関西を中心に活動しているアイドルグループ「NightOwl(ナイトオウル)」のメンバーである折原伊桜さんの“前職”にまつわる投稿がSNSで話題を呼んだ。じつは彼女、大学卒業後の新卒では“メガバンク”(大手銀行)に就職したという。
そこから誰もが羨むキャリアを捨てて、アイドルの道を選んだワケとは……。本人を直撃した。
◆やりたいことがあっても「自分の心に押し込めてきた」
心配性の母と、しっかり者で“頑固親父”気質の父のもとに生まれ、「小さい頃から真面目だった」という折原さん。幼少期は「反抗期もなかった」と話す。
「父が新しいものや知らないことに触れるのを嫌がる人でした。『これをやりたい!』と言っても『それをすることに何の意味があんねん!』と返されちゃうから(笑)、やりたいことがあってもしっかりと理由が説明できない場合は、すべて自分の心に押し込めていました」
とはいえ、そんな両親と不仲というわけではなく、「大事にしてくれているからこそ」だと感じていたようだ。
「こうしたら相手が喜んでくれるなってことを率先してやっていました。両親だけではなく、先生や友達の目を気にする癖がありましたね」
◆「私みたいな普通の人には……」
中学時代はアニメや漫画にハマった折原さん。
「当時、はじめてアニメ文化やアニソンの歌手に興味を持ちました。こんなにワクワクすることがあるんや! って」
そして大学では軽音部に入った折原さんは、次第に「歌手になりたい」という思いを強めていったという。
「もしも私が歌手になりたいって言ったら『お前が……?』って言われそうで、こわくて誰にも言えませんでした。就職して、25歳までに結婚して、子どもを産むのがいちばん幸せなんだと。私みたいな普通の人には、普通の幸せしかないんだと思い込んでいました」
◆内定が決まって「歌から離れなければならない」
「自分には表舞台に立つような器量はない」
そう決めつけたまま就職活動を始めた折原さん。大手メガバンクの内定を見事勝ち取るが、うれしさよりも“絶望”が大きかったという。
「社会に出たら、いよいよ本当に歌から離れなければならないことが悲しくて。でも、いつかはそれに慣れるのかな、慣れていかなければいけないな、と思いました。
ただ、実際に就職してみたら、金融業務は自分に向いていると感じましたね。もちろん、厳しさはありました。1分1秒の遅刻はダメだし、数字を1つでも間違えたら始末書レベルの大ごとになってしまう。ただ、私は神経質なので、きっちりとやることが性に合っていました。人間関係も円滑で、本当に良い環境だったんですけどね」
◆会社員の生活がルーティンに「このまま定年を迎えるのかなあ」
入社2年目には、あるプロジェクトのリーダーを任されたほど。
銀行員の仕事は一般的に「将来安泰」というイメージがある。折原さんも仕事に対して「何の不満もなかった」が、心の奥底には“歌いたい”という気持ちが常に引っかかっていたそうだ。
「歌と離れる生活に慣れるだろうと思っていましたが、ぜんぜん慣れなかったんです。給料も良くて週休2日、残業もなくて人間関係もいい。幸せでした。
幸せだったんだけど、会社員の生活がルーティンになると、“歌いたい”と思ったままで定年を迎えるのかなあって。そう考えたときに、まわりが思う正しい道を辿っているだけなんて、“そんな人生に意味はあるのか?” と自問自答するようになったんです」
それからは、あえて見ないようにしていたオーディションサイトをチェックする日々だったという。
◆自分の夢は「“今しかできないこと”なんや」
「オーディションの募集要項を見てハッとしました。私はアイドルやヴォーカルには興味がなく、ただ歌える場所が欲しかったんですが、すべての募集要項に“年齢制限”があったんです。そこで気がついたんです。私のやりたいことは本当に“今しかできないこと”なんやって」
しかし、歌う道を選ぶということは——。
折原さんは、ここまで育ててくれて、メガバンクに就職した“今”を喜んでくれている家族を裏切ることになってしまうと思った。
「申し訳ない気持ちがありつつも、それでもやりたい!っていう気持ちが勝って。今までの人生、成功するかわからない道を選んだことがないから、不安で仕方がなかったです」
その不安が体調にもすぐ現れたという。
