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“不登校の息子”に怒りを感じていた看護師の母が、退職し第二の人生を歩むまで。今では息子と一緒に「学校に潰される」と主張

日刊SPA! 2024年12月21日 8時52分

 不登校カウンセラー“とりまるこ”として活動する鳥丸由美子さんがTikTokに上げた動画に目を奪われた。タイトルは「学校に潰される」。次男とともに出演するそのショート動画では、メロディに合わせて「学校に行くことで潰される個性があるぜ」「同じことの繰り返し退屈なんです」など、子どもが学校に対して思う不満を余すところなく主張している。
 ネットの反応はさまざまだったが、賛否でいえば「否」が多かったように思う。ある程度の我慢を学ぶことで社会性が身につくという、集団生活のメリットを謳った論調が見受けられた。どれも一定の説得力をもつが、一方で、鳥丸さんの意図したところが十分に伝わっていないように思えた。センセーショナルな表現方法によって、不登校児の気持ちを代弁したのではないかと感じたのだ。そこで、鳥丸さん本人と不登校の当事者である長男・康介さん(高校1年生)に話を伺った。

◆「閉塞感のある環境」で生きてきた

 日本の教育制度に息苦しさを感じ、伸びやかに自分の考えを主張する。動画のなかの鳥丸さんは、そんな人に見えた。だが本人は、「とんでもない」とかぶりを振る。

「どちらかというと、閉塞感のある環境で生きてきました。戦前生まれの父は『俺の言うことが絶対的に正しくて、家族はそれに従って当然』というタイプの人です。母はそんな父を支え続けた人です。私は大人になったあとも、父が怖くて仕方ありませんでした。私は、看護師として大きな病院に20年近く勤務していました。看護師を志したのも、『安定した仕事に就いてほしい』という両親の願いの影響を受けています」(鳥丸さん)

◆「学校に行きたくない」と主張する長男に対して…

 意外にもしがらみのなかで生きたと話す鳥丸さん。彼女が「昔から育てにくさはあった」と苦笑いする長男の康介さんは、自分が納得しなければ何事も動かない頑固者にみえたという。孫にあたる康介さんの立場からも、父親の暴君ぶりは強烈だったという。

「祖父が何か言えば、家族でそれに逆らう人はいなかったと思います。唯一、歯向かったのは私だと思います。小学校くらいのときだったと思いますが、弟とじゃれ合っていると、そこに祖父が参戦してきました。しかし身体を押さえつけられて苦しかったので、『あっちへ行けー』と言って祖父を押し返したんです。すると祖父は逆上し、『俺にあっちいけとは何事か』と言いました。加えて、弟と2人でビンタをされました」(康介さん)

 自分と異なり、権力者にも平気で歯向かう長男は、“行くべき”とされる学校への登校も拒否するようになった。鳥丸さんは彼をどのようにみていたのか。

「自分とは違うなと思っていました。康介が行きしぶりを始めたのは、ちょうど小6くらいで訪れたコロナ禍がきっかけなんです。それまでは公文式や野球などさまざまな習い事をしていました。しかしステイホームが通常になると、それが解除されてからも、彼は学校に行きたくないと言い出しました。

 当時、康介に対する怒りがありました。怒りは、やるべきことをやらない彼の態度に対するものです。詳しくいえば、『自分が勤労者としても家庭人としても頑張っているのに、義務を果たさない長男が許せない』という類の感情です」(鳥丸由美子さん)

◆カウンセリングを経て、看護師をやめることを決意

 そうした負の感情を抱え続けることに耐えられず、鳥丸さんはカウンセリングを受けた。

「カウンセリングを受けると、これまでの自分の価値観がわかってきました。大きな組織でトップダウンで決められたことと理想とする看護のあり方の間で揺れ動きながらも、結局は大きな組織へ属することへの満足感を得ていることなども、俯瞰することができました。自分のようにしがらみに縛られることのない不登校の長男に、身勝手さを感じていたんだと思います。しかし、それを咎めて家族が衝突してしまっては楽しく暮らせないですよね。私は看護師をやめ、不登校カウンセラーとして生きる道を選ぶことによって、長男に固執するのをやめることができました」(鳥丸さん)

 当時の“衝突”と自らへの執着を解いた母の転換点について、康介さんは覚えていた。

「私は学校に行く意味がわからなくなって登校しないことを選択したのですが、両親から接触されるたびに『放っておいてほしい』と思っていました。あるとき、何かを言われたことに腹が立って2階から椅子などを投げたら、思っていたよりも被害が大きくなって自分でも驚きました。ただ、あるときから、これまで口うるさかった母が、『いくらゲームをしていても、もう制限をするようなことはしない』と言ってくれました。あのあたりから、母との関係も建設的になっていったなと感じますね」(康介さん)

