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「家賃3万円」ドバイで“格安物件”を借りた40代男性が振り返る、驚きの住環境…「10人部屋で同室者は全員アフリカ人」

日刊SPA! 2025年2月1日 8時54分

 私(宮脇咲)は宮崎県から大学進学を機に上京し、現在はドバイに移住。海外の物件をメインとした不動産投資をしているほか、富裕層向けの海外移住支援も行っております。そういった経緯もあり、これまでに多くの海外移住者の方と知り合ってきました。
 今回フィーチャーするのは、ドバイに1年間滞在した経験を持つ整体師のゆうざぶろうさん(仮名・40代)です。以前から夢見ていた「海外移住」を実現するため2022年、2年間という期限を設けてドバイへ渡航。

 しかし、現地の食事が合わず、地元の人々とのコミュニケーションに苦労することもあったようです。2024年現在、ゆうざぶろうさんは日本に帰国していますが、その理由とは一体何だったのでしょうか。

◆2年間の期限を決め、2022年5月末にドバイへ渡航

 ゆうざぶろうさんはもともと東京で整体師として働いていましたが、高校時代のレスリングコーチから接骨院の院長を依頼され、地元の茨城に戻っていました。

「昔から英語が好きで、かつて英会話教室『NOVA』に通っていました。約80万円の受講料を支払っていましたが、2007年にNOVAが倒産してしまいました。しかし、再起したNOVAに再び入会したことを機に、本格的に英語の勉強を始めたのです」

 勉強していくうちに、幼い頃からの夢だった「海外に住むこと」を強く意識するようになり、海外でできる仕事を探し始めました。

 2021年、ゆうざぶろうさんはドバイのある企業の面接を受けるチャンスが訪れました。そのときに柔道整復師であることを伝えると、なんと「来月からすぐに来てほしい」と驚きのオファーを受けたのです。しかし、当時は日本で接骨院を経営していたため、すぐにドバイへ行くことはできず、泣く泣く内定を辞退しました。

 一度は諦めたドバイへの道でしたが、海外でチャレンジしたいという気持ちは消えることはなかったといいます。周囲の人たちの後押しや、「両親が元気なうちに」という思いが重なり、2年間の期限付きでドバイへ渡航することを決意。経営していた接骨院を閉店し、幸運なことに店舗もタイミング良く売却することができました。

「飛行機のチケットを取ってすぐに行ってしまったほうが早いと考え2022年3月、航空券を手配。そして同年5月末、ついにドバイへと飛び立ちました」

◆家賃3万円と格安も、現地の食事が合わず…

 しかし、ドバイでの生活はなかなかうまくはいきませんでした。

「渡航直後は、渡航費やホテル代などの出費が重なり、さらに仕事も決まっていなかったため、金銭面で苦労しました。そのような不安定な状況のなか、住居探しを始めましたが、予算に合う物件を見つけるのは大変でしたね。最終的には、大人数でシェアして住む『ヴィラ』と呼ばれる一軒家に落ち着くことになりました」

 ゆうざぶろうさんが借りたヴィラは合計6部屋あり、家賃は1か月で3万円。各部屋には2段ベッドが5台ずつ設置されており、借りた部屋は本人を含め10人が住んでいました。同室者は全員アフリカ人だったそうです。

 ヴィラに住みながら、アパートを探しを継続したものの、ドバイでは物件のサブリース(転貸し)が一般的で、価格が非常に高かったため、結局、帰国までの1年間は、そこに住むことになりました。

「さらに食事は現地の料理が口に合わず、ずっと日本食が恋しかったです。現地の安い日本食を試してみましたが、やはり味が合いませんでした」

◆仕事は順調な滑りだし。法人を設立しビジネスライセンス取得

 一方で仕事は順調な滑り出しでした。ドバイに渡ってすぐ、Facebookに「ドバイで柔道整復師をしています」と投稿したところ、数日後には仕事の依頼が来るようになりました。しかし、ドバイでビジネスをするにはライセンスが必要です。そのライセンスを得るには、法人を設立する必要がありました。

 そこで、現地の(日本語を話さない)エージェントのサポートを受けて法人を設立し、無事にライセンスを取得。ゆうざぶろうさんは日本人エージェントを通さなかったため、法人設立とライセンス取得にかかった費用は60万〜70万円ほどで済み、費用を抑えることができました。

「私が取得したライセンスは『フリーゾーン』というカテゴリーです。このライセンスでは、医院のような店舗を持つことができず、出張型のサービスのみが許可されています。ドバイには『メインランド』という別のライセンスカテゴリーもあります。こちらはレストランやオフィスなど、店舗を必要とする事業の場合に取得されることが多いです。

 しかし、メインランドのライセンスは取得費用が高く、さらに店舗のテナント料も発生するため、初期投資が大きくなってしまいます。そのため、初期費用を抑えるために、私はフリーゾーンのライセンスを選びました」

 さらに、とある日本人スポーツ選手と出会い、出張柔道整復師として体のケアをサポートするチャンスが訪れました。この選手からの紹介で、ほかの日本人からの依頼も増え、収入は案件によって変動するものの、平均で月20万円ほどになりました。

◆現地人は、時間にも仕事にもルーズだった

 そんなドバイでの生活は、「日本の常識が通用しないことの連続だった」といいます。現地の人々の時間や仕事に対するルーズさには特に苦労したそうです。

「接客していたお客様の9割は日本人だったので、接客自体は大きな問題なくこなせていました。しかし、ビジネスとなると話は別です。例えば、現地の人たちは時間にルーズなのが当たり前で、約束の時間に平気で遅れてくるのは日常茶飯事でした」

