長く続く不景気のなかで「仕事辞めたいなあ」と考えている人は多いかもしれない。とはいえ、転職支援会社などの調査によると、転職回数の平均は2〜3回と言われており、実行に移すことは意外と少ないのである。一方、SNSでは仕事が長続きせず、やたらと早期離職を繰り返し、“キャリア迷子”になっている人たちも見受けられる。
今回インタビューしたマーシーさん(X:@100Marcy100)は、就職氷河期の真っ只中に専門学校を卒業。この20年余りで渡り歩いた職場は、非正規雇用なども含めて140以上にのぼるという。
一体なぜそんなことに……。現在、YouTuberとしても活動するマーシーさんに、その半生や昨今の転職事情、さまざまな経験を経て思うことなどを聞いた。
◆気が付けば、142回も仕事を転々…
――現在41歳のマーシーさんですが、新卒では地元の印刷会社に就職されたそうですね。
マーシー:美術系の専門学校を卒業し、2003年4月に近所の印刷会社へ就職しました。新聞の求人広告で見つけた会社で、いま思えば就職難の中でも次々と就職先を決める友人たちを見て、焦って就職したのが運の尽きだったのかもしれません。
――マーシーさんはいわゆるロスジェネ世代にあたるわけですが、当時の就活ってどんな状況だったんでしょうか。
マーシー:高校は1クラス30人強で、進学校ではなかったので、3分の2くらいは就職組でしたが、そのうち半分は就職が決まらないまま高校を卒業していましたね。専門学校の同期も2〜3割は仕事が決まらず卒業という感じです。合同説明会では無名の中小企業でさえも学生が通路に溢れるほどブース前に並ぶという光景が普通でしたね。
――新卒で働き始めた印刷会社では何が一番辛かったですか。
マーシー:大企業から商品の外箱などを大量受注して生産する薄利多売の仕事で、とにかく残業が多かったです。私の部署はまだマシなほうでしたが、他の部署の人たちは午前1時まで働き、会社の駐車場で車中泊しながら働いていました。
――ブラック企業なんて言葉もなかった時代ですもんね。
マーシー:給料も安いし、特段に興味のある仕事でもなく、「とにかく辞めたい」という気持ちが大きくなっていき、結局3ヶ月ほどで退職しました。
――その後はすぐに気持ちを切り替えて転職活動を?
マーシー:3、4ヶ月の自宅警備員を経て、1ヶ月ほど深夜のコンビニでバイトしてみたり、学生の頃に働いていた某ハンバーガーチェーンに出戻りするかたちでバイトしてみたり……。まあ、気が付けば現在まで142回も仕事を転々としています。
◆コロナ禍で実家を追い出される
マーシー:一応、SNSなどでは転職100回(実際には142回 ※取材時点)をウリにしていますが、正社員として働いたのは5〜6社ぐらいです。
――大まかに計算すると、職場ひとつにつき、勤続期間は平均3ヶ月ほどでしょうか。
マーシー:いえ、実際はもっと短いです。この21年間で働いた期間って延べ7〜8年ほどで、残りの13年くらいは自宅警備員みたいな感じですので。
――めげずに働く意志を今も持ち続けているところが、マーシーさんのおもしろいところというか、素晴らしいところだと思いますけれども。
マーシー:私の場合、実家住みでも携帯代やガソリン代などは最低限、支払う必要があったので。金欠になると「そろそろ働かなければマズい」という気持ちにはなりましたね。
――現在は一人暮らしですか?
マーシー:2020年7月に実家を追い出され、静岡の地元で一人暮らしを始めました。住み込みの仕事などで全国へ働きに出ましたが、基本的に拠点はずっと地元です。
――2020年といえば、コロナ禍に突入した頃ですが、どういう経緯だったのでしょうか。
マーシー:毎月1万5000円ぐらい実家に入れていたんですが、当時はその支払いすら滞ってしまう状況でした。「今度こそ辞めないぞ」という固い決意のもと、農家へ住み込みで働きに行きましたが、2ヶ月でクビになり、仕方なく帰宅したら両親の堪忍袋の緒が切れたという……。
――その時、ご両親はなんと?
