高校時代にPL学園のエースピッチャーとして、松坂大輔(西武、レッドソックスほか)擁する横浜高校との死闘を繰り広げた上重聡。立教大学進学後も野球部で活躍したが、卒業後は日本テレビに入社。アナウンサー職に就いたことで多くの野球ファンを驚かせた。
入社後はスポーツ実況や情報番組の司会として局を代表するアナウンサーになっていたが、今年3月に突然21年間勤めた日本テレビを退社してフリーになることを発表。
上重はなぜキー局アナウンサーを辞めてフリーになったのか? また、現在の仕事状況から収入事情、今後の目標まで本音を聞き出した。
◆マネージャーを付けず一人でフリー転身
――日テレを退社しフリーになって半年が経ちますが、率直な感想は?
上重聡(以下、上重):楽しい気持ちのほうが強いです。最初は仕事もなくて難しい状況でしたが、おかげさまで仕事も増えてきてきました。局アナでは体験できなかったであろう仕事もさせていただけていますので。フリーというか“自由”を楽しんでいますね。
――今日もお一人で取材に来られましたね。
上重:今のところマネージャーはおらず、一人ですべてやっています。正直、フリー宣言をしたら事務所のオファーがあるかなと思っていたのですが、どこからも誘いがなくて(笑)。だったら自分でやるしかないなと。
あと、仕事を依頼していただく方々がどういう意図で私を指名してくださったのか、把握して現場に行きたいという思いも大きいです。
◆メジャー挑戦した山本由伸・今永に刺激を受けてフリーに
――21年間務めた日本テレビを退社し、フリーになった理由は?
上重:フリーでやってみたいという目標は30代前半からあったんです。でも勇気が出なくてずるずる時間が過ぎているなかで、ちょうど去年のオフに山本由伸投手と今永投手がメジャーリーグに挑戦するというニュースを拝見したのがきっかけです。
2人とも「やらないで後悔するんだったら、やって後悔したい」というコメントをしていて、その言葉が自分に問われているような感覚になったんです。
野球に置き換えて考えることが多いのですが、局アナは日本のプロ野球でフリーはメジャー挑戦みたいなイメージがあって……。やっぱり自信があるならメジャーのマウンドにも立ってみたい、まだマウンドにも立っていないのに諦めると悔いが残るだろうと。
もしそこでボコボコに打たれたんだったら自分でも納得するだろうと思い、フリー転身に至りました。
――誰か相談をした方はいますか?
上重:全くいないです。誰かに相談すると迷いが生じると思ったので、自分だけで決めました。これまで野球を辞めるときも、アナウンサーを目指すときも誰にも相談しなかったので、今回も自分自身で決断することを選びました。
◆世代の星・松坂大輔に掛けられた言葉
――「フリーになる」ことを最初に伝えたのは?
上重:まず、同級生の松坂大輔には伝えましたね。以前から漠然と「フリーになりたい」という話はしていましたが、40歳を過ぎても局にいる私を見て「そのまま会社に残るんだろうな」と思っていたそうです。
そんななかで決断を伝えると「今、自分がそう思ったんだったら一番いいタイミングだと思うよ」と言って背中を押してくれました。
でも、次の仕事が決まっていてフリーになると思っていたらしくて、仕事はノープランだと話したら「それはフリーじゃなくてフリーターじゃん!」ってツッコまれました(笑)。でも、要所で支えとなる言葉をくれる親友です。
◆5月は12連休で体調不良にも
――フリーになった直後は苦戦されたそうですが……。
上重:5月までは休みばかりでした。12日連続休みもあって、一体ゴールデンウィークはいつまで続くのか……と結構焦っていました。
でも、6月に『ダウンタウンDX』に出演したときに浜田雅功さんに“仕事がないこと”をいじってもらったおかげで翌日30件ぐらい一気に仕事が来ました。改めてテレビの影響力を感じた瞬間でしたね。浜田さんには感謝の気持ちでいっぱいです。
――仕事がない時期の心境は?
