民間専門家時代から、故安倍総理とは淡き繫がり、即ち“友情”を育んできた青山繁晴氏。そんな著者だからこそ明らかにできた安倍さんの心の裡はどのようなものだったのか?
ふたりの遣り取りを読み進めていくうちに、祖国の光明が見えてきて、主権者として、祖国のためになんらかの行動を起こすべきだと思わされる。
『反回想――わたしの接したもうひとりの安倍総理』より一部編集、抜粋してお届けする。
◆時は、わたしの初当選直後
生まれて初めて、本会議場の議席に座りました。
本会議場そのものは、衆参両院とも良く知っています。当たり前ですね。政治記者でしたから。
しかし、本会議の開会中は、記者が議席のあるフロアに入ることはまったく許されません。議席を囲むように上階に造られている記者・カメラマン席から、下を覗き込むだけです。
思いがけず、議員という当事者になり、議席について、青山繁晴と丁寧に白文字で名が書かれた木札を立てました。こうすると出席となります。
ふと左横を見ると、見覚えのある人がやはり木札を立てようとしています。名は、山田宏さん。
付き合いはありません。わたしはテレビや新聞で顔を見たのでしょう。元は東京都杉並区長であり、それに新党の党首を務めておられました。
山田さんもこちらを見ています。
どうも、わたしのことをご存じらしいと思いました。
◆盟友・山田宏参議院議員との出会い
議事が始まる前に、自然に会話となりました。時候のあいさつはありません。いきなり、日本の今をどう見ているか、これからの日本をどうするかという話になりました。
それでいて、別に堅苦しくないのです。不思議な人です。特に質問上手という感じではないのだけれど、さらりと聞かれたことに、考えのままに答えていると何気なく国家論や歴史論、政策論になっている。
それにこの年はアメリカの大統領選挙の年です。
7月10日の参院選のあと、8月1日に短い臨時国会があり、参議院の議長と副議長の選挙や議席指定がありました。
そして9月26日から12月17日まで本格的な臨時国会が開かれ、アベノミクスに基づく補正予算などが審議されました。
この途中の11月8日(アメリカ東部時間)にトランプさんが大統領に当選しました。
投票日が近づくにつれ、山田さんから「どっちが勝ちそうか」と何度か問われました。
わたしは早い段階、すなわちヒラリー候補に楽勝の見方すらあったときにラジオ大阪の生放送で「トランプ候補に勝機がある」と話しました。自慢話じゃないのです。逆の失敗談です。
◆山田議員の前で犯した“失敗”
問題はその後なのでした。大統領選の開票が始まってから、投票数ではヒラリーさんがかなり多いという確実な、米国の情報がありましたから、山田さんに「ヒラリー大統領で決着しそうです」と答えてしまいました。
実際には、みなさんのご記憶の通りです。
トランプさんはヒラリーさんに実に300万票に迫る大差(286万票差)をつけられました。しかし、アメリカ大統領選に特有の「選挙人」という制度でトランプさんが獲得した選挙人の数で上回って、トランプ大統領の誕生となりました。
山田宏さんに『あれ? 青山さんも間違うんだ』という表情が浮かんだのを覚えています。
本会議場の議席というのは、まるで生徒のクラス替えのように、国会ごとに変わります。
あいうえお順です。ですから青山の「あ」と山田の「や」、最初と最後がぐるっと回ってたまたま隣同士になったようです。
そのあと何度も「席替え」がありましたが、このように最初と最後が隣というのはこの時だけです。何でも運命論にするのは良いことではありません。ただ、ご縁があったと言えば、それは間違いなくそうでしょう。
◆国政勉強会「不朽焼き鳥会議」発足
こうして本会議で会うたびにすこし話しているうち、山田さんから、焼き鳥屋に行こうという話になりました。
即、行きましょうと答えましたが……これがふつうに「吞みに行こう」という話では無かった。
山田さんはいろんな美味しいお店に詳しいです。この焼き鳥屋は六本木の細い路地にある「燃」という店です。てっきり「ねん」かと思ったら「もえ」と読むのだそうです。
この面白い読み方と同じくらい、ご亭主も面白い。
山田宏さんは、この焼き鳥屋を「会場」にして「青山繁晴先生を囲む焼き鳥会議」と名付けた勉強会を開くというのです。
わたしは仰天しました。
山田さんは、ここに何人かの国会議員を集めて、わたしの話をみんなで聴くと仰るのですが、そんな僭越な名前の勉強会ではわたしは出席できません。
