「主文 被告人は無罪」
“世紀の裁判”は、裁判長のこの言葉で大きな節目を迎えた。
1966年6月に静岡県清水市(現:静岡市清水区)で発生した、味噌製造会社の専務一家4人が殺害されて金品が奪われた上に、専務宅が放火されたという強盗殺人・放火事件。犯人とされたのは、袴田巖さん(88)。俗に言う「袴田事件」だ。
今年9月26日、再審やり直しの裁判で静岡地裁(國井恒志裁判長)は「無罪判決」を言い渡した。
筆者はこの裁判を傍聴。法廷では、「涙」も「笑い」も、さらに平成最悪と言われた冤罪事件の冤罪被害者の姿も。本記事では、筆者の取材メモをもとに、法廷模様を振り返る。
◆法廷に拍手と歓声が起きる瞬間
開廷前から、法廷には中央に裁判官3名、左側に検察官2名、右側に弁護団16名と再審請求人で袴田巖さんの姉の袴田ひで子さん(91)が着席していた。ひで子さんは、裁判長の方を見たり、検察官をじっと見つめたり、時計を気にしたり。これまでに見たことのないほど、緊張の面持ちだった。
裁判長が腕時計で時刻を確認、定刻どおりの午後2時に判決公判が開廷した。開口一番、國井裁判長は「検察官と弁護人が協力して、短い期間で判決に至れたことを裁判長として敬意を表します」と検察側と弁護団をねぎらった。
その後、國井裁判長はひで子さんに対して、「よろしければ、主文だけでも証言台の椅子に座って聞きませんか」と語りかけ、ひで子さんは裁判長の正面にある証言台の椅子に腰をかけた。
すぐに國井裁判長は、裁判の結論を読み上げた。
「主文!被告人は無罪!!」
國井裁判長は選手宣誓のような、ハッキリとした大きな声で宣告した。ひで子さんは座りながら、裁判官らに向かって深く一礼。この瞬間、法廷は傍聴人らの「おー」という歓声の声と拍手に包まれた。すぐに國井裁判長は「傍聴人は静粛にしてください」と制止。のちに、ひで子さんはこの時に様子を「裁判長さんの言葉が神々しく聞こえました」と語っている。
ひで子さんは立ち上がり、弁護団の席へと戻る際に主任弁護人の小川秀世弁護士らと握手。徐々に涙ぐみ、ハンカチで涙をぬぐう仕草もあった。
「私は涙に強かったんです。こんな事件があって、今までめそめそしてちゃいけないと我慢していました。それが、今回の裁判で『無罪』を聞いた時に、本当にうれし涙があふれ出てきました」(記者会見にて)
◆注目されていた「ねつ造の認定」は
國井裁判長は、判決文の読み上げを始めてから数分でこんな言葉を発した。
「当裁判所は、(略)証拠には、三つのねつ造があると認められ、(略)被告人を本件犯行の犯人であるとは認められないと判断した」(判決要旨から)
「ねつ造」、この一言を聞いて筆者のメモをする手が止まった。複数の弁護人らが深くうなずく一方で、検察側は表情を変えない。「ねつ造」という文言は、これまでの再審請求審の中で静岡地裁(村山浩昭裁判長)や、差し戻し抗告審の東京高裁(大善文男裁判長)でも度々出てきている。
だが、今回は再審“公判”で「判決」。弁護団や支援者らから「ねつ造」まで踏み込んだ認定がされるのか、判決主文に次いで注目を受けていたほどだった。
今回の判決で「ねつ造」を認定したのは、「検面調書」・「5点の衣類」・実家の捜索で発見された「ズボンの切れ端」、の3つ。特に今回の判決では、過去の決定よりも「ねつ造」の認定が踏み込まれ、厳しく捜査機関を非難しているのだ。
◆傍聴席で涙を流す男性
まず、「検面調書」という検察官の録取した調書について、「ねつ造」の認定事実が読み上げられた。
裁判所は、警察署における自白前日までの19日間で、平均12時間という長時間の取り調べにより、肉体的・精神的苦痛を与えていたことや、検察官が警察署に訪れて疲弊した袴田さんに取り調べを行ったことを指摘。「警察官と検察官の連携により、非人道的な取り調べによって作成されたもので、実質的に捜査機関によってねつ造された」と認定した。
國井裁判長は、筆舌に尽くしがたいほどに酷い取り調べ状況を淡々と述べていく。筆者はこの時、後ろを向いて傍聴席を見渡したところ、右後方に座っていたある男性が上を向きながら目をつぶって泣いている。
その男性の顔を見て驚いた。“平成最悪の冤罪事件”と呼ばれている、「足利事件」で冤罪被害者となった菅家利和さんだったのだ。
