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知的障害の妹を持つ“きょうだい児”の悩み「姉の私は“いい子でいなきゃ”と思い続けてた」

日刊SPA! 2025年1月18日 15時52分

「親には “我慢して偉いね” と自分のしんどさを認めて欲しかったです」と語るのは、きょうだい児(病気や障害のある兄弟姉妹がいる子ども)の七宮絢音さん(25歳)だ。
7歳下の末の妹には、中度の知的障害とてんかん発作があり、親は妹が発作を起こすと学校に迎えに行くなど、かかりきりだった。きょうだい児は、親の愛情不足やヤングケアラーとしての責任感やストレスを抱えたり、自分の欲求や夢を犠牲にしたりしがちだ。

彼女は今、コーチングを通じ、同じような境遇だった人や親子関係に問題を抱える人の相談に乗っている。七宮さんの話を聞いた。

◆末の妹が産まれ生活が変わった

七宮さんは、長野県出身で、3姉妹の長女として生まれた。

「4歳下の妹が産まれたときは、お姉ちゃんになれて嬉しいと思いました」

末の妹が産まれたのは、彼女が小学校に入学した7歳の時だった。中間子の時も、末っ子の時も、自宅出産だった。

妹は、出産時低血糖で、両親はすぐに病院に行った。妹には障害があることが分かり、そのまま入院した。母は毎日、付き添いで忙しく、七宮さんと妹は、祖父母宅に預けられることが増えた。

父は出張が多く、両親は一緒にいても、末の妹の治療方針や教育方針を巡って、喧嘩が絶えなくなった。母は一時期、新興宗教にハマったり高価な水を買ったりし、信仰や民間療法に救いを求めたこともある。

◆「ガイジ!」とからかわれ傷ついた小学校時代

妹は中・高校は養護学校に進学したが、小学校までは、同じ学校の支援学級に在籍していた。同級生たちは妹を「ガイジ!(障害児の蔑称)」とからかうこともあった。

「妹を嫌だと思う気持ちはなかったです。今でも、5~6歳の知能のままの妹がいる感じです。姉の私が、成績が悪かったり、素行が悪かったりしたら、妹がもっと悪く言われるんじゃないかといつも “いい子でいなきゃ” と思っていました。中学校までは自分でそう思い込んでいました」

そんな時も、母は、妹が発作を起こすたびに、学校に迎えに行く。孤独感が募った。その生活も自身と祖父母の病気で、小学校6年生の時に変わった。

◆脊椎側弯症で自分も手術するが……

「自分自身が脊椎側彎症を発症し、1歳下の従妹が白血病になりました。祖父が脳梗塞で倒れ、祖父母宅に行くことができなくなりました。側彎症の治療のために、分厚いコルセットをしました。服の上からでも、コルセットを装着しているのは分かるので、ショックでした」

脊椎側弯症になると、脇の下からお尻まで覆う大きなコルセットを装着して、側弯の進行を防ぎ、矯正する治療をするのが一般的だ。思春期に差し掛かっていた彼女にとり、コンプレックスになった。

中学校1年生の時に、側彎症を治す手術をするが、術後1年は、背中を曲げるような運動は禁止された。3年続けていたクラッシックバレエも、辞めることになる。

「手術後の傷跡にも悩みました。バレエは、妹のことで家庭が大変だったので、小学校3年生の時に、やっと念願が叶い習い始めた習い事でした」

命があっただけよかったという母に、彼女は反抗し続けた。

「自分より大変な人が家庭にはいるから、“自分もつらい” と言えなかった。親には習い事を辞めることになったことを “我慢して偉いね” と認めて欲しかった。学校では、入院までして大変だねと言ってもらえました。学校と家庭での自分像のギャップに悩まされました」と七宮さんは振り返る。

そんな環境が嫌で、大学では理解者を求めて、上京することにした。

◆上京して広がった視野

閉鎖的だった長野から、東京に出てきて、視野が広がった。色々な人と関わるのが楽しかったという。

「親と離れたことで、親の気持ちも理解できるようになりました。当時は、“大変だとは思うけど、子どもの人生に責任を取るのが親でしょ” という気持ちが強かったです。今は、両親も大変だったと思うようになりました。離れたことでありがたみも感じました。周囲からは “長女だし家のことは頼むよ” と言われていましたが、母は逆に、私に我慢させたくないと思っている気持ちも伝わってきました。だから、東京にも来られたんだと、客観的に見られました」

友人と、家族のことで一歩踏みこんだ話をしたら、“実は自分も……” と打ち明けてくれるような経験もしたという。そういった経験から、就職後に、コーチングのスクールにも通う。

「同じように悩んでいる人の相談に乗ろうと思いました。まだ始めて半年くらいですが、アドバイスをするのではなく、自分の考えを整理する手助けをしたいです。そして、自分がなりたいような姿になれるよう、一緒に考えていきたいです」

実家と物理的に離れたことで、自分で自分を満たせるようになっていった。

◆家族は選べないが自立後の人生は選べる

最後に、同じように、悩む人たちに伝えたいことを聞いた。

「自分の家族や家庭環境は選べません。だけど、自立した後に、自分自身で選べることの方に目を向けて欲しいです。親に認めてもらうのではなく、自分が自分の人生を充実させることが一番だと思います」

きょうだい児は、特有の悩みや葛藤を抱えることが多く、適切なサポートが必要だ。相談できる場所は少ないが、七宮さんのように同じような経験をしてきた人につながれるサービスも利用してもらいたい。

<取材・文/田口ゆう>

【田口ゆう】
立教大学卒経済学部経営学科卒。「あいである広場」の編集長兼ライターとして、主に介護・障害福祉・医療・少数民族など、社会的マイノリティの当事者・支援者の取材記事を執筆。現在、介護・福祉メディアで連載や集英社オンラインに寄稿している。X(旧ツイッター):@Thepowerofdive1

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