上重:不安だらけでしたね。会社員のときは月給制なので休日は楽な気持ちで過ごせていましたけど、フリーになると休日イコール仕事のない日なので「今日も0円か」という思いが頭に浮かんで、このまま休んでいていいのかと思い始めて……。
メンタルは強いと思っていたんですけど、フリーになってから2回も帯状疱疹になったんですよ。きっと先々への不安やストレスで体が悲鳴を上げていたのだと思います。
◆プライドを捨てたことで気持ちも楽に
――そこからどうやって立ち直っていったのでしょうか?
上重:プライドを捨てて開き直りましたね。「仕事がありません。皆さん仕事ください!」ということを堂々と言えるようになって。そうすると先ほどの浜田さんもそうですが、いろんな方が手を差し伸べてくれるようになりましたね。
――例えばどういったオファーが来ましたか?
上重:野球関連の仕事だったり、野球をしていたときの知り合いに仕事をもらったりが多かったです。野球にもう一度助けられたなという感覚です。
――局アナ時代とフリーで一番変わったことは?
上重:まず仕事の幅が広がりましたね。日テレ以外のテレビに出演することも不思議な感覚でしたし、ラジオやYouTubeといった仕事は全くしたことがなかったのでどれも新鮮ですね。CMで演技もしたのですが、自分の大根役者っぷりには驚きました(笑)。
◆仕事は選ばずに町内会の司会や運動会の実況も
――珍しいオファーもあったりしますか?
上重:町内の夏祭りの司会もありましたし、社内運動会の実況もしました。それからミスコンの審査委員長をしてほしいというオファーもありましたね。「司会じゃなくて審査委員長でいいの?」とは思いましたけど(笑)。
――仕事を選ぶ基準は?
上重:基本的にスケジュールが空いていればすべて受けるようにしています。どんな仕事でもそこから得るものがあると思っていて、新人時代に戻った気持ちで取り組んでいます。
◆局アナ時代よりも収入面ではアップ
――収入面での変化は?
上重:今のところは、局アナ時代より少し上がっていますね。ただ、月によって仕事量やギャラがバラバラだったりもするので一喜一憂せずにしようとは思っています。収入は後からついてくるぐらいの気持ちで、とりあえずは仕事を楽しもうかなと。
――そんななかで、楽しんでやれていると感じる仕事は?
上重:YouTubeチャンネル『上原浩治の雑談魂』のアシスタントをやらせていただいているのですが非常に楽しいですし、やりがいがありますね。テレビだと一人の選手を深掘りする企画って意外とないので勉強にもなっています。
――もともと上原さんとは親交があったのでしょうか?
上重:実は巨人時代の上原さんとはほとんど接点がなくて……。大エースだったのでちょっと近寄りがたい存在でした(笑)。
たまたま上原さんが所属している事務所の社長が一緒に甲子園にも出場した京都成章のキャプテンで。その繋がりでお話いただいた形です。ここでも野球経験が今に活きているなと感じます。
◆WBCのシャンパンファイト取材に感激
――日本テレビ時代の話も聞きたいのですが、最も印象に残っている仕事は?
上重:’06年に開催されたWBCでリポーターをさせてもらったことですね。優勝インタビューやシャンパンファイトの中にも入らせてもらって、イチローさんや松坂をはじめとした同世代の選手にシャンパンをかけられているときに「この歓喜の輪にいるってすごいことだな」と感激しました。
もし野球を続けていたらこの場にいられる選手にはなれなかったと思うのですが、アナウンサーという立場になったことであの瞬間を共有できたと思うので。
――そのほかの仕事で記憶に残っているものは?
上重:日本テレビといえばお正月の箱根駅伝ですよね。毎年秋ぐらいから取材やリサーチをスタートして正月の本番を迎える。生中継で注目度の高い番組だったのでやりがいはありましたね。
21年間ずっと箱根駅伝に関わってきたので、今年のお正月は何をして過ごせばいいんだろうとは思っています(笑)。
◆退社も考えた不祥事は「若気の至りがあった」
――人気アナウンサーとしての地位を確立する一方で、’15年には不祥事も報じられました。当時の思いを聞かせていただけますか?
