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名門大学から「整形靴職人」の道を選んだ31歳男性。「障害者が景色として馴染む」ドイツで腕を磨く日々

日刊SPA! 2024年10月8日 15時53分

 脳性麻痺を抱えながら、ドイツに暮らして靴作りを学ぶ男性がいる。山田英輝氏(31歳)――彼が作るのは整形靴。主に足に困難を抱える人たちが使用する医療用の靴だ。
 山田氏は東京外国語大学の修士課程を修了し、社会思想史などを修めた秀才。「将来の就職先としてマスメディアなども検討した」と話す氏が、職人の世界の門を叩いた道程に迫る。

◆「親切なサポートが受けられなかった」時期も

――山田さんと整形靴の出会いについて教えてください。

山田英輝氏(以下、山田):物心ついたときにはすでに、短下肢装具(膝から足部までを覆う装具)がついていて、特に幼少期から少年期にかけては病院で暮らす日々でした。現在は手術を経て改善されていますが、当時は、深く事情を知らない人でも私の歩き方を見れば何かしらの障害があることはわかるような、ぎこちないものだったと思います。

 私にはその時の記憶はないのですが、母によると、通っていた療育施設や病院では、あまり親切なサポートが受けられなかったようです。おそらく、医師なども障害児を診ることは珍しいことではなく、事務的な対応に感じることもあったのではないでしょうか。ただ、障害児を持つ母親としては、もう少し親身になって話を聞いてほしいと思う場面があったようです。

 特に母がはっきり覚えているのは、診察中に医師が軽い口調で「車椅子にしたらどうですか?」と発言したことです。ぎこちないながらも歩けてはいたので、母は不信感を抱いたようでした。結局、知人の紹介で、ドイツ人のマイスター(整形靴職人)が開く相談会に参加したのが整形靴との最初の出会いだったと思います。

◆「足の一部を切断した人」が使用するケースも

――ドイツには整形靴に特化した職人がいることに驚きました。

山田:その点は日本と異なりますよね。日本においては、義肢装具士の資格を持つ人が近いと思います。ただ、義肢装具士の一領域として整形靴が作られていて、公的な資格として整形靴だけを扱う職業があるわけではありません。ちなみに整形靴は、足の一部を切断した人が使用するケースもあります。切断後の足を補う形の靴を作るんです。

 また、整形靴を必要とする人は事故などの切断のほか、外反母趾や麻痺、関節症などさまざまな理由が考えられますが、なかでも糖尿病を患う人が多いのが特徴的です。糖尿病は足に傷ができればそこから感染症をおこしかねない病気であり、そうしたトラブルから守るのも、整形靴職人の役目であったりします。

◆靴選びは「病院に行く延長線」だった

――当時の整形靴は、山田さんにとってどのような存在でしたか?

山田:今振り返ると、当時の保険制度や技術をフルに活用して製作してもらったと思います。ただ、当事者の私の目からみても、問題点はありました。

 まず保険適用で製作できる整形靴は、原則1年半に1回までと決まっています。子どもの成長スピードを考えると、現実に即していないことが理解できると思います。そのため、整形靴は常にボロボロで、使い込まれた状態だったのを覚えています。また、ただでさえ限られる色とデザインの中で、1年半に1回しか新調できないとなると、必然的に色も黒や白といった無難なものしか選べませんでした。

 当時の私にとっては「靴を買う」というのは、靴選びを楽しむショッピングではなく、あくまでも病院に行く延長線だったんですね。

◆「子どものころに傷ついていた」と就活時に気づく

――特に子どものころ、脳性麻痺が原因で整形靴を履いていることで周囲からの目が気になったりはしましたか?

山田:露骨ないじめなどはなかったものの、やはり視線を感じる場面はありましたね。たとえば小学校時代、教室に入るときは上履きを履くと思いますが、私は整形靴が脱げません。教師からは理解されていますが、どうしても子どもは「なんで山田くんだけ靴で良いの?」と思いますよね。子どもは特に“異なるもの”に敏感ですから仕方ないと思うのですが、「些細なことでも自分が傷ついていたんだな」とあとになって自覚しました。

――「あとになって」というのは、具体的にどのくらいの時期でしょうか?

山田:職業を選択する時期になってですね。私は大学を卒業し、そのまま大学院入試を受けて修士課程に進みました。関心があったメディアなどへの就職を考えていましたが、どこかで自分の障害のことが杭のように抜けませんでした。それにはたぶん、これまでの人生で自分が障害者であることを突きつけられる瞬間が日常的にあったことも影響していたんだと思います。

◆「障害者と自覚した経験」が2度ある

――山田さんがご自身を障害者なんだと感じたのは、どのような瞬間でしたか?