マーシー:率直に「出て行ってほしい」と。「お金がないから無理」と言ったら、改めて「引っ越し費用は出すから。出て行ってほしい」と。
◆無職になったら道の駅へ“エア出勤”。夕方まで読書に没頭
――いきなり大変な状況になりましたね。
マーシー:その前から実家では肩身が狭く、無職なのに仕事行くフリして、富士山が綺麗に見える道の駅で時間を潰す“エア出勤”とかもよくしていました。
――エア出勤中に見る富士山って、めちゃめちゃ心に沁みそうですね。
マーシー:そこで夕方まで読書に没頭したり、人間観察したり。山梨との県境にある道の駅なので、監視の目も緩いというか。知り合いに会うこともないので落ち着くんです。
――まるで自分が犯罪者みたいな物言いですけど(笑)。
マーシー:実際、30過ぎのおじさんが昼間の公園や駐車場に車を駐めて本とか読んでいると、警官に職務質問されるんですよ。別にいいんですけど、煩わしくて。道の駅でダラダラするようになりましたね。実家を出た今も仕事をバックレた朝などは、道の駅へ行くことが多いです。
――マーシーさんとしては毎回、あくまでも長く働くつもりで仕事探しをしているんですか?
マーシー:季節雇用なども含めて“採用されやすい”という理由で働いた職場もたくさんありますが、雇用形態を問わず、とにかく“自分が続けられそう”という基準で基本的には探していますよ。
――“自分が続けられそう”で選んだはずなのに、どうしてそんなにすぐ辞めちゃうんですか? なんか詰問みたいになってスミマセン(笑)。
マーシー:仕事を辞める一番の理由は職場の人間関係みたいな感じですかね。少しキツいことを言われたらすぐ心が折れちゃうし、なんとなく仕事に行くのが憂鬱で怠くて辞めることも多いです。どうしても隣の芝が青く見えて、他の会社に移ったほうが良い人間関係を築けるのではないか、といった判断から転職し続けている。完全に“負のスパイラル”に陥っておりますね。
◆「とりあえず息していればいい」
――静岡の地元がずっと拠点だと、“すぐに仕事を辞める人”として、マーシーさんの噂が広まってしまうのでは?
マーシー:派遣の営業さんの間で、情報交換されている可能性は全然ありますね。自分のYouTubeチャンネルが知られていることも過去にはありました。これまで30〜40社の派遣会社を利用してきたんですが、事実として一番長く続いた仕事がせいぜい半年ほどなので、そうした情報が界隈で出回っても仕方ないことだと受け入れています。
――では、仕事探しに支障をきたすようなことも?
マーシー:意外とそれはないですね。職場をバックレた派遣会社からも普通にお仕事紹介の電話がきますし、むしろ最近は非常に採用されやすいです。人手不足とはいえ、よく自分みたいな人間に仕事を紹介するなと。派遣業界も人手が余程足りないのかなって心配になるレベルです。体力が必要な肉体労働は年齢が上がるほど採用されにくく、40歳以上は雇わないということで断られたことも何度かありますが、それも会社の考え方やタイミング次第です。
――特に人手不足を肌で感じる業界は?
マーシー:運送業界はこの1年で7社受けて、5社は面接の場ですぐに正社員として採用していただきました。なので、運送業界は人手が相当足りていない印象です。
――いろんな経験を経てきたせいか、マーシーさんはすごく落ち着いている印象があるんですが、将来の不安って若い頃のほうがありましたか?