上重:自分の無知もそうですが、若気の至りがあったと思います。『ズームイン!!サタデー』の司会になって、自分自身でも調子に乗っていた部分があったと思います。世間からお叱りを受けて猛省しましたし、正直「辞める」ということも頭をよぎりました。
ですが、会社に大きな迷惑をかけたけじめとして、その後の仕事を頑張ることでしか信頼を回復することはできないと思っていました。
――その後、信頼回復をできたという感覚は?
上重:まず、不祥事があったにも関わらず仕事をくれた日本テレビにすごく感謝しています。信頼を回復できたかは私が語ることではないと思いますが、日本シリーズの実況やオリンピック中継などの大きな仕事もやらせていただけたのは、仕事に向き合い続けた結果だと思っています。
――フリーになった今、日本テレビに思うことは?
上重:フリーで活躍できれば「さすが元日テレ」と言われますが、うまくいかなかったら日テレのアナウンサー自体も否定されることになる。だからこそ、メディアに出続けて存在感を発揮することが最大の恩返しになるのかなと。
◆もう一度情報番組のMCに挑戦したい
――最後に今後の抱負をお願いします。
上重:レギュラー番組を持ちたいですね。やはりフリーは不安定なのでレギュラーを持っていれば精神安定剤になると思いますし(笑)。あとは、両親がまだ関西にいるので関西のテレビ局で仕事をして、両親を喜ばせたいという思いもあります。
――具体的にどのような番組に出たいなどはありますか?
上重:『ズームイン!!サタデー』の司会をやらせていただいたときは充実していましたし、自分の番組として堂々と言えるものだったので、情報番組のMCで番組を仕切るような仕事は、もう一度挑戦してみたいです。
もちろんそんな甘い世界ではないと思っています。まずはいろんなオファーに対して、一生懸命に取り組んでいきたいと思っています。
【上重聡】
大阪府出身。高校時代は名門・PL学園のエースピッチャーとして甲子園で活躍。立教大学卒業後の’03年に日本テレビ入社。アナウンサーとしてプロ野球中継、箱根駅伝などの実況を担当したほか、『ズームイン!!サタデー』5代目総合司会、情報番組『スッキリ‼』『シューイチ』などでサブMCやキャスターを務めた。今年3月末に日本テレビを退社しフリーに。
<取材・文/瀬戸大希 撮影/山田耕司>
入社後はスポーツ実況や情報番組の司会として局を代表するアナウンサーになっていたが、今年3月に突然21年間勤めた日本テレビを退社してフリーになることを発表。
上重はなぜキー局アナウンサーを辞めてフリーになったのか? また、現在の仕事状況から収入事情、今後の目標まで本音を聞き出した。
◆マネージャーを付けず一人でフリー転身
――日テレを退社しフリーになって半年が経ちますが、率直な感想は?
上重聡(以下、上重):楽しい気持ちのほうが強いです。最初は仕事もなくて難しい状況でしたが、おかげさまで仕事も増えてきてきました。局アナでは体験できなかったであろう仕事もさせていただけていますので。フリーというか“自由”を楽しんでいますね。
――今日もお一人で取材に来られましたね。
上重:今のところマネージャーはおらず、一人ですべてやっています。正直、フリー宣言をしたら事務所のオファーがあるかなと思っていたのですが、どこからも誘いがなくて(笑)。だったら自分でやるしかないなと。
あと、仕事を依頼していただく方々がどういう意図で私を指名してくださったのか、把握して現場に行きたいという思いも大きいです。
◆メジャー挑戦した山本由伸・今永に刺激を受けてフリーに
――21年間務めた日本テレビを退社し、フリーになった理由は?
上重:フリーでやってみたいという目標は30代前半からあったんです。でも勇気が出なくてずるずる時間が過ぎているなかで、ちょうど去年のオフに山本由伸投手と今永投手がメジャーリーグに挑戦するというニュースを拝見したのがきっかけです。
2人とも「やらないで後悔するんだったら、やって後悔したい」というコメントをしていて、その言葉が自分に問われているような感覚になったんです。
野球に置き換えて考えることが多いのですが、局アナは日本のプロ野球でフリーはメジャー挑戦みたいなイメージがあって……。やっぱり自信があるならメジャーのマウンドにも立ってみたい、まだマウンドにも立っていないのに諦めると悔いが残るだろうと。
もしそこでボコボコに打たれたんだったら自分でも納得するだろうと思い、フリー転身に至りました。
――誰か相談をした方はいますか?
