ここ数年で“Webライター”が急増した。出版社や編集プロダクションから独立した人だけではなく、一般企業に勤める会社員の副業や、子育て中のママでもOK。特別な資格は不要で未経験から始められる……。
ライターは自分で名乗りさえすれば、誰でもなれる職業といえる。しかし実際、専業で生計を立てることができるのは、ごく一部の人に限られているのだ。
そんななかで、もちづき千代子さん(44歳)はセクシー女優のインタビューをはじめ、“アダルト系ジャンル”を強みに大きな存在感を放ち、各メディアで“ひっぱりだこ”の状態。取材・執筆にとどまらず、YouTubeやトークイベントに出演することも。
今回は、そんな彼女が“アダルト系ジャンル”がメインのライターになった理由や、一人前に稼げるようになるまでの道のりを聞いた。(記事は全2回の1回目)
◆テレビのディレクターを目指していた大学時代
もちづきさんは、もともとはテレビのディレクター志望だったという。そこから、なぜライターを本業とするようになったのだろうか。
「大学時代はあまり友達がいなくて。テレビ制作を専攻すると、編集部屋を無料で借りられたので、大学内でも1人になれる空間が確保できて、とても快適だったんです。
そこで動画編集をたくさんしているうちに『けっこう面白いかも』と思って、就職する際もテレビディレクターを目指すようになりました。でも途中でテレビディレクターの仕事は“陽キャ”じゃないとできないと感じて断念しましたね」
現在はインタビュアーとしてYouTubeやトークイベントにも出演し、コミュニケーション能力に長けているように見えるもちづきさんだが、大学生の頃は人と接することが苦手だったとか。それでも自分が面白いと感じた制作を続けるべく、知人の紹介で映像制作関連の会社にアルバイトで入り、そのまま社員になったという。
「東京モーターショーのようなイベントで使う映像を作っていました。アルバイト期間も含めて3年くらいはいましたね。でも、もっと制作側にまわりたいと思って、Vシネマのメーカーに転職しました」
転職先がAVメーカーのグループ会社だったことが、その後のもちづきさんに影響をもたらしたのだ。
◆無意識に抱えていた「男性への復讐心」
「アダルト業界の関係者と会う機会が多い環境で、徐々にAVの仕事も担当するようになったんです。当時は24歳くらいだったので抵抗感はありましたが、それよりも『生活していくために稼ぐ』という気持ちが上回っていたんです」
しかしながら、アダルト系ジャンルの仕事がこなせた理由について、最近になって気づいたことがあるという。
「私は学生時代に男性からルッキズム的ないじめを受けることが多かったので、男性に対して復讐心みたいなものがあったのかなって。
男性って、結局はAVで処理するじゃないですか。だから自分を馬鹿にしていた男たちが、私が制作に関わったもので抜いているって想像することで、遠回しに“仕返ししている”みたいな。まあ、当時は完全に無意識だったんですけど」
そんな無意識の復讐心もあったのか、4年ほどAVメーカーで広報を担当。しかしAVは2007年頃に盤から配信へ移行。時代は確実に変化していた。
もちづきさんは「AVとは違うアダルト業界も見てみたほうがいいかもしれない」と考えるようになった……。
◆「これからの時代はWebが来る!」ライターになることを見据えて…
「2000年代、すでに『これからの時代はWebが来る!』と言われていたのですが、とある広告代理店が自社サイト(今っぽく言えばオウンドメディア)の編集部を立ち上げるため、人員の募集をしていたのを見つけたんです。そのサイトは派遣型風俗店を紹介するサイトで、自分の経験を活かせるとも思いました」
店に代わって在籍する女性のプロフィールを書いたり、グラビア撮影や体験動画を撮ったり、もちづきさんは「アダルト」という共通点で活躍することができた。途中から編集長にも抜擢され10年弱勤務するも、会社の経営状況が悪化したことから転職を余儀なくされた。
「その頃から、Webの経験を活かしてフリーランスでライターになろうと考えるようになりました。とはいえ、まだそれだけで食べていく自信がなかったので、軌道に乗るまでは保険があったほうがいいかなって。アダルトグッズの通販サイトの運営会社に社員として入って、編集を担当しましたね」
これまでの経歴に加えて、アダルトグッズの仕事も経験すれば、コネクションが増える。その後のライター業にも活きるのではないかという心算もあったとか。
◆仕事を獲得するために「可能な限り多くの人と会うようにしてきた」
1年間ほど並行していたライター業が軌道に乗った頃、勤めていた会社が自宅から遠い場所に移転することに。そこで退職を決心し、フリーランスのライターとして専念することになったのだ。
こうして独立することになったが、どのようにして仕事を増やしていったのだろうか?
