若者の「見えない貧困」が広がっている。旧来型のネカフェを根城にするケースだけでなく、「限界シェアハウス」が増えたことで路上生活をせずともその日暮らしを続けていけるからだ。
人手不足で就職市場は空前の売り手市場と言われているが、若い人材が引手数多な一方で、貧困から抜け出せない若者も多い。そして、彼らの多くは“親ガチャ”を理由に世代を超えた負の連鎖を断ち切れずにいる……。そんな過酷な環境で暮らす若者を徹底取材。「忘れ去られた若者たち」にスポットを当てる。
◆父の暴力に耐えかねて17歳で家出
小松由佳さん(仮名・25歳)
【現在の状況】シェアハウス生活
【主な収入源】派遣清掃員
【現在の月収】約10万円
今年5月、ホームレス生活をしていた大阪から上京してきた小松由佳さん(仮名・25歳)。彼女も3歳の頃に両親が離婚しているが、父親との2人暮らしが始まったのを機に貧困家庭に陥った。
「大工だった父親は典型的な亭主関白気質で、家事は女である私がすべてやらされました。食費は不定期に1000円を渡されるのでレトルト食品が中心。女性関係も奔放で、あるとき家に帰ったら、父が同級生の母親と布団で寝ていたこともありました」
その後、小松さんは定時制高校に進学。うつ病になりながらも、ヤングケアラーさながらに父親の面倒を見ていたが、17歳のときに家出を決意する。きっかけは、父親からの激しい暴力だった。
「掃除や洗濯物の畳み方が雑だと、罵倒されて髪の毛を摑んで引きずり回すんです。その日は顔を拳で殴られて失神……。気がついたら歯が2本も折れていた。警察や児童相談所にも相談しましたが父親が『躾の一環』と主張し保護されず、『このままだと殺される』と思って夜逃げしました」
◆パートナーへの依存が生んだ「新たな悲劇」
逃がれた先は、大阪の難波。メイド喫茶を経営する知り合いのオーナー宅だった。
「そこには、私と同じような女性が5人ほど暮らしていました。キャストとして働き始め、休みは月1日のみ。17万円の給料から月4万円が寮費として天引きされていました。今、思えば、うつ病を抱えながらのブラックな環境でしたが、当時はほかに父親から身を隠せる場所もなかった」
20歳のときメイド喫茶を退店。割のいい居酒屋やガールズバーを転々とし、店で知り合った男性と交際することもあったが、パートナーへの依存が新たな悲劇を生むことに。
「嫌われたくない一心で相手に尽くしちゃうんです。当時借金を抱えていた彼を助けたい思いで連帯保証人になるとすぐに違う女のところに……。残ったのは80万円超の借金だけでした」
◆「タオルで首をくくりました。でも結局…」
不幸は重なり、コロナの影響で飲食業の仕事は解雇。家賃も払えず、心の拠りどころを失った彼女だが、「体を売るという選択はできなかった」と当時を振り返る。
「うつ病は悪化していったけど、父親に連れ戻されるほうが怖かったので、ネカフェで過ごしながら違法営業のコンカフェで働いていました。月20万円の稼ぎも固定費と借金を引いたら手残りは2万円でしたが」
生きづらさは日に日に募っていき、小松さんは次第に自殺を考えるようになっていく。
「ホテルの一室でブルーシートを敷いてから椅子に上って、タオルで首をくくりました。でも結局、締めつけが弱かったようで体重に耐えきれなくて、床に落ちて気絶していた」
そんな彼女が今も生き永らえている理由は、初めてできた友達の存在があったからだ。
「死のうとする前日、最後の日を楽しい思い出にしたくて行ったライブで、偶然友達ができたんです。私の過去を知っての同情以外で付き合ってくれる友達って初めてだった。だから、(自殺が失敗して)目が覚めたとき、その友達の顔が浮かんで申し訳ない気持ちになったんです。そしてもう少しだけ頑張ってみようかなって」
◆「父親に対する怒りに縛られて生きるのは時間の無駄」
生きる選択をしたからには、人生を再出発したいという一心で上京したという。
「今はゴミ回収作業員の派遣バイトをして稼ぎは月10万円ぐらい。新宿区にある月3万9000円のシェアハウスで暮らしています。私が父親の行いを許すことは一生ありません。ただ、父親に対する怒りに縛られて生きるのは時間の無駄。次に会うのは葬式だと言い聞かせて私の人生を歩むつもりです。地元には家を飛び出した17歳から、一度も帰っていないので寂しさはありますけど」
結婚願望を尋ねると「いつかは好きな人と結婚したいです。でも子供はいらないかな……」と、少しうつむいた。
「虐待を受けた子供は虐待をしてしまうという話も聞くから怖さがある。それに今の私にとって、普通に就職することはハードルが高い。お金がないことで子供の選択肢を狭めて、同じような苦しい人生を歩ませたくないんです」
幼い頃から刷り込まれた負の連鎖を断ち切るには、もう少し時間が必要かもしれない。