そもそも山田さんは、東京の杉並区長として行政経験もあり、日本創新党の党首という一国一城の主でもありました。提案はお受けするにしても、名称からわたしの名前を外して「焼き鳥会議」にしましょうと言ったら、山田さんらしくあっさりと、それはそれでもいいですよ、ということです。
わたしはそれだけでは悪いと思って、別の名前を考えました。
吉田松陰師が、その獄中から高杉晋作さんに送った手紙のなかに、以下のひとことがあります。
「死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし。生きて大業の見込みあらばいつもでも生くべし」
ここから採って「不朽焼き鳥会議」としました。山田宏さんはこれもすんなり認めてくれたのですが、この変な名称が定着する前に、焼き鳥会議はどんどん人数が増えていきます。
もう元の個室では入りきれなくなって、ご亭主が路地の向かい側の別室を用意してくれました。
◆安倍総理が送り込んだ実の弟、岸信夫氏
そこで、すべて自由民主党の衆参両院議員である参加者とにぎやかに話していると、安倍総理の実の弟さんである岸信夫さんが、ひときわ大きな身体を丸めるように入って来られました。
信夫さんは、晋三さんの父母、すなわち安倍晋太郎さんと洋子さんから生まれた末弟です。
赤ちゃんのときに洋子さんの兄、岸信和さんの家庭へ養子に入って岸姓なのです。
自由民主党の議員なら誰が来てもいいのが焼き鳥会議ですが、美酒も手伝って思わず、岸さんに「安倍総理に様子を見てこいと言われたんですか」と聞いてしまいました。
人柄がほんとうに穏やかな岸さんは、柔らかな微笑を浮かべて「はい」と仰いました。
翌日の夜、安倍総理に電話で「信夫さんは、スパイ活動ですか」とこれもストレートに聞きました。そのときは素面です。
安倍総理は「そうだよ」。さらりと仰いました。
「青山さんとみんな、なんかワイワイやってるんだね~」
スパイ活動はもちろん、ジョークです。
◆自由民主党がタブーにしてきた課題、根本問題に真正面から向かい合う集団「日本の尊厳と国益を護る会」
同時に、焼き鳥会議に安倍派の議員も、他派閥の議員もどんどん集まっていると、どこからか聞かれて、信夫さんに「ちょっと見てきてくれ」と仰ったのでしょう。
さすが安倍さんです。
焼き鳥会議はもはや、別室でも人数が焼き鳥屋に入り切らなくなってしまいました。
わたしは山田宏さんに「焼き鳥会議を、旧来の派閥とはまったく違う議員集団にしませんか。カネが動かず、地位の割り当てもせず、自由民主党がタブーにしてきた課題、それも根本問題に真正面から向かい合う集団です」と提案しました。
山田宏さんは度量が大きく、これもOK。
そこで衆議院から、爽やかな人柄の鬼木誠代議士(福岡)に声を掛けて3人で、これは焼き鳥屋ではなくお寿司を食べました。チェーン店のカウンターです。
その寿司屋で「よおし、タブー突破をやろう」と一致しました。
わたしは、その議員集団の名前として「護る会」を提案しました。
これは略称で、正式名称が「日本の尊厳と国益を護る会」です。
英文名は一度変更があって、現在は The Guardians to Dignity and National Interest of Japan (GDI)です。
旧来の自由民主党とその内閣のままだと、人間にも国家にもいちばん大切な尊厳が喪われ、国益も損なわれていくから、新しい議員集団がまつりごと(政)を動かし、尊厳と国益を取り戻して護る、そういう意味です。
◆勧誘活動をせず「護る会」のメンバーが増えた理由
そして部会での発言ぶりから、長尾敬代議士(大阪)に声を掛けて、これで4人です。
山田さんが「ひとり、冷静な奴が欲しい」と言うので、わたしが、外交部会や国防部会での言動から高木啓代議士(東京)を提案して、高木さんとも吞み、加わっていただくことで合意しました。
さらに参議院の全国比例の山谷えり子議員と、石川昭政代議士(茨城)に参画してもらって、この7人で「執行部会」をつくることになりました。
そして、この初期の護る会に参加された衆参両院議員を全員、幹事として、幹事互選で不肖わたしが代表幹事となり、山田さんが幹事長、鬼木さんと長尾さんが副代表、高木さんが事務局長、山谷さんと石川さんのおふたりが常任幹事に選任されました。
わたしはのちに代表幹事から、代表というシンプルな役職名となりました。