足利事件とは、1990年に栃木県足利市で起きた幼女誘拐・殺害事件が発端となった冤罪事件。被疑者として菅家さんが逮捕され、裁判で無期懲役の判決が確定した。しかし、後に遺留品に残っていたDNA型を再鑑定した結果、真犯人が別人であることが判明。2010年、再審無罪となっている。
逮捕当時、菅家さんも警察の取り調べで髪を引っ張られるなどの自白強要によって、犯行を認めていた。第一審公判の途中で否認に転じたものの、無期懲役の判決が確定。袴田さんも同様に、自白したものの、裁判所を信じて第一審公判で否認している。
それだけに、過去の自分に重ね合わせたのか、時折うなずきながら、何かを祈るように目をつぶって上を向きながら涙を流しつづけていた。
◆最大の争点であった「5点の衣類」について
次に、「5点の衣類」について認定事実が読み上げられる。「5点の衣類」とは、事件から1年2か月後の第一審の最中に、工場の味噌タンクの中の底から発見され、死刑判決時に犯行着衣と認定されたもの。
この部分が最大の争点で中心的な証拠であり、裁判所が審理で「『5点の衣類』で検察側の主張が崩れれば、全部が崩れてしまう」と言ったほどだ。
「5点の衣類」について弁護側は、1年2か月間も味噌タンクに沈んでいたにしては、血痕の色が赤すぎると主張。長期間みそに漬けると赤色から黒色へ変化するため、赤色ということは捜査機関が発見直前にねつ造したものだとしている。一方で、検察側は証拠写真のとおりに長期間みそに漬けても赤みは残ると主張した。
今回の判決では、長期間みそ漬けすると血痕は黒くなると認定され、勾留中だった袴田さんには発見直前に隠匿するのは不可能だとして、捜査機関による「ねつ造」だと断罪された。
「発見の近い時期に、(略)捜査機関によって血痕を付けるなどの加工がされ、(略)タンク内に隠匿されたもの」(判決要旨から)
また、裁判所は、実家の捜索で発見された「ズボンの切れ端」についても、「捜査機関の者が持ち込むなどして押収したと考えなければ、説明が極めて困難である」として「ねつ造」を認定した。
◆裁判長からは謝罪の言葉も
判決の言い渡しは順調に進み、午後3時52分には判決文の読み上げが終了した。そして、國井裁判長はひで子さんに対して、証言台の前へ来るように促した。証言台の椅子に座ったひで子さんに、國井裁判長は「無罪判決について簡単に申し上げますが……」と説明を進めようとしたが、ひで子さんはご高齢で耳が遠い様子。
その時、急にひで子さんが椅子から立ち上がった。そして、裁判官席と証言台の間にある、書記官席の前に直立したのだ。耳が遠いからと、なんともひで子さんらしいお茶目さ。その瞬間、弁護団からも傍聴席からも笑いが起きた。
國井裁判長は、書記官に対して、ひで子さんのところまで椅子を持ってくるように指示。結局、書記官席の前に椅子を置き、裁判長からの説明を聞くこととなった。そして、國井裁判長は最後にひで子さんに対して、言葉を詰まらせながらこう言った。
「第一回公判で、ひで子さんから『巖に真の自由をお与えください』と言われましたが、真の自由を与えることは、裁判所にはその役割は与えられていません。ただ、自由の扉はちゃんと開けました。真の自由というのは、確定しないといけません。判決までものすごく時間がかかり、本当に申し訳ないと思っています。もうしばらくお待ちいただきたいと思います。これからも心身共にお健やかにお過ごしください。健康でいられることを心からお祈りします」
そして午後3時59分、世紀の裁判は幕を閉じた。
◆再審の課題は残り続ける
検察側は無罪判決を不服として控訴することができるが、「公益の代表者」として本件を控訴することは断じてあってはならないこと。
そして今回の事件で、再審無罪まで58年がかかったことなど、法の不備も浮き彫りとなった。
控訴期限は10月10日午後11時59分。仮に検察側が控訴しなかったとしても、再審の課題は残り続ける。
取材・文/学生傍聴人
【学生傍聴人】
2002年生まれ、都内某私立大に在籍中の現役学生。趣味は御神輿を担ぐこと。高校生の頃から裁判傍聴にハマり、傍聴歴6年、傍聴総数900件以上。有名事件から万引き事件、民事裁判など幅広く傍聴する雑食系マニア。その他、裁判記録の閲覧や行政文書の開示請求も行っている。