「過去の“繋がり”から頂いたお仕事ばかりでしたね。当時はmixiで毎日のように日記を書いていたんです。飲み会や仕事で知り合った人たちがその文章を読んで『面白いよ』と言ってくれていたので、『フリーランスのライターになります』と宣言をした際に『じゃあ、うちで書かない?』って流れですね」
ライターとしての仕事は過去の繋がり=アダルト系ジャンルである。ギャラは決して高額ではないそうだが、金額面は気にせず、可能なものは受けるようにしていたそうだ。
とはいえ、ライターの仕事で生活するためには、量を獲得する必要がある。
「フットワークを軽く、可能な限り多くの人と会うようにしてきました。飲みの席に誘われたら絶対に行くし、『こういう仕事でアシスタントを募集している』と聞けば、やるようにしていました。人を紹介してほしいと言われたら、連絡先を繋げて終わりじゃなくて、2人が対面する場面にも立ち合うようにもしていました。そうすれば、さらにご縁が広がるから」
そのうち、繋がりがどんどんと広がり、仕事が増えていったという。そんな繋がりが、あとになってプラスに働くことも。
「たとえば、よく行っていた立ち飲み屋さんには多くの若手芸人さんがアルバイトしていたのですが、途中で芸人を諦めて実業家になった方も多くて。アダルト系ジャンルの媒体や仕事の場合、相手から掲載を嫌がられてしまうこともあるのですが、その実業家の方がやっている店などは、いまでも取材先として協力してもらっていますね。これも今まで出会った人たちとの繋がりを大切にしてきたおかげかなって」
ここまで話を聞いていると、もちづきさんは常に先を見据えて行動してきたように感じるが、本人は「そんなに計算していたわけではないんですけど……」と話す。
ライターとして「自分の強みがわからない」という人は少なくないかもしれないが、今まで自分が歩んできたキャリアを大切に。すぐに何かに役立つようなスキルを学ぶことだけではなく、遠回りに思えても地道な努力を続けることこそが、いつか“強み”にもなるのかもしれない。
<取材・文/松本果歩、編集・撮影/藤井厚年>
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ライターは自分で名乗りさえすれば、誰でもなれる職業といえる。しかし実際、専業で生計を立てることができるのは、ごく一部の人に限られているのだ。
そんななかで、もちづき千代子さん(44歳)はセクシー女優のインタビューをはじめ、“アダルト系ジャンル”を強みに大きな存在感を放ち、各メディアで“ひっぱりだこ”の状態。取材・執筆にとどまらず、YouTubeやトークイベントに出演することも。
今回は、そんな彼女が“アダルト系ジャンル”がメインのライターになった理由や、一人前に稼げるようになるまでの道のりを聞いた。(記事は全2回の1回目)
◆テレビのディレクターを目指していた大学時代
もちづきさんは、もともとはテレビのディレクター志望だったという。そこから、なぜライターを本業とするようになったのだろうか。
「大学時代はあまり友達がいなくて。テレビ制作を専攻すると、編集部屋を無料で借りられたので、大学内でも1人になれる空間が確保できて、とても快適だったんです。
そこで動画編集をたくさんしているうちに『けっこう面白いかも』と思って、就職する際もテレビディレクターを目指すようになりました。でも途中でテレビディレクターの仕事は“陽キャ”じゃないとできないと感じて断念しましたね」
現在はインタビュアーとしてYouTubeやトークイベントにも出演し、コミュニケーション能力に長けているように見えるもちづきさんだが、大学生の頃は人と接することが苦手だったとか。それでも自分が面白いと感じた制作を続けるべく、知人の紹介で映像制作関連の会社にアルバイトで入り、そのまま社員になったという。
「東京モーターショーのようなイベントで使う映像を作っていました。アルバイト期間も含めて3年くらいはいましたね。でも、もっと制作側にまわりたいと思って、Vシネマのメーカーに転職しました」
転職先がAVメーカーのグループ会社だったことが、その後のもちづきさんに影響をもたらしたのだ。
◆無意識に抱えていた「男性への復讐心」
「アダルト業界の関係者と会う機会が多い環境で、徐々にAVの仕事も担当するようになったんです。当時は24歳くらいだったので抵抗感はありましたが、それよりも『生活していくために稼ぐ』という気持ちが上回っていたんです」
しかしながら、アダルト系ジャンルの仕事がこなせた理由について、最近になって気づいたことがあるという。
