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「人生を踏み外した者たちが得体の知れない怪物と化す」重大犯罪事件の“現場”ルポ/『殺め家』書評

日刊SPA! 2024年10月22日 15時48分

 世の中には読んだほうがいい本がたくさんある。もちろん読まなくていい本だってたくさんある。でもその数の多さに選びきれず、もしくは目に留めず、心の糧を取りこぼしてしまうのはあまりにもったいない。そこで当欄では、書店で働く現場の人々が今おすすめの新刊を毎週紹介する。本を読まなくても死にはしない。でも本を読んで生きるのは悪くない。ここが人と本との出会いの場になりますように。
 昭和・平成・令和の時代に、“平和の国ニッポン”で起きた数々の殺人事件を、「事件現場」ではなく「犯人の住んでいた場所」に焦点を絞ってまとめた1冊が『殺め家』(鉄人社)だ。

 著者の八木澤高明は写真週刊誌カメラマンを経て、事件現場を巡って20年以上取材を続けるノンフィクション作家。八木澤は冒頭でこう綴る。
「家には、その人物が重ねてきた人生、育ってきた環境、経済力、出自というものがくっきりと反映される。そうした意味で(家は)人間の持つもう一つの顔であるとも言える」

 欲望と鬱憤と狂気が充満する本書に登場する42の“殺め家(アヤメヤ)”。「山口連続殺人放火事件」「女子高生コンクリート詰め殺人事件」「本庄保険金殺人事件」「秋田児童連続殺人事件」「和歌山毒物カレー事件」「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」「埼玉愛犬家連続殺人事件」「神戸連続児童殺傷事件」「付属池田小児童殺傷事件」――主だった事件を列記しただけでも日本の重大犯罪事件のオンパレードだ。

 なかでも「付属池田小児童殺傷事件」の犯人・宅間守に関する記述は僅か2ページにもかかわらず、強烈なインパクトを残す。
「事件の速報をテレビで見てな、ピンと来たんや、やっぱアイツだと思ったよ、間違いなかった」
 宅間守の生家に近い場所で商店を営む女性は、犯人と同じ中学に通っていた息子からそう電話を受けた。
「母ちゃん、アイツを知ってる奴なら誰も驚かんな、やってもおかしくはないわ」
 差別と侮蔑のフィルターを通して語られる宅間守の事件前の姿。エリートへのコンプレックスから医師や実業家を名乗って女性を騙し、挙句、池田小学校事件の凶行へと繫がる怪物を形成した場所は“川向こう”と呼ばれる地域だった。

 この本に収録された事件は氷山の一角に過ぎず、収録されなかった事件にもまたコールタールのようにドロドロとした怨念が渦巻いている。犯人が事件を起こしたきっかけとして「出自」や「貧困」や「差別」もたしかにあっただろう。しかしそれを乗り越えるのが人間であり、踏み外した者たちが得体の知れない怪物と化すのだ。

 “人の噂も七十五日”というように、口伝えで語られる噂話は75日もすれば忘れ去られるものであった。ましてや令和のSNS時代では加速度を増して噂は消費されてゆく。しかし殺人者が住んでいたという事実はその場所に深く刻まれ、建物や環境が風化しようとも、人々の記憶は朽ちることなくそこに残り続ける。

 私が住んでいた町にもこの本に収録されてもおかしくない事件があった。1974年(昭和49年)、神奈川県平塚市で起きた「ピアノ騒音殺人事件」である。音に対して極端に過敏だった男が、「団地の下の階から聞こえるピアノの音がうるさい」と母娘3人を刺殺した事件。近隣住民による騒音(生活音)が殺人を引き起こしたという身近な恐怖は、私がとてもここには書けない青春時代を過ごしていた時でさえも、この団地の前を通る時にはいつもアクセルを落としてしまうぐらいにいつまでも染み付いて消えなかった。本書を読みながら、ピアノ騒音殺人事件の犯人について、彼がどんな家に住んでいたのか気になって仕方がなかった。

 八木澤が事件取材を続ける理由について「もちろん生活の糧を得るためでもあるし、この本でも取り上げている、吉田有希ちゃん事件(栃木小1女児殺害事件)など、冤罪であると個人的に信じる事件が存在することにあったりする。さらには、事件を起こした犯人が生まれ育った背景というものに興味を覚えるのだ。犯人の背景を探るうえで、犯人の家に足を運ばないことには、取材は成立しない」と結ぶ。ニュース報道だけでは知り得なかった地道な後追い取材が、事件を風化させず、新たな犯罪抑止にも繫がると信じて、この1冊をお勧めする。

評者/柳下博幸
1967年、秋田県生まれ。吉見書店長田店スーパーバイザー兼、某アイスチェーン店長。よく読む本は文芸書からアンダーグラウンドまでジャンルレス。趣味はゴルフ・ラーメン・絵恋ちゃん。

―[書店員の書評]―

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