マーシー:20代の頃は、結婚とか将来への希望があったので、30歳になるまでに自分の足場を固めるつもりでいました。ただ、その裏返しで焦燥感や危機感も大きかったです。でも、30代後半くらいになると、もう諦めの気持ちが強くなりました。
――孔子も“四十にして惑わず”と言っていますが。
マーシー:まだ30歳手前までは、“いつか自分に合った職場が見つかるだろう”って思っていたんですけどね。今は、とりあえず息していればいいかなと……。
<取材・文/伊藤綾>
【伊藤綾】
1988年生まれ道東出身、大学でミニコミ誌や商業誌のライターに。SPA! やサイゾー、キャリコネニュース、マイナビニュース、東洋経済オンラインなどでも執筆中。いろんな識者のお話をうかがったり、イベントにお邪魔したりするのが好き。毎月1日どこかで誰かと何かしら映画を観て飲む集会を開催。X(旧Twitter):@tsuitachiii
―[100回転職した男]―
今回インタビューしたマーシーさん(X:@100Marcy100)は、就職氷河期の真っ只中に専門学校を卒業。この20年余りで渡り歩いた職場は、非正規雇用なども含めて140以上にのぼるという。
一体なぜそんなことに……。現在、YouTuberとしても活動するマーシーさんに、その半生や昨今の転職事情、さまざまな経験を経て思うことなどを聞いた。
◆気が付けば、142回も仕事を転々…
――現在41歳のマーシーさんですが、新卒では地元の印刷会社に就職されたそうですね。
マーシー:美術系の専門学校を卒業し、2003年4月に近所の印刷会社へ就職しました。新聞の求人広告で見つけた会社で、いま思えば就職難の中でも次々と就職先を決める友人たちを見て、焦って就職したのが運の尽きだったのかもしれません。
――マーシーさんはいわゆるロスジェネ世代にあたるわけですが、当時の就活ってどんな状況だったんでしょうか。
マーシー:高校は1クラス30人強で、進学校ではなかったので、3分の2くらいは就職組でしたが、そのうち半分は就職が決まらないまま高校を卒業していましたね。専門学校の同期も2〜3割は仕事が決まらず卒業という感じです。合同説明会では無名の中小企業でさえも学生が通路に溢れるほどブース前に並ぶという光景が普通でしたね。
――新卒で働き始めた印刷会社では何が一番辛かったですか。
マーシー:大企業から商品の外箱などを大量受注して生産する薄利多売の仕事で、とにかく残業が多かったです。私の部署はまだマシなほうでしたが、他の部署の人たちは午前1時まで働き、会社の駐車場で車中泊しながら働いていました。
――ブラック企業なんて言葉もなかった時代ですもんね。
マーシー:給料も安いし、特段に興味のある仕事でもなく、「とにかく辞めたい」という気持ちが大きくなっていき、結局3ヶ月ほどで退職しました。
――その後はすぐに気持ちを切り替えて転職活動を?
マーシー:3、4ヶ月の自宅警備員を経て、1ヶ月ほど深夜のコンビニでバイトしてみたり、学生の頃に働いていた某ハンバーガーチェーンに出戻りするかたちでバイトしてみたり……。まあ、気が付けば現在まで142回も仕事を転々としています。
◆コロナ禍で実家を追い出される
マーシー:一応、SNSなどでは転職100回(実際には142回 ※取材時点)をウリにしていますが、正社員として働いたのは5〜6社ぐらいです。
――大まかに計算すると、職場ひとつにつき、勤続期間は平均3ヶ月ほどでしょうか。
マーシー:いえ、実際はもっと短いです。この21年間で働いた期間って延べ7〜8年ほどで、残りの13年くらいは自宅警備員みたいな感じですので。
――めげずに働く意志を今も持ち続けているところが、マーシーさんのおもしろいところというか、素晴らしいところだと思いますけれども。
マーシー:私の場合、実家住みでも携帯代やガソリン代などは最低限、支払う必要があったので。金欠になると「そろそろ働かなければマズい」という気持ちにはなりましたね。
――現在は一人暮らしですか?
マーシー:2020年7月に実家を追い出され、静岡の地元で一人暮らしを始めました。住み込みの仕事などで全国へ働きに出ましたが、基本的に拠点はずっと地元です。
――2020年といえば、コロナ禍に突入した頃ですが、どういう経緯だったのでしょうか。
マーシー:毎月1万5000円ぐらい実家に入れていたんですが、当時はその支払いすら滞ってしまう状況でした。「今度こそ辞めないぞ」という固い決意のもと、農家へ住み込みで働きに行きましたが、2ヶ月でクビになり、仕方なく帰宅したら両親の堪忍袋の緒が切れたという……。
――その時、ご両親はなんと?
