Infoseek 楽天

トー横・病み界隈に“居場所”を求めた23歳女性が踏み出した一歩「欲望に忠実な人間なので(笑)」

日刊SPA! 2025年1月22日 15時51分

 強欲のモメたん。一度聞いたら忘れられないインパクトのある名前の彼女は、“トー横”や“病み界隈”と呼ばれるコミュニティから飛び出した、23歳の次世代アーティストだ。昨年11月に詩集『刺激中毒』(リブリオン)と写真集『わたしの全てにいいねして』(東京ローレライ)を同時発売した。
 詩集には20代の女性ならではの感性で書かれた言葉が並ぶ。写真集ではあどけない表情ながらセクシーな肢体を披露する。そんなモメたんは、10代の頃からリストカットやオーバードーズ(市販薬の過剰摂取)を繰り返し、自殺未遂から精神科の入院も経験しているという。今回は彼女の“今”を作り出した壮絶な半生に迫った。

◆親の喧嘩で警察が来ることも

——どうして「強欲のモメたん」と名乗るようになったのですか。

モメたん:私の人生って10代の頃から薬物依存症になったり、ホス狂いになったり。よくよく考えてみると、欲望に忠実な人間だなって思って。自分が強欲だなって自覚するためと、周りにも忠告する意味を込めてつけました(笑)。

——小さい頃は、どのような家庭環境で育ったのですか。

モメたん:パパとママの家庭内での喧嘩が激しくて。それをずっと見て育った感じですね。二人の喧嘩がすごくて、近所の人から警察を呼ばれてしまったこともありました。最初は、親の仲が悪くても平気だったのですが、だんだん思春期になるにつれてつらくなっていきました。

——周りに家庭環境がつらいというSOSを出したりはしなかったのですか?

モメたん:やっぱり、同じような環境の子じゃないとピンときてもらえない。だから言っても無駄だなって考えていた。周りからもかわいそうって思われたくなかったから、学校には普通に通っていました。かわいそうよりも、キラキラしていたいっていう思いがあったので、自分の話はしないで一人で抱えていました。

◆「家の中には居場所がなかったから」

——絵や詩はいつ頃から?

モメたん:物心がついた時からですね。家の中に居場所がなかったから、絵を描いたりするのが逃げ場みたいになっていたのかも。中学の時には美術部に入って、自分にとっては友達と遊ぶのと同じ感覚で、ずっと絵を描いていました。

——お聞きしていると、親の仲が悪かった以外はごく普通の学生生活を送っていますよね。

モメたん:そうかもしれないですね。高校卒業後は、看護学校に進学しました。父親がアルコール依存症だったので、よく介抱をしていました。その時に、看護師になったら役に立つかもしれないと思って、看護系に決めました。

——そこからは、順調でしたか?

モメたん:いえ。せっかく勉強をして学校に入ったのですが、1年くらい通って休学しました。それまではちゃんと休まず通っていたのですが、精神を病んでしまって入院することに……。結局、看護学校は休学になってしまったので戻りづらかった。でも、思い返せば17歳くらいから精神的におかしかったって思う。

◆“病み界隈”との意外な出合い

——たとえば、どういう部分が普通ではなかったと思いますか?

モメたん:すごくストレスを感じた時に、SNSで『死にたい』っていう投稿をしたんです。それまで、そんな感覚になったことがなかったから、自分にとってはすごくつらい状況で。でも、そのつぶやきに、意外といいねが付いたんですよね。それで、いいねを付けてくれた人の投稿を見にいってみると、ほかにもみんな同じようにつぶやいていて驚きました(苦笑)。そうしたら、“自分だけじゃないんだ”って、逆にはげまされたんです。

——そのアカウントは、学校の友達とか身近な人とはつながっていない匿名だったのですか?

モメたん:そうですね。病み垢って呼ばれているサブ垢で投稿していました。病み垢でつながった女の子とも会ったことがあります。でも全然、普通の会話でしたよ(笑)。

——高校を卒業してから気持ち的には大丈夫でしたか?

モメたん:いえ。うつ病になったきっかけが家庭環境だったから、一度、家からは離れておばあちゃんがいる岡山にいたのです。岡山には看護学校を休学していた1年間いたのですが、田舎だし退屈でしたね。治療目的でいったのに、良くならなくて。それで自殺未遂みたいなことをしてしまったんです……。その話を東京に住んでいる友達にしたら、『そんなことするくらいだったら、戻っておいでよ』って言われて。それでまた上京しました。

◆トー横に流れついて…

——トー横ではどういう風に過ごしていましたか?