上重:全くいないです。誰かに相談すると迷いが生じると思ったので、自分だけで決めました。これまで野球を辞めるときも、アナウンサーを目指すときも誰にも相談しなかったので、今回も自分自身で決断することを選びました。
◆世代の星・松坂大輔に掛けられた言葉
――「フリーになる」ことを最初に伝えたのは?
上重:まず、同級生の松坂大輔には伝えましたね。以前から漠然と「フリーになりたい」という話はしていましたが、40歳を過ぎても局にいる私を見て「そのまま会社に残るんだろうな」と思っていたそうです。
そんななかで決断を伝えると「今、自分がそう思ったんだったら一番いいタイミングだと思うよ」と言って背中を押してくれました。
でも、次の仕事が決まっていてフリーになると思っていたらしくて、仕事はノープランだと話したら「それはフリーじゃなくてフリーターじゃん!」ってツッコまれました(笑)。でも、要所で支えとなる言葉をくれる親友です。
◆5月は12連休で体調不良にも
――フリーになった直後は苦戦されたそうですが……。
上重:5月までは休みばかりでした。12日連続休みもあって、一体ゴールデンウィークはいつまで続くのか……と結構焦っていました。
でも、6月に『ダウンタウンDX』に出演したときに浜田雅功さんに“仕事がないこと”をいじってもらったおかげで翌日30件ぐらい一気に仕事が来ました。改めてテレビの影響力を感じた瞬間でしたね。浜田さんには感謝の気持ちでいっぱいです。
――仕事がない時期の心境は?
上重:不安だらけでしたね。会社員のときは月給制なので休日は楽な気持ちで過ごせていましたけど、フリーになると休日イコール仕事のない日なので「今日も0円か」という思いが頭に浮かんで、このまま休んでいていいのかと思い始めて……。
メンタルは強いと思っていたんですけど、フリーになってから2回も帯状疱疹になったんですよ。きっと先々への不安やストレスで体が悲鳴を上げていたのだと思います。
◆プライドを捨てたことで気持ちも楽に
――そこからどうやって立ち直っていったのでしょうか?
上重:プライドを捨てて開き直りましたね。「仕事がありません。皆さん仕事ください!」ということを堂々と言えるようになって。そうすると先ほどの浜田さんもそうですが、いろんな方が手を差し伸べてくれるようになりましたね。
――例えばどういったオファーが来ましたか?
上重:野球関連の仕事だったり、野球をしていたときの知り合いに仕事をもらったりが多かったです。野球にもう一度助けられたなという感覚です。
――局アナ時代とフリーで一番変わったことは?
上重:まず仕事の幅が広がりましたね。日テレ以外のテレビに出演することも不思議な感覚でしたし、ラジオやYouTubeといった仕事は全くしたことがなかったのでどれも新鮮ですね。CMで演技もしたのですが、自分の大根役者っぷりには驚きました(笑)。
◆仕事は選ばずに町内会の司会や運動会の実況も
――珍しいオファーもあったりしますか?
上重:町内の夏祭りの司会もありましたし、社内運動会の実況もしました。それからミスコンの審査委員長をしてほしいというオファーもありましたね。「司会じゃなくて審査委員長でいいの?」とは思いましたけど(笑)。
――仕事を選ぶ基準は?
上重:基本的にスケジュールが空いていればすべて受けるようにしています。どんな仕事でもそこから得るものがあると思っていて、新人時代に戻った気持ちで取り組んでいます。
◆局アナ時代よりも収入面ではアップ
――収入面での変化は?
上重:今のところは、局アナ時代より少し上がっていますね。ただ、月によって仕事量やギャラがバラバラだったりもするので一喜一憂せずにしようとは思っています。収入は後からついてくるぐらいの気持ちで、とりあえずは仕事を楽しもうかなと。
――そんななかで、楽しんでやれていると感じる仕事は?
