―[シリーズ・駅]―
日本有数の石炭の街として栄え、1960年のピーク時には10万7972人が住んでいた夕張市。
これは当時の北海道の自治体で7番目に多かったが、エネルギー政策の転換で市内に24か所あった炭鉱は次々と閉山して一気に衰退。その後、06年に財政破綻が報じられたことは覚えている人も多いはずだ。
◆交通手段が少なくなった夕張市
そんな夕張市には、新夕張駅から総延長16.1㎞のJR石勝線の夕張支線が走っていたが、19年春に全区間が廃止。当時、夕張市長だった鈴木直道北海道知事が自ら廃止を申し入れ、当時は「攻めの廃線」として話題にもなった。
そんな夕張には鉄道廃止後も道内最大のバス会社・中央バスが札幌との都市間バス『高速ゆうばり号』(片道2070円)を運行していたが、こちらも今年9月末で廃止。
現在、札幌からバスで行く場合は、『高速くりやま号』(片道1310円)で栗山駅まで向かい、ここから夕張市が運営するデマンド交通(片道600円)に乗り換える必要がある。
だが、利用するには夕張市の地域振興課に利用者登録票をまず提出し、そのうえで前日までに電話予約する必要がある。受付時間は9~16時に限定され、夕張市内―市外の利用はOKだが夕張市内のみの利用は不可とのこと。
つまり、あくまで市民向けのサービスなので旅行で使うには不向きだ。そのため、旅行だと実質的にはJR+路線バスの一択しかない。
◆新夕張駅から石炭博物館までバスで廃線巡り
今回、筆者は10月に廃線巡りをするため、都市間バス廃止でアクセスが不便となった夕張へ。札幌からは帯広行きの『特急とかち』(特急券+乗車券で片道3570円)に乗車。玄関口の新夕張駅までは通常なら1時間弱と移動時間は短いが、交通費は1500円も高い。
ちなみにこの日は未明からの大雨と先行列車がエゾジカと接触した影響により約13分遅れで到着。新夕張駅から旧夕張支線に沿って運行する路線バスにはなんとか間に合ったが、乗り遅れたら次のバスは1時間後だったので危うく予定が狂うところだった。
バスでは運転手からお得な『1日乗り放題パス』(1200円)を購入し、最初に向かったのは終点の夕張市石炭博物館。
沿道には廃墟化された集合住宅が至るところに残っている。その一方で比較的新しい集合住宅も見かけるが、これに反して戸建て住宅が少ない。そのため、よくある山村とはちょっと違う異質な光景が広がっている。
そんなことをぼんやり考えていると、終点に到着。ここはかつて『石炭の歴史村』と呼ばれたテーマパークだったが、夕張市が財政破綻した06年に閉鎖。ジェットコースターや観覧車などのアトラクションは撤去され、多くの施設が閉鎖。今も営業を続けるのは石炭博物館(※今年は11月4日で営業終了)のみだ。
博物館では炭鉱に関する常設コーナーに加え、『夕張鉄道創立100周年』と題した特別企画展が開催。夕張鉄道とは、JR函館本線の野幌駅(北海道江別市)と夕張本町駅の53.2㎞を結んでいた私鉄。
廃止される1974年まで国鉄と並んで札幌方面に向かう主要ルートとなっており、半世紀前のほうがアクセスしやすかったとはなんとも皮肉な話だ。
◆廃墟が目立つ夕張の町
石炭博物館を見学した後は、夕張駅まで約3.5㎞の道のりをウォーキング。途中には『ゆうばり国際ファンタスティック映画祭』でお馴染みの映画の街らしく『夕張本町キネマ通り』と名付けられた通りもある。ここには昔の映画館には必ずあった手書き風絵看板が点在し、ただの街歩きも楽しい。
それらを眺めながらしばらく進むと夕張市役所に到着。隣には15年度末で閉鎖された夕張市民会館があるが、ここは夕張鉄道の夕張本町と一体化されていた施設。
商業施設にもなっている駅は全国各地にあるが、市民ホールと一体型の駅というのは大変珍しい。ここ新駅舎が誕生したのは1963年のことで、今でも通用しそうな先進的な駅だったようだ。
その後も歩き続けると、三角形の大きな建物が印象的なリゾートホテル『ホテルマウントレースイ』がある。
夕張のランドマーク的な存在だったが、20年12月に運営会社が破産申し立てを行い突然閉鎖。その後、別会社の運営によってスキー場は21-22シーズンから営業が再開されたが、ホテルは現在も休業したままとなっている。
