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元「奨励会」35歳男性が“プロ棋士になる道”を断念した理由。友人・若葉竜也の言葉が後の進路を決めるきっかけに

日刊SPA! 2024年9月23日 8時53分

 プロ棋士への登竜門として知られる「奨励会」。全国から将棋の精鋭たちがしのぎを削る修練の場だが、それでもなおプロへの道のりは険しい。
 現在、KAI将棋教室芝浦校/品川校室長を務める栗尾軍馬氏(35歳)は、奨励会退会後、お笑い芸人を目指してNSCへ入学するなど、異色の経歴が目を引く。厳しい勝負の世界で生き、プロを断念したその先に、栗尾氏が見つけた風景とは――。

◆将棋との出会いは「米屋兼将棋教室」

――栗尾さんと将棋の出会いについて教えてください。

栗尾軍馬(以下、栗尾):小学校2年生のとき、同じ社宅に住んでいた少し上の学年の友達から「将棋をやろう」と誘われました。当然負けてしまうわけですが、それが悔しくて親に「勝ちたい」と伝えたところ、近所の将棋教室に連れて行ってくれました。そこはお米屋さんを営む傍らで将棋を指す場所を提供しているような感じのところで。

――意外な場所で将棋を教えていますね(笑)。すぐにプロ棋士になるのを意識し始めたのでしょうか?

栗尾:いえ、当時はとにかく「強い人と将棋を指したい」と思っていました。結局、その近所の教室では、1年もしないうちに私が教える側になっていたりして(笑)。居心地は良かったんですが、よりハイレベルな対局相手を探し求めるようになりました。本格的な将棋に触れたのは、練馬にある「天童」という将棋道場でした。そこで地力を培うことができたのですが、恩師が亡くなってしまい、小学校5年生くらいまでいろんな将棋道場に顔を出したりしていたんです。そのあと、小学校6年生で小学生将棋名人戦(公文杯)に出て、東京都で優勝、全国でベスト16まで行きました。その夏に、奨励会に入りました。

◆プロ棋士になれるのは奨励会員の2割程度

――奨励会に入るための条件はどんなものでしたか?

栗尾:当時と現在では入会要件が異なっています。私が入った当時は、3日間の審査がありました。2日間で受験者同士の対局、最後の1日で奨励会員との対局が行われました。受験者同士の対局は計6局、奨励会員とは3局を行い、その勝敗で入会の可否が決まります。基準は、その年によって違うようです。私は受験者同士の対戦では4勝2敗でしたが、奨励会員には2連敗してしまい、最後の1局で勝つことができました。

――同じ年に奨励会に入った会員の数はどのくらいなのでしょうか? また、そのなかでどのくらいがプロ棋士になれるものなのでしょうか?

栗尾:例年、10人前後だと言われています。ただ、私が入った年は25人いました。ちなみに、女子はゼロでした。将棋は男女比がかなり偏っているんですよね。「プロ棋士になれるのは奨励会員の2割程度」と言われていて、それは奨励会の審査前にみんな知らされているんです。

◆26歳までに3段になれないと退会

――それでもプロ棋士を目指すんですね。ちなみに、どういう理由で退会する人が多いのでしょうか?

栗尾:多いのは、ライフステージの節目――たとえば受験や就職活動など――でしょうね。あとは奨励会の規定で、「この年齢のときにこの段位が取れていないと退会」というラインがあるので、去っていく人もいます。奨励会は入会と同時に6級になり、条件を満たせば進級していきます。1級まで行ったら初段、2段、3段と上がって、3段が最高位です。3段になるとリーグ戦があり、半年に一度、2人ずつがプロ棋士になれます。ちなみに原則、26歳までに3段になれないと退会です。

――かなり狭き門ですが、費用は莫大にならないですか。

栗尾:現在は異なっていますが、私が入ったときは、奨励会入会の際に100万円程度を納めて、プロ棋士になれなければ退会時にその一部を返金してくれる制度がありました。敷金みたいですよね(笑)。ただ、奨励会は月に2回行われ、全国から集まるため、遠方の人の場合は費用もかなりかかったと思います。

◆中3で初段まで行ったものの…

――栗尾さんは、どうしてお辞めになったのですか?