「通勤電車で急にクラっときたんです。それで降りたホームで『このままじゃダメになってしまう。死ぬ間際に後悔したくない』と強く思いました」
◆先が何も決まっていない状態でメガバンクを退職
こうして退職を決意した折原さんは、退職届を提出したという。
「オーディションも受けておらず、先のことが何も決まっていない状態で退職届を出して、上司に『歌がやりたいから辞めます!』って伝えると、案の定『考え直せ』ということで、すぐには受理してもらえませんでした(笑)」
退職に向けた動きと並行して、今のグループのオーディションを受け、面接では「退職届を出して臨みました!」と意気込みを語った。
「今思えば、社長は逆にプレッシャーというか、そんなことを言われて怖かったかもしれませんけど(笑)」
職場にもようやく退職届を受理してもらえたそうだが「歌がやりたいなんて聞きたくないよー」と、冗談混じりに最後まで引き止められたそうだ。
「退職することも、歌の道を目指すことも、ブレーキをかけて欲しくないから、親や友人には最後まで相談しませんでしたね」
◆自分の選択が“正解”になるように前進あるのみ
様々なオーディションの中から現在の事務所に入りたいと思ったのは「ここならちゃんと歌わせてもらえる」と思ったからだと話す。
「私はアイドルとかバンドとかジャンルにこだわりは一切なくて。歌で大きなステージに立ちたい。挑戦させてもらえる環境が欲しかった。今の事務所は、自分の理想にいちばん近かったんです」
メガバンク勤務からアイドルに転身したことを面白おかしく言ってくる人も多いというが……。
「やっぱり、『地下アイドルでしょ?』ってバカにされることはありますけどね。確かに普通の人からしたら、理解できないと思う。私の選択が正解だったかどうかは、これからの私次第。“正解” にできるように頑張るのみです!」
<取材・文/吉沢さりぃ>
【吉沢さりぃ】
ライター兼底辺グラドルの二足のわらじ。著書に『最底辺グラドルの胸のうち』(イースト・プレス)、『現役底辺グラドルが暴露する グラビアアイドルのぶっちゃけ話』、『現役グラドルがカラダを張って体験してきました』(ともに彩図社)などがある。趣味は飲酒、箱根駅伝、少女漫画。X(旧Twitter):@sally_y0720
―[折原伊桜]―
そこから誰もが羨むキャリアを捨てて、アイドルの道を選んだワケとは……。本人を直撃した。
◆やりたいことがあっても「自分の心に押し込めてきた」
心配性の母と、しっかり者で“頑固親父”気質の父のもとに生まれ、「小さい頃から真面目だった」という折原さん。幼少期は「反抗期もなかった」と話す。
「父が新しいものや知らないことに触れるのを嫌がる人でした。『これをやりたい!』と言っても『それをすることに何の意味があんねん!』と返されちゃうから(笑)、やりたいことがあってもしっかりと理由が説明できない場合は、すべて自分の心に押し込めていました」
とはいえ、そんな両親と不仲というわけではなく、「大事にしてくれているからこそ」だと感じていたようだ。
「こうしたら相手が喜んでくれるなってことを率先してやっていました。両親だけではなく、先生や友達の目を気にする癖がありましたね」
◆「私みたいな普通の人には……」
中学時代はアニメや漫画にハマった折原さん。
「当時、はじめてアニメ文化やアニソンの歌手に興味を持ちました。こんなにワクワクすることがあるんや! って」
そして大学では軽音部に入った折原さんは、次第に「歌手になりたい」という思いを強めていったという。
「もしも私が歌手になりたいって言ったら『お前が……?』って言われそうで、こわくて誰にも言えませんでした。就職して、25歳までに結婚して、子どもを産むのがいちばん幸せなんだと。私みたいな普通の人には、普通の幸せしかないんだと思い込んでいました」
◆内定が決まって「歌から離れなければならない」
「自分には表舞台に立つような器量はない」
そう決めつけたまま就職活動を始めた折原さん。大手メガバンクの内定を見事勝ち取るが、うれしさよりも“絶望”が大きかったという。
「社会に出たら、いよいよ本当に歌から離れなければならないことが悲しくて。でも、いつかはそれに慣れるのかな、慣れていかなければいけないな、と思いました。
