人生のつらい時にこそ、本当の味方が誰かわかるという。つらい局面で親や友人、同僚などに救われたという話はよく耳にするのではないだろうか。今回はあえてその逆、つらい時に裏切られた体験を紹介してみたい。
この話を語ってくれたのは、木崎和仁さん(仮名・38歳)。以前勤めていた不動産会社での話だという。
◆仲の良い同僚と一緒に退社を決意
「20代のころに、数字こそが全てというゴリゴリ系の会社に勤めていました。その時にパワハラで有名だった課長の下についたことがあったんです。その課長は取れない人間を徹底的に追い詰めるマネジメントをしていて、詰めるのは当たり前、結果が出ていないと参加必須の飲み会で自腹な上に割り増しで支払わされたり、朝会でハゲヅラを被らされた上で非難されている人もいたくらいで……」
恐怖政治に耐えられなくなった社員がどんどん辞めていくような環境で、木崎さんも退職を考えるようになった。
「仲の良い2年上の先輩と同期と3人で飲みに行っては、よく課長に対する愚痴をこぼしていたんですが、3人ともしんどくなって、みんなで辞めようという話になりました。その流れで可愛がっていた後輩や、仲の良い同期がメンタルを壊して辞めていったことを話していると、先輩が『どうせ辞めるなら、最後に戦おう』と言い出したんです。驚きましたが、相当に鬱憤を溜め込んでいたこともあって、やってみようという話になりました」
◆パワハラの証拠を集めて役員に提出するも…
それから定期的に会っては、どうやって戦うか作戦を練った。そこで目をつけたのが、総務担当の役員だった。
「総務が社内報のメールでたびたびパワハラ防止を訴えていたので、その担当役員に改善を要求しようという話になったんです。それから課長のパワハラ発言を録音したり、辞めていった元同期の証言を集めて報告したんです。しばらくして、役員から『よく報告してくれた』との言葉と調査を約束する内容のメールが返ってきました」
期待しながら結果を待つことにした木崎さんたちだったが……。
「いくら待っても結果についての連絡がありませんでした。役員からは『今後は人事部の社員を担当につけるので連絡はそちらにしてほしい』と言われていました。それで、担当に連絡を入れていたのですが、何度問い合わせても『調査中』と言われるだけでした」
◆なぜか先輩と同期の動きが鈍くなる
痺れを切らした木崎さんたちは次の手を打つことにした。
「同期と話して、労働基準監督署にパワハラを相談しようという話になったんです。でも、先輩に相談したところ、『会社の判断を待つ』と言って譲りませんでした。役員に報告してから2カ月以上経っていたので、自分たちはこれ以上は待てないと思っていたので、先輩と対立することになりました」
それからは同期と2人で相談しながら進めることになった。
「同期と労働基準監督署に相談に行く日程を話し合おうとしたところ、急に同期が『先輩の言ったとおり待った方が良い。その結果次第で役所に行こう』と言い出したんです。友人も頑なに意見を変えないので、自分ひとりで進めようかとお思いましたが、録音のデータを持っていたのは先輩と同期でした。自分1人の証言では弱いと考え、仕方ないので自分も待つことにしました」
◆裏切られたことを知り、絶望し退職を余儀なくされる
鬱々とした日々を送る中、驚くべき話を聞くことになった。
「人事異動の辞令が出て、先輩と同期が人事部と総務部に異動になったんです。しかも先輩は主任として役職もつく形での異動でした。辞令が出た途端、ふたりは『中から会社を良くしていくから待っていてくれ』と言い出して……。詳しく聞いてみたところ、今すぐにパワハラ課長と戦うつもりはないとのことでした。どうも証拠を持っていたふたりは、会社にポジションを与えられて栄転。まんまと丸め込まれたようでした」
木崎さんのショックは大きかった。
「『会社と戦う』と息巻いていた先輩や同期が手のひらを返す様子には呆れるしかありませんでした。こちらで動こうと思いデータを要求したところ、最初は渡すと言っていたのが『紛失した』と言い出す始末で……。ふたりとのやりとりにも消耗させられ、プレッシャーがきつい仕事をしながらだったこともあり、ストレスで不眠症になってしまいました。身体的にもメンタル的にも限界だったので、次は決まっていませんでしたが退職することにしたんです」
◆「さっさと転職すれば良かった」と後悔
それからもつらい状況が続いた。
「貯金もない中で退職したので、すぐにお金の問題に直面することになりました。当たり前の話ですが、収入がないので生活費に困るようになったんです。自己都合での退職の場合、当時は3カ月間は雇用保険も降りなくて、その中で転職活動をするのはかなり大変でした」
人生の転機となる大事な時期だが、時間をかけている余裕はなかった。
「焦りながらの転職活動だったので、内定が出たところで早々に入社を決めてしまいました。結局そこもブラック気質なところがある会社で長くは続かず、安定して働ける環境に身を置くまでに、結局2年以上かかってしまいました。あんな裏切りに遭うのなら『会社と戦う』と言い出した先輩の言葉に付き合わずに、さっさと転職すれば良かったです。今も思い出しては本当に腹が立ちます」
退職してから5年ほど経つが、先輩たちは今も会社に残っているという。
<TEXT/和泉太郎>
【和泉太郎】