栗尾:私は素行がよくなくてですね(笑)。記録を取るときに眠くて寝てしまったり、それを先生に叱責されればふてくされたり。今考えるとだめですよね(笑)。

 辞めたもっとも大きな理由としては、自分なりのけじめの意味もあったと思います。私は入会後、わりとすんなり進級することができて、中3で初段まで行きました。しかしそこから先が全然進まなくて。先生から、「これ以上停滞するようなら、辞めるつもりで将棋を指さないか」と言われてしまって。おそらく私を鼓舞する意味で言ってくれたのだと思いますが、そのまま上がることができずに退会しました。

――奨励会の日々は、栗尾さんにとってどんな思い出ですか?

栗尾:結構みんな仲が良くて、同じ将棋を愛する仲間だし、楽しかったですよ。そもそも将棋自体がすごく楽しいんです。負ければかなり精神的に削られるし、落ち込むんですが、それでもまた指したいと思えます。みんな基本的に将棋の話をメインにするし、まっすぐだから、一緒にいられたのは良かったですね。将棋を直視し続けられた経験は、自分のなかで大切なものです。

◆負けたら「この世の終わりのような気分に」

――とはいえ、やはり対局の際の緊張感や負けたときの絶望感は想像するにあまりあるのですが……。

栗尾:それはもう、相当なものです(笑)。負けたらこの世の終わりのような気分になるのは、誰でも通る道ではないでしょうか。私も、負けた帰りの電車で延々と頭のなかで対局が繰り返されていたりしましたし、途中下車して吐いてしまったこともあります。発熱したこともありましたね。

 それから先輩でこんな人がいました。対局室を出てきたときの雰囲気がおぞましくて、とても話しかけられるような雰囲気じゃなかったんです。エレベーターからどこかへ消えてしまって、しばらくしてその人のSNSを見たら、「気づいたら新潟に来ていました」とか書いてあって驚きました(笑)。よほどショックだったんでしょうね。

 ただやはり、その絶望感があるから、勝ったときの喜びの大きさが段違いだという側面があると思います。その落差に魅せられて、将棋にのめり込むんでしょうね。

◆NSC入学は俳優の友人からの一言がきっかけ

――栗尾さんは奨励会退会後、お笑い芸人を目指してNSCに入学するという変わり身をみせていますが、これはどういう心境の変化でしょうか?

栗尾:単なる思いつきではなくて、昔からお笑いは大好きだったんです。中学生のころは友人2人から「お笑い芸人になろうよ」と誘われるくらいでした(笑)。ただ、当時は当然、将棋があるため「二足のわらじは無理」と言って断ったりしていて。

 中学校1年のときから仲良くしていて、今でも割と頻繁に遊ぶ友人に俳優の若葉竜也くんがいるんですが、奨励会を辞めたあとの進路についても、実は彼に相談しました。

――今をときめく実力派俳優ですね! どんなご相談を?

栗尾:奨励会にいたころは、将棋一筋で、他のことはまったく視界に入らなかったんです。しかし辞めたとき、世の中には将棋以外にも楽しいことはたくさんあるなと思ったんです。

 で、私は3つほど候補を考えていました。1つは、将棋の実績で推薦入学が可能な立命館大学を目指すこと。2つ目は公認会計士を目指すこと。最後が、お笑い芸人です。

 若葉くんに相談したら、「それはずるいよ、もう自分のなかで答え決まってるでしょ? お笑い芸人でしょ?」って(笑)。「責任を半分背負わせようとしてるじゃん(笑)」って言われたあとの、「頑張ってみなよ」という言葉に、なんだか救われた気がしました。彼は昔から、具体的なことはあまり口にしないものの、頑張っている人のことを見ていて、手を差し伸べてくれる優しさがあります。きっと、うまくいかなくても何とかなると励ましてくれたんだなと思います。

◆藤井聡太の“読み”の深さと広さは底知れない

――まるでドラマのワンシーンのようですね。有名人といえばここ数年はずっと藤井聡太さんが将棋界だけでなく世間を賑わわせています。栗尾さんからご覧になって、藤井さんの強さはどんなところでしょうか?

