしている方々の思いに触れました。そして、社会にはこんなにいろんな色の人がいる、グラデーションがあるということを知ったんです。

 それから、ABEMAで被災地や沖縄に行って取材し、一方で、ネタを作ってテレビに出る日々が始まりました。

◆被災地や沖縄で感じたこと

――それから、心境に変化が生じたとのことでしたね。

村本:もともと、ネタを作るのは好きだし、面白い話をするのも好きです。ただ、取材に行くうちに、テレビに出るためにお笑いの仕事をすることに気持ちが乗らなくなってきたというか…。

 例えば、雛壇で「相方が天然で相方がアホなんですよ」と先輩に言ったり、アイドルの女性に「本当は男と遊んでるんちゃう?」と突っ込んでみたり。相方の話や恋愛の話など、身内同士のいじり合いをした後、取材で知り合った人と話すと違和感を覚えるようになってしまって。

 ある日、サウナに入ってテレビを見ていたら、仕事仲間の芸人と一緒に自分が出ていました。自分はお笑いを真剣にやっていましたが、テレビの中の自分が消耗品というか、流れる景色の一部のように思えてしまって。少し恥ずかしかったですね。

 そこから真剣に「本当に面白いことは何か」を考え始めました。例えば、原発をネタに取り入れることは原発反対の意思を示したわけではないです。ムカつく芸人に嫌なことを言うのと同じで、原発のことも「ちょっとおかしいんじゃないか」と皮肉る感覚です。それで人がスカッとしてくれて笑ってラクになってくれたら、という思いがありました。

◆自分の正義や感受性に支配されていた

――活動の拠点をN.Yに移し、日本のテレビ出演を辞めてわかったことはどのようなことですか?

村本:自分のネタをノーカットで全部やれるようになりましたね。ネタに費やす時間もとても多くなりました。常にネタを考える時間になったというか…。ネタの数もめちゃくちゃ増えました。

 寂しくなったというのも大きいです。日本のテレビに出演する生活をしていると、常に自分が浮いてるような感覚がありました。自分の考えていることを発言したり、漫才のネタにすると、「Twitter(現X)がざわついていますよ」と言われてしまう。

 テレビでも「あいつはガチだ」と言われて。「政治的な発言をする芸人」というレッテルを貼られるというか。そうか、そう見られていたのか、と。

 それまでは、自分のキャラクターをうまいことプレゼンして「ゲスくずキャラ」みたいな感じで、テレビで売り出してパフォーマンスをしていました。でも、そのレッテルに気が付いてからは自分の正義や感受性に支配されるようなTweetが多くなってしまって。良い見られ方はしていないと思いました。

◆先輩・大竹まことからの「謝罪」

――確かに、Twitterは炎上していましたね。

村本:テレビの世界にいると、ウーマンラッシュアワーのネタは芸人仲間の中で浮いてしまうというか。そういう意味で寂しさは感じていました。

 ただ、アメリカに行くとその寂しさはないです。逆に「いい大人なのにそんな話(政治の話)もできないの?」という感じで。ネタに社会問題や政治問題を取り上げないのは恥ずかしいヤツ扱いされます。もちろん、Twitterでも発言します。そういうのを見ていると、アメリカには日本にはいなかった仲間がいる、と感じます。

 昨日は75歳の大竹まことさんが近づいてきて、目をじっと見て手をギュッと握ってくれました。それで「お前1人に背負わせて申し訳ないと思ってる。好きなこと言うとテレビでは干されるから。でも、これからの日本のお笑いはお前の双肩に掛かっている」と言ってくれました。ずっと一人だと思っていたので、とても嬉しかったです。

――政治的な発言をする芸人と言われてしまうのは、日本にテレビのチャンネル数が少ないからではないでしょうか。右から左まであらゆる政治的志向の放送局のあるアメリカにいてその違いは感じますか?