山田:日常生活を送るうえでは、自分が障害者であることを考えなくてもすみます。ただ、自分が障害者なんだとはっきり自覚した経験が2度あります。

 1度目は、20歳前後で受けた手術のときです。その手術は、ある医師にいわせれば「整形外科の手術でもっとも痛みを伴う」ものであり、その言葉に違わずまさに地獄そのものでした。脳性麻痺の患者は脚を突っ張った状態で過ごしているため、アキレス腱が短くなってしまう傾向があるんです。したがって、アキレス腱を延長する手術を行ったんです。

 全身麻酔で8時間ほどの手術を終えたあとは、激痛に襲われて1週間近くを過ごします。痛みで暴れたら身体拘束される旨も事前に聞いていました。その間、日常はすべてベッド上です。小便はもちろん、大便もベッドでしなければならず、終わったら看護師さんを呼ぶわけです。痛みでナースコールさえ押せない日もありました。これらの苦痛は、私が行った悪行に対する罰でもなんでもなく――もちろんそれは病気やケガも同じだと思うのですが、ただひたすら理不尽なものだと感じました。自分が障害を負って生まれたことを自覚しますよね。

2度目は、2016年7月26日に起きた相模原障害者施設殺傷事件の報道に触れたときです。障害者施設である津久井やまゆり園で起きたこの痛ましい事件では、障害者に対する加害者の憎悪が大きく取り上げられていました。私は彼から「いなくなってしまえ」と言われる側の障害者です。彼の敵意は、紛れもなく私自身にも向いているように感じました。

◆せっかく靴に携わるなら「本場・ドイツに行きたい」と

――「障害者である自分」と向き合うことは、山田さんが目指す靴職人という職業にどう結びついていますか?

山田:大学院生のころ、母から冗談半分で「昔お世話になった靴屋さん、求人出ていたよ」と言われたんです。冗談半分とはいえ、母も実家近くの場所で就労するのは安心だっただろうと思います。結局は別の靴屋に就職するのですが、そのとき、今まで杭のように抜けずにいた障害に対する気持ちが、靴を仕事にすることによって、新しい意味を持つように感じたんです。

 最初に入社したドイツのコンフォートシューズを扱う会社では、百貨店の販売員のような仕事に加え、会社の運営の一部にも関わらせていただき、とても学びになりました。何しろ、私は多くの人々のように靴屋でショッピングを楽しんだこともないのですから、一般の人が靴をどうやって選ぶのかをこの目で見る機会に触れたことも良かったと思っています。ただ私は、「せっかく靴に携わるなら、整形靴の本場・ドイツへ行って、靴作りや、それをとりまく法制度について学びたい」と考えていました。そこで、あるタイミングでドイツへ渡り、靴職人の見習いになりました。

◆ドイツでは圧倒的に「街に障害者がいる」

――山田さんは脳性麻痺の当事者として整形靴を長年使用し、作り手に転身しました。ご自身が製作者となることで、どのような変化を起こせると考えていますか?

山田:もちろん一個人の力で法制度などを変えられるほど単純ではないことは私も理解しています。ただ、当事者の視点を持ちながら作り手としても仕事ができることは、整形靴を必要とする人たちの生の声を反映できる重要な役割を担えると思います。

 またそれ以上に私が期待するのは、整形靴を取り巻く状況について知らない多くの人々が、私のような人間がメディアに露出することで問題意識を持ってくれることです。

 私は「何でもかんでも海外に倣え」とはまったく思いません。ただ、ドイツに住んでいると、日本にいたころよりも、整形靴を履いた人を多く見かけます。義足も、車椅子も、歩行器も同様です。ドイツは圧倒的に「街に障害者がいる」んです。ごく普通に、何気ない景色の一部として街にいて、それを支えるものこそが「補装具へのアクセスの良さ」だと感じます。

 もちろん日本においてもバリアフリーなどの徹底によって障害者が過ごしやすくなってきているとは思いますが、日本はいまだに補装具が手に届くまでたくさんのハードルがあって、それゆえに、本来は街にいられるはずの人が、街にいない。そこには、保険の制度の問題や手続きの煩雑さ、職人不足や学ぶ場の不足など、さまざまな課題があります。

 たとえばドイツでは、日本でいう薬局のようなシステムで、処方箋さえあれば街中で気軽に整形靴を購入できます。ドイツにいるからこそ経験できる、そんな日常を、ある意味で私自身が「当事者×整形靴職人」のアイコンとなって、日本に発信していくことが、今現在の自分の役割だと感じています。情報があれば、問題意識を共有して真剣に考えてくれる人は大勢いるはずです。整形靴というものを知りもしなかった人が状況を知って、さまざまな問題を考えてくれることこそが、社会が前進する一歩になると思うんです。

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 私たちは、あまりに知らないことが多い。“教育”のおかげで障害をもって生まれた人の苦労や家族の悲しみにはなんとなく寄り添えるようになったものの、実際に設計された制度の不備に無頓着である。そればかりか、当事者が不満の声を上げるまでに存在する幾多の障壁について想像しない。

 山田氏の真髄は、徹底した当事者性にある。曖昧に生きればいくらでも目を背けられたとしても、決して自身が障害者であることを日常に溶解させない。思考する整形靴職人として、これからも先鋭的に道を切り開いていく。

<取材・文/黒島暁生>

【黒島暁生】
ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki

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