込み入った話や怖い体験談を収集しているサラリーマンライター。趣味はドキュメンタリー番組を観ることと仏像フィギュア集め
この話を語ってくれたのは、木崎和仁さん(仮名・38歳)。以前勤めていた不動産会社での話だという。
◆仲の良い同僚と一緒に退社を決意
「20代のころに、数字こそが全てというゴリゴリ系の会社に勤めていました。その時にパワハラで有名だった課長の下についたことがあったんです。その課長は取れない人間を徹底的に追い詰めるマネジメントをしていて、詰めるのは当たり前、結果が出ていないと参加必須の飲み会で自腹な上に割り増しで支払わされたり、朝会でハゲヅラを被らされた上で非難されている人もいたくらいで……」
恐怖政治に耐えられなくなった社員がどんどん辞めていくような環境で、木崎さんも退職を考えるようになった。
「仲の良い2年上の先輩と同期と3人で飲みに行っては、よく課長に対する愚痴をこぼしていたんですが、3人ともしんどくなって、みんなで辞めようという話になりました。その流れで可愛がっていた後輩や、仲の良い同期がメンタルを壊して辞めていったことを話していると、先輩が『どうせ辞めるなら、最後に戦おう』と言い出したんです。驚きましたが、相当に鬱憤を溜め込んでいたこともあって、やってみようという話になりました」
◆パワハラの証拠を集めて役員に提出するも…
それから定期的に会っては、どうやって戦うか作戦を練った。そこで目をつけたのが、総務担当の役員だった。
「総務が社内報のメールでたびたびパワハラ防止を訴えていたので、その担当役員に改善を要求しようという話になったんです。それから課長のパワハラ発言を録音したり、辞めていった元同期の証言を集めて報告したんです。しばらくして、役員から『よく報告してくれた』との言葉と調査を約束する内容のメールが返ってきました」
期待しながら結果を待つことにした木崎さんたちだったが……。
「いくら待っても結果についての連絡がありませんでした。役員からは『今後は人事部の社員を担当につけるので連絡はそちらにしてほしい』と言われていました。それで、担当に連絡を入れていたのですが、何度問い合わせても『調査中』と言われるだけでした」
◆なぜか先輩と同期の動きが鈍くなる
痺れを切らした木崎さんたちは次の手を打つことにした。
「同期と話して、労働基準監督署にパワハラを相談しようという話になったんです。でも、先輩に相談したところ、『会社の判断を待つ』と言って譲りませんでした。役員に報告してから2カ月以上経っていたので、自分たちはこれ以上は待てないと思っていたので、先輩と対立することになりました」
それからは同期と2人で相談しながら進めることになった。
「同期と労働基準監督署に相談に行く日程を話し合おうとしたところ、急に同期が『先輩の言ったとおり待った方が良い。その結果次第で役所に行こう』と言い出したんです。友人も頑なに意見を変えないので、自分ひとりで進めようかとお思いましたが、録音のデータを持っていたのは先輩と同期でした。自分1人の証言では弱いと考え、仕方ないので自分も待つことにしました」
◆裏切られたことを知り、絶望し退職を余儀なくされる
鬱々とした日々を送る中、驚くべき話を聞くことになった。
「人事異動の辞令が出て、先輩と同期が人事部と総務部に異動になったんです。しかも先輩は主任として役職もつく形での異動でした。辞令が出た途端、ふたりは『中から会社を良くしていくから待っていてくれ』と言い出して……。詳しく聞いてみたところ、今すぐにパワハラ課長と戦うつもりはないとのことでした。どうも証拠を持っていたふたりは、会社にポジションを与えられて栄転。まんまと丸め込まれたようでした」
木崎さんのショックは大きかった。
「『会社と戦う』と息巻いていた先輩や同期が手のひらを返す様子には呆れるしかありませんでした。こちらで動こうと思いデータを要求したところ、最初は渡すと言っていたのが『紛失した』と言い出す始末で……。ふたりとのやりとりにも消耗させられ、プレッシャーがきつい仕事をしながらだったこともあり、ストレスで不眠症になってしまいました。身体的にもメンタル的にも限界だったので、次は決まっていませんでしたが退職することにしたんです」
◆「さっさと転職すれば良かった」と後悔
それからもつらい状況が続いた。
「貯金もない中で退職したので、すぐにお金の問題に直面することになりました。当たり前の話ですが、収入がないので生活費に困るようになったんです。自己都合での退職の場合、当時は3カ月間は雇用保険も降りなくて、その中で転職活動をするのはかなり大変でした」
人生の転機となる大事な時期だが、時間をかけている余裕はなかった。
「焦りながらの転職活動だったので、内定が出たところで早々に入社を決めてしまいました。結局そこもブラック気質なところがある会社で長くは続かず、安定して働ける環境に身を置くまでに、結局2年以上かかってしまいました。あんな裏切りに遭うのなら『会社と戦う』と言い出した先輩の言葉に付き合わずに、さっさと転職すれば良かったです。今も思い出しては本当に腹が立ちます」
退職してから5年ほど経つが、先輩たちは今も会社に残っているという。
<TEXT/和泉太郎>
【和泉太郎】
込み入った話や怖い体験談を収集しているサラリーマンライター。趣味はドキュメンタリー番組を観ることと仏像フィギュア集め