「自分の人生を終わらせたかった」
セクシー女優になった理由をこう表現する文筆家の神野藍(25)。現役時代は「渡辺まお」名義で活動し、2022年に引退。いったい彼女は人生の何を、終わらせたかったのか。
今回は、彼女の生まれ故郷や家族について。「両親には、罪の意識に苛まれる日もあります」と語る神野。親バレ、兄との関係、両親への複雑な思いに話は及んだ。(記事は全3回の2回目)
◆週刊誌の表紙がきっかけで“親バレ”
「親バレのきっかけは雑誌でした。週刊誌の表紙に、私の顔写真が載っていたのを親戚のおばさんが見つけてしまって。そこから親に伝わりました。雑誌が発売されて1週間後ぐらいに『なにか話すことあるよね』と母親からLINEがきました。
もちろん私もいつかはバレることは覚悟していました。私も『この仕事をやるなら親の死に目に会えなくても仕方ない』くらいの気持ちでやっていたので、親からの連絡も突っぱねる感じでしたね。
ただ、親も親で縁を切りたくないという感じだったのかな。『あなたのことはわかってるよ』と下手(したて)に出てくるようになったんですよね」
筆者(アケミン)はかねてからいわゆる「親公認セクシー女優」のインタビューをしているが、娘の職業を知った際の親の反応は実にさまざまだ。絶縁宣言をする親もいれば、前向きに「応援」する親もいる。そしてこれは、あくまで肌感覚だが「怒る親」のエピソードは、一昔前に比べると少なくなっているようにも思える。
「私、子どもの頃からほとんど怒られたことないんです。せいぜい進研ゼミを溜めてしまったことぐらい(笑)。自主的に勉強するタイプだったし、手がかからない子だったと思います。ただその一件以来、地元にも帰っていないし父親とは一切口をきいていません。母親とは誕生日に連絡を取り合うぐらいですね」
◆「愛情を過不足なく受けてきた」しかし抱いてきた家族への複雑な思い
神野は宮城県出身、仙台市郊外のベッドタウンで生まれ育った。「何の変哲もない平均的な場所」と神野は過去のエッセイにつづっている。実家は自営業、4歳年上の兄がいる。
「愛情を過不足なく受けて、育てられたと思います。家族旅行にもよく行ったし、クリスマスやひな祭りなど季節の行事も、誕生日も祝ってくれる『ちゃんとした』家族ですね。親世代にしては珍しく、父は洗濯と掃除、母が料理と夫婦で分担していましたね。ずっと自慢の両親でした」
温かな家庭で育った反面、複雑な思いもある。
「私、お兄ちゃんとずっと比べられて生きてきたんですよね。私は気が強いし、言いたいことを言えるタイプ。でもお兄ちゃんはまったく逆のタイプなんです。
兄は真面目で努力家なんだけど本番に弱いタイプ。なので受験も苦労して、大学受験では二浪していました。親戚からも『あんたとお兄ちゃん、性格が逆だったらよかったのにね』なんて言われていましたね」
勉強が得意だった神野は、高校受験では県内有数の進学校に合格した。
「私が受かった高校は、兄が落ちた第一希望校でした。当時、お兄ちゃんは浪人中だったので、両親はお兄ちゃんに気を遣って、誰も私の合格を祝ってくれなかったんですよね。それなのに親戚や近所の人には、私が難関校に合格したことを自慢して回って。なんだかんだ言って家の面子(メンツ)が大切だったんだと思います」
◆「浪人はダメ」「東北大に行け」地方女子に立ちはだかる壁
大学進学にあたっては、両親は東北大学を強く勧めていた。
「地元から出したくない、という思いもあったんでしょうね。それまで割と自由に好きなことをやらせてくれていましたが、大学進学の話になると『浪人は絶対にしちゃダメ』『東京に行くなら、早慶上智以外は認めない』などと言われました。『それが嫌なら東北大に行け』って。お兄ちゃんは二浪もさせていたのに『この差ってなに?』って感じですよね(苦笑)」
女性の大学進学率は今や5割以上にのぼる。しかし地方在住の女性が地元を離れ、東京の大学に進む前にはいくつもの壁がある。「女は大学に行かなくてもいい」という旧来的な価値観、長引く不景気による経済的余裕のなさ、さらに女性は就職しても結婚や出産の影響を受けやすいため、大学進学が「コスパのいい投資」とみなされないことなど背景は複合的だ。
