最近SNSを“本格始動”させた俳優の上白石萌歌が、早くもバズっています。
◆上白石萌歌の投稿に“サブカル中年”が大盛り上がり
1月18日放送の『王様のブランチ』(TBS系)に出演した際に、80年代に活躍したイギリスのロックバンド「The Cure」の名曲「Friday I’m In Love」のことを語ったことで、サブカル中年が盛り上がってしまったのです。昨年の11月15日にも、すでに<The Cureってなぜこんなかっこいい~~きゃ~~~>とポストしており、彼女のThe Cure愛は本物のようです。
Xには、“今日から彼女のファンになります”、“俳優としての活動は知らないけどファンになった”、“好感度が爆上がり”とか、“若い人がThe Cureを聞いてくれて嬉しい”など、テンション高めなコメントが相次いで投稿されています。
このように、おおむね好感をもって受け止められている上白石萌歌の音楽の趣味ですが、その反応には少し引っかかる点もあります。
◆見え隠れする「上から目線の心理」
20代の女性が昔の洋楽を聞くだけの出来事を過大評価しているように見えてしまうからです。それは、市川紗椰が言うところの、「サブカルのおじさまたち」による、「◯◯を知らないでしょ?っていう、“知らないでしょハラスメント”」、「この曲聴いたことないでしょ?」といった、サブカル界隈特有のハラスメントの裏返しだとは言えないでしょうか?(スポニチアネックス 1月11日記事より)
つまり、パッと見は上白石萌歌の趣味の良さを褒めて支持しているように見えるけれども、その根拠となる論理には、傲岸不遜な上から目線の心理が見え隠れしているのですね。
確かに、趣味にも良し悪しがあり、そこにその人が持つセンスの質が現れ得ることは否定しがたい事実です。しかしながら、自分の趣味を口外する行為には、他人の目を意識した虚栄、見栄を張る意識が少なからず働くものです。
今回の上白石萌歌で言えば、20代の女性俳優がThe Cureの名前をあげることは、自身のキャリアを吟味したうえで慎重に導き出した固有名詞である可能性も十分にあるわけですね。
しかも、このあと、「キュアー先輩方」に向けて、他におすすめの曲を教えてほしい、というポストもしています。これは、“知らないでしょハラスメント”を十分に予測したうえで、あえてサブカル中年に気持ちよくマウンティングさせてあげつつ好感度をキープする高等戦術です。お見事。
いずれにせよ、ただ趣味を公言する行為ひとつ取っても、そこには複雑な社交の技術が展開されているのです。にもかかわらず、今回見られた反応の大半は、“20代の女の子なのにエラい”という感想に集約されていました。
これでは、年長者としてはあまりにも貧相だと言わざるを得ません。
◆音楽の趣味が人格を映す?錯覚の危うさ
もうひとつサブカル中年が犯しているミスは、趣味に人格を重ね合わせていることです。それまでは彼女に興味がなかったのに、特定の音楽が好きなだけで好感度が「爆上がり」してしまうという単純さ。自分が価値を認めるものと同じものを好きでいるのならば、人格的にも間違いがないだろうという、極めて独善的な論理が働いているのですね。
しかしながら、良い音楽や芸術作品が好きであることと人格の良し悪しにはなんの関係もありません。批評家のハロルド・ブルームはこう書いています。<ホメロス、ダンテ、シェイクスピア、トルストイといった最高の作家を読んだからといって、私達がより良き市民になれるわけではない。何事においても正しかった偉大なオスカー・ワイルドが言うように、芸術とは完全に役に立たないもの>(『THE WESTERN CANON』 Riverhead Books pp.16-17)なのです。
にもかかわらず、そこに必要以上の価値や情報が込められていると思い込んで、人格に投影してしまう。上白石萌歌に限らず、有名人やタレントがマニアックな趣味を持っていると明かしたときのいやらしい興奮の正体は、この錯覚について無自覚だということなのだと思います。
◆この関係で主導権を握っているのは…
同時に、この錯覚によって上白石萌歌とサブカル中年との間でシグナリングが発生していることも指摘しておくべきなのでしょう。一見豊富な知識によってマウントを取っているかに見えるサブカル中年が、実は情報劣位者なのです。手札を持っていて、主導権を握って小出しにほのめかせるのは、常に上白石萌歌。
この絶対的な関係性に気付けない愚かさも、サブカル中年の悲しさか。
このように、満を持してSNSに登場した上白石萌歌は、図らずもクリティカルな存在となったのです。
文/石黒隆之
【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。Twitter: @TakayukiIshigu4