◆「些細な決まりごと」に疑問を感じた

 そもそも康介さんが学校へ行かなくなったのは、学校の些細な決まりごとへの疑問が発端だった。

「いろんな矛盾が目につくようになってしまったんです。たとえば体育のときに“全体着座”というものがあり、どっちの手から座るとか事細かに決まっているんです。そういうことに意味を感じないんですよね。他にもツーブロック禁止、靴下や靴の色まで決められている――などの変な校則に最初から違和感を感じていました。

 また、体育祭で陸上部に任されたスターターの仕事(ピストルの発射)があるのですが、その説明のとき、顧問の先生から『絶対に失敗は許されないから、間違えるな』と言われました。なぜ楽しいはずの体育祭でそのようなことを言われなければならないのかわからず、活躍を期待されていた体育祭も欠席することにしました」(康介さん)

 子どもの不登校という外観だけでなく、その内面に耳を傾ける余裕が親の側に産まれると、変化がみえたと鳥丸さんはいう。

「一番大きな変化としては、康介が自発的に『やりたいことリスト』を書いていた点です。やるべきことではなく、自分から主体的に取り組む姿勢ができたことに成長を感じました」(鳥丸さん)

◆「母親という役割」を全うすることに疲弊していた

 成長を促したのは、鳥丸さんの見守りの姿勢に加えて、プレイパークなどでの経験によるところも大きいという。

「現在、日程を決めてプレイパークに通っています。そこはやりたいことをやりたいだけさせてくれる施設です。康介は小学校時代も、友だちとバレーボールをやっていて、友だちが帰った後もひとりで残ってずっとやるような子でした。自分がいいと思うまでやりたくなる性分なのだと思います」(鳥丸さん)

 看護師時代にはまるで理解できなかった長男。現在、自らを振り返って鳥丸さんはこんなふうに考えているという。

「私の母がそうであったように、家庭のなかで母親という役割を求められたり、あるいは自分でその役を引き受けたりする場面がありました。大それたことではなく、日常の細かい話です。たとえば唐揚げが1個残っていたら自分が食べたくても子どもに譲るのが母親、みんなで買ってきたケーキも全員が選択しおわったあとで残りを食べるのが母親――という、極微小な我慢の積み重ねが疲弊を招いていたんだと思います。

 事実、私のところにカウンセリングにいらっしゃる方のなかには、リフレッシュのためのコンビニのコーヒー1杯すら自分には与えていない人が多いです。まずは、母親が率先して人生を楽しむことが必要だと私は思います。日常を私が楽しめば、長男が義務を果たしていないからと目くじらを立てて険悪になることもなかったんですよね」(鳥丸さん)

◆楽に生きることで人生は楽しくなる

 苦しい義務を乗り越えてこそ一人前という風潮はいまだに根強い。過去にそちら側の論者だったことを踏まえ、鳥丸さんはこう願う。

「本来、誰しも幸せになるために生まれてきているのに、いつしか苦しみながら幸せになろうとしていますよね。幸せになるには苦しみが必要だと信じて疑わない人もいます。正直、私もそう思っていたかもしれません。けれども真実はまったく逆で、楽に生きることで人生は楽しくなるんです。そして母親であっても、本当の自分で生きることを諦めないでほしいと思っています。義務感で塗り固めた母親が無理矢理子どもを変えようとしても、うまくいきません。もっと自分やお子さんの魅力や才能を見つけるポジティブな目を持って人生を生きてほしいと私は思っています」(鳥丸さん)

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 現在、康介さんは不登校の子どもを持つ父母の会合に元不登校当事者として自らの体験を話す活動をしているという。また今後、不登校の子どもたちの居場所をオンライン上に作ろうとしている。

 鳥丸さんは件の動画をあげたとき、「否」の嵐のなかにこんなコメントを見つけたという。「自分も不登校だけど、理解してくれる母親がいて羨ましい」。鳥丸さんの“本気の寄り添い”が当事者に伝わった。

 どんな人間も、少数派になることには少なからず不安を覚える。道なき道を突き進む親子は無敵などではない。押し着せられた常識の鎖を断ち切るまでの葛藤が確かにそこにある。

<取材・文/黒島暁生>

【黒島暁生】
ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki

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