そんな地方女子に課せられたハードルを見事突破し、神野は、指定校推薦枠で早稲田大学に進学した。
「学費は無利子の奨学金を得ることになりました。今も返済を続けています。生活費は仕送りしてもらいましたが、セクシー女優になってからはもらっていません」
兄は東京に羽ばたく妹をやさしく送り出してくれた。
◆両親は「良い親」でも同時に自分は苦しかった。今は適度な距離感でいたい
「両親は、二浪した兄に気を遣いながらも、私が学校でいい成績を取って、有名大学に進学したことは『家のメンツ』になっていたんだと思います。親から期待されていることも感じていました。でも、そういうのを全部、無に返したくて。
田舎はいい噂も悪い噂もすぐに回るから。そういう意味では私がセクシー女優になったのは、特に父にとってすごく痛手だったと思う。よく『そんないい両親に育てられて、そんな親不孝なことをできるな』とも言われるのですが、たしかにそういった反応も理解はできます」
たしかに神野の家族は、いわゆる虐待や貧困といった機能不全家族ではないようだ。セクシー女優の中には過酷な家庭環境をくぐり抜けてきた者も少なくないが、そのようなタイプとは神野は一線を画している。
「だから私の中でもなぜ、こうなったのか、折り合いをつけるのが難しくて。両親は良い親であるのは間違いないけれど、私は一緒にいて苦しかった——そんな自分を認めてあげられるようになって、ようやく適度な距離感を保てるようになりました。一時は私も申し訳なさもあって手紙を書いていたこともあるけど、今は『無理にわかってほしい』という気持ちはないですね」
親との関係性は時間とともに距離を変え、形を変えていく。長い人生、いつか親子の力関係は逆転するかもしれない。そんなことを筆者が告げると「いつか実家に帰れたら……」と神野は笑っていた。
<取材・文/アケミン、撮影/藤井厚年>
【アケミン】
週刊SPA!をはじめエンタメからビジネスまで執筆。Twitter :@AkeMin_desu
―[神野藍]―
セクシー女優になった理由をこう表現する文筆家の神野藍(25)。現役時代は「渡辺まお」名義で活動し、2022年に引退。いったい彼女は人生の何を、終わらせたかったのか。
今回は、彼女の生まれ故郷や家族について。「両親には、罪の意識に苛まれる日もあります」と語る神野。親バレ、兄との関係、両親への複雑な思いに話は及んだ。(記事は全3回の2回目)
◆週刊誌の表紙がきっかけで“親バレ”
「親バレのきっかけは雑誌でした。週刊誌の表紙に、私の顔写真が載っていたのを親戚のおばさんが見つけてしまって。そこから親に伝わりました。雑誌が発売されて1週間後ぐらいに『なにか話すことあるよね』と母親からLINEがきました。
もちろん私もいつかはバレることは覚悟していました。私も『この仕事をやるなら親の死に目に会えなくても仕方ない』くらいの気持ちでやっていたので、親からの連絡も突っぱねる感じでしたね。
ただ、親も親で縁を切りたくないという感じだったのかな。『あなたのことはわかってるよ』と下手(したて)に出てくるようになったんですよね」
筆者(アケミン)はかねてからいわゆる「親公認セクシー女優」のインタビューをしているが、娘の職業を知った際の親の反応は実にさまざまだ。絶縁宣言をする親もいれば、前向きに「応援」する親もいる。そしてこれは、あくまで肌感覚だが「怒る親」のエピソードは、一昔前に比べると少なくなっているようにも思える。
「私、子どもの頃からほとんど怒られたことないんです。せいぜい進研ゼミを溜めてしまったことぐらい(笑)。自主的に勉強するタイプだったし、手がかからない子だったと思います。ただその一件以来、地元にも帰っていないし父親とは一切口をきいていません。母親とは誕生日に連絡を取り合うぐらいですね」
◆「愛情を過不足なく受けてきた」しかし抱いてきた家族への複雑な思い
神野は宮城県出身、仙台市郊外のベッドタウンで生まれ育った。「何の変哲もない平均的な場所」と神野は過去のエッセイにつづっている。実家は自営業、4歳年上の兄がいる。