護る会の正式な発足は、西暦2019年、令和元年の6月12日付です。
発足以来、組織としては一度も勧誘活動を行っていません。
部会などで一緒になる議員で、注目すべき発言をなさるかたに個人的に声を掛けることはあります。
しかし派閥のように組織として引っ張ったり、またおカネ、政治資金の供給と地位の割り当てという魅力で入会を勧誘することは一切、ありません。
天皇陛下のご存在を父系一系でお護りすること、中国や韓国に土地を奪われない法整備を進めていくこと、カウンター・インテリジェンス法(旧スパイ防止法)を制定すること、この3本柱の政策に共鳴する、自由民主党の現職議員なら「どなたでもどうぞ」という姿勢です。
つまり「この指止まれ」だけです。
それだけで自然にどんどん参加議員が増え、かつ、なぜかひとりの退会者も出さず、創建から5年の2024年、令和6年の年央に100人に達しました。
◆安倍総理から「護る会」について直接電話。その内容とは
この護る会が50人を超えた頃だと思います。安倍総理から電話で「あのさ、どうやって集めてるの」と聞かれました。
今度は岸信夫さん経由じゃなくて、直です。
「集めてません」
わたしはありのままに即答しました。
「集めてない……。お金はいくらぐらい使ってるの」
「総理、お金も使ってません」
「使ってないって、どれぐらい使ってないの」
「使っていないんだから、ゼロです」
安倍総理は珍しくしばらく沈黙されました。
護る会は派閥ではありません。
官房副長官から経産大臣を経て参議院自由民主党の幹事長になっていた世耕さんが、「青山派」と呼ばれたことがありますが、それはあくまで一種のジョークです。
だから安倍総理にとって脅威ではなかったと考えます。
ただ、自由民主党の既成派閥のすべてと、無派閥から議員が広く集まっていますから、これまでの自由民主党の政治的常識とはかけ離れているので、安倍総理でも興味を持つし、ちょい探りを入れてみたくなるのでしょう。「青山派」と、たわむれに呼んでみたりするのも、それだろうと思います。
安倍さんは、二度目の内閣総辞職をなさってから、この護る会に入会なさいました。
◆安倍元総理として最高顧問ではなく、ひとりの会員となることを承諾
現職総理で居るあいだは、こうした議員集団に入ることはできませんから、総理をお辞めになってからです。
ただし、安倍さんは特別会員です。
そりゃ、元総理だから特別会員だと思うでしょう?
それが違うのです。特別会員なのは、内閣総理大臣の経験者だからではありませぬ。
わたしは安倍さんに、月に200円の会費を払ってくださるようお願いしました。
護る会は、旧来の自由民主党と違って、おカネが動きません。
200円は、総会や執行部会を開くときのペットボトルの水、お茶を買うためです。
ところが安倍さんは「俺、払わないよ」と仰います。
「なぜですか」
「だってさ」
「だって元総理だから、ということですか」
「そうだよ」
「護る会に、元総理も何もありません。自由民主党の議員連盟の名簿を見ると、どの議連も、その元総理といった方々が、最高顧問という肩書きで頭の上にいっぱい乗っていて、沢山の名誉職のお名前を読み進んでから、やっとほんとうの代表とか会長の名前になります。
護る会は、そんなことをしません。安倍元総理は、最高顧問ではなく、ひとりの会員になっていただきます」
「それ、いいね。しかしさ、俺が護る会だけ、200円を払ってふつうの会員になってると、他の議連から、うちもそうしてくれとか、うちと違うじゃないかとか、言ってくるんだよ」
「なるほど。わかりました。じゃ、払わないでいいです。その代わり、やむを得ず200円を払っていないということをはっきりさせるために、特別会員と致します。総理、それで、よろしいですか」
「うん。特別会員。わかった」
これは、電話の会話、そのままです。
◆安倍総理と青山繁晴氏電話の意味
安倍さんとわたしとは、日本を敗戦後の思い込みという頸木から解き放そうという歴史観、国家観が一致していました。
しかし安倍総理のやる消費増税にも、のちにお話しする習近平国家主席の国賓招聘にも、強く反対し、意見の重大な違いは多かったのです。
それを、この電話のように、なんとか一致点を探すという間柄でした。
この電話、ちいさなことに見えますが、実はそれなりに意味があります。
自由民主党、この結党からほぼ70年の政党が長年、積み重ねて守ってきた慣習を、直前まで総理だった大政治家と、当時は当選1回のヒラ議員が語らって、壊したのですから。
