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「舌がん」ステージ4から50代で転職活動。5年生存率“約16%”でも開き直れたワケ

日刊SPA! 2024年10月25日 8時54分

ラップユニット「脱線3」のメンバーとしてメジャーデビュー。その後は音楽活動のほか、外資系ブランドのプロモーションやイベント制作など、多岐に渡る仕事を手がけてきたM.C. BOOさん。
しかし、2019年に突如としてステージ4の「舌がん」を宣告され、入院を余儀なくされた。人生の岐路に立たされたM.C. BOOさんにとって、闘病生活の支えになったのは「ヒップホップ魂」だったという。
今回は社会復帰から50代を迎えて再就職に向けて動いた際の苦労や葛藤、新しい挑戦について話を聞いた。(記事は全2回の2回目)

◆「今までの人生が幸せだと思えたからこそ」生存率約16%でも吹っ切れた

「ステージ4の舌がんはどのくらいで治るのか?」

そう医師に聞いたところ、返ってきたのは「自分で調べてください」という答えだった。そこからは舌がんの情報を探し求めて、ひたすらネットで調べたという。

「がんを言い渡された人であれば、誰でもそうだと思うんですけど、日本だけでなく海外の文献も調べたりしていました。Webの記事が出ていなければ、PDFの論文もGoogle翻訳をかけ、色々と情報集めをしたんです。

そこで感じたのは、身になる情報もあれば、詐欺まがいや怪しい宗教団体の情報もある。藁をもすがる思いの人たちにとって、あらためてWebの記事がすごく重要だと思ったんです」

情報をたどるなかでわかったのは、「ステージ4の舌がんは生存率が約16%」ということだった。手術に差し支えがあるため、大好きなお酒もしばらく飲めない。

それでも、「今を大事に生きて、治療に専念しよう」と吹っ切れた。

「日本人は2人に1人の割合でがんになり、がんのステージ4の5年生存率は約16%と言われています。一方で、僕が人間として生まれてくる確率や、アメリカの超人気グループ(ビースティ・ボーイズ)と仲良くなって全米デビューする確率、吉本興業やソニーに所属して音楽活動できる確率で言えば、僕は16%よりも少ない確率の中で生きてきたわけです。

だから、もしも死んでしまったら仕方がないと。それよりも、今まで人生が幸せだったことは間違いないわけだから、その思いを噛みしめて、前を向くしかないと開き直ったんです」

◆ラップをやってきたのに喋れなくなるかも…「医者の言葉を信用するしかなかった」

がん宣告の直後はベッドが空いておらず、結局M.C. BOOさんが入院したのはそれから1ヶ月後のことだった。

それまでの間は実家に帰省して、家族に事情を説明していたという。

「家族はものすごく心配してくれましたが、妻だけは全く弱音を吐かなかったんです。『昨日も検索ばかりして、泣きながら寝られなかったよ』と伝えると、『そらそうだよね。別に気にしなくていいんじゃないの』とポジティブに返答してくれて。

僕がいる前では、決してネガティブなことを言わなかった妻と、仕事終わりに面会に来てくれた弟には、闘病中もすごく支えられたなと思っています」

M.C. BOOさんが入院したのは、がん宣告から1ヶ月後のことだった。ここから、闘病生活が始まる。

がんの再発を防ぐために舌の3分の1を摘出して、左手の血管と皮を移植したほか、リンパ節にできた2つのしこりを切り、太ももから皮膚を取ってきて移植を施す手術を受けた。

術後は2週間くらいは喋れずに筆談生活を送っていたM.C. BOOさん。

「ラップをやってきた身として、話せなくなるのはとても悲しかった」

そう思っていたそうだが、「絶対に治るし、喋れるようになる」という医者の言葉を信用するしかなかったそうだ。

「堀ちえみさんも退院されたときは、カタコトだけど喋れていたんで、そのくらいは自分も喋れるようになるだろうと思っていました。ただ、舌のがんを摘出してもしこりの中に癌があれば、抗がん剤治療が始まるので、正直に言って“運任せ”の部分もありました」

◆退院に向けて欠かさなかった「散歩」と「病棟でのDJ」

その後は退院に向けて、喋る練習として絵本の『北風と太陽』を毎日読むことと、食べ物を飲み込む練習を繰り返したという。加えて、体力を落とさないために心がけていたのが「病棟内の散歩」だった。

「ベッドでずっと寝てると、気分も上がらないんですよ。本やiPadなども持っていったのですが、全然見たいとは思いませんでした。また、痛み止めと一緒に睡眠薬も処方されたんですが、僕には全然合わなくて悪い夢ばかり見るんです。

だからこそ、ご飯を食べて、薬を飲んで、ヘッドホンで音楽を聴きながら歩くのを日課にしていました。精神的に不安定で泣きながら歩いて、歩き疲れたら、倒れ込むようにベッドに入って眠る。医者からも『BOOさんのように歩く人なんていないですよ』と驚いてましたが、できるだけ体を動かすのを意識していましたね」

ちなみに散歩中は、ハードコアからヒップホップ、ボサノバなど、色々なジャンルの音楽を聴いていたとか。さらに入院中は、病棟で流れるBGMのDJを担当していたというエピソードも。