マーシー:率直に「出て行ってほしい」と。「お金がないから無理」と言ったら、改めて「引っ越し費用は出すから。出て行ってほしい」と。
◆無職になったら道の駅へ“エア出勤”。夕方まで読書に没頭
――いきなり大変な状況になりましたね。
マーシー:その前から実家では肩身が狭く、無職なのに仕事行くフリして、富士山が綺麗に見える道の駅で時間を潰す“エア出勤”とかもよくしていました。
――エア出勤中に見る富士山って、めちゃめちゃ心に沁みそうですね。
マーシー:そこで夕方まで読書に没頭したり、人間観察したり。山梨との県境にある道の駅なので、監視の目も緩いというか。知り合いに会うこともないので落ち着くんです。
――まるで自分が犯罪者みたいな物言いですけど(笑)。
マーシー:実際、30過ぎのおじさんが昼間の公園や駐車場に車を駐めて本とか読んでいると、警官に職務質問されるんですよ。別にいいんですけど、煩わしくて。道の駅でダラダラするようになりましたね。実家を出た今も仕事をバックレた朝などは、道の駅へ行くことが多いです。
――マーシーさんとしては毎回、あくまでも長く働くつもりで仕事探しをしているんですか?
マーシー:季節雇用なども含めて“採用されやすい”という理由で働いた職場もたくさんありますが、雇用形態を問わず、とにかく“自分が続けられそう”という基準で基本的には探していますよ。
――“自分が続けられそう”で選んだはずなのに、どうしてそんなにすぐ辞めちゃうんですか? なんか詰問みたいになってスミマセン(笑)。
マーシー:仕事を辞める一番の理由は職場の人間関係みたいな感じですかね。少しキツいことを言われたらすぐ心が折れちゃうし、なんとなく仕事に行くのが憂鬱で怠くて辞めることも多いです。どうしても隣の芝が青く見えて、他の会社に移ったほうが良い人間関係を築けるのではないか、といった判断から転職し続けている。完全に“負のスパイラル”に陥っておりますね。
◆「とりあえず息していればいい」
――静岡の地元がずっと拠点だと、“すぐに仕事を辞める人”として、マーシーさんの噂が広まってしまうのでは?
マーシー:派遣の営業さんの間で、情報交換されている可能性は全然ありますね。自分のYouTubeチャンネルが知られていることも過去にはありました。これまで30〜40社の派遣会社を利用してきたんですが、事実として一番長く続いた仕事がせいぜい半年ほどなので、そうした情報が界隈で出回っても仕方ないことだと受け入れています。
――では、仕事探しに支障をきたすようなことも?
マーシー:意外とそれはないですね。職場をバックレた派遣会社からも普通にお仕事紹介の電話がきますし、むしろ最近は非常に採用されやすいです。人手不足とはいえ、よく自分みたいな人間に仕事を紹介するなと。派遣業界も人手が余程足りないのかなって心配になるレベルです。体力が必要な肉体労働は年齢が上がるほど採用されにくく、40歳以上は雇わないということで断られたことも何度かありますが、それも会社の考え方やタイミング次第です。
――特に人手不足を肌で感じる業界は?
マーシー:運送業界はこの1年で7社受けて、5社は面接の場ですぐに正社員として採用していただきました。なので、運送業界は人手が相当足りていない印象です。
――いろんな経験を経てきたせいか、マーシーさんはすごく落ち着いている印象があるんですが、将来の不安って若い頃のほうがありましたか?
マーシー:20代の頃は、結婚とか将来への希望があったので、30歳になるまでに自分の足場を固めるつもりでいました。ただ、その裏返しで焦燥感や危機感も大きかったです。でも、30代後半くらいになると、もう諦めの気持ちが強くなりました。
――孔子も“四十にして惑わず”と言っていますが。
マーシー:まだ30歳手前までは、“いつか自分に合った職場が見つかるだろう”って思っていたんですけどね。今は、とりあえず息していればいいかなと……。
<取材・文/伊藤綾>
【伊藤綾】
1988年生まれ道東出身、大学でミニコミ誌や商業誌のライターに。SPA! やサイゾー、キャリコネニュース、マイナビニュース、東洋経済オンラインなどでも執筆中。いろんな識者のお話をうかがったり、イベントにお邪魔したりするのが好き。毎月1日どこかで誰かと何かしら映画を観て飲む集会を開催。X(旧Twitter):@tsuitachiii
―[100回転職した男]―