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父が失踪、JKビジネスで学費を稼ぎ…壮絶人生を歩むセクシー女優の半生「毒親に育てられていなかったら、デビューは100%なかった」

日刊SPA! 2024年12月17日 15時54分

 現代社会では、よく「親ガチャ」なんて言葉が聞かれます。子どもは親を選んで生まれてこられません。リッチな家庭に生まれたら「親ガチャ成功」、厳しい親や貧乏な家庭に生まれたら「親ガチャ失敗」なんて言われます。
 そんな「親ガチャ失敗」の代表格と言えるのが、子どもを支配したり、逆に養育を放棄したりする「毒親」です。今回登場する最上一花さん(@ichika_mogami)は、世間に向けて「毒親育ち」を公言しているセクシー女優。実際に最上さんがどのような家庭で育ったのか、じっくり語ってもらいました。

◆ヤンチャな弟にはお金を渡して「海外で勝手にしろ」

――X(旧Twitter)上で「毒親」に関する発信をして、たびたび話題になっていますよね。

最上一花(以下、最上):そうですね、ちょっと過剰に言っている部分もあるんですが……。親との関係で、昔いろいろとイヤな思いをした、というのはあります。

――家族構成はどうだったんでしょうか。

最上:父と母、私と弟です。父はもともと、それなりの事業の経営者で、母はそんな父のパートナーに持って、プライドが高い感じ。弟は……ちょっとヤンチャだったんですよ。

――ヤンチャと言うと、不良っぽい感じですか?

最上:まあ、そうですね。弟が悪いことをするたびに、母親が「恥ずかしい」って言っていて。それで結局「弟を更生させる」のではなく、もう育てることを放棄しちゃったんです。お金を渡して、海外に渡らせて「あとは自分でなんとかしろ」と。

――それはスゴイですね。弟さんはその頃は何歳くらいでした?

最上:中学生くらいでした。それから弟はもうずっと海外で暮らしています。

◆完全に母親の言いなり状態で育った

――ご両親とはどんな感じで接していたんでしょうか。

最上:私は弟とはまったく逆で、ほとんど母親の言いなり状態でした。一生懸命、母親の言う通りにしよう、としていましたね。学校に通わせてもらっているんだから、勉強しないといけない、成績が良くないといけない、という意識が強くて。服なんかも、自分が着たい服を着るんじゃなくて、母親が「これじゃないとダメ」って買ってきた服を着ていました。

――お母さんがかなり子どもに干渉するタイプの毒親だった、ということですか。

最上:はい。弟は母親のそういうところがイヤで、不良っぽい行動をしていたのかもしれません。

――お父さんはどういう感じだったんでしょうか。

最上:父は、アル中だったんですよ。会社にいながらずっとお酒を飲んでいるくらい。家では暴力とか、母にモラハラとかして。私も父親に見た目に関していろいろ言われるようなこともありました。私はよく「母親が毒親だった」って言っているんですけど、父も違う方向で毒親だったな、と思います。

◆父の事業失敗で東京へ。JKビジネスで学費稼ぎ

――なかなかハードな家庭環境だったんですね。

最上:しかも私が高校生のとき、父の事業がダメになってしまって。父はそのまま失踪してしまって、今もどこにいるかわかりません。私と母は、そのタイミングで地元の福岡から東京に逃げてきた、って感じですね。

――そこからお母さんとのふたり暮らしが始まるわけですね。最上さんは東京で高校に通うようになった、と。

最上:はい。でもお金がないから、学費を稼ぐために秋葉原でアルバイトをしていました。おじさんにチラシを配って、お店に連れてきてマッサージするって形で、結局最後までしちゃう、みたいな。

――それはヤバいですね……。

最上:しかも私、そのJKマッサージ店で店長になったんですよ。もちろんオーナーがほかにいて、雇われ店長ですけど。シフト管理とか、面接とか、お金に関することまで全部やっていました。

――それはスゴイ。真面目なところが評価されたんですかね?

最上:というか「お金がいっぱいもらえるよ」って言われて、お金がほしかったから引き受けただけです。でも当時、ちょうど秋葉原のJKビジネスの摘発が厳しくなった時期で、私が店長のときに、お店が摘発されちゃったんですよ。でも店長は私だから、オーナーは捕まらない。だまされて店長をやっていた、みたいなところがありますね。

◆娘の稼ぎに依存する“毒親”母との生活

――当時、お母さんは働いていなかったんですか?

