―[腕時計投資家・斉藤由貴生]―
クルマ好きの腕時計投資家の斉藤由貴生です。
私は、都内在住なのですが年間2万キロぐらいクルマを走らせています。そして、それだけ走っているにも関わらず免許の色はゴールドであります。手前味噌ではありますが優良ドライバーの私が、日本の交通マナーにおいて、今最も言いたいことがあります。それは、「サンキューハザードはいらない!」という主張です。
◆そのハザード、本当に必要?
おそらくですが、日本のドライバーは、運転するたびに少なくとも1回ぐらいサンキューハザードを出しているのではないでしょうか。サンキューハザードは、他のクルマに譲ってもらったときに、その御礼として出すのが一般的だといえますが、私は「譲ってもらう⇒すみません」という風潮こそ変えていかなければならないと思うのです。
私が考える、サンキューハザードを出す必要がない場面は、『2車線が1車線になる場合』や『工事による車線規制』、『合流』、『路上駐車車両がいるため車線変更をする場合』などの数々です。
これらに共通するのは、「車線変更せざるをえない」という点。ですから、「譲ってもらうのが“申し訳ない”」のではなく「当たり前」なのであります。
しかしながら、サンキューハザード以前に、工事の車線規制等で「絶対に入れないクルマ」が一定数存在。ちなみに私は、以前、警察が飲酒検問のために2車線のうち1車線を規制していた際、路線バスの運転手が私を絶対に入れないように車間距離をピッタリつめられたことがあります。その際、飲酒検問の警官に「あのバスの運転手ありえない!」と訴えたのですが、警察官も「本当だよ!」といい、私を通したあとにバスを止めて注意していました。(当時バスやタクシーは飲酒検問スルーだったが、そのバスはしっかり止められていた)
大型2種免許を持っているであろうプロドライバーでも、「絶対に入れないマン」が存在するわけですから、多くの日本人にとって合流といった車線変更は「恐怖」となっているのかもしれません。それゆえ、入れてもらったらトラブルを避けるためにも「すみません」という考えになってしまうのでしょう。
しかし、交通を円滑にするためには、他の車線が規制されていたら「入れる」のが当たり前。「しょうがないから入れてやる!」という精神をもっていたならば、いざ自分が走っている車線が規制されていたら、どの顔で「譲ってもらう」のでしょう。他の車線を走るクルマの前に障害物があるにも関わらず、一定数「入れない!」というドライバーが日本に多いのか疑問でなりません。
実際、私も路上駐車車両のために車線変更したら、後ろのクルマにパッシングされたりクラクションを鳴らされた経験が多々あります。(サンキューハザード関係なく瞬間的に)もちろん、相手が私のすぐ横を走っているなど「危険」な状況であれば、クラクションを鳴らすことはあるでしょう。しかし、それらクラクションは、明らかに「入ってきやがって!」という文句のほう。彼らの「入るな」という主張を鵜呑みにすれば、駐車車両がいる車線を走っていた私が悪く、永遠にそこで待機していなければならないということになります。
結局のところ「入れてやる」や「絶対に入れない」という主張は、交通の円滑さを妨げるわけです。
◆サンキューハザード文化の始まり
さて、サンキューハザードは、もとはトラックドライバー同士のコミュニケーション方法として始まったようですが、それが一般車両にも広まった経緯があります。
私の記憶では、小学生だった1990年代中盤頃に、サンキューハザードを出す一般車をたまに見かけました。それを見た私の家族は「なにこれ!?」とバカにしていたのですが、そんな家族も今や合流等で車線変更をしたら、しっかりサンキューハザードを出しています。
サンキューハザード文化が浸透する前は、譲ってもらった際のお礼は「手を上げていた」といえますが、1990年代に自家用車にスモークフィルムが流行し、手を上げてもお礼が伝わらないようになったのでしょう。それゆえ、サンキューハザードが広まっていったと推測できます。
ハザードランプは、本来緊急時のためのもの。正式な交通ルールではないですが、今やパトカーもサンキューハザードを出すぐらい、文化として浸透しているといえます。
◆サンキューハザードの問題点
しかし、先のように、車線変更は基本的に「する必要」があるからするわけであって、“その時”は入れる側のドライバーであっても、別の機会には、全く逆の立場、すなわち「入れてもらう側」になるわけです。
ですから、「譲らない」というのは論理的に破綻しますし、道を譲るというのは当たり前ともいえる行為。もちろん、教習所でも前のクルマがウィンカーを出したら、入れてあげないといけないと教えています。
それが日本の交通常識では、「仕方がないから入れてやる」「入れていただきありがとうございます」が当たり前のため、車線変更は多くのドライバーにとってストレスなのでしょう。工事による車線規制がされている場合、多くのドライバーは車線をギリギリまで使わず、かなり手前にいる状態で車線変更をしてしまうのも、「入れてもらう」という状態を避けるためだといえます。