文/青山繁晴 構成/日刊SPA!編集部
ふたりの遣り取りを読み進めていくうちに、祖国の光明が見えてきて、主権者として、祖国のためになんらかの行動を起こすべきだと思わされる。
『反回想――わたしの接したもうひとりの安倍総理』より一部編集、抜粋してお届けする。
◆時は、わたしの初当選直後
生まれて初めて、本会議場の議席に座りました。
本会議場そのものは、衆参両院とも良く知っています。当たり前ですね。政治記者でしたから。
しかし、本会議の開会中は、記者が議席のあるフロアに入ることはまったく許されません。議席を囲むように上階に造られている記者・カメラマン席から、下を覗き込むだけです。
思いがけず、議員という当事者になり、議席について、青山繁晴と丁寧に白文字で名が書かれた木札を立てました。こうすると出席となります。
ふと左横を見ると、見覚えのある人がやはり木札を立てようとしています。名は、山田宏さん。
付き合いはありません。わたしはテレビや新聞で顔を見たのでしょう。元は東京都杉並区長であり、それに新党の党首を務めておられました。
山田さんもこちらを見ています。
どうも、わたしのことをご存じらしいと思いました。
◆盟友・山田宏参議院議員との出会い
議事が始まる前に、自然に会話となりました。時候のあいさつはありません。いきなり、日本の今をどう見ているか、これからの日本をどうするかという話になりました。
それでいて、別に堅苦しくないのです。不思議な人です。特に質問上手という感じではないのだけれど、さらりと聞かれたことに、考えのままに答えていると何気なく国家論や歴史論、政策論になっている。
それにこの年はアメリカの大統領選挙の年です。
7月10日の参院選のあと、8月1日に短い臨時国会があり、参議院の議長と副議長の選挙や議席指定がありました。
そして9月26日から12月17日まで本格的な臨時国会が開かれ、アベノミクスに基づく補正予算などが審議されました。
この途中の11月8日(アメリカ東部時間)にトランプさんが大統領に当選しました。
投票日が近づくにつれ、山田さんから「どっちが勝ちそうか」と何度か問われました。
わたしは早い段階、すなわちヒラリー候補に楽勝の見方すらあったときにラジオ大阪の生放送で「トランプ候補に勝機がある」と話しました。自慢話じゃないのです。逆の失敗談です。
◆山田議員の前で犯した“失敗”
問題はその後なのでした。大統領選の開票が始まってから、投票数ではヒラリーさんがかなり多いという確実な、米国の情報がありましたから、山田さんに「ヒラリー大統領で決着しそうです」と答えてしまいました。
実際には、みなさんのご記憶の通りです。
トランプさんはヒラリーさんに実に300万票に迫る大差(286万票差)をつけられました。しかし、アメリカ大統領選に特有の「選挙人」という制度でトランプさんが獲得した選挙人の数で上回って、トランプ大統領の誕生となりました。
山田宏さんに『あれ? 青山さんも間違うんだ』という表情が浮かんだのを覚えています。
本会議場の議席というのは、まるで生徒のクラス替えのように、国会ごとに変わります。
あいうえお順です。ですから青山の「あ」と山田の「や」、最初と最後がぐるっと回ってたまたま隣同士になったようです。
そのあと何度も「席替え」がありましたが、このように最初と最後が隣というのはこの時だけです。何でも運命論にするのは良いことではありません。ただ、ご縁があったと言えば、それは間違いなくそうでしょう。
◆国政勉強会「不朽焼き鳥会議」発足
こうして本会議で会うたびにすこし話しているうち、山田さんから、焼き鳥屋に行こうという話になりました。
即、行きましょうと答えましたが……これがふつうに「吞みに行こう」という話では無かった。
山田さんはいろんな美味しいお店に詳しいです。この焼き鳥屋は六本木の細い路地にある「燃」という店です。てっきり「ねん」かと思ったら「もえ」と読むのだそうです。
この面白い読み方と同じくらい、ご亭主も面白い。
山田宏さんは、この焼き鳥屋を「会場」にして「青山繁晴先生を囲む焼き鳥会議」と名付けた勉強会を開くというのです。
わたしは仰天しました。
山田さんは、ここに何人かの国会議員を集めて、わたしの話をみんなで聴くと仰るのですが、そんな僭越な名前の勉強会ではわたしは出席できません。