最上:一応、事務とか、水商売でも働いていました。でもいつも「お金がない」って言っていましたね。だから「若い女って、すごい需要があるんだ」って思っていました。母がどんなに頑張っても、私よりも稼げないんだなって。

――当時のお母さんの「毒親」ぶりはどんな感じだったんでしょうか。

最上:たぶん、一番すごかったのがこの時期かなと思います。とにかく、自分のお金は使いたくない、そもそもお金がない。でもそれなりの贅沢はしたいし、プライドも高い。贅沢したいのにお金がないから、それまでに集めたブランドもののバッグを売り始めたりして、その姿を見て「かわいそうだな」って思ってしまったんです。だから私がなにか買ってあげる、みたいな生活になりました。

――最上さんの稼ぎに依存する状態になってしまった。

最上:そうですね。私としては、母は「お父さんに捨てられて、かわいそう」って気持ちもあったんです。だから「私が頑張ればいいや」と思っていたんですけど、それが就職してから私自身も大変になってしまって。

◆就職でうつ病&アルコール依存症に。社会に適用できない悩みも

――なにがあったんですか?

最上:アパレル業界に就職したんですが、半年くらいでうつ病になっちゃって。それにアル中にもなっちゃったんです。会社に行く直前まで飲み続けて、ベロベロで出勤してバレたり。社会に出て、でも仕事がちゃんとできなくて、初めて「自分、全然ダメだな」って実感しました。もともと私、ADHDなんです。「ADHDだから仕方がない」なんて思ったことはないんですけど、やっぱり社会にうまく適応できない面はありますね。

――でもJKビジネスの店長は、しっかりやっていたんですよね?

最上:それはなんて言うかな、結局JKビジネスの時は自分のやりたいようにやれる環境だったんですよ。それに私自身、JKビジネスのような仕事をバカにしている部分もあって、完全に真剣に働いていたわけじゃなかったんでしょうね。それが社会に出て、いろいろ言われて、自信がなくなっちゃった。当時は薬も大量に飲んでいました。

――薬って、どんな薬ですか?

最上:睡眠薬とか。あと、咳止めの薬を大量に飲んでラリる、というのが当時流行っていたので、そういう薬です。そんな生活をしていたら、心も身体もボロボロになっちゃったんです。それである日、駅でいきなり倒れちゃって。その日から会社に行けなくなってしまいました。

◆働けないことを母に責められて「死のうかな」

――最上さんが会社に行けないことに対して、お母さんは心配してくれたんでしょうか。

最上:ずっと家で寝た切り、みたいな生活を続けていたんですが、そのとき母に言われたのが「あんたが働けなくなったら、いる意味がないんだから」という言葉でした。「生きてる意味がない」と言われた気がして、もう「死のうかな」と。

――それはツラい話ですね……。

最上:それでずっと引きこもっていたんですけど、会社から傷病手当金を毎月20万円くらいもらっていて。家に入れる分は別にして貯金をして、そのお金で引っ越したんです。

――引っ越して、ひとり暮らしを始めた。毒親のお母さんから、無事に逃げられたって感じですか。

最上:そうですね。

◆「毒親育ちじゃなければ、一般的な幸せを手にしていたと思う」

――毒親に育てられた人間として、やっぱり親から受けた影響は大きいと思いますか?

最上:それは大きいですね。私の場合は「どうしても親の期待に応えなきゃ」って性格になっちゃった。成長したら親だけじゃなく、彼氏や友達からの期待にも応えなきゃいけないと思って頑張る、でも自分には自信が持てない……。そう感じるようになって「毒親に育てられた後遺症」みたいなものを感じました。

――じゃあもし最上さんが毒親に育てられていなかったとしたら、セクシー女優としてデビューはしていなかったと思いますか?

最上:なかったですね、100%なかったです。もっと一般的な幸せ、結婚して子どもを産んで、みたいな幸せを手に入れられていたんじゃないかなって思います。

――思っていた以上に、早めに断言されちゃいました(笑)。

最上:もちろん、セクシー女優になった今が不幸なわけじゃなくて、今は今で超幸せなんですけど(笑)。今とはまた違った幸せがあったのかな、とは想像しちゃいますね。

<取材・文/蒼樹リュウスケ 撮影/林紘輝>

【最上一花】
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Instagram:@ichika_mogami

【蒼樹リュウスケ】
大学在学中に成人誌出版社で編集のアルバイトを始め、そのままアダルト業界に定住。大手AVメーカーの雑誌編集部を経て、フリーライターとして独立。好きなことを書きたいと思った結果、アダルトならなんでもありな文章を書きまくる生活を送っている

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