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人命救助で話題の“医師兼アイドル”を直撃。ファンから「お医者さん姿も尊い」というコメントも

日刊SPA! 2024年10月10日 15時54分

 2024年9月6日、白金高輪のライブスタジオ「SELENE b2」がまばゆい閃光に包まれた。この日行われたのは、4人組アイドルグループ「NEOアラモード」の「MEGA ALA ナイトフェスティバル」。各々のイメージカラーに身を包んだ彼女たちがステージに立つと、それは4輪の花にもみえた。
 同グループは、元宝塚歌劇団・千幸あき氏がオーディションによって選りすぐったメンバーで結成された。アイドルの可憐さにくわえ、ダンスのキレや演出の細やかさにも見応えを感じさせる本格派。わずか結成4ヶ月とは思えないその実力は、ファンの心を掴んで離さない。

 グリーンの衣装を纏ってパワフルに踊る姿が印象的な北村舞香さんは、医師としても働く。東京駅で人命救助を行っている動画が拡散され話題を呼んだため、ニュースで知った人も多いだろう。医師でアイドル。異色の二刀流を実現させた北村さんに話を聞いた。

◆「人命救助した日」はレッスン終わりだった

――人命救助の動画が拡散されたことで、多くの人が「自分があの場にいたらどうしていたかな?」と考えたことと思います。メディアでコメントを求められた北村さんが、「たとえあの場で救命行為ができなくても、状況を観察してくれる人がいることには意味がある」という趣旨のことをおっしゃっていたのが印象的でした。

北村舞香(以下、北村):あのときは、ちょうどNEOアラモードのレッスンが終わって帰宅するところでした。道の真ん中に倒れている人がいるのが見えたのですが、周囲の様子から「何かしないと」という雰囲気は伝わるものの、医療従事者がいる印象を受けませんでした。すぐに医師であることを伝えて、救命活動に移りました。

 おっしゃる通りで、たとえその場で救命行為ができなくても、それぞれの人たちが現場を見てくれることは重要な意味があります。患者さんの様子がどうであったかを教えてくださることは、その後の治療選択にも生かされる場合があるからです。

◆医療の世界とアイドルの世界、共通しているのは…

――飛躍するかもしれませんが、「目立つ動きをしていない人にも一定の役割がある」というのは、社会においても同じかもしれませんね。

北村:はい、私もそのように考えています。医師の仕事について言えば、日頃患者さんと接してさまざまなケアをしてくれる看護師さんたち、薬剤についての知識が豊富な薬剤師さんたち、庶務を一手に引き受けてくれる医療事務の方々など、さまざまな医療スタッフの方々がいなければ医師の腕がどれほどよくても医療は成立しません。

 私たちがアイドルとして舞台に立たせていただいているのも、プロデューサーや日々支えてくださっている運営の皆様はもちろん、ライブ当日の音響・照明・機材などを担当する方や誘導する係の皆さんがいてこそですよね。ありがたいことに、私は自分がやりたかった仕事を2つともさせていただいています。そうしたことに対する感謝を常に感じられる人間でありたいとは思っています。

◆目標とする女性は「ナイチンゲール」

――北村さんが医師を志したきっかけは、何だったのでしょうか?

北村:小学校4年生のときに、ナイチンゲールの伝記を読んで衝撃を受けたことが直接のきっかけです。いまだに、目標とする女性はナイチンゲールなんです(笑)。小学校6年生までは、看護師を志していました。医師を意識したのは、中学受験をして私立中学に入学してからだと思います。私はいろいろな状況を整理して考えるのが好きなので、もしかすると診断・治療方針を立てることに役に立つのではないかと考えたんです。

――かなりの優等生だったとお見受けします!

北村:とんでもない! 本当にそんなことないんです。確かに進学した中高一貫校はそれなりのレベルの学校でしたが、受験勉強もなかなか身が入らなくて……。周囲から「本当に受験するの?」と心配されていました(笑)。自分のなかではっきり目標が決まってからは、集中して勉強できたのですが。それは中高時代も同様で、医学部なんて狙えるような位置にはいませんでした。高校は科目ごとに学力別でクラス分けされていたのですが、英語はほとんど一番下でした(笑)。本気で医師になろうと腹を決めてから、気合で勉強した感じです。

◆アイドルを目指したきっかけは…

――いつくらいからアイドルになりたいと考えていたんですか?