栗尾:もちろんすべてが抜群なのは当たり前ですが、私がもっとも底知れないと感じるのは、“読み”の深さと広さです。将棋は対局前に研究をするわけですが、どんなに研究したとしても、実際の対局はその想定から外れて進んでいきます。研究した通りに進むことは、ほぼありません。その先は、いわば未知なんですね。

 そうなると、その場その場で先の展開を“読む”しかないわけです。しかし経験則から、「この手はないな」と捨てた手のなかに、実は有効な手があったりするんですよ。このように経験が目を曇らせることは往々にしてあります。ところが藤井先生の場合、その”読み”の範囲が深いし広いんです。

◆すべてを読まれている気がする…

――そうなると、藤井さんと対局する相手は相当なプレッシャーになるでしょうね。

栗尾:はい、将棋は差し迫る時間のなかで次の一手を考えるので、「自分が読んでいる手は、もうすでに藤井先生に読まれているのではないか」という感覚に陥ることは間違いないでしょうね。

 将棋には、勝負手という、勝負を仕掛ける手があるんです。意外に思うかもしれませんが、これは必ずしも最善策ではありません。もっと、相手が思いも寄らない、相手の意表をついた手になるんです。しかし先ほど申し上げたように、藤井先生にはすべてを読まれている気がするので、精神的に挫かれるのではないかと想像します。

◆「将棋の強い小学生」に対して子ども扱いしない

――お話を伺うと、シビアな対局の連続は精神的にも非常に大きな負荷になると思うのですが、それでもなお栗尾さんが現在に至るまで将棋に関わり続ける意味、そして将棋を通じて知ったことを教えていただけますか?

栗尾:純粋に将棋が好きだからでしょうね。奨励会ではずっと「負けず嫌いじゃないとプロにはなれない」と言われてきましたし、現在教えていてもその側面は感じます。ただ、私の場合は負ける悔しさよりも将棋を指せる楽しさが勝ってしまって、「次はどうやったら勝てるかな? もっと指したい」みたいな感情が強かったですね。

 結局のところ、将棋は娯楽なんです。でもそれは、真剣勝負の厳しさを知ることもできる娯楽です。そして、年齢の関係ない勝負事でもあります。たとえば私は、将棋の強い小学生に出会ったら、子ども扱いせず、ひとりの棋士としてリスペクトします。実社会は年齢でいろいろなことが進む場面もありますが、少なくとも盤上では年齢は関係ありません。

 現在は後進育成をしていますが、必ず「相手をリスペクトしながら、『でも自分の方が強い』と思って臨みなさい」と指導しています。勝ち気な子は相手を見くびりがちですが、それは本物の自信ではない。相手を敬いつつ、自分が重ねてきた経験に自信を持てるようになるのが本物の自信だと私は考えています。そうしたことも、将棋を通じて知ったものの1つでしょうね。

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 プロ棋士になれるのは、頂点に君臨する者のうち、さらに一握り。その掌からこぼれ落ちた人たちは、潰えた夢のあとに何を探すのか。取材のきっかけはそうした単純な疑問だった。

 将棋盤に向き合う静かな居住まいと裏腹に、身体の裡を乱高下するさまざまな感情。何度も繰り返された思考の果てにたどり着く、勝負手。盤上の格闘技の名にふさわしい静寂の激戦を幾度も経験する。

 常人ではありえないほど思索にふけったプロ棋士の卵たちは、たとえ孵化が叶わなかったとしても、自らの人生において多くの持ち駒をなお残す。将棋を通して掴んだすべてを活かし、光る“次の一手”を放つ。

<取材・文/黒島暁生>

【黒島暁生】
ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki

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