ただ、実際に就職してみたら、金融業務は自分に向いていると感じましたね。もちろん、厳しさはありました。1分1秒の遅刻はダメだし、数字を1つでも間違えたら始末書レベルの大ごとになってしまう。ただ、私は神経質なので、きっちりとやることが性に合っていました。人間関係も円滑で、本当に良い環境だったんですけどね」
◆会社員の生活がルーティンに「このまま定年を迎えるのかなあ」
入社2年目には、あるプロジェクトのリーダーを任されたほど。
銀行員の仕事は一般的に「将来安泰」というイメージがある。折原さんも仕事に対して「何の不満もなかった」が、心の奥底には“歌いたい”という気持ちが常に引っかかっていたそうだ。
「歌と離れる生活に慣れるだろうと思っていましたが、ぜんぜん慣れなかったんです。給料も良くて週休2日、残業もなくて人間関係もいい。幸せでした。
幸せだったんだけど、会社員の生活がルーティンになると、“歌いたい”と思ったままで定年を迎えるのかなあって。そう考えたときに、まわりが思う正しい道を辿っているだけなんて、“そんな人生に意味はあるのか?” と自問自答するようになったんです」
それからは、あえて見ないようにしていたオーディションサイトをチェックする日々だったという。
◆自分の夢は「“今しかできないこと”なんや」
「オーディションの募集要項を見てハッとしました。私はアイドルやヴォーカルには興味がなく、ただ歌える場所が欲しかったんですが、すべての募集要項に“年齢制限”があったんです。そこで気がついたんです。私のやりたいことは本当に“今しかできないこと”なんやって」
しかし、歌う道を選ぶということは——。
折原さんは、ここまで育ててくれて、メガバンクに就職した“今”を喜んでくれている家族を裏切ることになってしまうと思った。
「申し訳ない気持ちがありつつも、それでもやりたい!っていう気持ちが勝って。今までの人生、成功するかわからない道を選んだことがないから、不安で仕方がなかったです」
その不安が体調にもすぐ現れたという。
「通勤電車で急にクラっときたんです。それで降りたホームで『このままじゃダメになってしまう。死ぬ間際に後悔したくない』と強く思いました」
◆先が何も決まっていない状態でメガバンクを退職
こうして退職を決意した折原さんは、退職届を提出したという。
「オーディションも受けておらず、先のことが何も決まっていない状態で退職届を出して、上司に『歌がやりたいから辞めます!』って伝えると、案の定『考え直せ』ということで、すぐには受理してもらえませんでした(笑)」
退職に向けた動きと並行して、今のグループのオーディションを受け、面接では「退職届を出して臨みました!」と意気込みを語った。
「今思えば、社長は逆にプレッシャーというか、そんなことを言われて怖かったかもしれませんけど(笑)」
職場にもようやく退職届を受理してもらえたそうだが「歌がやりたいなんて聞きたくないよー」と、冗談混じりに最後まで引き止められたそうだ。
「退職することも、歌の道を目指すことも、ブレーキをかけて欲しくないから、親や友人には最後まで相談しませんでしたね」
◆自分の選択が“正解”になるように前進あるのみ
様々なオーディションの中から現在の事務所に入りたいと思ったのは「ここならちゃんと歌わせてもらえる」と思ったからだと話す。
「私はアイドルとかバンドとかジャンルにこだわりは一切なくて。歌で大きなステージに立ちたい。挑戦させてもらえる環境が欲しかった。今の事務所は、自分の理想にいちばん近かったんです」
メガバンク勤務からアイドルに転身したことを面白おかしく言ってくる人も多いというが……。
「やっぱり、『地下アイドルでしょ?』ってバカにされることはありますけどね。確かに普通の人からしたら、理解できないと思う。私の選択が正解だったかどうかは、これからの私次第。“正解” にできるように頑張るのみです!」
<取材・文/吉沢さりぃ>
【吉沢さりぃ】
ライター兼底辺グラドルの二足のわらじ。著書に『最底辺グラドルの胸のうち』(イースト・プレス)、『現役底辺グラドルが暴露する グラビアアイドルのぶっちゃけ話』、『現役グラドルがカラダを張って体験してきました』(ともに彩図社)などがある。趣味は飲酒、箱根駅伝、少女漫画。X(旧Twitter):@sally_y0720
―[折原伊桜]―