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寝かしつけをやめて、おもちゃは買わない。ミニマリストが生み出した「やめる育児」の”驚きの効果”

日刊SPA! 2024年11月4日 8時54分

 はじめましての方もはじめましてじゃない方もこんにちは。ミニマリストの阪口ゆうこ(@sakaguchiyuko___)です。
 子どもを産んで育てるのは、想像していたよりも面倒臭いことや腹立たしいことがはるかに多かった。嬉しいことのほうが少なく「寝顔が可愛い」「できることが増えて成長が見られた」のような一握りのことだと当時は感じていた。

 しかし、毎日イライラしながら育児をする自分に嫌気がさして、ミニマリストらしくイライラの「種」になる部分からやめました。これ以降に書くことは賛否両論の「賛」よりも「否」のほうが多いと思いますが、これを読んで「そんなんでええんか」と、少しでも心を軽くしてもらえたら嬉しい。恐縮ですが、今回は育児でやめて好転したことを書きます。

◆寝かしつけをやめた

 寝かしつけに苦労している方は多い。具体的に言えば、幼児期から小学生あたりの子を持つ方が苦労しているのではないだろうか。私は寝かしつけに困った記憶がない。というのも、寝かしつけの経験自体が極めて少ないからだ。

 子どもが乳児の頃に知り合った方に「上の子が寝ないから下の子なんて放ったらかしよ〜。知らない間に寝てるわ」という、何気ない話を聞いたのが、事の始まりだったように思う。

 15分おきに夜泣きをする乳児の息子にギリギリの精神力で立ち向かっていた私たち夫婦は、寝かしつけそのものをやめることにした。その頃の夫と私はどちらも23歳。横になればいつでも寝られる若さだった。

 その若さで眠れないという状況は深刻で、いつか子どもにストレスをぶつけてしまい三面記事にでも載るのではないだろうかと危惧していた。一刻も早く睡眠で悩むのをやめたかったのである。

◆寝かしつけの何が大変なのか

 実際子どもの寝かしつけは大変で、絵本を数冊読んでもすぐに寝ることはない。元気が有り余ってる日にはそのまま「大人の午後2時くらいのテンション」でしゃべり始める。最悪の状況に陥ると、立ち上がってウロウロし始める。

 これが「覚醒」であり「寝かしつけ失敗」である。ようやくウトウトし始めてもそこからが長い。胸に抱き寄せて「寝ん寝ん寝〜ん」と、子どもの背中をトントンして、就寝祈願ビートを延々と刻む。そして、高確率で母が先に寝落ち、草木も眠るド深夜に起きる……という話をよく聞く。

 私たちは夫婦の寝室の隣の部屋にベビーベッドを置いて、どちらの部屋もドアを全開にして寝る生活を始めた。夜の授乳が済み次第ベッドに移動させ、部屋を真っ暗にして部屋を出るという流れを毎日ゆるくでもルーティン化した。

◆ルーティン化した結果は

 ふにゃふにゃと弱く泣いてもすぐに泣き止む事が多かったので基本的に抱っこはしない。長く泣く時は声の激しさで分かるので、ベッドの横まで様子を見に行く。でも、ちゃんと覚醒するまで抱っこはしない。泣いてもそのうち寝ることも多かったので、根気強くこれを繰り返した。そうすると、1歳までに朝まで寝るようになった。

 その乳児期のルーティンの副産物で、子どもは大きくなっても華麗なる入眠スタイルは身についたままだった。絵本を読んだ後に部屋の電気を消して部屋を出るとそのまま寝た。毎日当たり前のようにこなす流れだったので、子どもたちも「寝るときはこんなもんだ」と疑問を持たなかったのが良かったのかもしれない。

「3歳までは一緒に寝ないと愛情が足りない子どもに育つ」当時はこんな3歳神話なるものがあったのだが、今現在大きく育った息子と娘に関しては、愛情の足りない子どもに育ったとは到底思えない。むしろ、別々に寝る決断をしてからは足りなかった睡眠時間を取り戻し、子どもに優しく接することができたように感じている。

 子どもが大きくなってからわかったことなのだが、このルーティンは「ジーナ式」という睡眠コントロール方法に極めて似ている。軍隊のように事細かに1日のスケジュールを組んで、就寝までも「習慣化」してしまうというのがジーナ式なのだが、私のように夜だけゆるくルーティン化しただけでも効果は見られた。

 完璧を求めすぎても疲弊するだけなので、継続ができるレベルのゆるいルーティンが良かったのだと思う。

◆朝起こすのをやめた

 夜の寝かしつけはしなかったが、我が子を朝に起こす仕事は必要だった。小学生になると、目覚まし時計が部屋中に鳴り響いていても起きられないことが増えて、筆者は怒鳴りながら部屋に突撃するタイプの寝起きドッキリを毎日するようになった。

