自動車損害保険を扱うチューリッヒ保険が発表した『2024年あおり運転実態調査』によると、遭遇したあおり運転は、「激しく接近し、もっと速く走るように挑発してきた」が76.5%と最多。前回調査の23年(75.5%)とほとんど変わっていない。
ただ、故意にあおったわけでないのに、不幸なことにもめごとに発展するケースも存在するようだ。
群馬県で農家を営んでいる山中篤さん(仮名・43歳)は、群馬県内の陸橋を軽トラックで走っていた。いつものように自身の畑まで向かう通勤中、思いもよらぬ出来事の当事者になってしまう。
◆抗議の意味を込めたクラクションだったが…
陸橋から降りるため、高架の下り坂に差しかかると、前を走っていた車が急に速度を落としてノロノロ運転を始めた。これは、あとでドラレコを確認すると、エンジンブレーキをかけたようだったが、当時は知る由もない。
T字路を右折しようと思って右ウインカーを出したが、下り坂で速度が出たため、車間距離が詰まってしまった。ピッタリ相手の車の後ろに付く形になり、今にも止まりそうな速度のまま何メートルか進んだ。
「もう少しでT字路に差しかかるとき、相手の車が急ブレーキをかけて止まりました。『危ない!』と思ったので、クラクションを鳴らしてT字路を右折しました」
ところが、抗議の意味を込めたクラクションが相手の神経を逆撫でした。右折後、少し車を走らせると、バックミラーを見て驚愕する。
「相手は直進したと思っていたのですが、ものすごい勢いで私の車を追いかけてきたのです。どんどん迫ってきたので身の危険を感じました」
◆怒鳴る相手に対して、反射的に手が出てしまい…
ピッタリ背後に幅寄せされ、軽トラでは逃げきれないと思い、仕方なくその場で停車することに。
「ドアミラー越しに見ると、相手は60代前半くらい。車を降りてきたので、私も降りました。中古ですが、3カ月前に買ったばかりの車だったので、『車を守りたい、傷つけられたくない』という気持ちがありました。でも今思えば、車を降りずすぐに警察に通報するべきでした」
相手は、聞き取れない言葉で怒鳴りつつ、手を振り上げながら近づいてきた。「商売道具の軽トラに傷をつけられたらたまらない、体を張って止めなければ!」と思っているうちに、どんどんお互いの距離が縮まっていく。心臓の鼓動が聞こえるほど緊張したそうだ。
お互い相手の体に手が届きそうな距離になると、相手は「殺すぞ、この野郎!」と怒号を挙げる。山中さんは反射的に右の拳で相手の左あごを一発殴ってしまった。相手は意識を失い、右斜め後ろの田んぼのあぜの上に倒れた。
◆取り調べで「相手の人は命が危ないかもしれない」と…
「相手が起き上がって襲ってくるかもしれない」と思い、即座に軽トラに乗って、少し離れた自分の畑にエスケープ。いつものように仕事をしはじめるつもりだったが、とても集中できるような精神状態ではなかった。
「畑をウロウロしながら何があったのか整理しようと思いました。『人を殺したかもしれない』わけで、頭が真っ白になりました」
妻に電話で事の次第を説明し、その後出頭した。警察署に着くと、すぐに取り調べが始まり、「思っているより重傷かもしれない」と聞かされた。
「取り調べ中に、傷病名がいくつも並んだ書類を見せられました。頭蓋骨骨折や、脳挫傷、くも膜下出血など、7~8項目並んでいて……。さらに刑事に『相手の人は命が危ないかもしれない。予断を許さない状況です』と告げられました。『こんな大怪我を負わせてしまっていたとは……』といたたまれない気持ちになりました。そして、『相手が重体なので、あなたを逮捕します』と……」
◆刑事が納得する答えを言うまで問答が続く
山中さんは、傷害事件の被疑者として22日間身柄を拘束される。取り調べは、出頭した当日から始まり、警察と検察で計7回行われた。担当した刑事は眼光鋭く、顔を斜めに向け、まるで心の中をのぞき込むかのように見つめてきた。
「取り調べは過酷でした。相手に向かって行った理由を聞かれたときに、『車を傷づけられる恐れがあったので、相手を車に近づけたくなかった』と言っても、『いや、そうじゃないはずだ』と言い返され。
結局、『怒っていたから(向かっていきました)』と答えるまで、何度もやり取りが続きました。正直に答えたつもりでも、刑事が納得する答えを言うまで問答が続いたことはほかにもあります。
取り調べの最後には、必ず『反省していますか?』と尋ねられるのですが、これも結構苦痛でした。どんどん自分が一方的に悪かったのだという気持ちになるのです。『人を殺してしまったかもしれない』と思い込んでいたので、バイアスがかかっていたのかもしれません」
初日の取り調べは朝の9時から始まり、真っ暗になるまで続いた。昼食はなく、夜になって出されたのは小さなコンビニ弁当だけだった。
「これがドラマで見た『刑事の締め上げ』かと思いました」
◆相手が怒鳴っていた音声が消えていた?