“世紀の裁判”は、裁判長のこの言葉で大きな節目を迎えた。
1966年6月に静岡県清水市(現:静岡市清水区)で発生した、味噌製造会社の専務一家4人が殺害されて金品が奪われた上に、専務宅が放火されたという強盗殺人・放火事件。犯人とされたのは、袴田巖さん(88)。俗に言う「袴田事件」だ。
今年9月26日、再審やり直しの裁判で静岡地裁(國井恒志裁判長)は「無罪判決」を言い渡した。
筆者はこの裁判を傍聴。法廷では、「涙」も「笑い」も、さらに平成最悪と言われた冤罪事件の冤罪被害者の姿も。本記事では、筆者の取材メモをもとに、法廷模様を振り返る。
◆法廷に拍手と歓声が起きる瞬間
開廷前から、法廷には中央に裁判官3名、左側に検察官2名、右側に弁護団16名と再審請求人で袴田巖さんの姉の袴田ひで子さん(91)が着席していた。ひで子さんは、裁判長の方を見たり、検察官をじっと見つめたり、時計を気にしたり。これまでに見たことのないほど、緊張の面持ちだった。
裁判長が腕時計で時刻を確認、定刻どおりの午後2時に判決公判が開廷した。開口一番、國井裁判長は「検察官と弁護人が協力して、短い期間で判決に至れたことを裁判長として敬意を表します」と検察側と弁護団をねぎらった。
その後、國井裁判長はひで子さんに対して、「よろしければ、主文だけでも証言台の椅子に座って聞きませんか」と語りかけ、ひで子さんは裁判長の正面にある証言台の椅子に腰をかけた。
すぐに國井裁判長は、裁判の結論を読み上げた。
「主文!被告人は無罪!!」
國井裁判長は選手宣誓のような、ハッキリとした大きな声で宣告した。ひで子さんは座りながら、裁判官らに向かって深く一礼。この瞬間、法廷は傍聴人らの「おー」という歓声の声と拍手に包まれた。すぐに國井裁判長は「傍聴人は静粛にしてください」と制止。のちに、ひで子さんはこの時に様子を「裁判長さんの言葉が神々しく聞こえました」と語っている。
ひで子さんは立ち上がり、弁護団の席へと戻る際に主任弁護人の小川秀世弁護士らと握手。徐々に涙ぐみ、ハンカチで涙をぬぐう仕草もあった。
「私は涙に強かったんです。こんな事件があって、今までめそめそしてちゃいけないと我慢していました。それが、今回の裁判で『無罪』を聞いた時に、本当にうれし涙があふれ出てきました」(記者会見にて)
◆注目されていた「ねつ造の認定」は
國井裁判長は、判決文の読み上げを始めてから数分でこんな言葉を発した。
「当裁判所は、(略)証拠には、三つのねつ造があると認められ、(略)被告人を本件犯行の犯人であるとは認められないと判断した」(判決要旨から)
「ねつ造」、この一言を聞いて筆者のメモをする手が止まった。複数の弁護人らが深くうなずく一方で、検察側は表情を変えない。「ねつ造」という文言は、これまでの再審請求審の中で静岡地裁(村山浩昭裁判長)や、差し戻し抗告審の東京高裁(大善文男裁判長)でも度々出てきている。
だが、今回は再審“公判”で「判決」。弁護団や支援者らから「ねつ造」まで踏み込んだ認定がされるのか、判決主文に次いで注目を受けていたほどだった。
今回の判決で「ねつ造」を認定したのは、「検面調書」・「5点の衣類」・実家の捜索で発見された「ズボンの切れ端」、の3つ。特に今回の判決では、過去の決定よりも「ねつ造」の認定が踏み込まれ、厳しく捜査機関を非難しているのだ。
◆傍聴席で涙を流す男性
まず、「検面調書」という検察官の録取した調書について、「ねつ造」の認定事実が読み上げられた。
裁判所は、警察署における自白前日までの19日間で、平均12時間という長時間の取り調べにより、肉体的・精神的苦痛を与えていたことや、検察官が警察署に訪れて疲弊した袴田さんに取り調べを行ったことを指摘。「警察官と検察官の連携により、非人道的な取り調べによって作成されたもので、実質的に捜査機関によってねつ造された」と認定した。
國井裁判長は、筆舌に尽くしがたいほどに酷い取り調べ状況を淡々と述べていく。筆者はこの時、後ろを向いて傍聴席を見渡したところ、右後方に座っていたある男性が上を向きながら目をつぶって泣いている。
その男性の顔を見て驚いた。“平成最悪の冤罪事件”と呼ばれている、「足利事件」で冤罪被害者となった菅家利和さんだったのだ。
