友達と交流を深めていくうちに「厄介だな」と感じ、疎遠になることもある。宮田愛子さん(仮名・20代)は、幼馴染と絶縁した経験を持っている。二人の間にいったい何があったのか。
◆地味な自分に対して、主人公的な要素を備えたA子
宮田さんは幼稚園時代にAさんと一緒にクラスになり、友達になったそう。当初は仲良く遊んでいたが、徐々に自分を下に見るようになったという。
「A子とは家が近所で、よく遊んでいました。私は人見知りで友達が少なく地味な顔。一方、A子は顔が可愛く活発で、クラスのアイドル的存在でした。学年が進むにつれて『友達が少ない』とか、『なにもしゃべらない』などと眼の前で言ってくるなど、下に見てくる発言が増えました。距離を取ろうかとも思いましたが、周りが『A子と親友』ということで一目を置いてくれることや、なにかと遊びに誘ってくるので、やむを得ず応じていました」
◆高校に進学してもマウンティングは続く
中学に入ると、A子さんによる宮田さんへの軽視はエスカレートした。
「A子は勉強もできて、慶應義塾高校に進学。私も一緒に勉強をしたのですが、A子のレベルに達することができず、レベルが下の高校しか受かりませんでした。そのとき『あれだけ勉強をして、なぜ落ちるのかわからない』『バカなんじゃないの』と散々言われて。屈辱的でしたが、A子に言われると圧倒されて、なにも言い返せなくなってしまうんです」
高校が別になり、疎遠になったかと思いきやA子さんから定期的に連絡があり、会っていたそう。
「高校は別になったのですが、なぜか定期的に会おうと連絡が来るんです。この頃になると、会うたびに彼氏とのノロケ話を聞かされて。そのたびに、『あなたにはわからいだろうけど』『モテない女子はいいわよね』『モテる女子はつらい』などと、マウントを取られました。それでも私は友達が少なかったので、人と話せることが嬉しくて、会っていました」
◆社会人になってからは「年収マウント」と「子どもマウント」
その後、A子さんは慶應義塾大に進学。高卒で就職した宮田さんへの不要不急の連絡はまだ継続していた。
「私が仕事を持ってからは会う回数も減ったのですが、相変わらず彼氏とどうのこうのとどうでもいい話をLINEで聞かされました。A子が一流商社に就職すると、『私は◯◯万円もらってる、あなたは?』と年収マウントが始まりました。そのうち自分にも彼氏ができて、『ちょっと話を聞いてもらいたいな』と『私は今、出張で全国を飛び回っているの。事務のあなたとは違うの』と言われて。それでも時間を取って私の話を聞いてくれたりもしていたので、関係は続けていました」
マウントは次の段階に突入する。
「しばらくして、A子は会社経営者と結婚。私は、職場の同僚と結婚しました。運悪く結婚と妊娠のタイミングが一緒で、『うちの子どもは天才かもしれない』『中学受験で慶應に入った』などと『子どもマウント』が続きました。今まで我慢できていたのですが、子どものことを言われることが悔しくて、メンタルがおかしくなってしまって。事情を説明すると夫から『会わないように。連絡もなるべくとらないように』と言われて、疎遠になりました」
◆夫の経営する会社が倒産、離婚…
マウントを取られ続けていた宮田さんに、思わぬ変化が訪れた。A子さんの夫が経営する会社が倒産したのだ。
「ある日、共通の友人から『A子の旦那が経営する会社、倒産したらしいよ』と連絡を受けました。実際調べてみると本当だったようで、半分『ざまあみろ』と思いながら、『大丈夫?』と連絡すると、『あなたに心配してもらわなくても大丈夫』『私は能力があるので、離婚して自分で稼ぐわ』と強がっていました」
それから数か月後、A子さんからある日突然電話がかかってきます。なにやら「話を聞いてほしい」とのことで……。
「久しぶりに会って話をすると『100万円貸してほしい』と。『え、自分で稼ぐって言ったじゃない?』と言うと、『私には能力があるので100万円はすぐ稼げる。だけど、今はちょっと苦しい。貸してくれるよね?』と。私が『それが人に頼む態度?ちゃんと頭を下げて』と告げると、A子はしばらく考えたあと、『やっぱり、いい』と吐き捨て、その場を去っていきました」
その後A子さんはどうなったのだろうか?