夕張駅はこのマウントレースイの隣にあり、現在はカフェが営業中。時計台のある三角屋根の洋館風の建物との雰囲気がマッチし、観光客に人気のスポットのようだ。
ほかにも駅の横には屋台村があり、ここで筆者が昼食に頼んだのは夕張名物のカレーそば。今回初めて食べたが、うどんだけでなくそばもカレーとの相性が抜群。雨で冷えた身体を温めることができた。
◆線路は踏切を除くと大半の区間で残っている
食後は路線バスで行ったり来たりしながら、鹿ノ谷駅や清水沢駅、南清水沢駅、沼ノ沢駅の沿線4駅を訪問。駅舎が今もあるのは鹿ノ谷駅と南清水沢駅だけだったが、線路は踏切を除くと大半の区間で残っている。実際、筆者以外にも車でこれらのスポットを見て回っている人たちが何組もいた。
また、沿線には高倉健主演、監督山田洋次の名作映画のラストシーンの舞台となった『幸せの黄色いハンカチ想い出ひろば』(1977年公開 ※今年は11月4日で営業終了)もある。廃線巡り同様、ここも来たかったので夕張で行きたかった場所をひと通り訪れることができた。
この日は夕張市内に唯一あるビジネスホテルに泊まり、翌日は昼から札幌で用事があったため、午前中のうちに新夕張駅から戻ることに。
ところが、ここでハプニングが発生! みどりの窓口が日曜休業で、駅にあった券売機もネット予約サービスの『えきねっと』で購入していた乗車券・特急券が発券できないタイプだったのだ。
北海道はまだデジタル特急券・乗車券には対応しておらず、紙のきっぷを発券しなければならない。事前に確認しなかった筆者のミスだが、泣く泣くキャンセルして改めてきっぷを購入するハメに。
結果、きっぷ払い戻し手数料の340円を余計に負担することになってしまった。便利なはずのネットでのきっぷ購入にこんな落とし穴があるとは……。
この件を抜きにしても夕張市内は路線バスの本数が少ないため、不便であることは否めない。特にこだわりがなければ、やはり夕張は車で訪れたほうがいいかもしれない。
<TEXT/高島昌俊>
【高島昌俊】
フリーライター。鉄道や飛行機をはじめ、旅モノ全般に広く精通。3度の世界一周経験を持ち、これまで訪問した国は50か国以上。現在は東京と北海道で二拠点生活を送る。
―[シリーズ・駅]―
日本有数の石炭の街として栄え、1960年のピーク時には10万7972人が住んでいた夕張市。
これは当時の北海道の自治体で7番目に多かったが、エネルギー政策の転換で市内に24か所あった炭鉱は次々と閉山して一気に衰退。その後、06年に財政破綻が報じられたことは覚えている人も多いはずだ。
◆交通手段が少なくなった夕張市
そんな夕張市には、新夕張駅から総延長16.1㎞のJR石勝線の夕張支線が走っていたが、19年春に全区間が廃止。当時、夕張市長だった鈴木直道北海道知事が自ら廃止を申し入れ、当時は「攻めの廃線」として話題にもなった。
そんな夕張には鉄道廃止後も道内最大のバス会社・中央バスが札幌との都市間バス『高速ゆうばり号』(片道2070円)を運行していたが、こちらも今年9月末で廃止。
現在、札幌からバスで行く場合は、『高速くりやま号』(片道1310円)で栗山駅まで向かい、ここから夕張市が運営するデマンド交通(片道600円)に乗り換える必要がある。
だが、利用するには夕張市の地域振興課に利用者登録票をまず提出し、そのうえで前日までに電話予約する必要がある。受付時間は9~16時に限定され、夕張市内―市外の利用はOKだが夕張市内のみの利用は不可とのこと。
つまり、あくまで市民向けのサービスなので旅行で使うには不向きだ。そのため、旅行だと実質的にはJR+路線バスの一択しかない。
◆新夕張駅から石炭博物館までバスで廃線巡り
今回、筆者は10月に廃線巡りをするため、都市間バス廃止でアクセスが不便となった夕張へ。札幌からは帯広行きの『特急とかち』(特急券+乗車券で片道3570円)に乗車。玄関口の新夕張駅までは通常なら1時間弱と移動時間は短いが、交通費は1500円も高い。
ちなみにこの日は未明からの大雨と先行列車がエゾジカと接触した影響により約13分遅れで到着。新夕張駅から旧夕張支線に沿って運行する路線バスにはなんとか間に合ったが、乗り遅れたら次のバスは1時間後だったので危うく予定が狂うところだった。
バスでは運転手からお得な『1日乗り放題パス』(1200円)を購入し、最初に向かったのは終点の夕張市石炭博物館。
