ここ数年のお笑い界は、全体としては活気づいている。ベテランから若手まで幅広い世代の芸人が続々と出てきているし、個々人がそれぞれの芸風や適性に合わせてテレビ、ラジオ、YouTube、ライブなどで活躍している。
ただ、一歩引いて世間一般の目線からお笑い界を眺めてみると、「一発屋芸人」と呼ばれるような華々しい大ブレークを果たしている芸人が、近年ほとんど出てきていないことに気付かされる。
「ゲッツ」のダンディ坂野、「そんなの関係ねえ」の小島よしおのように、特定のキャラやギャグで人気に火が付き、どの番組に出てもそれを求められる、という感じの芸人が現時点では存在しないし、ここ数年でもほとんど現れていない。
なぜ一発屋芸人は減ってしまったのだろうか。
※本記事は、ラリー遠田著『松本人志とお笑いとテレビ』(中公新書ラクレ)より、抜粋・編集したものです。
◆巨大“ネタ番組”が消失した
理由は大きく分けて3つ考えられる。1つは、そういうタイプの芸人を育てる番組が減っていることだ。一発屋芸人が大量に輩出されていたのは、2000年代後半のお笑いブームの時期である。
この頃には、プライムタイムに『エンタの神様』(日本テレビ系)や『爆笑レッドカーペット』(フジテレビ系)といったネタ番組がレギュラー放送されていて、芸人が大量に出ていた。
のちに一発屋芸人と呼ばれた芸人の多くは、これらの番組から世に出てきた。そこで何度もネタを披露することでキャラやギャグが認知されて、その実績をベースにしてほかの番組にもどんどん出ていくという流れがあった。
最近のテレビではそのような影響力の大きいネタ番組が存在していない。そのため、特定の芸人がある番組で注目されて一時期だけ話題になることはあっても、その波がほかの場所まで広がりにくい。
いわば、『エンタの神様』や『爆笑レッドカーペット』は、芸人が大空へ飛び立つ前の滑走路のような役割を果たしていた。昔は滑走路に十分な長さがあったからこそ、彼らはその後で高く飛ぶことができた。
現在は滑走路が存在しないか、あってもごく短いものに限られているため、「一発屋芸人」とのちに呼ばれるほどの大きい「一発」を放つこと自体が難しくなっている。
また、ネタ番組に限らず、無名の芸人が起用されるような番組が極端に少なくなっていることも原因だ。
◆賞レースと『おもしろ荘』だけが無名芸人のテレビ出演チャンス
最近の若手芸人の大半は、漫才師であれば『M-1グランプリ』を、コント芸人であれば『キングオブコント』を第一の目標にする。なぜなら、彼らが世に出るためのチャンスがそのような賞レース番組しかないからだ。
賞レースで優勝したり、決勝に行って活躍したりすることができれば、そこからほかの番組に呼ばれる機会も増える。
しかし、何も実績を残していない芸人は、どんなに面白くてもテレビに出るきっかけそのものをつかむことができない。だから、若手芸人は問答無用で賞レースに挑むしかない状況に陥っている。
今の時代に賞レース以外で若手芸人が世に出られる唯一の機会と言えるのが、毎年1月1日に放送される『ぐるナイ』の特番『おもしろ荘』(日本テレビ系)である。
ここでは毎年、新しい若手芸人が数組出演して、ナインティナインらの前でネタを披露する。最近でも、やす子やぱーてぃーちゃんがこの番組をきっかけにブレークを果たしている。
この番組は正月特番ということもあって注目度は高いし、何組かの売れっ子を輩出している。しかし、これは原則として年に一度の特番であり、出られるのもわずか組前後という狭き門である。
無名の芸人が世に出るチャンスがいくつかの賞レース番組と『おもしろ荘』しかないというのは、厳しい状況であるのは間違いない。
◆ネタで演じる“キャラ”の仮面をすぐに剥がされる
2つ目の理由は、芸人がすぐにキャラをはぎ取られてしまう風潮があるということだ。『エンタの神様』や『爆笑レッドカーペット』はネタ番組なので、そこに出る芸人はネタを見せるだけであり、トークをすることはない。
どんな性格か、どんなことを考えている人なのか、といった素顔の部分を見せる必要はなかった。そのため、彼らは1つのキャラクターを貫いて、内面を見られない状態で世に出ることができた。
しかし、最近のバラエティ番組はトークが主体であるため、駆け出しの芸人がすぐにその素顔を暴かれてしまう。『ゴッドタン』(テレビ東京系)に最初に出たときのEXITがその典型だ。
髪を染めてギャル男のようなチャラさを売りにしていた彼らは、初めて出たバラエティ番組でいきなり「実は真面目」という素顔を暴かれてしまった。
それは、番組の性質上、避けられないことではあったのだが、そういう扱いをされると、芸人が1つのわかりやすいキャラクターを用意して、それを広めることができなくなってしまう。
つまり、「一発」が大きく打ち上がる前に別の角度ですぐに分析・解体されてしまうため、純粋な一発屋芸人が育ちにくくなっているのだ。