 当たり前なのだが、そのシーンは朝なのだ。本来なら、丁寧にハンドドリップで淹れたコーヒーを朝日が当たる窓辺ですすり、手帳を開いて一日のスケジュールを丁寧に確認しているはずなのに。

 それが、「あんた何時だと思ってんの! ずっと目覚まし鳴ってんで! 起きなさい!」と、アラームを止めるというより、アラームを叩き、寝ている子どもをまたぎながらカーテンを開けて強制的に朝日を取り込み、尻に愛の往復ビンタをお見舞いしていた。それでも起きない日もあった。控えめに言って理想とのギャップがえぐかった。

 毎朝異常に上昇する血圧に命の危険を感じていた当時、「社会人になって家を出ても、家族に起こしてもらっている」と、嬉しそうに語る知人の話を聞いた。私はそれを聞いてスッパリと家族を起こすのをやめた。親側として聞いて「そんなことやってられない」と思ったのだ。

◆「起こさない宣言」をしてどうなった?

 そして早速「起こさない宣言」をして、その日から本当に一度も起こしていない。子どもが学校や約束に遅刻する日もあったが「自分が起きないからだよね」の一言で終了。冷たいようだが、自分の行動が招いた結果なのである。人は危機感を感じなければ変わろうとしない。

 彼らは遅刻をして集団登校に置いて行かれたり、先生に叱られて恥ずかしい思いをしたり、朝ごはんを食べる時間がなかったり、さまざまな嫌な思いをした。嫌な思いをした日は必ず、どんな嫌な思いをしたのかを思い出させた上でどうしたら良かったのか、寝坊を繰り返さないためにはどんな工夫ができるかを話し合った。

 結果、我が子は自力で起きる工夫を始めた。それと同時に筆者は、朝日を浴びながらコーヒーをすする日々を手に入れた。あの時の知人には感謝しかない。しかし……もしかしてまだ起こしてもらっているのだろうか。

 寝坊をすると「親の責任だ」という方もいるだろう。しかし、これが私の責任だ。将来自分の力で起きられる人にするため、早いタイミングで考え方を改めてよかったと思う。

◆おもちゃを買うのをやめた

 おもちゃを買うのをやめても問題はなかった。というのも、私たち親が買わなくても、周りの友だちや親戚から「お下がり」がもらえたからだ。

 子どものおもちゃには「旬」がある。対象年齢というものがあり、「7か月〜12か月」や「1歳」のようにパッケージに目安が書いてあるのだ。特に守らなくてもいいと頭では思うのだが、明記してあるのだから対象年齢をフォーカスしてしまう。

 そして、その対象年齢を過ぎると新しいおもちゃに自然と目がいくようになり、古いおもちゃは用無しになる。しかし壊れているわけでもないし、もったいないからと「誰かもらって〜」という流れになる。私は喜んで「もらうで〜」のポジションにいた。私は買いたくない。相手は誰かにもらって欲しい。利害関係はピッタリだった。

 そして、遠方にある実家の両親も年に数回会うたびにおもちゃを買わせて欲しいと言ってくれるので、筆者はますますおもちゃを買わなくなった。「社宅が狭いから」という理由で、おもちゃもリクエストしたものを買ってもらえた。こちらも、私は買いたくない。親は買ってあげたい。利害関係はピッタリだった。

 このようなもらえるタイプの家族は、少なくないのではないだろうか。しかも、この状況に加えて親である筆者も子どもたちにおもちゃを買い与えていたら、我が家はおもちゃだらけになっていたに違いない。筆者が子どもたちにおもちゃを買うタイミングはクリスマスだけだった。

◆買わなかった分でコツコツ貯金を

 貰い物ばかりで惨めだと感じられる方もいると思うが、本当に何とも思っていない。ラッキーでしかなかった上に、合わないものは気軽に処分できて、おもちゃの片付けに悩むことはなかった。子どもが管理できる数しか持たなかったので、自分たちで片付けをしてくれた。

 そして何より、おもちゃを買わなかった分コツコツと子どものために貯金ができたのも事実だ。

 このように、多くの方がやっていることでもやめて好転したことはまだまだたくさんある。「みんながやっているから」という理由で惰性で続けるよりも、「自分の場合は」と考えて思い切ってやめてみた方が、いい方向に転んだ例だ。

 しかしあくまで筆者の場合だということを忘れないでほしい。育児は子どもの数だけ考え方もやり方もあると思っている。

<TEXT/阪口ゆうこ>

【阪口ゆうこ】
1981年生まれ。整えアドバイザー。片付けや整えについてのブログ「HOME by REFRESHERS」を運営。コラムなどの執筆、セミナー開催を行う。著書に『ゆるミニマルのススメ』などがある。好きなものはビール、宴会、発信すること。嫌いなものは戦争、口内炎、マラソン。Instagram:@sakaguchiyuko___

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