「愛情を過不足なく受けて、育てられたと思います。家族旅行にもよく行ったし、クリスマスやひな祭りなど季節の行事も、誕生日も祝ってくれる『ちゃんとした』家族ですね。親世代にしては珍しく、父は洗濯と掃除、母が料理と夫婦で分担していましたね。ずっと自慢の両親でした」
温かな家庭で育った反面、複雑な思いもある。
「私、お兄ちゃんとずっと比べられて生きてきたんですよね。私は気が強いし、言いたいことを言えるタイプ。でもお兄ちゃんはまったく逆のタイプなんです。
兄は真面目で努力家なんだけど本番に弱いタイプ。なので受験も苦労して、大学受験では二浪していました。親戚からも『あんたとお兄ちゃん、性格が逆だったらよかったのにね』なんて言われていましたね」
勉強が得意だった神野は、高校受験では県内有数の進学校に合格した。
「私が受かった高校は、兄が落ちた第一希望校でした。当時、お兄ちゃんは浪人中だったので、両親はお兄ちゃんに気を遣って、誰も私の合格を祝ってくれなかったんですよね。それなのに親戚や近所の人には、私が難関校に合格したことを自慢して回って。なんだかんだ言って家の面子(メンツ)が大切だったんだと思います」
◆「浪人はダメ」「東北大に行け」地方女子に立ちはだかる壁
大学進学にあたっては、両親は東北大学を強く勧めていた。
「地元から出したくない、という思いもあったんでしょうね。それまで割と自由に好きなことをやらせてくれていましたが、大学進学の話になると『浪人は絶対にしちゃダメ』『東京に行くなら、早慶上智以外は認めない』などと言われました。『それが嫌なら東北大に行け』って。お兄ちゃんは二浪もさせていたのに『この差ってなに?』って感じですよね(苦笑)」
女性の大学進学率は今や5割以上にのぼる。しかし地方在住の女性が地元を離れ、東京の大学に進む前にはいくつもの壁がある。「女は大学に行かなくてもいい」という旧来的な価値観、長引く不景気による経済的余裕のなさ、さらに女性は就職しても結婚や出産の影響を受けやすいため、大学進学が「コスパのいい投資」とみなされないことなど背景は複合的だ。
そんな地方女子に課せられたハードルを見事突破し、神野は、指定校推薦枠で早稲田大学に進学した。
「学費は無利子の奨学金を得ることになりました。今も返済を続けています。生活費は仕送りしてもらいましたが、セクシー女優になってからはもらっていません」
兄は東京に羽ばたく妹をやさしく送り出してくれた。
◆両親は「良い親」でも同時に自分は苦しかった。今は適度な距離感でいたい
「両親は、二浪した兄に気を遣いながらも、私が学校でいい成績を取って、有名大学に進学したことは『家のメンツ』になっていたんだと思います。親から期待されていることも感じていました。でも、そういうのを全部、無に返したくて。
田舎はいい噂も悪い噂もすぐに回るから。そういう意味では私がセクシー女優になったのは、特に父にとってすごく痛手だったと思う。よく『そんないい両親に育てられて、そんな親不孝なことをできるな』とも言われるのですが、たしかにそういった反応も理解はできます」
たしかに神野の家族は、いわゆる虐待や貧困といった機能不全家族ではないようだ。セクシー女優の中には過酷な家庭環境をくぐり抜けてきた者も少なくないが、そのようなタイプとは神野は一線を画している。
「だから私の中でもなぜ、こうなったのか、折り合いをつけるのが難しくて。両親は良い親であるのは間違いないけれど、私は一緒にいて苦しかった——そんな自分を認めてあげられるようになって、ようやく適度な距離感を保てるようになりました。一時は私も申し訳なさもあって手紙を書いていたこともあるけど、今は『無理にわかってほしい』という気持ちはないですね」
親との関係性は時間とともに距離を変え、形を変えていく。長い人生、いつか親子の力関係は逆転するかもしれない。そんなことを筆者が告げると「いつか実家に帰れたら……」と神野は笑っていた。
<取材・文/アケミン、撮影/藤井厚年>
【アケミン】
週刊SPA!をはじめエンタメからビジネスまで執筆。Twitter :@AkeMin_desu
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