そういった行為をすると、本来2車線使える部分が余ってしまうため、渋滞の原因となるでしょう。
つまり、サンキューハザードなど出さなくとも、前のクルマがウィンカーを出したら「入れる」が義務、といった文化が浸透したほうが、遥かに運転しやすい世界になると思うのです。
◆どかないドライバー
首都高速などでは、右車線からの合流が多いのですが、その合流で「サンキューハザード」を出して入ってきたクルマが、永遠と右車線(追い越し車線)をチンタラ走行するという場面をよく見ます。
右車線(追い越し車線)は、追い越すための車線ですから、追い越しが完了したら、左車線(走行車線)に戻る必要があるのですが、戻らず、ずっと右側を走り続けるのです。
そして、日本ではこういったドライバーに対して打つ手はあまりありません。ヨーロッパの場合、このような行為をしたならば、すぐに「パッシング」、ひどい場合はクラクションを鳴らされるでしょう。しかし、昨今の日本ではあおり運転が注目されているため、遅いドライバーが追い越し車線を走り続けていて、後ろが渋滞状態になっていたとしても誰もパッシングをできないわけです。
私の推測ではありますが、速度が遅いにも関わらず追い越し車線を走り続けたいドライバーは、「車線変更をしたくない」のではないかと思います。特に、一般道の場合、左車線には駐車車両が多いため、自分の速度が遅いからといって律儀に左側を走っていたら、何度も右側に車線変更をする必要があります。日本のドライバーの心理では、車線変更すると他のドライバーに「譲ってもらった」となるため、駐車車両がいるたびに車線変更してサンキューハザードをしなければなりません。
それゆえ、ゆっくりとした速度でも、永遠と追い越し車線を走り続けるクルマがいるのでしょう。もし、「譲ってもらって当たり前」という文化が浸透していたならば、躊躇なくそういったクルマは、走行車線を走れることだと思います。
サンキューハザードを出して「お礼」をしたとしても、その後、ゆっくり走って、後続車両に迷惑かけたら元も子もありません。ですから、首都高等で右側から合流した遅いクルマは、サンキューハザードなど出している余裕があるならば、速やかに左車線(走行車線)に車線変更するほうが相手に喜ばれるはずです。
◆日本の交通マナーは稀
障害物があるから車線変更するのに、「譲らない」とか「仕方がないから譲ってやる」というのは日本独特だといえます。
特にヨーロッパでは、ウィンカーを出したらすぐ後方のクルマが入れてくれますし、場合によってはブレーキを掛けてまでもしっかり、こちらの車両を入れるようにしてくれます。その代わり、譲ってもらったこちらは、追い越しなどが終わったら速やかに走行車線に戻るわけで、譲ってくれた側のクルマは必要があれば追い越し車線から私を追い抜くことができるようにします。
そうすれば、交通は円滑となり、譲られる側、譲る側にとっても「車線変更」は全くストレスでありません。譲られる側の状況では、いつでも車線変更できる心理になり、譲る側の状況では、前にクルマが入ってきても「永遠に前をチンタラ走るなど“邪魔”をしないだろう」となるわけです。
日本の「譲らない」という文化は、どうやら昔からあるようです。私の祖母は、女性ドライバーが珍しい時期から運転していたのですが、かつて群馬県の高崎で車線変更をした際に、トラックドライバーに追いかけれ、最終的にたまたま通りかかった高崎のヤクザ(リンカーンに乗っていた)が助けてくれたと言っていました。それぐらい、昔から車線変更が起因で絡んでくるドライバーが日本に一定数いたといえるわけですが、その防衛策の1つがサンキューハザードなのでしょう。
しかし、「譲らない」ということは、これまで述べてきたように大問題。「譲らないドライバー」は“おかしい”という社会になれば、もっと運転しやすい日本になると思う次第であります。
【斉藤由貴生】
1986年生まれ。日本初の腕時計投資家として、「腕時計投資新聞」で執筆。母方の祖父はチャコット創業者、父は医者という裕福な家庭に生まれるが幼少期に両親が離婚。中学1年生の頃より、企業のホームページ作成業務を個人で請負い収入を得る。それを元手に高級腕時計を購入。その頃、買った値段より高く売る腕時計投資を考案し、時計の売買で資金を増やしていく。高校卒業後は就職、5年間の社会人経験を経てから筑波大学情報学群情報メディア創成学類に入学。お金を使わず贅沢する「ドケチ快適」のプロ。腕時計は買った値段より高く売却、ロールスロイスは実質10万円で購入。著書に『腕時計投資のすすめ』(イカロス出版)と『もう新品は買うな!』がある
―[腕時計投資家・斉藤由貴生]―
クルマ好きの腕時計投資家の斉藤由貴生です。
私は、都内在住なのですが年間2万キロぐらいクルマを走らせています。そして、それだけ走っているにも関わらず免許の色はゴールドであります。手前味噌ではありますが優良ドライバーの私が、日本の交通マナーにおいて、今最も言いたいことがあります。それは、「サンキューハザードはいらない!」という主張です。
◆そのハザード、本当に必要?