取り調べが行われる前に当事者双方のドラレコの映像を確認した。相手は、クラクションを鳴らされたあとに、「なんだ!この野郎!!」と車内で怒鳴り、急ハンドルを切って右折。そして「止まれコラ!」「降りてこいコラ!」と怒鳴りながら近づいてきた。停車後、「オラァ!動くんじゃねぇ!降りろ、この野郎!!」と威嚇していた。とはいえ、手を出したのは山中さんだ。
その日、父親が面会に来たので、「やっぱり相手はヤバい人だった」と話すと、「相手の人は命が危ないかもしれないんだ。悪く言うんじゃない」と諭された。
留置場で年を越すことになり、刑事の取り調べを受けた。このとき、再度相手のドラレコの映像を見たが、なぜか相手が怒鳴っていた音声が消えていたという。
◆「懲役3年、執行猶予5年」という判決に
検察庁に移送されてからも取り調べは続く。検察官は、「相手は話し合いをしようとしていたのに、山中さんが一方的にスタスタ歩いて殴りに行った!」と叱責した。
保釈され、担当弁護士のところでもう一度ドラレコの映像を見た。やはり相手の怒鳴り声は消されていた。当然ながら、一方的に暴行したかのように見えてしまう。この点については今も納得していない。
地裁、高裁、最高裁と上告した結果、「懲役3年、執行猶予5年」という判決が下された。執行猶予がつくのは懲役3年まで。相手がもっと重症だったり亡くなったり、事態が深刻だったら、懲役刑になった可能性がある。
山中さんは、ドラレコの音声の件と相手の怪我の原因について真実を知りたいと考え、再審請求をしているそうだ。
<TEXT/渡辺陽>
【渡辺陽】
大阪府出身。医療ジャーナリスト、ライター。人物取材を中心に病気と共に生きる人のライフスタイルや社会問題について書いています。
ただ、故意にあおったわけでないのに、不幸なことにもめごとに発展するケースも存在するようだ。
群馬県で農家を営んでいる山中篤さん(仮名・43歳)は、群馬県内の陸橋を軽トラックで走っていた。いつものように自身の畑まで向かう通勤中、思いもよらぬ出来事の当事者になってしまう。
◆抗議の意味を込めたクラクションだったが…
陸橋から降りるため、高架の下り坂に差しかかると、前を走っていた車が急に速度を落としてノロノロ運転を始めた。これは、あとでドラレコを確認すると、エンジンブレーキをかけたようだったが、当時は知る由もない。
T字路を右折しようと思って右ウインカーを出したが、下り坂で速度が出たため、車間距離が詰まってしまった。ピッタリ相手の車の後ろに付く形になり、今にも止まりそうな速度のまま何メートルか進んだ。
「もう少しでT字路に差しかかるとき、相手の車が急ブレーキをかけて止まりました。『危ない!』と思ったので、クラクションを鳴らしてT字路を右折しました」
ところが、抗議の意味を込めたクラクションが相手の神経を逆撫でした。右折後、少し車を走らせると、バックミラーを見て驚愕する。
「相手は直進したと思っていたのですが、ものすごい勢いで私の車を追いかけてきたのです。どんどん迫ってきたので身の危険を感じました」
◆怒鳴る相手に対して、反射的に手が出てしまい…
ピッタリ背後に幅寄せされ、軽トラでは逃げきれないと思い、仕方なくその場で停車することに。
「ドアミラー越しに見ると、相手は60代前半くらい。車を降りてきたので、私も降りました。中古ですが、3カ月前に買ったばかりの車だったので、『車を守りたい、傷つけられたくない』という気持ちがありました。でも今思えば、車を降りずすぐに警察に通報するべきでした」
相手は、聞き取れない言葉で怒鳴りつつ、手を振り上げながら近づいてきた。「商売道具の軽トラに傷をつけられたらたまらない、体を張って止めなければ!」と思っているうちに、どんどんお互いの距離が縮まっていく。心臓の鼓動が聞こえるほど緊張したそうだ。
お互い相手の体に手が届きそうな距離になると、相手は「殺すぞ、この野郎!」と怒号を挙げる。山中さんは反射的に右の拳で相手の左あごを一発殴ってしまった。相手は意識を失い、右斜め後ろの田んぼのあぜの上に倒れた。
