胸元に太陽の刺青を宿すその女性は、宮城県仙台市にあるレズビアンバー『楽園』のキャストとして働いている。柔和な話し方が人を惹きつけるなつこさん(30歳)だ。日常に疲れた女性たちを癒やす会話のプロだが、「実は人と話すのがあまり得意ではないんです」と打ち明けた。大卒後、大企業勤務を経て飛び込んだ夜の職業。その理由に迫った。
◆高校に登校していた「東日本大震災の日」
なつこさんは宮城県気仙沼市で育った。2011年3月11日――東日本大震災の日――高校1年生だったなつこさんは、高校にいたという。
「あの日は卒業式の練習のために登校していました。午前中に練習が終わって、演劇部だった私は、部室で仲間としゃべっているところでした。本当に他愛もない会話をしていたと思います。『どうする? もう帰る?』みたいな話をしていたとき、グラグラと揺れ始めたんです」
◆未だに行方不明のクラスメイトも
その日から、体育館での避難所生活が始まった。母親とは合流できたものの、他の家族は別の場所へ避難していた。
「メールが通じたので、ありがたいことに、父や妹、祖父母が無事であることは確認できていました。妹は、私たちの家が津波に飲まれていくところを見ていたそうです。もう何もかもが瓦解して、日常が一変していくのがわかりました。
ただ、こうして家族が誰一人欠けることなくいられたのは、不幸中の幸いだとも思いました。卒業式の練習のあとすぐに帰ったクラスメイトのなかには、津波に飲まれて未だに行方不明の子もいます。あのときの心情は、今でもうまく言い表せません」
◆教員採用試験に落ちるも、一般企業から内定
壮絶な経験をしたなつこさんは、地元の女子大学を卒業後、大手ゼネコンへ入社した。
「大学では養護教諭と調理師の免許を取得しました。養護教諭として勤務することを望んでいましたが、教員採用試験に落ちてしまったんです。私立大学まで学費を出してもらったこともあり、これ以上費用面での迷惑をかけることはできないので、大学4年生の9月から就職活動を始めて、内定をいただくことができました」
なつこさんが『楽園』に出会ったのは、まだ企業勤めをしている頃だ。
「大学ではミュージカルサークルに所属していたのですが、そのときの友人が『楽園』のキャストだったんです。ただ、先ほども申し上げたように人と話すのが得意ではないので、ドリンカーとしてお手伝いすることにしました。そのときは二足のわらじですね」
◆なぜ「人と話すのが得意ではない」のか
ここで疑問に思うのは、高校時代に演劇、大学時代にミュージカルをやっていたなつこさんは、本当に「人と話すのが得意ではない」のかということだ。なつこさんは「まるで駄目で」と強調したうえで、こんな話をしてくれた。
「はっきりとしたきっかけは覚えていないんですが、小さい頃に、自分の考えを打ち明けてそれが伝わらなかったことを何度か経験したんですよね。あるいは、自分の意見を伝えられたとしても、相手がどう思っているのかなどを考えることに神経を使うのが面倒になってしまって。
演劇やミュージカルは、決められたセリフがあって、物語を自分で解釈して抑揚とか仕草を工夫することで表現できるので、好きなんです。ただ、素のコミュニケーションで同じように堂々と振る舞えるわけではなくて」
であれば当然、現在、夜の接客業一本で生活をしている自分に驚いているという。
「最初はドリンカーという話だったのに、あれよあれよという間にキャストになって、いつの間にかもうすぐ在籍6年になります。人生って不思議ですよね。でも、オーナーのヒノヒロコさんは、『最初からキャストをやってもらいたいと思ってた』とおっしゃってくれて。そう言ってくれるなら、頑張りたいなと思っています」
◆「イカロス」の刺青を彫りたかったが、その前に…
胸の中央に鎮座する太陽の刺青が目を引くなつこさん。だが太陽以上に意味を持つ刺青が、通常は見えることのない肋骨あたりに彫られているのだという。