北村:生の舞台から感動や元気を届けたり、そのかけがえのない時間や空間を共有することに対する憧れは昔からありました。思い出すのは、小学生のときに経験した“全校表現”という催しです。運動会のときに全校生徒でダンスをするという、勝負事ではない唯一の楽しい種目でした。運動会までの期間、そのダンスを先輩たちがたくさん教えてくれるのですが、当時小学校1年生だった私がひときわ憧れたのは、ある6年生の先輩でした。朝礼台の上で踊るその先輩はとてもキラキラしていて、そこはもう舞台のように見えて私にとってのスターでした。結局、先輩に話し掛けて住所を教えてもらい、中高生になるくらいまで年賀状のやり取りを続けていました(笑)。

 その後、自分が小6になったときに演劇部を立ち上げました。中高時代は部活動でミュージカルに打ち込むなど、舞台という場所に魅了されっぱなしの人生です。NEOアラモードのオーディションを受けたのも、観客として感動をもらった宝塚歌劇団の元団員である千幸さんにプロデュースしていただけるという理由が大きいです。同じことが2度は起きないライブの迫力に、毎回感動するんです。

◆「両親を納得させられる自分になろう」と誓った

――医師とアイドル、どちらも極めて難しい職業ですが、二兎とも追うと決めたときの周囲の反応はどうでしたか?

北村:中高時代、迷っていた時期がありました。両親には「医療の道は諦めて、芸能だけを目指そうかな」と相談したことがあります。強く反対されました。私は自分が情けなくて悔しくて、仕方ありませんでした。一番身近で私を見て応援してくれた両親に、「この子なら頑張れる」と思わせることができなかったんです。

 それから、学業も舞台も精進することによって、両親を納得させられる自分になろうと誓いました。嬉しいことに、現在では毎月ライブに足を運んでくれています。また、友人には「アイドルになりたい」と率直に打ち明けていました。やりたいことには何でも挑戦してしまう私の性格をよく知っているので、「どうせ実現させるまで頑張るんでしょ」と呆れ半分で、でも応援してくれています。友人もよくライブに来てくれるので、とても嬉しいですね。

◆「お医者さん姿も尊い」とコメントされることも

――ライブを拝見して、ファンの方たちからの愛され方に驚嘆しました(笑)。

北村:私は本当に恵まれていると思います。よく「残業配信」と言って、スクラブ(医療用白衣)姿でだらだらライブ配信をすることがあるのですが、「お医者さん姿も尊い」というコメントをくれる方がたくさんいて(笑)。アイドルの私だけではなく、医師として働く私のことも肯定して応援してくれる人がこれだけいてくれるのは、心強いし前向きになれますよね。ライブにおいても、ファンの方たちが声援を送って会場を盛り上げてくれるから、歌いやすいし踊りやすいです。私が私でいられる場所をいつも作ってくれる皆さんに心から感謝しています。

――最後に、将来の展望をお聞かせください。

北村:医師としてもアイドルとしても、高いレベルに達することができるように努力を続けられたらと思っています。NEOアラモードのメンバーたちはみんなそれぞれが活動をしてきた背景があって、同じ目標に向かっていける大切な仲間です。そして何より、私がずっと大切に思ってきた医師とアイドルのどちらの姿も認めてくれるファンの皆さんのおかげで、こうした活動ができています。見てくれる人の元気を引き出せるパフォーマンスがこれからもできるよう、邁進したいです。

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 利発さと謙虚さに美貌を兼ね備える北村さんは、まさに歌って踊れる才媛。だがその魅力すら、彼女の一端に過ぎない。「自分に向き合ってくれたすべての人をひとり残らず元気にする」――本気でそう願うからこそ、過密スケジュールを縫ってアイドル活動に全力を傾注する。

 その根源にあるのはおそらく、感謝だろう。自分を支え、成り立たせてくれている万物への感謝があるから、北村さんは舞台からファンに向かって声をかけ続ける。表面的な華やかさだけではない、もっと愚直で人間臭い彼女の内面にファンが共鳴するからこそ、心ふるわせる旋律となって会場を疾走していく。

<取材・文/黒島暁生>

【黒島暁生】
ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki

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