「複数の友人から聞いた話ですが、大学を出てA子が一流商社で働いていたというのはウソだったんです。勉強はできても社会に馴染むことができず、すぐに旦那と結婚したんだそう。離婚も会社が倒産する前にとっくに別れていたそうで。その後の行き先を知っている人は、誰もいません」
日本には「親しき中にも礼儀あり」ということわざがある。幼馴染といえども、相手を尊重する心は持っておきたいものだ。
<TEXT/佐藤俊治>
【佐藤俊治】
複数媒体で執筆中のサラリーマンライター。ファミレスでも美味しい鰻を出すライターを目指している。得意分野は社会、スポーツ、将棋など
◆地味な自分に対して、主人公的な要素を備えたA子
宮田さんは幼稚園時代にAさんと一緒にクラスになり、友達になったそう。当初は仲良く遊んでいたが、徐々に自分を下に見るようになったという。
「A子とは家が近所で、よく遊んでいました。私は人見知りで友達が少なく地味な顔。一方、A子は顔が可愛く活発で、クラスのアイドル的存在でした。学年が進むにつれて『友達が少ない』とか、『なにもしゃべらない』などと眼の前で言ってくるなど、下に見てくる発言が増えました。距離を取ろうかとも思いましたが、周りが『A子と親友』ということで一目を置いてくれることや、なにかと遊びに誘ってくるので、やむを得ず応じていました」
◆高校に進学してもマウンティングは続く
中学に入ると、A子さんによる宮田さんへの軽視はエスカレートした。
「A子は勉強もできて、慶應義塾高校に進学。私も一緒に勉強をしたのですが、A子のレベルに達することができず、レベルが下の高校しか受かりませんでした。そのとき『あれだけ勉強をして、なぜ落ちるのかわからない』『バカなんじゃないの』と散々言われて。屈辱的でしたが、A子に言われると圧倒されて、なにも言い返せなくなってしまうんです」
高校が別になり、疎遠になったかと思いきやA子さんから定期的に連絡があり、会っていたそう。
「高校は別になったのですが、なぜか定期的に会おうと連絡が来るんです。この頃になると、会うたびに彼氏とのノロケ話を聞かされて。そのたびに、『あなたにはわからいだろうけど』『モテない女子はいいわよね』『モテる女子はつらい』などと、マウントを取られました。それでも私は友達が少なかったので、人と話せることが嬉しくて、会っていました」
◆社会人になってからは「年収マウント」と「子どもマウント」
その後、A子さんは慶應義塾大に進学。高卒で就職した宮田さんへの不要不急の連絡はまだ継続していた。
「私が仕事を持ってからは会う回数も減ったのですが、相変わらず彼氏とどうのこうのとどうでもいい話をLINEで聞かされました。A子が一流商社に就職すると、『私は◯◯万円もらってる、あなたは?』と年収マウントが始まりました。そのうち自分にも彼氏ができて、『ちょっと話を聞いてもらいたいな』と『私は今、出張で全国を飛び回っているの。事務のあなたとは違うの』と言われて。それでも時間を取って私の話を聞いてくれたりもしていたので、関係は続けていました」
マウントは次の段階に突入する。
「しばらくして、A子は会社経営者と結婚。私は、職場の同僚と結婚しました。運悪く結婚と妊娠のタイミングが一緒で、『うちの子どもは天才かもしれない』『中学受験で慶應に入った』などと『子どもマウント』が続きました。今まで我慢できていたのですが、子どものことを言われることが悔しくて、メンタルがおかしくなってしまって。事情を説明すると夫から『会わないように。連絡もなるべくとらないように』と言われて、疎遠になりました」
◆夫の経営する会社が倒産、離婚…
マウントを取られ続けていた宮田さんに、思わぬ変化が訪れた。A子さんの夫が経営する会社が倒産したのだ。
「ある日、共通の友人から『A子の旦那が経営する会社、倒産したらしいよ』と連絡を受けました。実際調べてみると本当だったようで、半分『ざまあみろ』と思いながら、『大丈夫?』と連絡すると、『あなたに心配してもらわなくても大丈夫』『私は能力があるので、離婚して自分で稼ぐわ』と強がっていました」
それから数か月後、A子さんからある日突然電話がかかってきます。なにやら「話を聞いてほしい」とのことで……。
「久しぶりに会って話をすると『100万円貸してほしい』と。『え、自分で稼ぐって言ったじゃない?』と言うと、『私には能力があるので100万円はすぐ稼げる。だけど、今はちょっと苦しい。貸してくれるよね?』と。私が『それが人に頼む態度?ちゃんと頭を下げて』と告げると、A子はしばらく考えたあと、『やっぱり、いい』と吐き捨て、その場を去っていきました」
その後A子さんはどうなったのだろうか?
「複数の友人から聞いた話ですが、大学を出てA子が一流商社で働いていたというのはウソだったんです。勉強はできても社会に馴染むことができず、すぐに旦那と結婚したんだそう。離婚も会社が倒産する前にとっくに別れていたそうで。その後の行き先を知っている人は、誰もいません」
日本には「親しき中にも礼儀あり」ということわざがある。幼馴染といえども、相手を尊重する心は持っておきたいものだ。
<TEXT/佐藤俊治>
【佐藤俊治】
複数媒体で執筆中のサラリーマンライター。ファミレスでも美味しい鰻を出すライターを目指している。得意分野は社会、スポーツ、将棋など