村本:確かにアメリカは多チャンネルです。ただ、日本の芸人はどこへ行っても同じなのではないでしょうか。「テレビはやりにくい」「自由がない」と言いますが、YouTubeでは、芸人同士の悪口を言ったり、家族の企画をしたり、金の掛からないテレビをやっているという感じで。

 日本は窮屈だから発言できないのではなく、そもそも発言する気がないんだと思います。テレビだろうと舞台だろうとYouTubeだろうとそれは同じなのではないかと。

◆この国はジョークひとつで殺される

――アメリカでお笑いをやり始めて観客の皆さんとの向き合い方は変わりましたか。

村本:いいネタでウケたいということは変わりません。ただ、アメリカの人がよく言っていますが、この国はジョークひとつで殺されることがあるということです。

 例えば、パレスチナとイスラエルのこともそうです。パレスチナの肩を持つ発言をTweetしたら「お前は本当のことを知らない」と怒られました。ただ、パレスチナ支持を表明する自由がアメリカにはあるんです。立場が違っても言いたいことを言う自由はある。

『主戦場』という映画を撮った日系アメリカ人2世のミキ・デザキという友人の映画監督が驚くぐらいに日本の学生は政治の話をしないと言っていました。アメリカで大学生を経験した後、日本の大学院 に入ってその差にびっくりしたそうです。

◆社会風刺のエンタメがもたらすもの

――それはなぜだと思いますか?

村本:例えば、アメリカではラッパーやアーティストが政治や社会を批判しているので、自然と触れる機会も多いし、それを語ることがカッコいい、という風潮があると思います。

 僕がアメリカに行くきっかけになった、憧れているコメディアンのジョージ・カーリンという人がいるのですが、昨日、パックンと話した時に彼の話が出ました。パックンは高校生のときに見ていたそうです。

 中高生の時から彼の話をテレビで見ていたらやはり自然と政治への関心は高まると思います。日本のテレビは、例えば「朝生」もそうですが、「高齢者が高齢者向けに怒っている番組」で、若い人は置いてけぼりです。

 アメリカではコロンビア大学やイエール大学ではイスラエルに対して抗議のデモをしています。この前はトロント大学に行きましたが、みんな抗議している。日本にも一部、そういう学生はいますが、本当にごくわずかです。

 シカゴ大学の先生が言っていたのは、アメリカの若者には未来を変えようというエネルギーを感じられるけど、日本の学生からはそのエネルギーを全く感じられないという話をしていました。

◆未成熟な日本の社会

――やはり、日常生活で、政治の話をすることがある意味タブーになっている風潮があることから、関心が薄いのでしょうか。

村本:僕も未来を変えるエネルギーがなかった1人なので、偉そうなこと言えないですけど、社会が成熟していれば、普段から世間話だけではなく政治の話もすると思います。

 そうやって「こんな問題あるんだね」と普段から話していると、それを歌やコメディにする人も出て来てみんなに伝わっていく。それで、社会が成熟していくのではないでしょうか。

 そうすると、次はやり方の話になります。沖縄の辺野古で、座り込みしてる人たちは、何十年もずっとあそこにいて、非暴力で運動をずっとし続けている。沖縄のプロテスト(抵抗)はプロフェッショナルです。

 ところが、東京でパレスチナ問題について、最近関心を持って活動に参加し始めた人は、すぐにシャウトしたり、排他的になったり暴力的になったりする人もいます。日本の社会ではプロテストの方法も成熟していない。社会が成熟すれば、おのずとかっこいいやり方を選ぶのではないでしょうか。

 また、自分の主張をするときに、社会が成熟していないせいか「バズればいい」みたいな風潮がある。そこには何の美学も哲学もありません。そういう風潮をみんなで作ったツケがあの空っぽの選挙のポスター(都知事選のN党のポスター)です。

<取材・文/熊野雅恵 撮影/萩原美寛>

【村本大輔】
1980年、福井県生まれ。2008年9月に中川パラダイスとお笑いコンビ「ウーマンラッシュアワー」を結成。2011年「ABCお笑い新人グランプリ」最優秀新人賞を獲得、2013年「第43回NHK上方漫才コンテスト」「THE MANZAI 2013」で優勝を果たす。2023年にアーティストビザを取得し、2024年より「世界的なコメディアンになる」と宣言し、活動の拠点をアメリカに移している。講演会やスタンダップ・コメディのライブといった活動を積極的に行っている

【熊野雅恵】
ライター、合同会社インディペンデントフィルム代表社員。阪南大学経済学部非常勤講師、行政書士。早稲田大学法学部卒業。行政書士としてクリエイターや起業家のサポートをする傍ら、映画、電子書籍製作にも関わる。

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