おそらくですが、日本のドライバーは、運転するたびに少なくとも1回ぐらいサンキューハザードを出しているのではないでしょうか。サンキューハザードは、他のクルマに譲ってもらったときに、その御礼として出すのが一般的だといえますが、私は「譲ってもらう⇒すみません」という風潮こそ変えていかなければならないと思うのです。
私が考える、サンキューハザードを出す必要がない場面は、『2車線が1車線になる場合』や『工事による車線規制』、『合流』、『路上駐車車両がいるため車線変更をする場合』などの数々です。
これらに共通するのは、「車線変更せざるをえない」という点。ですから、「譲ってもらうのが“申し訳ない”」のではなく「当たり前」なのであります。
しかしながら、サンキューハザード以前に、工事の車線規制等で「絶対に入れないクルマ」が一定数存在。ちなみに私は、以前、警察が飲酒検問のために2車線のうち1車線を規制していた際、路線バスの運転手が私を絶対に入れないように車間距離をピッタリつめられたことがあります。その際、飲酒検問の警官に「あのバスの運転手ありえない!」と訴えたのですが、警察官も「本当だよ!」といい、私を通したあとにバスを止めて注意していました。(当時バスやタクシーは飲酒検問スルーだったが、そのバスはしっかり止められていた)
大型2種免許を持っているであろうプロドライバーでも、「絶対に入れないマン」が存在するわけですから、多くの日本人にとって合流といった車線変更は「恐怖」となっているのかもしれません。それゆえ、入れてもらったらトラブルを避けるためにも「すみません」という考えになってしまうのでしょう。
しかし、交通を円滑にするためには、他の車線が規制されていたら「入れる」のが当たり前。「しょうがないから入れてやる!」という精神をもっていたならば、いざ自分が走っている車線が規制されていたら、どの顔で「譲ってもらう」のでしょう。他の車線を走るクルマの前に障害物があるにも関わらず、一定数「入れない!」というドライバーが日本に多いのか疑問でなりません。
実際、私も路上駐車車両のために車線変更したら、後ろのクルマにパッシングされたりクラクションを鳴らされた経験が多々あります。(サンキューハザード関係なく瞬間的に)もちろん、相手が私のすぐ横を走っているなど「危険」な状況であれば、クラクションを鳴らすことはあるでしょう。しかし、それらクラクションは、明らかに「入ってきやがって!」という文句のほう。彼らの「入るな」という主張を鵜呑みにすれば、駐車車両がいる車線を走っていた私が悪く、永遠にそこで待機していなければならないということになります。
結局のところ「入れてやる」や「絶対に入れない」という主張は、交通の円滑さを妨げるわけです。
◆サンキューハザード文化の始まり
さて、サンキューハザードは、もとはトラックドライバー同士のコミュニケーション方法として始まったようですが、それが一般車両にも広まった経緯があります。
私の記憶では、小学生だった1990年代中盤頃に、サンキューハザードを出す一般車をたまに見かけました。それを見た私の家族は「なにこれ!?」とバカにしていたのですが、そんな家族も今や合流等で車線変更をしたら、しっかりサンキューハザードを出しています。
サンキューハザード文化が浸透する前は、譲ってもらった際のお礼は「手を上げていた」といえますが、1990年代に自家用車にスモークフィルムが流行し、手を上げてもお礼が伝わらないようになったのでしょう。それゆえ、サンキューハザードが広まっていったと推測できます。
ハザードランプは、本来緊急時のためのもの。正式な交通ルールではないですが、今やパトカーもサンキューハザードを出すぐらい、文化として浸透しているといえます。
◆サンキューハザードの問題点
しかし、先のように、車線変更は基本的に「する必要」があるからするわけであって、“その時”は入れる側のドライバーであっても、別の機会には、全く逆の立場、すなわち「入れてもらう側」になるわけです。
ですから、「譲らない」というのは論理的に破綻しますし、道を譲るというのは当たり前ともいえる行為。もちろん、教習所でも前のクルマがウィンカーを出したら、入れてあげないといけないと教えています。
それが日本の交通常識では、「仕方がないから入れてやる」「入れていただきありがとうございます」が当たり前のため、車線変更は多くのドライバーにとってストレスなのでしょう。工事による車線規制がされている場合、多くのドライバーは車線をギリギリまで使わず、かなり手前にいる状態で車線変更をしてしまうのも、「入れてもらう」という状態を避けるためだといえます。
