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紅白初出場のこっちのけんと、話題曲「はいよろこんで」が令和の若者の心を掴んだワケ

日刊SPA! 2024年11月22日 8時52分

 紅白歌合戦への初出場が決まった、こっちのけんとが話題です。YouTubeの動画総再生回数1億3000万回超えの「はいよろこんで」は、今年を代表する一曲になりました。
◆「はいよろこんで」ヒットの理由を分析

 当初は“菅田将暉の弟”という話題が先行しているかに思われましたが、「はいよろこんで」をちゃんと聴くと、ヒットしたのも納得。着眼点の鋭さに驚きました。

 ここからは、音楽と歌詞の面から、「はいよろこんで」がヒットした理由を考えたいと思います。キーワードは、Creepy NutsとAdoの合わせ技。

 まずは音楽面。イントロなしで曲名のフレーズをうたうのは、とても現代的です。出だしからリスナーをつかんでおかないとスキップされてしまう世知辛さはありつつも、全部ひらがなのタイトルが効果的に機能している。一体、何が「はいよろこんで」なのか興味を持たせているからです。

◆中毒性のある<ギリギリダンス>のリフレインはまるで…

 そのあとラップパートが始まると、どこか馴染みのある展開になります。少し裏声でアクセントをつけた、細かな音節を詰め込んだ怒涛の早口。そう、R-指定にそっくりなのです。声質からリズムの緩急の付け方、そしてラップの中に短いメロディを織り込んで目先を変えるフレージング。研究の成果がうかがえます。

 そして、中毒性のある<ギリギリダンス>のリフレインもくせになる。弾けるような響きを繰り返す気持ちよさ。まさに“ブリンバンバンボン”です。

 これをリスペクトと見るか、オリジナリティの欠如と見るかは意見の分かれるところかもしれませんが、筆者はCreepy Nutsが日本語ラップのヒット曲というひとつの型を発明したのだと受け止めました。リズムゲームのような小回りのよさと一緒に口ずさめたときの攻略できた感覚、そこにポップなメロディを組み合わせること。「はいよろこんで」も、そうした大きな潮流が生んだ新たなヒット曲と言えるのだと思います。

 大きな潮流とは、言い換えれば世の中のムードのようなもので、そこから無理をして外れてまで、誰も聞いたことのない新しいものを作ろうとする姿勢は、逆に誠実ではないのです。

◆歌詞に表れる“現代の若者像”

「はいよろこんで」の時代に敏感なアプローチは歌詞にもうかがえます。今を生きる若い人たちの、なけなしの反骨心みたいなものを、絶妙にすくい取っている。

<慣らせ 君の病の町を 隠せ笑える他人のオピニオン うっちゃれ 正義の超人たちを>

 このフレーズからは、正論を振りかざしてくる大人たちに対する根強い反感と、それらを面従腹背でやり過ごす日常との狭間でしたたかにバランスを取って生きている世代の感情が見て取れます。これは令和に入ってから顕著になった空気感だと思います。

◆Ado「うっせぇわ」との共通点も

 この歌詞を読んで、筆者はAdoの「うっせぇわ」に通じるものを感じました。これはこっちのけんとが意図的に借用したというよりも、時代の最大公約数的な表現として、どうしてもこうなってしまうというタイプの似方だと言えるでしょう。

<つっても私模範人間 殴ったりするのはノーセンキュー だったら言葉の銃口を その頭に突きつけて撃てば>(作詞 Syudou)

 使っているワードは「うっせぇわ」の方が過激ですが、反骨心をそのままぶつけるのではなく、私達はそれを普段隠しているだけだから勘違いするなよ、と突きつける論法は共通している。表面的な物わかりのよさに騙されんじゃないぞ、という警告なのです。「はいよろこんで」は、それを乾いた笑いとともにポジティブに表現したのであって、世の中に対して訴えたいことは、ほとんど同じなのではないでしょうか。

 しかし、内容が同じであることが、聞く人に安心感をもたらす面もあります。突然突飛なことを言い出すよりも、普段自分が抱えているモヤモヤを上手に突いてくれる表現の方がありがたいからです。

 作詞作曲で具体的に借用するのではなく、昨今の大ヒットに共通する発想とアイデアのフォーマットを見定めた、こっちのけんとの眼力。

 「はいよろこんで」は、音楽、歌詞の両面から、的確に時代の要点をわしづかみにした一曲なのです。

文/石黒隆之

【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。Twitter: @TakayukiIshigu4

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