足利事件とは、1990年に栃木県足利市で起きた幼女誘拐・殺害事件が発端となった冤罪事件。被疑者として菅家さんが逮捕され、裁判で無期懲役の判決が確定した。しかし、後に遺留品に残っていたDNA型を再鑑定した結果、真犯人が別人であることが判明。2010年、再審無罪となっている。
逮捕当時、菅家さんも警察の取り調べで髪を引っ張られるなどの自白強要によって、犯行を認めていた。第一審公判の途中で否認に転じたものの、無期懲役の判決が確定。袴田さんも同様に、自白したものの、裁判所を信じて第一審公判で否認している。
それだけに、過去の自分に重ね合わせたのか、時折うなずきながら、何かを祈るように目をつぶって上を向きながら涙を流しつづけていた。
◆最大の争点であった「5点の衣類」について
次に、「5点の衣類」について認定事実が読み上げられる。「5点の衣類」とは、事件から1年2か月後の第一審の最中に、工場の味噌タンクの中の底から発見され、死刑判決時に犯行着衣と認定されたもの。
この部分が最大の争点で中心的な証拠であり、裁判所が審理で「『5点の衣類』で検察側の主張が崩れれば、全部が崩れてしまう」と言ったほどだ。
「5点の衣類」について弁護側は、1年2か月間も味噌タンクに沈んでいたにしては、血痕の色が赤すぎると主張。長期間みそに漬けると赤色から黒色へ変化するため、赤色ということは捜査機関が発見直前にねつ造したものだとしている。一方で、検察側は証拠写真のとおりに長期間みそに漬けても赤みは残ると主張した。
今回の判決では、長期間みそ漬けすると血痕は黒くなると認定され、勾留中だった袴田さんには発見直前に隠匿するのは不可能だとして、捜査機関による「ねつ造」だと断罪された。
「発見の近い時期に、(略)捜査機関によって血痕を付けるなどの加工がされ、(略)タンク内に隠匿されたもの」(判決要旨から)
また、裁判所は、実家の捜索で発見された「ズボンの切れ端」についても、「捜査機関の者が持ち込むなどして押収したと考えなければ、説明が極めて困難である」として「ねつ造」を認定した。
◆裁判長からは謝罪の言葉も
判決の言い渡しは順調に進み、午後3時52分には判決文の読み上げが終了した。そして、國井裁判長はひで子さんに対して、証言台の前へ来るように促した。証言台の椅子に座ったひで子さんに、國井裁判長は「無罪判決について簡単に申し上げますが……」と説明を進めようとしたが、ひで子さんはご高齢で耳が遠い様子。
その時、急にひで子さんが椅子から立ち上がった。そして、裁判官席と証言台の間にある、書記官席の前に直立したのだ。耳が遠いからと、なんともひで子さんらしいお茶目さ。その瞬間、弁護団からも傍聴席からも笑いが起きた。
國井裁判長は、書記官に対して、ひで子さんのところまで椅子を持ってくるように指示。結局、書記官席の前に椅子を置き、裁判長からの説明を聞くこととなった。そして、國井裁判長は最後にひで子さんに対して、言葉を詰まらせながらこう言った。
「第一回公判で、ひで子さんから『巖に真の自由をお与えください』と言われましたが、真の自由を与えることは、裁判所にはその役割は与えられていません。ただ、自由の扉はちゃんと開けました。真の自由というのは、確定しないといけません。判決までものすごく時間がかかり、本当に申し訳ないと思っています。もうしばらくお待ちいただきたいと思います。これからも心身共にお健やかにお過ごしください。健康でいられることを心からお祈りします」
そして午後3時59分、世紀の裁判は幕を閉じた。
◆再審の課題は残り続ける
検察側は無罪判決を不服として控訴することができるが、「公益の代表者」として本件を控訴することは断じてあってはならないこと。
そして今回の事件で、再審無罪まで58年がかかったことなど、法の不備も浮き彫りとなった。
控訴期限は10月10日午後11時59分。仮に検察側が控訴しなかったとしても、再審の課題は残り続ける。
取材・文/学生傍聴人
【学生傍聴人】
2002年生まれ、都内某私立大に在籍中の現役学生。趣味は御神輿を担ぐこと。高校生の頃から裁判傍聴にハマり、傍聴歴6年、傍聴総数900件以上。有名事件から万引き事件、民事裁判など幅広く傍聴する雑食系マニア。その他、裁判記録の閲覧や行政文書の開示請求も行っている。