そういった行為をすると、本来2車線使える部分が余ってしまうため、渋滞の原因となるでしょう。
つまり、サンキューハザードなど出さなくとも、前のクルマがウィンカーを出したら「入れる」が義務、といった文化が浸透したほうが、遥かに運転しやすい世界になると思うのです。
◆どかないドライバー
首都高速などでは、右車線からの合流が多いのですが、その合流で「サンキューハザード」を出して入ってきたクルマが、永遠と右車線(追い越し車線)をチンタラ走行するという場面をよく見ます。
右車線(追い越し車線)は、追い越すための車線ですから、追い越しが完了したら、左車線(走行車線)に戻る必要があるのですが、戻らず、ずっと右側を走り続けるのです。
そして、日本ではこういったドライバーに対して打つ手はあまりありません。ヨーロッパの場合、このような行為をしたならば、すぐに「パッシング」、ひどい場合はクラクションを鳴らされるでしょう。しかし、昨今の日本ではあおり運転が注目されているため、遅いドライバーが追い越し車線を走り続けていて、後ろが渋滞状態になっていたとしても誰もパッシングをできないわけです。
私の推測ではありますが、速度が遅いにも関わらず追い越し車線を走り続けたいドライバーは、「車線変更をしたくない」のではないかと思います。特に、一般道の場合、左車線には駐車車両が多いため、自分の速度が遅いからといって律儀に左側を走っていたら、何度も右側に車線変更をする必要があります。日本のドライバーの心理では、車線変更すると他のドライバーに「譲ってもらった」となるため、駐車車両がいるたびに車線変更してサンキューハザードをしなければなりません。
それゆえ、ゆっくりとした速度でも、永遠と追い越し車線を走り続けるクルマがいるのでしょう。もし、「譲ってもらって当たり前」という文化が浸透していたならば、躊躇なくそういったクルマは、走行車線を走れることだと思います。
サンキューハザードを出して「お礼」をしたとしても、その後、ゆっくり走って、後続車両に迷惑かけたら元も子もありません。ですから、首都高等で右側から合流した遅いクルマは、サンキューハザードなど出している余裕があるならば、速やかに左車線(走行車線)に車線変更するほうが相手に喜ばれるはずです。
◆日本の交通マナーは稀
障害物があるから車線変更するのに、「譲らない」とか「仕方がないから譲ってやる」というのは日本独特だといえます。
特にヨーロッパでは、ウィンカーを出したらすぐ後方のクルマが入れてくれますし、場合によってはブレーキを掛けてまでもしっかり、こちらの車両を入れるようにしてくれます。その代わり、譲ってもらったこちらは、追い越しなどが終わったら速やかに走行車線に戻るわけで、譲ってくれた側のクルマは必要があれば追い越し車線から私を追い抜くことができるようにします。
そうすれば、交通は円滑となり、譲られる側、譲る側にとっても「車線変更」は全くストレスでありません。譲られる側の状況では、いつでも車線変更できる心理になり、譲る側の状況では、前にクルマが入ってきても「永遠に前をチンタラ走るなど“邪魔”をしないだろう」となるわけです。
日本の「譲らない」という文化は、どうやら昔からあるようです。私の祖母は、女性ドライバーが珍しい時期から運転していたのですが、かつて群馬県の高崎で車線変更をした際に、トラックドライバーに追いかけれ、最終的にたまたま通りかかった高崎のヤクザ(リンカーンに乗っていた)が助けてくれたと言っていました。それぐらい、昔から車線変更が起因で絡んでくるドライバーが日本に一定数いたといえるわけですが、その防衛策の1つがサンキューハザードなのでしょう。
しかし、「譲らない」ということは、これまで述べてきたように大問題。「譲らないドライバー」は“おかしい”という社会になれば、もっと運転しやすい日本になると思う次第であります。
【斉藤由貴生】
1986年生まれ。日本初の腕時計投資家として、「腕時計投資新聞」で執筆。母方の祖父はチャコット創業者、父は医者という裕福な家庭に生まれるが幼少期に両親が離婚。中学1年生の頃より、企業のホームページ作成業務を個人で請負い収入を得る。それを元手に高級腕時計を購入。その頃、買った値段より高く売る腕時計投資を考案し、時計の売買で資金を増やしていく。高校卒業後は就職、5年間の社会人経験を経てから筑波大学情報学群情報メディア創成学類に入学。お金を使わず贅沢する「ドケチ快適」のプロ。腕時計は買った値段より高く売却、ロールスロイスは実質10万円で購入。著書に『腕時計投資のすすめ』(イカロス出版)と『もう新品は買うな!』がある
―[腕時計投資家・斉藤由貴生]―