「病棟には、夜な夜な遺書を書く老人や、ステージ4のがん治療をしながら会社で働くサラリーマンなど、さまざまな境遇の患者さんが集まっていました。本当に皆さん頑張っていて、自分に何ができるかなと考えたときに、病棟の入口にあるナースステーションに小さなCDラジカセがあったんですよ。

そこで、僕が病棟が良い空気になる音楽を選曲、なんとなく励みになったらいいなと思って、時間帯や曜日に合わせて、クラシックやアニメのオルゴールメドレーのCDの中からDJしていました」

◆50代で人生初の“ハローワーク通い”も。再就職に向けた新たな挑戦

術後も歩くことを続けたことで、体力が落ちず早期に食べ物を飲み込むことが出来たので、通常は1〜2ヶ月の入院期間を要するところを、25日ほどで退院できたとM.C. BOOさんは話す。

そして、運命の退院の日に主治医の先生が、ベッドにいる僕と妻のところに来て、「結果的にはしこりはあったものの、癌は転移していませんでした」と、笑顔で教えてくれた。

退院後はアマナに戻って、引き続きラルフ ローレンなどのアパレルブランドのクリエイティブや、ソニーピクチャーズの映画タイアップなどの仕事に従事していた。

こうしたなか、2024年で退院から5年が経ち、寛解を迎えるにあたって「新しいことにチャレンジするのは今しかない」と思い始めるようになる。

「次の就職先のあてもないまま、2024年1月末付けでアマナを退職しました。フリーでも仕事を続けていましたが、正社員として働ける場所を探すために、多くの転職サイトにも登録しましたし、人生で初めてハローワークにも通いましたね。

でも、なかなか就職先に恵まれなくて、『自分は社会に必要とされていない』とネガティブな思考回路になる場面もありました」

現在、M.C. BOOさんが働くヘラルボニーには、IPキャラクターのリブランディングの仕事をご一緒した方がへラルボニーに入社され、声をかけていただいたのがきっかけになる。ちょうどアマナ退職の日。本当にタイミングをあわせたように。

さらに、ABEMAのヒップホップ番組にヘラルボニーの創業者である双子の松田兄弟(松田崇弥さんと松田文登さん)が出ていたりと、ふたりがヒップホップ好きなことがわかったこともあり、親近感を抱くようになった。

「ヘラルボニーの社員たちの入社エントリが載っているnoteを読んでみると、末期がんを宣言されてから、奇跡的に命をつなぎ止め、車椅子で働いている女性がいて、僕と同じ“がんサバイバー”がいる会社というだけで、すごく感銘を受けたんです。それに、『社会を前進させる』『異彩を放て』という熱いメッセージにも感激して2024年7月にヘラルボニーへ入社することに決まりました」

◆いま自分の置かれている状況に感謝すること

社会復帰に向けてがんを乗り越え、新たなキャリアの道を切り拓く。

壮絶な経験から学んだ気づきや発見についてM.C. BOOさんに伺うと、「生きるか死ぬか。究極的には2つに1つしかなく、がんの生存率にとらわれなくていい」と言う。

「入院中は『1歩でも前向きになれることをしたい』と思いながら、毎日過ごしていました。いくらお金をかけてがん治療に専念しても亡くなる場合もあれば、奇跡的な生存例もあるわけで、結局は『いま、この瞬間に何を考え、どう行動するのか』ということが大事だと思うんですよ。

たとえ元気にしていても、いつ何が起こるかわからないですし、何かに屈服するために生きているわけではありません。僕たちは、人生を謳歌するために生きていて、その幸せと喜びの尊さを今回の闘病生活であらためて実感しましたね」

また、先行きが見えにくい今の時代に40代〜50代から転職活動を行う際に留意すべき点については「キャリアの棚卸しを行い、培ってきたスキルや人脈を大切にすること」だとM.C. BOOさんはアドバイスを送る。

「変な話、明日会社へ向かう途中で事件が起きて大変な事になる可能性もあるわけで、『今置かれている状況は恵まれている』ことを理解しておくのが重要ですね。

あとは、タイミングが大事な要素です。僕もヘラルボニーに入社する縁をいただいたのは退職した日で、そのまま進んでいきました。人生に偶然はないと思っています。その必然を呼び込むタイミング、シンクロニシティについて考えるのもいいのではないでしょうか」

M.C. BOOさんはがんを経験してから、マインドが大きく変化したという。ヒップホップを使って自分を表現してきたが、現在では自分主体に考えるのではなく、世の中や地域を巻き込んで社会貢献していく気持ちが強くなったそうだ。

自分の持っているクリエイティビティやネットワークを駆使し、「ポジティブ・インパクト」をもたらしていく——。M.C. BOOさんのさらなる活躍を期待したい。

<取材・文/古田島大介、撮影/藤井厚年>

【古田島大介】
1986年生まれ。立教大卒。ビジネス、旅行、イベント、カルチャーなど興味関心の湧く分野を中心に執筆活動を行う。社会のA面B面、メジャーからアンダーまで足を運び、現場で知ることを大切にしている

―[M.C. BOO]―

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