上重:YouTubeチャンネル『上原浩治の雑談魂』のアシスタントをやらせていただいているのですが非常に楽しいですし、やりがいがありますね。テレビだと一人の選手を深掘りする企画って意外とないので勉強にもなっています。
――もともと上原さんとは親交があったのでしょうか?
上重:実は巨人時代の上原さんとはほとんど接点がなくて……。大エースだったのでちょっと近寄りがたい存在でした(笑)。
たまたま上原さんが所属している事務所の社長が一緒に甲子園にも出場した京都成章のキャプテンで。その繋がりでお話いただいた形です。ここでも野球経験が今に活きているなと感じます。
◆WBCのシャンパンファイト取材に感激
――日本テレビ時代の話も聞きたいのですが、最も印象に残っている仕事は?
上重:’06年に開催されたWBCでリポーターをさせてもらったことですね。優勝インタビューやシャンパンファイトの中にも入らせてもらって、イチローさんや松坂をはじめとした同世代の選手にシャンパンをかけられているときに「この歓喜の輪にいるってすごいことだな」と感激しました。
もし野球を続けていたらこの場にいられる選手にはなれなかったと思うのですが、アナウンサーという立場になったことであの瞬間を共有できたと思うので。
――そのほかの仕事で記憶に残っているものは?
上重:日本テレビといえばお正月の箱根駅伝ですよね。毎年秋ぐらいから取材やリサーチをスタートして正月の本番を迎える。生中継で注目度の高い番組だったのでやりがいはありましたね。
21年間ずっと箱根駅伝に関わってきたので、今年のお正月は何をして過ごせばいいんだろうとは思っています(笑)。
◆退社も考えた不祥事は「若気の至りがあった」
――人気アナウンサーとしての地位を確立する一方で、’15年には不祥事も報じられました。当時の思いを聞かせていただけますか?
上重:自分の無知もそうですが、若気の至りがあったと思います。『ズームイン!!サタデー』の司会になって、自分自身でも調子に乗っていた部分があったと思います。世間からお叱りを受けて猛省しましたし、正直「辞める」ということも頭をよぎりました。
ですが、会社に大きな迷惑をかけたけじめとして、その後の仕事を頑張ることでしか信頼を回復することはできないと思っていました。
――その後、信頼回復をできたという感覚は?
上重:まず、不祥事があったにも関わらず仕事をくれた日本テレビにすごく感謝しています。信頼を回復できたかは私が語ることではないと思いますが、日本シリーズの実況やオリンピック中継などの大きな仕事もやらせていただけたのは、仕事に向き合い続けた結果だと思っています。
――フリーになった今、日本テレビに思うことは?
上重:フリーで活躍できれば「さすが元日テレ」と言われますが、うまくいかなかったら日テレのアナウンサー自体も否定されることになる。だからこそ、メディアに出続けて存在感を発揮することが最大の恩返しになるのかなと。
◆もう一度情報番組のMCに挑戦したい
――最後に今後の抱負をお願いします。
上重:レギュラー番組を持ちたいですね。やはりフリーは不安定なのでレギュラーを持っていれば精神安定剤になると思いますし(笑)。あとは、両親がまだ関西にいるので関西のテレビ局で仕事をして、両親を喜ばせたいという思いもあります。
――具体的にどのような番組に出たいなどはありますか?
上重:『ズームイン!!サタデー』の司会をやらせていただいたときは充実していましたし、自分の番組として堂々と言えるものだったので、情報番組のMCで番組を仕切るような仕事は、もう一度挑戦してみたいです。
もちろんそんな甘い世界ではないと思っています。まずはいろんなオファーに対して、一生懸命に取り組んでいきたいと思っています。
【上重聡】
大阪府出身。高校時代は名門・PL学園のエースピッチャーとして甲子園で活躍。立教大学卒業後の’03年に日本テレビ入社。アナウンサーとしてプロ野球中継、箱根駅伝などの実況を担当したほか、『ズームイン!!サタデー』5代目総合司会、情報番組『スッキリ‼』『シューイチ』などでサブMCやキャスターを務めた。今年3月末に日本テレビを退社しフリーに。
<取材・文/瀬戸大希 撮影/山田耕司>