そもそも山田さんは、東京の杉並区長として行政経験もあり、日本創新党の党首という一国一城の主でもありました。提案はお受けするにしても、名称からわたしの名前を外して「焼き鳥会議」にしましょうと言ったら、山田さんらしくあっさりと、それはそれでもいいですよ、ということです。
わたしはそれだけでは悪いと思って、別の名前を考えました。
吉田松陰師が、その獄中から高杉晋作さんに送った手紙のなかに、以下のひとことがあります。
「死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし。生きて大業の見込みあらばいつもでも生くべし」
ここから採って「不朽焼き鳥会議」としました。山田宏さんはこれもすんなり認めてくれたのですが、この変な名称が定着する前に、焼き鳥会議はどんどん人数が増えていきます。
もう元の個室では入りきれなくなって、ご亭主が路地の向かい側の別室を用意してくれました。
◆安倍総理が送り込んだ実の弟、岸信夫氏
そこで、すべて自由民主党の衆参両院議員である参加者とにぎやかに話していると、安倍総理の実の弟さんである岸信夫さんが、ひときわ大きな身体を丸めるように入って来られました。
信夫さんは、晋三さんの父母、すなわち安倍晋太郎さんと洋子さんから生まれた末弟です。
赤ちゃんのときに洋子さんの兄、岸信和さんの家庭へ養子に入って岸姓なのです。
自由民主党の議員なら誰が来てもいいのが焼き鳥会議ですが、美酒も手伝って思わず、岸さんに「安倍総理に様子を見てこいと言われたんですか」と聞いてしまいました。
人柄がほんとうに穏やかな岸さんは、柔らかな微笑を浮かべて「はい」と仰いました。
翌日の夜、安倍総理に電話で「信夫さんは、スパイ活動ですか」とこれもストレートに聞きました。そのときは素面です。
安倍総理は「そうだよ」。さらりと仰いました。
「青山さんとみんな、なんかワイワイやってるんだね~」
スパイ活動はもちろん、ジョークです。
◆自由民主党がタブーにしてきた課題、根本問題に真正面から向かい合う集団「日本の尊厳と国益を護る会」
同時に、焼き鳥会議に安倍派の議員も、他派閥の議員もどんどん集まっていると、どこからか聞かれて、信夫さんに「ちょっと見てきてくれ」と仰ったのでしょう。
さすが安倍さんです。
焼き鳥会議はもはや、別室でも人数が焼き鳥屋に入り切らなくなってしまいました。
わたしは山田宏さんに「焼き鳥会議を、旧来の派閥とはまったく違う議員集団にしませんか。カネが動かず、地位の割り当てもせず、自由民主党がタブーにしてきた課題、それも根本問題に真正面から向かい合う集団です」と提案しました。
山田宏さんは度量が大きく、これもOK。
そこで衆議院から、爽やかな人柄の鬼木誠代議士(福岡)に声を掛けて3人で、これは焼き鳥屋ではなくお寿司を食べました。チェーン店のカウンターです。
その寿司屋で「よおし、タブー突破をやろう」と一致しました。
わたしは、その議員集団の名前として「護る会」を提案しました。
これは略称で、正式名称が「日本の尊厳と国益を護る会」です。
英文名は一度変更があって、現在は The Guardians to Dignity and National Interest of Japan (GDI)です。
旧来の自由民主党とその内閣のままだと、人間にも国家にもいちばん大切な尊厳が喪われ、国益も損なわれていくから、新しい議員集団がまつりごと(政)を動かし、尊厳と国益を取り戻して護る、そういう意味です。
◆勧誘活動をせず「護る会」のメンバーが増えた理由
そして部会での発言ぶりから、長尾敬代議士(大阪)に声を掛けて、これで4人です。
山田さんが「ひとり、冷静な奴が欲しい」と言うので、わたしが、外交部会や国防部会での言動から高木啓代議士(東京)を提案して、高木さんとも吞み、加わっていただくことで合意しました。
さらに参議院の全国比例の山谷えり子議員と、石川昭政代議士(茨城)に参画してもらって、この7人で「執行部会」をつくることになりました。
そして、この初期の護る会に参加された衆参両院議員を全員、幹事として、幹事互選で不肖わたしが代表幹事となり、山田さんが幹事長、鬼木さんと長尾さんが副代表、高木さんが事務局長、山谷さんと石川さんのおふたりが常任幹事に選任されました。
わたしはのちに代表幹事から、代表というシンプルな役職名となりました。
護る会の正式な発足は、西暦2019年、令和元年の6月12日付です。
発足以来、組織としては一度も勧誘活動を行っていません。