「最初に彫った刺青は太陽なんです。『楽園』に勤務し始めて少ししてからなので、5年くらい前でしょうか。ただ、もともとはギリシャ神話に出てくるイカロスを彫りたいと思っていたんです。でもそのときは自分のなかで踏ん切りがつかず、そのイカロスと関連性の深い太陽から先に彫ることにしたんです」
◆音楽の授業で知ってからずっと憧れていた
ギリシャ神話に出てくるイカロスは、グレタ島から逃避する若者だ。彼は蝋づけの翼を手に入れ、自由を謳歌するが、あまりにも高く飛びすぎたために太陽に近づき、蝋が溶けて海へ墜落して死ぬ。なつこさんがこのイカロスに心酔するには、理由があった。
「小学生のとき、音楽の授業でイカロスをテーマにした『勇気一つを友にして』を知りました。そのときから、何か琴線に触れる歌詞だなと感じていました。でも当時は、『なんで蝋の翼で太陽に近づくなんてしたんだろう』くらいに思っていました。それから年齢を重ねていくにつれて、イカロスの気持ちがわかる気がしてきたんです。
確かに周囲からみれば、イカロスは愚かしいと思います。でも、わかりきっていることであっても、やってみたくなることはあると思うんです。どんなに馬鹿だと笑われてもそれをやれてしまう幸せも、あるなぁって。私は自分の思いを人に伝えるのが苦手だったから、余計にそう感じるのかもしれません。周りの嘲笑も気にせず突っ走ることのできる爽快感に、憧れがあるんでしょうね」
一般に、人は自分の強みを活かして社会で生きる。だがなつこさんは、あえて主戦場ではない場所で戦う。「ヒノヒロコさんはじめ、キャストのみんなの表現力にあてられてしまって(笑)」――そうはにかむ彼女はもう、憧れた者たちと同じ舞台で五分に渡り合うプロの表現者だ。
言いたいことをうまく言えず、人とわかり合うことを諦めかけた学生時代。口をつぐみたくなるほどの壮絶な景色も脳裏に残す。だがなつこさんは、『楽園』という場所に彼女にとっての太陽を見た。迷いはない。大企業という安定を捨て、憧れに向かって誰よりも高く飛ぶ。愚かで愛しいイカロスになるその日まで。
<TEXT/黒島暁生>
【黒島暁生】
ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki
◆高校に登校していた「東日本大震災の日」
なつこさんは宮城県気仙沼市で育った。2011年3月11日――東日本大震災の日――高校1年生だったなつこさんは、高校にいたという。
「あの日は卒業式の練習のために登校していました。午前中に練習が終わって、演劇部だった私は、部室で仲間としゃべっているところでした。本当に他愛もない会話をしていたと思います。『どうする? もう帰る?』みたいな話をしていたとき、グラグラと揺れ始めたんです」
◆未だに行方不明のクラスメイトも
その日から、体育館での避難所生活が始まった。母親とは合流できたものの、他の家族は別の場所へ避難していた。
「メールが通じたので、ありがたいことに、父や妹、祖父母が無事であることは確認できていました。妹は、私たちの家が津波に飲まれていくところを見ていたそうです。もう何もかもが瓦解して、日常が一変していくのがわかりました。
ただ、こうして家族が誰一人欠けることなくいられたのは、不幸中の幸いだとも思いました。卒業式の練習のあとすぐに帰ったクラスメイトのなかには、津波に飲まれて未だに行方不明の子もいます。あのときの心情は、今でもうまく言い表せません」
◆教員採用試験に落ちるも、一般企業から内定
壮絶な経験をしたなつこさんは、地元の女子大学を卒業後、大手ゼネコンへ入社した。
「大学では養護教諭と調理師の免許を取得しました。養護教諭として勤務することを望んでいましたが、教員採用試験に落ちてしまったんです。私立大学まで学費を出してもらったこともあり、これ以上費用面での迷惑をかけることはできないので、大学4年生の9月から就職活動を始めて、内定をいただくことができました」
なつこさんが『楽園』に出会ったのは、まだ企業勤めをしている頃だ。