モメたん:女の子だけではなくて、おじさんとかもいたんですよね。女の子の間で『ピル配りおじさん』と呼ばれている人がいて、不安で焦っている子に、1000円でアフターピルを売ってくれていた。遊びに行くようになってどんどん顔見知りが増えていく感じで、私はよく路上飲みをしていました。

——路上飲みとは?

モメたん:ストロングゼロをストローで飲むんですよ。そうやって仲間で集まって飲んだり騒いだりするのが楽しかった。トー横は結構、年齢の幅が広くて、家出してきている10代の子もすごく多かった。私は数カ月間、毎日のように通っていたけれど、毎日同じ子がいるわけではなかった。歌舞伎町のネカフェで寝泊まりしている子や、ホテルを泊まり歩いている子とか。みんなトー横に行けば会えるから、連絡先も交換したりしなかった。

——トー横界隈と呼ばれる子たちとは、どういうつきあいをしていましたか?

モメたん:当時、仲が良かった友達が自殺しようとして睡眠薬のオーバードーズした。その時は、警察のお世話になって終わったのですが。その数年後に、友達から電話が掛かってきて『今から、死んでくるわ』っていう挨拶みたいな連絡だった。『わかった』って電話を切ったら、その後に亡くなっちゃったみたいでした。

◆“やめたい”という気持ちがあっても難しい

——モメたん自身も、自殺未遂やリストカットの経験者ですよね。だからこそ、友達の生きるつらさみたいなのが理解できたのでしょうか。

モメたん:そうですね。私もうつ病になりはじめたのが17歳の時だから、そこからオーバードーズは何度も経験しています。最初はストレスの発散方法がわからなくて、リストカットをしちゃった。でもリストカットは傷が見えるから、周りから『どうしたの』って言われてしまう。みんなに見える傷は嫌だった。でもオーバードーズだったら、外見からは傷が見えないので。

——それで入院したこともあるんですよね。

モメたん:入院は何度も……(苦笑)。気づいたらベッドの上にいたこともありましたね。実は、去年も2回入院してて、本の出版直前も、オーバードーズが原因で1カ月ぐらい入院していたんです。ただ、最近は何をどれくらい飲んだらどうなるのかっていうのがわかってきたので、そこまで酷くはなくなっているかも。

 私は薬物依存症という病名も診断されているので、“やめたい”という気持ちがあってもなかなか難しくて……。でも病み界隈と呼ばれる人たちのSNSのアカウントとは、(関係を)切ろうって自分でも思ったんです。どうしても病み垢を見ていると、周りもやっているからって影響されてしまいそうで。私は自分の欲望に忠実な人間なので(笑)、周りがSNSでやっているのを投稿しているのを見ると、やめようと思ってもやりたくなってしまう。だから、そもそもSNSをやめようかなって悩んだこともありましたね。

——色々な経験をしてきたモメたんですが、今回、本を2冊同時に出版することになって、どう思いましたか?

モメたん:いや~。びっくりはしましたね。まさか自分の人生で本を出す機会があるとは思っていなかったので、驚きながら嬉しかったです。

——グラビアにも挑戦していますが、撮られたりすることに抵抗はなかったですか?

モメたん:過去には男性にサービスする仕事をしていて、裸でパネル写真の撮影を経験していたので抵抗はなかったですね。自分にとっては全部違和感なくできました。詩集には自分が描いた絵を載せているのですが、絵を描くことが好きなので今後はもっとそういうお仕事に関われたらいいなって思っています。

* * *

 トー横や病み界隈。そこから一歩踏み出し、新たな活動を行いたいという強欲のモメたん。さまざまな“痛み”を経験してきた彼女だからこそ、伝えられるものがあるだろう。

【強欲のモメたん】
東京都出身。アーティスト。現在は、SNSやnoteを通して作品を発信している。著書に『刺激中毒』(リブリオン)、写真集『わたしの全てにいいねして』(東京ローレライ)。X(旧Twitter):@mgmm127、note:@mgmm127

<取材・文/池守りぜね、撮影/藤井厚年>

【池守りぜね】
出版社やWeb媒体の編集者を経て、フリーライターに。趣味はプロレス観戦。ライブハウスに通い続けて四半世紀以上。家族で音楽フェスに行くのが幸せ。X(旧Twitter):@rizeneration

この記事の関連ニュース