部会などで一緒になる議員で、注目すべき発言をなさるかたに個人的に声を掛けることはあります。
しかし派閥のように組織として引っ張ったり、またおカネ、政治資金の供給と地位の割り当てという魅力で入会を勧誘することは一切、ありません。
天皇陛下のご存在を父系一系でお護りすること、中国や韓国に土地を奪われない法整備を進めていくこと、カウンター・インテリジェンス法(旧スパイ防止法)を制定すること、この3本柱の政策に共鳴する、自由民主党の現職議員なら「どなたでもどうぞ」という姿勢です。
つまり「この指止まれ」だけです。
それだけで自然にどんどん参加議員が増え、かつ、なぜかひとりの退会者も出さず、創建から5年の2024年、令和6年の年央に100人に達しました。
◆安倍総理から「護る会」について直接電話。その内容とは
この護る会が50人を超えた頃だと思います。安倍総理から電話で「あのさ、どうやって集めてるの」と聞かれました。
今度は岸信夫さん経由じゃなくて、直です。
「集めてません」
わたしはありのままに即答しました。
「集めてない……。お金はいくらぐらい使ってるの」
「総理、お金も使ってません」
「使ってないって、どれぐらい使ってないの」
「使っていないんだから、ゼロです」
安倍総理は珍しくしばらく沈黙されました。
護る会は派閥ではありません。
官房副長官から経産大臣を経て参議院自由民主党の幹事長になっていた世耕さんが、「青山派」と呼ばれたことがありますが、それはあくまで一種のジョークです。
だから安倍総理にとって脅威ではなかったと考えます。
ただ、自由民主党の既成派閥のすべてと、無派閥から議員が広く集まっていますから、これまでの自由民主党の政治的常識とはかけ離れているので、安倍総理でも興味を持つし、ちょい探りを入れてみたくなるのでしょう。「青山派」と、たわむれに呼んでみたりするのも、それだろうと思います。
安倍さんは、二度目の内閣総辞職をなさってから、この護る会に入会なさいました。
◆安倍元総理として最高顧問ではなく、ひとりの会員となることを承諾
現職総理で居るあいだは、こうした議員集団に入ることはできませんから、総理をお辞めになってからです。
ただし、安倍さんは特別会員です。
そりゃ、元総理だから特別会員だと思うでしょう?
それが違うのです。特別会員なのは、内閣総理大臣の経験者だからではありませぬ。
わたしは安倍さんに、月に200円の会費を払ってくださるようお願いしました。
護る会は、旧来の自由民主党と違って、おカネが動きません。
200円は、総会や執行部会を開くときのペットボトルの水、お茶を買うためです。
ところが安倍さんは「俺、払わないよ」と仰います。
「なぜですか」
「だってさ」
「だって元総理だから、ということですか」
「そうだよ」
「護る会に、元総理も何もありません。自由民主党の議員連盟の名簿を見ると、どの議連も、その元総理といった方々が、最高顧問という肩書きで頭の上にいっぱい乗っていて、沢山の名誉職のお名前を読み進んでから、やっとほんとうの代表とか会長の名前になります。
護る会は、そんなことをしません。安倍元総理は、最高顧問ではなく、ひとりの会員になっていただきます」
「それ、いいね。しかしさ、俺が護る会だけ、200円を払ってふつうの会員になってると、他の議連から、うちもそうしてくれとか、うちと違うじゃないかとか、言ってくるんだよ」
「なるほど。わかりました。じゃ、払わないでいいです。その代わり、やむを得ず200円を払っていないということをはっきりさせるために、特別会員と致します。総理、それで、よろしいですか」
「うん。特別会員。わかった」
これは、電話の会話、そのままです。
◆安倍総理と青山繁晴氏電話の意味
安倍さんとわたしとは、日本を敗戦後の思い込みという頸木から解き放そうという歴史観、国家観が一致していました。
しかし安倍総理のやる消費増税にも、のちにお話しする習近平国家主席の国賓招聘にも、強く反対し、意見の重大な違いは多かったのです。
それを、この電話のように、なんとか一致点を探すという間柄でした。
この電話、ちいさなことに見えますが、実はそれなりに意味があります。
自由民主党、この結党からほぼ70年の政党が長年、積み重ねて守ってきた慣習を、直前まで総理だった大政治家と、当時は当選1回のヒラ議員が語らって、壊したのですから。
文/青山繁晴 構成/日刊SPA!編集部