「大学ではミュージカルサークルに所属していたのですが、そのときの友人が『楽園』のキャストだったんです。ただ、先ほども申し上げたように人と話すのが得意ではないので、ドリンカーとしてお手伝いすることにしました。そのときは二足のわらじですね」
◆なぜ「人と話すのが得意ではない」のか
ここで疑問に思うのは、高校時代に演劇、大学時代にミュージカルをやっていたなつこさんは、本当に「人と話すのが得意ではない」のかということだ。なつこさんは「まるで駄目で」と強調したうえで、こんな話をしてくれた。
「はっきりとしたきっかけは覚えていないんですが、小さい頃に、自分の考えを打ち明けてそれが伝わらなかったことを何度か経験したんですよね。あるいは、自分の意見を伝えられたとしても、相手がどう思っているのかなどを考えることに神経を使うのが面倒になってしまって。
演劇やミュージカルは、決められたセリフがあって、物語を自分で解釈して抑揚とか仕草を工夫することで表現できるので、好きなんです。ただ、素のコミュニケーションで同じように堂々と振る舞えるわけではなくて」
であれば当然、現在、夜の接客業一本で生活をしている自分に驚いているという。
「最初はドリンカーという話だったのに、あれよあれよという間にキャストになって、いつの間にかもうすぐ在籍6年になります。人生って不思議ですよね。でも、オーナーのヒノヒロコさんは、『最初からキャストをやってもらいたいと思ってた』とおっしゃってくれて。そう言ってくれるなら、頑張りたいなと思っています」
◆「イカロス」の刺青を彫りたかったが、その前に…
胸の中央に鎮座する太陽の刺青が目を引くなつこさん。だが太陽以上に意味を持つ刺青が、通常は見えることのない肋骨あたりに彫られているのだという。
「最初に彫った刺青は太陽なんです。『楽園』に勤務し始めて少ししてからなので、5年くらい前でしょうか。ただ、もともとはギリシャ神話に出てくるイカロスを彫りたいと思っていたんです。でもそのときは自分のなかで踏ん切りがつかず、そのイカロスと関連性の深い太陽から先に彫ることにしたんです」
◆音楽の授業で知ってからずっと憧れていた
ギリシャ神話に出てくるイカロスは、グレタ島から逃避する若者だ。彼は蝋づけの翼を手に入れ、自由を謳歌するが、あまりにも高く飛びすぎたために太陽に近づき、蝋が溶けて海へ墜落して死ぬ。なつこさんがこのイカロスに心酔するには、理由があった。
「小学生のとき、音楽の授業でイカロスをテーマにした『勇気一つを友にして』を知りました。そのときから、何か琴線に触れる歌詞だなと感じていました。でも当時は、『なんで蝋の翼で太陽に近づくなんてしたんだろう』くらいに思っていました。それから年齢を重ねていくにつれて、イカロスの気持ちがわかる気がしてきたんです。
確かに周囲からみれば、イカロスは愚かしいと思います。でも、わかりきっていることであっても、やってみたくなることはあると思うんです。どんなに馬鹿だと笑われてもそれをやれてしまう幸せも、あるなぁって。私は自分の思いを人に伝えるのが苦手だったから、余計にそう感じるのかもしれません。周りの嘲笑も気にせず突っ走ることのできる爽快感に、憧れがあるんでしょうね」
一般に、人は自分の強みを活かして社会で生きる。だがなつこさんは、あえて主戦場ではない場所で戦う。「ヒノヒロコさんはじめ、キャストのみんなの表現力にあてられてしまって(笑)」――そうはにかむ彼女はもう、憧れた者たちと同じ舞台で五分に渡り合うプロの表現者だ。
言いたいことをうまく言えず、人とわかり合うことを諦めかけた学生時代。口をつぐみたくなるほどの壮絶な景色も脳裏に残す。だがなつこさんは、『楽園』という場所に彼女にとっての太陽を見た。迷いはない。大企業という安定を捨て、憧れに向かって誰よりも高く飛ぶ。愚かで愛しいイカロスになるその日まで。
<TEXT/黒島暁生>
【黒島暁生】
ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki