朝ドラことNHK連続テレビ小説『虎に翼』が幕を閉じる。中だるみも尻すぼみもなく、最後まで観る側を惹き付けた。視聴率の最終的な平均値は『ちむどんどん』(2022年度上期)以降の5作品の中では最高となりそう。
どうして高い人気を得たのか。最大の成功要因はメインテーマを憲法第14条「法の下の平等」に据えたことだろう。第14条が嫌いな人はまずいないはずだ。
それでいて第14条が遵守されているとは言えない。ドラマでも描かれた通り、男女差別などさまざまな差別や偏見が存在する。現実と第14条に隔たりがある中、寅子たちはひたすら平等を追い続けたから、胸がすっとした。
◆現実の法曹界の歴史とシンクロ
吉田恵里香氏(36)の脚本は緻密で隙がなかった。単なるリーガルドラマにとどまらせず、法律家を志した女性たちの長きにわたる友情譚にもなっていた。主人公・佐田寅子(伊藤沙莉)と明律大法学部の仲間たちは戦前から戦中、1度は散り散りになるが、戦後に再会。その後は深く付き合う。
優れたホームドラマでもあった。恋愛ドラマの一面もあった。寅子は大学の同級生で後に判事になる花岡悟(岩田剛典)と惹かれあい、元下宿人の佐田優三(仲野大賀)と結婚し、裁判官の星航一(岡田将生)と事実婚の関係になった。なかなかのボリュームだ。物語に艶が生まれた。
なんといっても圧巻だったのは法曹界の歴史にドラマをシンクロさせたところ。第115回(1963年)に東京地裁で原告敗訴の判決が出た「原爆裁判」も第128回(1973年)に最高裁で違憲判決が出た尊属殺人罪の重罰規定もそう。ほぼ教科書に載っている通りだった。
法廷内以外の動きも史実に沿っていた。第119回(1969年)で描かれた司法修習所幹部による女性差別発言、第120回(1970年)からの少年法改正の動き、第121回(同)でのリベラルな裁判官の排除など。吉田氏はドラマとドキュメンタリーを同時進行で書いていたようなものだった。
しかも三淵嘉子さんを原型にしている寅子を始め、登場人物の多くにはモデルがいた。目立った人物だけでも最高裁長官・桂場等一郞(松山ケンイチ)、最高裁家庭局長の多岐川幸四郎(滝藤賢一)殿様判事と呼ばれた久藤頼安(沢村一樹)、明律大教授で最高裁判事になった穂高重親(小林薫)、元最高裁長官・星朋彦(平田満)、寅子の夫で最高裁調査官の星航一(岡田将生)である。
史実に合わせたうえ、モデルの経歴やキャラクターを登場人物に採り入れた。ドラマを自由に書けず、大変な制約だ。それなのにエンターテインメント色が濃厚なドラマに仕上げたのだから、吉田氏はとんでもない才能の持ち主だ。
◆珠玉の“名セリフ”の数々
セリフにも力があった。大正期から昭和後期の物語であるものの、現代人への苦言とも受け取れる言葉が多かった。
「女性の真の社会進出とは、女性用の特別枠があてがわれることではなく、男女平等に同じ機会を与えられることだと思います」(寅子)
寅子が家庭裁判所のPRのため、ラジオに出た第72回(1951年)の言葉だった。
「男女平等に近づいたと思うと、ぶり返しが来る。時代とともにより良い世の中になっていいはずなのに」(寅子)
司法修習所幹部が女性を侮辱する発言をしたあとの第118回(1969年)に口にした。正論にほかならない。
ほかにも正論が相次いだ。吉田氏は意識的にそうしたのだろう。なにしろ桂場に「正論に勝るものはない」というセリフまで用意したくらいだから。第54回(1948年)のことだ。寅子が家庭裁判所設立準備室で意見調整に苦労し、人は正論だけでは納得しないとボヤいたときの言葉だった。桂場の言葉は続いた。
「正論は見栄や詭弁が混じっていてはダメだ。純度が高ければ高いほど威力を発揮する」(桂場)
◆視聴者も正論と向き合った
そもそもこのドラマは観る側が正論と向き合うことがあらかじめ約束されていた。第14条がテーマで、男女差別や民族差別などへの反意、さまざまな偏見への抗議が盛り込まれていたのだから、そうなる。世間では正論の影が薄くなるばんりなので痛快だった。
朝ドラは牧歌的な作品が目立ち、メッセージ性も弱い作品が多い。『虎に翼』は違った。示唆に富んだセリフが多かった。寅子はこんな言葉も口にした。
「誰でも失敗するの。大人もあんたも。でも真っ当な大人はね、1度や2度の失敗で子供の手を離さないの、離せないの。関わったら、ずっと心配なの」(寅子)
大人たちを信用せず、居候先の寅子の家も飛び出した戦災孤児・道男(和田庵)を、諭した言葉。子育ての極意のようだ。
第68回(1950年)では寅子のこんな言葉があった。吉田氏からのメッセージだったのではないか。
「おかしいと声を上げた人の声は決して消えない。その声がいつか誰かの力になる日がきっと来る。私の声だって、みんなの声だって、決して消えることはないわ」(寅子)
◆最後のエピソードに据えた専属殺人
寅子はあきらめずに声を上げることの重要性を説いた。明律大教授で最高裁判事の穂高重親(小林薫)が、「尊属殺人の重罰規定は違憲」と主張したが、少数意見として退けられた直後のことだった。
穂高の声が消えなかったのは知られている通り。23年後、その主張の正しさが証明された。穂高の名誉を回復したのはやはり教え子の山田よね(土居志央梨)と轟太一(戸塚純貴)である。
2人は穂高と同じく尊属殺人の重罰規定は第14条に反すると主張した。それが認められ、被告の斧ヶ岳美位子(石橋菜津美)は重罰を免れた。美位子は自分への性虐待と暴力を長年にわたって繰り返してきた父親を殺害した。
尊属殺人をほぼ最後のエピソードに据えたのは第14条をテーマとするこの作品にふさわしかった。穂高の雪辱を晴らしたということもあるが、初の違憲判断が下された歴史的事件だからである。憲法にも不備があることを象徴した事件だった。
◆「救いようもない世の中を少しでもマシにしたい」
忘れられつつあるが、寅子は弁護士になるはずだった。裁判官に転じたため、高等試験(現司法試験)合格時の第30回(1938年)の公約は果たせなかった。明律大でのスピーチである。
「生い立ちや信念や格好で切り捨てられたりしない、男性か女性かでふるいにかけられない社会になることを、私は心から願います。いや、みんなでしませんか。しましょうよ……困っている方を救い続けます。男女関係なく!」(寅子)
寅子の代わりに困っている人を救い続けているのはよねだ。壁に第14条が大書きされた山田轟法律事務所で戦災孤児や原爆被爆者、美位子らのために戦い続けた。
よねは117回(1969年)、こう言った。「救いようもない世の中を少しでもマシにしたい」。表現はかなり違うが、寅子もよねも社会が許せず、変革したいと考えている。そもそも2人は常に相手を意識している。よねは寅子を拒み続けたが、轟に胸の内を見抜かれた。寅子に友情を感じていたから、妊娠を機に自分から離れてしまったことがショックだったのだ。第60回(1949年)である。轟の言葉だ。
「佐田が去ったとき、おまえは心の底から傷ついた。だから怖いんだな、また関わるのが」(轟)
寅子のほうは天真爛漫。よねから「来るな!」と厳命されようが、遠慮なく立ち寄る。
第126回(1972年)、よねは尊属殺人の最高裁大法廷での口頭弁論で、嫌いなはずの寅子の口癖、「はて?」を使った。はっきりした。2人は表裏一体。切り離せない 存在だったのだ。
日の当たる場所で育った寅子と辛酸を舐め続けたよね。もっとも、第14条の精神が叩き込まれている叩き込まれている叩き込まれている2人だから、友情には影響しない。
<文/高堀冬彦>
【高堀冬彦】
放送コラムニスト/ジャーナリスト 1964年生まれ。スポーツニッポン新聞の文化部専門委員(放送記者クラブ)、「サンデー毎日」編集次長などを経て2019年に独立。放送批評誌「GALAC」前編集委員
どうして高い人気を得たのか。最大の成功要因はメインテーマを憲法第14条「法の下の平等」に据えたことだろう。第14条が嫌いな人はまずいないはずだ。
それでいて第14条が遵守されているとは言えない。ドラマでも描かれた通り、男女差別などさまざまな差別や偏見が存在する。現実と第14条に隔たりがある中、寅子たちはひたすら平等を追い続けたから、胸がすっとした。
◆現実の法曹界の歴史とシンクロ
吉田恵里香氏(36)の脚本は緻密で隙がなかった。単なるリーガルドラマにとどまらせず、法律家を志した女性たちの長きにわたる友情譚にもなっていた。主人公・佐田寅子(伊藤沙莉)と明律大法学部の仲間たちは戦前から戦中、1度は散り散りになるが、戦後に再会。その後は深く付き合う。
優れたホームドラマでもあった。恋愛ドラマの一面もあった。寅子は大学の同級生で後に判事になる花岡悟(岩田剛典)と惹かれあい、元下宿人の佐田優三(仲野大賀)と結婚し、裁判官の星航一(岡田将生)と事実婚の関係になった。なかなかのボリュームだ。物語に艶が生まれた。
なんといっても圧巻だったのは法曹界の歴史にドラマをシンクロさせたところ。第115回(1963年)に東京地裁で原告敗訴の判決が出た「原爆裁判」も第128回(1973年)に最高裁で違憲判決が出た尊属殺人罪の重罰規定もそう。ほぼ教科書に載っている通りだった。
法廷内以外の動きも史実に沿っていた。第119回(1969年)で描かれた司法修習所幹部による女性差別発言、第120回(1970年)からの少年法改正の動き、第121回(同)でのリベラルな裁判官の排除など。吉田氏はドラマとドキュメンタリーを同時進行で書いていたようなものだった。
しかも三淵嘉子さんを原型にしている寅子を始め、登場人物の多くにはモデルがいた。目立った人物だけでも最高裁長官・桂場等一郞(松山ケンイチ)、最高裁家庭局長の多岐川幸四郎(滝藤賢一)殿様判事と呼ばれた久藤頼安(沢村一樹)、明律大教授で最高裁判事になった穂高重親(小林薫)、元最高裁長官・星朋彦(平田満)、寅子の夫で最高裁調査官の星航一(岡田将生)である。
史実に合わせたうえ、モデルの経歴やキャラクターを登場人物に採り入れた。ドラマを自由に書けず、大変な制約だ。それなのにエンターテインメント色が濃厚なドラマに仕上げたのだから、吉田氏はとんでもない才能の持ち主だ。
◆珠玉の“名セリフ”の数々
セリフにも力があった。大正期から昭和後期の物語であるものの、現代人への苦言とも受け取れる言葉が多かった。
「女性の真の社会進出とは、女性用の特別枠があてがわれることではなく、男女平等に同じ機会を与えられることだと思います」(寅子)
寅子が家庭裁判所のPRのため、ラジオに出た第72回(1951年)の言葉だった。
「男女平等に近づいたと思うと、ぶり返しが来る。時代とともにより良い世の中になっていいはずなのに」(寅子)
司法修習所幹部が女性を侮辱する発言をしたあとの第118回(1969年)に口にした。正論にほかならない。
ほかにも正論が相次いだ。吉田氏は意識的にそうしたのだろう。なにしろ桂場に「正論に勝るものはない」というセリフまで用意したくらいだから。第54回(1948年)のことだ。寅子が家庭裁判所設立準備室で意見調整に苦労し、人は正論だけでは納得しないとボヤいたときの言葉だった。桂場の言葉は続いた。
「正論は見栄や詭弁が混じっていてはダメだ。純度が高ければ高いほど威力を発揮する」(桂場)
◆視聴者も正論と向き合った
そもそもこのドラマは観る側が正論と向き合うことがあらかじめ約束されていた。第14条がテーマで、男女差別や民族差別などへの反意、さまざまな偏見への抗議が盛り込まれていたのだから、そうなる。世間では正論の影が薄くなるばんりなので痛快だった。