◆取り調べで「相手の人は命が危ないかもしれない」と…
「相手が起き上がって襲ってくるかもしれない」と思い、即座に軽トラに乗って、少し離れた自分の畑にエスケープ。いつものように仕事をしはじめるつもりだったが、とても集中できるような精神状態ではなかった。
「畑をウロウロしながら何があったのか整理しようと思いました。『人を殺したかもしれない』わけで、頭が真っ白になりました」
妻に電話で事の次第を説明し、その後出頭した。警察署に着くと、すぐに取り調べが始まり、「思っているより重傷かもしれない」と聞かされた。
「取り調べ中に、傷病名がいくつも並んだ書類を見せられました。頭蓋骨骨折や、脳挫傷、くも膜下出血など、7~8項目並んでいて……。さらに刑事に『相手の人は命が危ないかもしれない。予断を許さない状況です』と告げられました。『こんな大怪我を負わせてしまっていたとは……』といたたまれない気持ちになりました。そして、『相手が重体なので、あなたを逮捕します』と……」
◆刑事が納得する答えを言うまで問答が続く
山中さんは、傷害事件の被疑者として22日間身柄を拘束される。取り調べは、出頭した当日から始まり、警察と検察で計7回行われた。担当した刑事は眼光鋭く、顔を斜めに向け、まるで心の中をのぞき込むかのように見つめてきた。
「取り調べは過酷でした。相手に向かって行った理由を聞かれたときに、『車を傷づけられる恐れがあったので、相手を車に近づけたくなかった』と言っても、『いや、そうじゃないはずだ』と言い返され。
結局、『怒っていたから(向かっていきました)』と答えるまで、何度もやり取りが続きました。正直に答えたつもりでも、刑事が納得する答えを言うまで問答が続いたことはほかにもあります。
取り調べの最後には、必ず『反省していますか?』と尋ねられるのですが、これも結構苦痛でした。どんどん自分が一方的に悪かったのだという気持ちになるのです。『人を殺してしまったかもしれない』と思い込んでいたので、バイアスがかかっていたのかもしれません」
初日の取り調べは朝の9時から始まり、真っ暗になるまで続いた。昼食はなく、夜になって出されたのは小さなコンビニ弁当だけだった。
「これがドラマで見た『刑事の締め上げ』かと思いました」
◆相手が怒鳴っていた音声が消えていた?
取り調べが行われる前に当事者双方のドラレコの映像を確認した。相手は、クラクションを鳴らされたあとに、「なんだ!この野郎!!」と車内で怒鳴り、急ハンドルを切って右折。そして「止まれコラ!」「降りてこいコラ!」と怒鳴りながら近づいてきた。停車後、「オラァ!動くんじゃねぇ!降りろ、この野郎!!」と威嚇していた。とはいえ、手を出したのは山中さんだ。
その日、父親が面会に来たので、「やっぱり相手はヤバい人だった」と話すと、「相手の人は命が危ないかもしれないんだ。悪く言うんじゃない」と諭された。
留置場で年を越すことになり、刑事の取り調べを受けた。このとき、再度相手のドラレコの映像を見たが、なぜか相手が怒鳴っていた音声が消えていたという。
◆「懲役3年、執行猶予5年」という判決に
検察庁に移送されてからも取り調べは続く。検察官は、「相手は話し合いをしようとしていたのに、山中さんが一方的にスタスタ歩いて殴りに行った!」と叱責した。
保釈され、担当弁護士のところでもう一度ドラレコの映像を見た。やはり相手の怒鳴り声は消されていた。当然ながら、一方的に暴行したかのように見えてしまう。この点については今も納得していない。
地裁、高裁、最高裁と上告した結果、「懲役3年、執行猶予5年」という判決が下された。執行猶予がつくのは懲役3年まで。相手がもっと重症だったり亡くなったり、事態が深刻だったら、懲役刑になった可能性がある。
山中さんは、ドラレコの音声の件と相手の怪我の原因について真実を知りたいと考え、再審請求をしているそうだ。
<TEXT/渡辺陽>
【渡辺陽】
大阪府出身。医療ジャーナリスト、ライター。人物取材を中心に病気と共に生きる人のライフスタイルや社会問題について書いています。