◆上白石萌歌の投稿に“サブカル中年”が大盛り上がり
1月18日放送の『王様のブランチ』(TBS系)に出演した際に、80年代に活躍したイギリスのロックバンド「The Cure」の名曲「Friday I’m In Love」のことを語ったことで、サブカル中年が盛り上がってしまったのです。昨年の11月15日にも、すでに<The Cureってなぜこんなかっこいい~~きゃ~~~>とポストしており、彼女のThe Cure愛は本物のようです。
Xには、“今日から彼女のファンになります”、“俳優としての活動は知らないけどファンになった”、“好感度が爆上がり”とか、“若い人がThe Cureを聞いてくれて嬉しい”など、テンション高めなコメントが相次いで投稿されています。
このように、おおむね好感をもって受け止められている上白石萌歌の音楽の趣味ですが、その反応には少し引っかかる点もあります。
◆見え隠れする「上から目線の心理」
20代の女性が昔の洋楽を聞くだけの出来事を過大評価しているように見えてしまうからです。それは、市川紗椰が言うところの、「サブカルのおじさまたち」による、「◯◯を知らないでしょ?っていう、“知らないでしょハラスメント”」、「この曲聴いたことないでしょ?」といった、サブカル界隈特有のハラスメントの裏返しだとは言えないでしょうか?(スポニチアネックス 1月11日記事より)
つまり、パッと見は上白石萌歌の趣味の良さを褒めて支持しているように見えるけれども、その根拠となる論理には、傲岸不遜な上から目線の心理が見え隠れしているのですね。
確かに、趣味にも良し悪しがあり、そこにその人が持つセンスの質が現れ得ることは否定しがたい事実です。しかしながら、自分の趣味を口外する行為には、他人の目を意識した虚栄、見栄を張る意識が少なからず働くものです。
今回の上白石萌歌で言えば、20代の女性俳優がThe Cureの名前をあげることは、自身のキャリアを吟味したうえで慎重に導き出した固有名詞である可能性も十分にあるわけですね。
しかも、このあと、「キュアー先輩方」に向けて、他におすすめの曲を教えてほしい、というポストもしています。これは、“知らないでしょハラスメント”を十分に予測したうえで、あえてサブカル中年に気持ちよくマウンティングさせてあげつつ好感度をキープする高等戦術です。お見事。
いずれにせよ、ただ趣味を公言する行為ひとつ取っても、そこには複雑な社交の技術が展開されているのです。にもかかわらず、今回見られた反応の大半は、“20代の女の子なのにエラい”という感想に集約されていました。
これでは、年長者としてはあまりにも貧相だと言わざるを得ません。
◆音楽の趣味が人格を映す?錯覚の危うさ
もうひとつサブカル中年が犯しているミスは、趣味に人格を重ね合わせていることです。それまでは彼女に興味がなかったのに、特定の音楽が好きなだけで好感度が「爆上がり」してしまうという単純さ。自分が価値を認めるものと同じものを好きでいるのならば、人格的にも間違いがないだろうという、極めて独善的な論理が働いているのですね。
しかしながら、良い音楽や芸術作品が好きであることと人格の良し悪しにはなんの関係もありません。批評家のハロルド・ブルームはこう書いています。<ホメロス、ダンテ、シェイクスピア、トルストイといった最高の作家を読んだからといって、私達がより良き市民になれるわけではない。何事においても正しかった偉大なオスカー・ワイルドが言うように、芸術とは完全に役に立たないもの>(『THE WESTERN CANON』 Riverhead Books pp.16-17)なのです。
にもかかわらず、そこに必要以上の価値や情報が込められていると思い込んで、人格に投影してしまう。上白石萌歌に限らず、有名人やタレントがマニアックな趣味を持っていると明かしたときのいやらしい興奮の正体は、この錯覚について無自覚だということなのだと思います。
◆この関係で主導権を握っているのは…
同時に、この錯覚によって上白石萌歌とサブカル中年との間でシグナリングが発生していることも指摘しておくべきなのでしょう。一見豊富な知識によってマウントを取っているかに見えるサブカル中年が、実は情報劣位者なのです。手札を持っていて、主導権を握って小出しにほのめかせるのは、常に上白石萌歌。
この絶対的な関係性に気付けない愚かさも、サブカル中年の悲しさか。
このように、満を持してSNSに登場した上白石萌歌は、図らずもクリティカルな存在となったのです。
文/石黒隆之
【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。Twitter: @TakayukiIshigu4