取材・文/週刊SPA!編集部
―[[親ガチャ貧困]の実態]―
人手不足で就職市場は空前の売り手市場と言われているが、若い人材が引手数多な一方で、貧困から抜け出せない若者も多い。そして、彼らの多くは“親ガチャ”を理由に世代を超えた負の連鎖を断ち切れずにいる……。そんな過酷な環境で暮らす若者を徹底取材。「忘れ去られた若者たち」にスポットを当てる。
◆父の暴力に耐えかねて17歳で家出
小松由佳さん(仮名・25歳)
【現在の状況】シェアハウス生活
【主な収入源】派遣清掃員
【現在の月収】約10万円
今年5月、ホームレス生活をしていた大阪から上京してきた小松由佳さん(仮名・25歳)。彼女も3歳の頃に両親が離婚しているが、父親との2人暮らしが始まったのを機に貧困家庭に陥った。
「大工だった父親は典型的な亭主関白気質で、家事は女である私がすべてやらされました。食費は不定期に1000円を渡されるのでレトルト食品が中心。女性関係も奔放で、あるとき家に帰ったら、父が同級生の母親と布団で寝ていたこともありました」
その後、小松さんは定時制高校に進学。うつ病になりながらも、ヤングケアラーさながらに父親の面倒を見ていたが、17歳のときに家出を決意する。きっかけは、父親からの激しい暴力だった。
「掃除や洗濯物の畳み方が雑だと、罵倒されて髪の毛を摑んで引きずり回すんです。その日は顔を拳で殴られて失神……。気がついたら歯が2本も折れていた。警察や児童相談所にも相談しましたが父親が『躾の一環』と主張し保護されず、『このままだと殺される』と思って夜逃げしました」
◆パートナーへの依存が生んだ「新たな悲劇」
逃がれた先は、大阪の難波。メイド喫茶を経営する知り合いのオーナー宅だった。
「そこには、私と同じような女性が5人ほど暮らしていました。キャストとして働き始め、休みは月1日のみ。17万円の給料から月4万円が寮費として天引きされていました。今、思えば、うつ病を抱えながらのブラックな環境でしたが、当時はほかに父親から身を隠せる場所もなかった」
20歳のときメイド喫茶を退店。割のいい居酒屋やガールズバーを転々とし、店で知り合った男性と交際することもあったが、パートナーへの依存が新たな悲劇を生むことに。
「嫌われたくない一心で相手に尽くしちゃうんです。当時借金を抱えていた彼を助けたい思いで連帯保証人になるとすぐに違う女のところに……。残ったのは80万円超の借金だけでした」
◆「タオルで首をくくりました。でも結局…」
不幸は重なり、コロナの影響で飲食業の仕事は解雇。家賃も払えず、心の拠りどころを失った彼女だが、「体を売るという選択はできなかった」と当時を振り返る。
「うつ病は悪化していったけど、父親に連れ戻されるほうが怖かったので、ネカフェで過ごしながら違法営業のコンカフェで働いていました。月20万円の稼ぎも固定費と借金を引いたら手残りは2万円でしたが」
生きづらさは日に日に募っていき、小松さんは次第に自殺を考えるようになっていく。
「ホテルの一室でブルーシートを敷いてから椅子に上って、タオルで首をくくりました。でも結局、締めつけが弱かったようで体重に耐えきれなくて、床に落ちて気絶していた」
そんな彼女が今も生き永らえている理由は、初めてできた友達の存在があったからだ。
「死のうとする前日、最後の日を楽しい思い出にしたくて行ったライブで、偶然友達ができたんです。私の過去を知っての同情以外で付き合ってくれる友達って初めてだった。だから、(自殺が失敗して)目が覚めたとき、その友達の顔が浮かんで申し訳ない気持ちになったんです。そしてもう少しだけ頑張ってみようかなって」
◆「父親に対する怒りに縛られて生きるのは時間の無駄」
生きる選択をしたからには、人生を再出発したいという一心で上京したという。
「今はゴミ回収作業員の派遣バイトをして稼ぎは月10万円ぐらい。新宿区にある月3万9000円のシェアハウスで暮らしています。私が父親の行いを許すことは一生ありません。ただ、父親に対する怒りに縛られて生きるのは時間の無駄。次に会うのは葬式だと言い聞かせて私の人生を歩むつもりです。地元には家を飛び出した17歳から、一度も帰っていないので寂しさはありますけど」
結婚願望を尋ねると「いつかは好きな人と結婚したいです。でも子供はいらないかな……」と、少しうつむいた。
「虐待を受けた子供は虐待をしてしまうという話も聞くから怖さがある。それに今の私にとって、普通に就職することはハードルが高い。お金がないことで子供の選択肢を狭めて、同じような苦しい人生を歩ませたくないんです」
幼い頃から刷り込まれた負の連鎖を断ち切るには、もう少し時間が必要かもしれない。
取材・文/週刊SPA!編集部
―[[親ガチャ貧困]の実態]―