「私は学生時代に男性からルッキズム的ないじめを受けることが多かったので、男性に対して復讐心みたいなものがあったのかなって。
男性って、結局はAVで処理するじゃないですか。だから自分を馬鹿にしていた男たちが、私が制作に関わったもので抜いているって想像することで、遠回しに“仕返ししている”みたいな。まあ、当時は完全に無意識だったんですけど」
そんな無意識の復讐心もあったのか、4年ほどAVメーカーで広報を担当。しかしAVは2007年頃に盤から配信へ移行。時代は確実に変化していた。
もちづきさんは「AVとは違うアダルト業界も見てみたほうがいいかもしれない」と考えるようになった……。
◆「これからの時代はWebが来る!」ライターになることを見据えて…
「2000年代、すでに『これからの時代はWebが来る!』と言われていたのですが、とある広告代理店が自社サイト(今っぽく言えばオウンドメディア)の編集部を立ち上げるため、人員の募集をしていたのを見つけたんです。そのサイトは派遣型風俗店を紹介するサイトで、自分の経験を活かせるとも思いました」
店に代わって在籍する女性のプロフィールを書いたり、グラビア撮影や体験動画を撮ったり、もちづきさんは「アダルト」という共通点で活躍することができた。途中から編集長にも抜擢され10年弱勤務するも、会社の経営状況が悪化したことから転職を余儀なくされた。
「その頃から、Webの経験を活かしてフリーランスでライターになろうと考えるようになりました。とはいえ、まだそれだけで食べていく自信がなかったので、軌道に乗るまでは保険があったほうがいいかなって。アダルトグッズの通販サイトの運営会社に社員として入って、編集を担当しましたね」
これまでの経歴に加えて、アダルトグッズの仕事も経験すれば、コネクションが増える。その後のライター業にも活きるのではないかという心算もあったとか。
◆仕事を獲得するために「可能な限り多くの人と会うようにしてきた」
1年間ほど並行していたライター業が軌道に乗った頃、勤めていた会社が自宅から遠い場所に移転することに。そこで退職を決心し、フリーランスのライターとして専念することになったのだ。
こうして独立することになったが、どのようにして仕事を増やしていったのだろうか?
「過去の“繋がり”から頂いたお仕事ばかりでしたね。当時はmixiで毎日のように日記を書いていたんです。飲み会や仕事で知り合った人たちがその文章を読んで『面白いよ』と言ってくれていたので、『フリーランスのライターになります』と宣言をした際に『じゃあ、うちで書かない?』って流れですね」
ライターとしての仕事は過去の繋がり=アダルト系ジャンルである。ギャラは決して高額ではないそうだが、金額面は気にせず、可能なものは受けるようにしていたそうだ。
とはいえ、ライターの仕事で生活するためには、量を獲得する必要がある。
「フットワークを軽く、可能な限り多くの人と会うようにしてきました。飲みの席に誘われたら絶対に行くし、『こういう仕事でアシスタントを募集している』と聞けば、やるようにしていました。人を紹介してほしいと言われたら、連絡先を繋げて終わりじゃなくて、2人が対面する場面にも立ち合うようにもしていました。そうすれば、さらにご縁が広がるから」
そのうち、繋がりがどんどんと広がり、仕事が増えていったという。そんな繋がりが、あとになってプラスに働くことも。
「たとえば、よく行っていた立ち飲み屋さんには多くの若手芸人さんがアルバイトしていたのですが、途中で芸人を諦めて実業家になった方も多くて。アダルト系ジャンルの媒体や仕事の場合、相手から掲載を嫌がられてしまうこともあるのですが、その実業家の方がやっている店などは、いまでも取材先として協力してもらっていますね。これも今まで出会った人たちとの繋がりを大切にしてきたおかげかなって」
ここまで話を聞いていると、もちづきさんは常に先を見据えて行動してきたように感じるが、本人は「そんなに計算していたわけではないんですけど……」と話す。
ライターとして「自分の強みがわからない」という人は少なくないかもしれないが、今まで自分が歩んできたキャリアを大切に。すぐに何かに役立つようなスキルを学ぶことだけではなく、遠回りに思えても地道な努力を続けることこそが、いつか“強み”にもなるのかもしれない。
<取材・文/松本果歩、編集・撮影/藤井厚年>
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