EXITの2人はキャラクターの裏にある本人たちの素顔に近い部分でも人を惹きつける魅力を持っていたため、その後も生き延びることができた。
ただ、これはまれなケースである。現在の環境では、キャラクターが独り歩きして爆発的に売れるようなパターンが生まれにくくなっている。
◆若者の“テレビ離れ”と、テレビの“子供離れ”
3つ目の理由として、子供や若者のテレビ離れというのも考えられる。娯楽が少なかった時代には、多くの子供や若者が流行の発信源であるバラエティ番組を欠かさずチェックしていた。
だが、今はそのような風潮がなくなりつつある。テレビを見ないでYouTubeばかり見ている若い世代は珍しくない。
一発屋芸人が世の中に広がるためには、子供や中高生がその人のことを話題に出したり、真似したりするというのが不可欠だ。
今でもそういうことがないわけではないのだが、子供が見られる時間帯に放送されるネタ番組がほとんどないため、そこから芸人が出てくることがない。
ある程度まで売れる芸人はいても、それが大ブレークにまでつながらないのは、広げるための媒介となる子供や若者がテレビを見なくなっているというのが大きいのではないか。
◆“一発屋”はテレビが生み出した幻影か
YouTubeやTikTokなどのウェブ系の動画メディアでは、見る人の嗜好に合った動画が自動的に表示されるようになっているし、気に入った動画があれば、その関連動画や同じクリエイターの動画を100本でも200本でも一気に見られる。
好きな動画を繰り返し見ることも簡単にできる。若者を中心に、人々の興味や関心がネットに移っている今の状況では、テレビから大きなムーブメントを起こすことが難しくなっている。
一発屋芸人が出てこないことは、必ずしもお笑い界にとって悪いことではない。そもそも「一発屋芸人」とは一種の蔑称であり、そのように名指しされて良い気分がする人はいない。
芸人が内面を掘り下げられる前に飽きられてテレビから消えてしまうというのは、本人にとっては不本意なことだろう。
ただ、一発屋芸人というのは、お笑い業界が盛り上がっていることを示す象徴的な存在だ。そういう人が出てきていないというのは、大衆文化としてのお笑いが危機に瀕しているということでもある。
一発屋芸人はテレビの衰退とともに滅びていく運命にあるのかもしれない。
<文/ラリー遠田>
【ラリー遠田】
お笑いやテレビに関する評論、執筆、イベント企画などを手掛ける。『教養としての平成お笑い史』など著書多数。近著は『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』
ただ、一歩引いて世間一般の目線からお笑い界を眺めてみると、「一発屋芸人」と呼ばれるような華々しい大ブレークを果たしている芸人が、近年ほとんど出てきていないことに気付かされる。
「ゲッツ」のダンディ坂野、「そんなの関係ねえ」の小島よしおのように、特定のキャラやギャグで人気に火が付き、どの番組に出てもそれを求められる、という感じの芸人が現時点では存在しないし、ここ数年でもほとんど現れていない。
なぜ一発屋芸人は減ってしまったのだろうか。
※本記事は、ラリー遠田著『松本人志とお笑いとテレビ』(中公新書ラクレ)より、抜粋・編集したものです。
◆巨大“ネタ番組”が消失した
理由は大きく分けて3つ考えられる。1つは、そういうタイプの芸人を育てる番組が減っていることだ。一発屋芸人が大量に輩出されていたのは、2000年代後半のお笑いブームの時期である。
この頃には、プライムタイムに『エンタの神様』(日本テレビ系)や『爆笑レッドカーペット』(フジテレビ系)といったネタ番組がレギュラー放送されていて、芸人が大量に出ていた。
のちに一発屋芸人と呼ばれた芸人の多くは、これらの番組から世に出てきた。そこで何度もネタを披露することでキャラやギャグが認知されて、その実績をベースにしてほかの番組にもどんどん出ていくという流れがあった。
最近のテレビではそのような影響力の大きいネタ番組が存在していない。そのため、特定の芸人がある番組で注目されて一時期だけ話題になることはあっても、その波がほかの場所まで広がりにくい。
いわば、『エンタの神様』や『爆笑レッドカーペット』は、芸人が大空へ飛び立つ前の滑走路のような役割を果たしていた。昔は滑走路に十分な長さがあったからこそ、彼らはその後で高く飛ぶことができた。
現在は滑走路が存在しないか、あってもごく短いものに限られているため、「一発屋芸人」とのちに呼ばれるほどの大きい「一発」を放つこと自体が難しくなっている。
また、ネタ番組に限らず、無名の芸人が起用されるような番組が極端に少なくなっていることも原因だ。
◆賞レースと『おもしろ荘』だけが無名芸人のテレビ出演チャンス
最近の若手芸人の大半は、漫才師であれば『M-1グランプリ』を、コント芸人であれば『キングオブコント』を第一の目標にする。なぜなら、彼らが世に出るためのチャンスがそのような賞レース番組しかないからだ。