沿道には廃墟化された集合住宅が至るところに残っている。その一方で比較的新しい集合住宅も見かけるが、これに反して戸建て住宅が少ない。そのため、よくある山村とはちょっと違う異質な光景が広がっている。
そんなことをぼんやり考えていると、終点に到着。ここはかつて『石炭の歴史村』と呼ばれたテーマパークだったが、夕張市が財政破綻した06年に閉鎖。ジェットコースターや観覧車などのアトラクションは撤去され、多くの施設が閉鎖。今も営業を続けるのは石炭博物館(※今年は11月4日で営業終了)のみだ。
博物館では炭鉱に関する常設コーナーに加え、『夕張鉄道創立100周年』と題した特別企画展が開催。夕張鉄道とは、JR函館本線の野幌駅(北海道江別市)と夕張本町駅の53.2㎞を結んでいた私鉄。
廃止される1974年まで国鉄と並んで札幌方面に向かう主要ルートとなっており、半世紀前のほうがアクセスしやすかったとはなんとも皮肉な話だ。
◆廃墟が目立つ夕張の町
石炭博物館を見学した後は、夕張駅まで約3.5㎞の道のりをウォーキング。途中には『ゆうばり国際ファンタスティック映画祭』でお馴染みの映画の街らしく『夕張本町キネマ通り』と名付けられた通りもある。ここには昔の映画館には必ずあった手書き風絵看板が点在し、ただの街歩きも楽しい。
それらを眺めながらしばらく進むと夕張市役所に到着。隣には15年度末で閉鎖された夕張市民会館があるが、ここは夕張鉄道の夕張本町と一体化されていた施設。
商業施設にもなっている駅は全国各地にあるが、市民ホールと一体型の駅というのは大変珍しい。ここ新駅舎が誕生したのは1963年のことで、今でも通用しそうな先進的な駅だったようだ。
その後も歩き続けると、三角形の大きな建物が印象的なリゾートホテル『ホテルマウントレースイ』がある。
夕張のランドマーク的な存在だったが、20年12月に運営会社が破産申し立てを行い突然閉鎖。その後、別会社の運営によってスキー場は21-22シーズンから営業が再開されたが、ホテルは現在も休業したままとなっている。
夕張駅はこのマウントレースイの隣にあり、現在はカフェが営業中。時計台のある三角屋根の洋館風の建物との雰囲気がマッチし、観光客に人気のスポットのようだ。
ほかにも駅の横には屋台村があり、ここで筆者が昼食に頼んだのは夕張名物のカレーそば。今回初めて食べたが、うどんだけでなくそばもカレーとの相性が抜群。雨で冷えた身体を温めることができた。
◆線路は踏切を除くと大半の区間で残っている
食後は路線バスで行ったり来たりしながら、鹿ノ谷駅や清水沢駅、南清水沢駅、沼ノ沢駅の沿線4駅を訪問。駅舎が今もあるのは鹿ノ谷駅と南清水沢駅だけだったが、線路は踏切を除くと大半の区間で残っている。実際、筆者以外にも車でこれらのスポットを見て回っている人たちが何組もいた。
また、沿線には高倉健主演、監督山田洋次の名作映画のラストシーンの舞台となった『幸せの黄色いハンカチ想い出ひろば』(1977年公開 ※今年は11月4日で営業終了)もある。廃線巡り同様、ここも来たかったので夕張で行きたかった場所をひと通り訪れることができた。
この日は夕張市内に唯一あるビジネスホテルに泊まり、翌日は昼から札幌で用事があったため、午前中のうちに新夕張駅から戻ることに。
ところが、ここでハプニングが発生! みどりの窓口が日曜休業で、駅にあった券売機もネット予約サービスの『えきねっと』で購入していた乗車券・特急券が発券できないタイプだったのだ。
北海道はまだデジタル特急券・乗車券には対応しておらず、紙のきっぷを発券しなければならない。事前に確認しなかった筆者のミスだが、泣く泣くキャンセルして改めてきっぷを購入するハメに。
結果、きっぷ払い戻し手数料の340円を余計に負担することになってしまった。便利なはずのネットでのきっぷ購入にこんな落とし穴があるとは……。
この件を抜きにしても夕張市内は路線バスの本数が少ないため、不便であることは否めない。特にこだわりがなければ、やはり夕張は車で訪れたほうがいいかもしれない。
<TEXT/高島昌俊>
【高島昌俊】
フリーライター。鉄道や飛行機をはじめ、旅モノ全般に広く精通。3度の世界一周経験を持ち、これまで訪問した国は50か国以上。現在は東京と北海道で二拠点生活を送る。
―[シリーズ・駅]―