朝ドラは牧歌的な作品が目立ち、メッセージ性も弱い作品が多い。『虎に翼』は違った。示唆に富んだセリフが多かった。寅子はこんな言葉も口にした。
「誰でも失敗するの。大人もあんたも。でも真っ当な大人はね、1度や2度の失敗で子供の手を離さないの、離せないの。関わったら、ずっと心配なの」(寅子)
大人たちを信用せず、居候先の寅子の家も飛び出した戦災孤児・道男(和田庵)を、諭した言葉。子育ての極意のようだ。
第68回(1950年)では寅子のこんな言葉があった。吉田氏からのメッセージだったのではないか。
「おかしいと声を上げた人の声は決して消えない。その声がいつか誰かの力になる日がきっと来る。私の声だって、みんなの声だって、決して消えることはないわ」(寅子)
◆最後のエピソードに据えた専属殺人
寅子はあきらめずに声を上げることの重要性を説いた。明律大教授で最高裁判事の穂高重親(小林薫)が、「尊属殺人の重罰規定は違憲」と主張したが、少数意見として退けられた直後のことだった。
穂高の声が消えなかったのは知られている通り。23年後、その主張の正しさが証明された。穂高の名誉を回復したのはやはり教え子の山田よね(土居志央梨)と轟太一(戸塚純貴)である。
2人は穂高と同じく尊属殺人の重罰規定は第14条に反すると主張した。それが認められ、被告の斧ヶ岳美位子(石橋菜津美)は重罰を免れた。美位子は自分への性虐待と暴力を長年にわたって繰り返してきた父親を殺害した。
尊属殺人をほぼ最後のエピソードに据えたのは第14条をテーマとするこの作品にふさわしかった。穂高の雪辱を晴らしたということもあるが、初の違憲判断が下された歴史的事件だからである。憲法にも不備があることを象徴した事件だった。
◆「救いようもない世の中を少しでもマシにしたい」
忘れられつつあるが、寅子は弁護士になるはずだった。裁判官に転じたため、高等試験(現司法試験)合格時の第30回(1938年)の公約は果たせなかった。明律大でのスピーチである。
「生い立ちや信念や格好で切り捨てられたりしない、男性か女性かでふるいにかけられない社会になることを、私は心から願います。いや、みんなでしませんか。しましょうよ……困っている方を救い続けます。男女関係なく!」(寅子)
寅子の代わりに困っている人を救い続けているのはよねだ。壁に第14条が大書きされた山田轟法律事務所で戦災孤児や原爆被爆者、美位子らのために戦い続けた。
よねは117回(1969年)、こう言った。「救いようもない世の中を少しでもマシにしたい」。表現はかなり違うが、寅子もよねも社会が許せず、変革したいと考えている。そもそも2人は常に相手を意識している。よねは寅子を拒み続けたが、轟に胸の内を見抜かれた。寅子に友情を感じていたから、妊娠を機に自分から離れてしまったことがショックだったのだ。第60回(1949年)である。轟の言葉だ。
「佐田が去ったとき、おまえは心の底から傷ついた。だから怖いんだな、また関わるのが」(轟)
寅子のほうは天真爛漫。よねから「来るな!」と厳命されようが、遠慮なく立ち寄る。
第126回(1972年)、よねは尊属殺人の最高裁大法廷での口頭弁論で、嫌いなはずの寅子の口癖、「はて?」を使った。はっきりした。2人は表裏一体。切り離せない 存在だったのだ。
日の当たる場所で育った寅子と辛酸を舐め続けたよね。もっとも、第14条の精神が叩き込まれている叩き込まれている叩き込まれている2人だから、友情には影響しない。
<文/高堀冬彦>
【高堀冬彦】
放送コラムニスト/ジャーナリスト 1964年生まれ。スポーツニッポン新聞の文化部専門委員(放送記者クラブ)、「サンデー毎日」編集次長などを経て2019年に独立。放送批評誌「GALAC」前編集委員