 痛い目に遭ったのは、ヴィラの転貸しビジネスを始めようとしたときです。ゆうざぶろうさんが住んでいたヴィラの物件を貸していた現地のディーラーに、「転貸しの仕事を始めたい」と相談したところ、彼は自分の抱える問題を打ち明けてきました。

「彼はヴィラの物件をたくさん売りたがっていたものの、手が回らず困っていたのです。さらに、ヴィラに住んでいるアフリカ人の管理が大変で、出入りも激しいという問題も抱えていました。そこで彼は、『利益の半分を渡すから一緒にやらないか?』と持ちかけてきました。人手不足で困っているようだったので、私も協力することにしました。

 しかし、実際にビジネスを始めてみると、彼は約束を守らないことが多く、家賃の回収も頻繁に遅れるという始末でした。『明日払う』と言っておきながら、一週間以上も連絡が取れないこともありましたし、やっと連絡が取れたと思ったら、また別の言い訳をする、ということが何度も続きました。このような状況が続き、私の精神的な余裕もなくなっていきました」

 余裕がなくなると、彼と喧嘩になることもあり、まさに踏んだり蹴ったりの毎日だったそうです。このような出来事は珍しくなく、どの国の人に対しても、日本人のようにきちんと対応してもらえることは多くありません。

 約束を守らない、連絡がルーズ、責任感がない……といったことが頻繁に起こり、「ドバイで日本のビジネス常識は通用しない」と、身をもって体験しました。

◆挑戦しやすい環境、しかし英語は意外に上達しない

 2024年4月、不満が募ったゆうざぶろうさんは一時帰国することに。日本に戻った後、以前から興味を持っていた整体師のアルバイトを始めたところ、仕事は順調に進み、すぐにドバイで得ていた収入を上回るようになりました。

 さらに、日本の物価がドバイよりも安かったこともあり、日本に留まることを決意しました。現在もドバイに戻らず、日本で整体師として働いています。

 ドバイに住んだ1年間を通し、「海外移住にはメリットとデメリットの両方があることを実感した」と総括。個人的なメリットとしては、長年の夢だったスポーツ選手への施術を実現できたことが大きな収穫です。スポーツ選手のケアは非常にやりがいのある経験でした。

「もちろん、英語は話しますが、ドバイは多民族国家であり、皆が流暢に英語を話すわけではありません。うまく話せる方でも訛りが強いことが多く、正しい文法で話しても伝わらないことがあります」

 多民族国家であるドバイでは、様々な訛りの英語が飛び交っており、必ずしも英語力向上に最適な環境とは言えません。ゆうざぶろうさんも、ドバイにいる日本人には信用できないと感じたことがあるようです。

「日本人の友人との間に金銭トラブルが発生し、荷物を失うという経験もしました。ヴィラの住居に荷物を置いたまま手ぶらで一時帰国したのですが、本当はその友人が荷物を日本に送ってくれる予定でした。しかし、彼との連絡が途絶えてしまい、仕方なく諦めざるを得ませんでした。それでも、法人を立ち上げるなどの手続きをすべて英語で行ったことで、『自分は英語を話せるんだ』『英語圏で生活できるんだ』という自信につながりました。

◆パッションだけで海外移住を決めず、綿密な事前準備を

 最後に海外移住に向いている方と向いていない方について教えてもらいました。

「まず、英語で挑戦したい方は海外移住に向いていると言えます。私自身、前述のように酸いも甘いも経験しましたが、ドバイでの生活を全く後悔していません。一方、英語が全く話せないのに情熱だけで海外移住を考えている方には、あまり向いていないかもしれません。そういった方は、会話のたびに翻訳ツールを使うと聞きますが、それでは円滑なコミュニケーションを取るのは難しいでしょう。目的によって異なりますが、旅行や日常生活程度であれば、日常会話ができるレベルの英語力があれば十分です」

 ゆうざぶろうさんの場合は、ビジネス英語に加えて医療英語も必要だったため、かなり勉強をしたそうです。英語の勉強を始めたのは42歳のときで、仕事の合間を縫って中学の文法からやり直していたと話します。

「ドバイに行くまでの約4年間、一生懸命勉強し、英検準1級を取得しました。それでも十分ではないと感じ、アカデミックな医療用語も学びました。つまり、40歳を超えても、意欲次第で海外移住にチャレンジすることはできます」

<取材・文/宮脇咲(みやわき・さき) 写真提供/ゆうざぶろう>

【宮脇咲(みやわき・さき)】
海外不動産投資家・海外移住コンサルタント。1997年宮崎県生まれ。UAEドバイ在住。お茶の水女子大学在学時に、暗号資産投資で大きな利益を出し、分散投資の一つとして不動産投資をスタートする。大学3年生の21歳から国内不動産投資を始め、国内3棟18室を保有し利回り20%以上の物件を運営し、その後いくつかの物件を売却。22歳で海外不動産投資へ進出し、ジョージア、トルコ(イスタンブール)、アラブ首長国連邦(ドバイ)に不動産を所有。現在は、個人投資家として資産運用をしながら、富裕層、経営者、投資家への資産コンサルティングのほか、海外移住のアドバイザーとしても活動。チャンネル登録者数約6万人のYoutubeチャンネル「さきの海外不動産しか勝たん」を運営。

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