賞レースで優勝したり、決勝に行って活躍したりすることができれば、そこからほかの番組に呼ばれる機会も増える。
しかし、何も実績を残していない芸人は、どんなに面白くてもテレビに出るきっかけそのものをつかむことができない。だから、若手芸人は問答無用で賞レースに挑むしかない状況に陥っている。
今の時代に賞レース以外で若手芸人が世に出られる唯一の機会と言えるのが、毎年1月1日に放送される『ぐるナイ』の特番『おもしろ荘』(日本テレビ系)である。
ここでは毎年、新しい若手芸人が数組出演して、ナインティナインらの前でネタを披露する。最近でも、やす子やぱーてぃーちゃんがこの番組をきっかけにブレークを果たしている。
この番組は正月特番ということもあって注目度は高いし、何組かの売れっ子を輩出している。しかし、これは原則として年に一度の特番であり、出られるのもわずか組前後という狭き門である。
無名の芸人が世に出るチャンスがいくつかの賞レース番組と『おもしろ荘』しかないというのは、厳しい状況であるのは間違いない。
◆ネタで演じる“キャラ”の仮面をすぐに剥がされる
2つ目の理由は、芸人がすぐにキャラをはぎ取られてしまう風潮があるということだ。『エンタの神様』や『爆笑レッドカーペット』はネタ番組なので、そこに出る芸人はネタを見せるだけであり、トークをすることはない。
どんな性格か、どんなことを考えている人なのか、といった素顔の部分を見せる必要はなかった。そのため、彼らは1つのキャラクターを貫いて、内面を見られない状態で世に出ることができた。
しかし、最近のバラエティ番組はトークが主体であるため、駆け出しの芸人がすぐにその素顔を暴かれてしまう。『ゴッドタン』(テレビ東京系)に最初に出たときのEXITがその典型だ。
髪を染めてギャル男のようなチャラさを売りにしていた彼らは、初めて出たバラエティ番組でいきなり「実は真面目」という素顔を暴かれてしまった。
それは、番組の性質上、避けられないことではあったのだが、そういう扱いをされると、芸人が1つのわかりやすいキャラクターを用意して、それを広めることができなくなってしまう。
つまり、「一発」が大きく打ち上がる前に別の角度ですぐに分析・解体されてしまうため、純粋な一発屋芸人が育ちにくくなっているのだ。
EXITの2人はキャラクターの裏にある本人たちの素顔に近い部分でも人を惹きつける魅力を持っていたため、その後も生き延びることができた。
ただ、これはまれなケースである。現在の環境では、キャラクターが独り歩きして爆発的に売れるようなパターンが生まれにくくなっている。
◆若者の“テレビ離れ”と、テレビの“子供離れ”
3つ目の理由として、子供や若者のテレビ離れというのも考えられる。娯楽が少なかった時代には、多くの子供や若者が流行の発信源であるバラエティ番組を欠かさずチェックしていた。
だが、今はそのような風潮がなくなりつつある。テレビを見ないでYouTubeばかり見ている若い世代は珍しくない。
一発屋芸人が世の中に広がるためには、子供や中高生がその人のことを話題に出したり、真似したりするというのが不可欠だ。
今でもそういうことがないわけではないのだが、子供が見られる時間帯に放送されるネタ番組がほとんどないため、そこから芸人が出てくることがない。
ある程度まで売れる芸人はいても、それが大ブレークにまでつながらないのは、広げるための媒介となる子供や若者がテレビを見なくなっているというのが大きいのではないか。
◆“一発屋”はテレビが生み出した幻影か
YouTubeやTikTokなどのウェブ系の動画メディアでは、見る人の嗜好に合った動画が自動的に表示されるようになっているし、気に入った動画があれば、その関連動画や同じクリエイターの動画を100本でも200本でも一気に見られる。
好きな動画を繰り返し見ることも簡単にできる。若者を中心に、人々の興味や関心がネットに移っている今の状況では、テレビから大きなムーブメントを起こすことが難しくなっている。
一発屋芸人が出てこないことは、必ずしもお笑い界にとって悪いことではない。そもそも「一発屋芸人」とは一種の蔑称であり、そのように名指しされて良い気分がする人はいない。
芸人が内面を掘り下げられる前に飽きられてテレビから消えてしまうというのは、本人にとっては不本意なことだろう。
ただ、一発屋芸人というのは、お笑い業界が盛り上がっていることを示す象徴的な存在だ。そういう人が出てきていないというのは、大衆文化としてのお笑いが危機に瀕しているということでもある。
一発屋芸人はテレビの衰退とともに滅びていく運命にあるのかもしれない。
<文/ラリー遠田>
【ラリー遠田】
お笑いやテレビに関する評論、執筆、イベント企画などを手掛ける。『教養としての平成お笑い史』など著書多数。近著は『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』