―[モラハラ夫の反省文]―
DV・モラハラ加害者が、愛と配慮のある関係を作る力を身につけるための学びのコミュニティ「GADHA」を主宰しているえいなかと申します。コミュニティではさまざまなグチや悩みなども共有されるのですが、共通するものがたくさんあります。
「パートナーが紙パックのリサイクルに非協力的なんです。仕方ないから、いつも自分一人でやっています。少しくらい協力してくれたってよさそうなものなのに……」(Aさん)
今回はこのセリフの背景に迫りたいと思います。
最近、パートナーとの喧嘩が増えてきたことがきっかけでGADHAに参加しているAさん。インターネット検索で偶然見つけたGADHAのページに記載されている内容が、これまでの自分によくあてはまり、とても驚いたと言います。思い切ってSlackにも参加し、今は自分の加害報告や変容報告を重ねながら、愚痴や弱音もこぼしつつ、パートナーとのコミュニケーションを日々試行錯誤しているそうです。
そんなAさんの紙パックリサイクルをめぐる状況について、僕はもう少し詳しく話を聞いてみると、Aさんは次のように教えてくれました。
「うちの家族は皆、牛乳や野菜ジュースが好きで、よく紙パック飲料を購入するんです。だからこそ、少しでも環境負荷を軽減できるように、自分としてはリサイクルには積極的に協力していきたいと考えているのですが、パートナーはリサイクルには消極的で。可燃ごみとして捨てようとしていたのを自分が止めることもしょっちゅうです。
だから、家でリサイクル関係のことは結局、自分が一人で何もかもやっている状態なんです。子どももまだ小さくて手伝いを頼めないし……。リサイクルは自分のちょっとした心がけでできることなのですから、異常気象や地球温暖化の叫ばれる昨今、もう少し協力してくれたって罰は当たらないと思うのですが……。
先日も、次のようなやり取りがあって、パートナーと口論になってしまったんです」
ある日、Aさんが仕事で夜遅くに疲れて帰宅したら、偶然、パートナーが牛乳パックをゆすいでいる場面を目撃したそうです。Aさんは、ついにパートナーが協力してくれる気になってくれたと嬉しくなったのですが、よく見ると、もう自分がゆすいで置いてあった牛乳パックをもう一度洗い直しているところでした。
がっかりしたAさんは、パートナーと次のように口論になったと教えてくれました。
◆「環境への配慮は常識」とこだわりを押し付ける夫
この会話には複数の要素があるので、番号で区切ることにします。
【1】
Aさん:「その牛乳パックは、もうゆすいであったんだけど」
パートナーBさん(以下、Bさん):「臭いがしていたから、気になって」
Aさん:「文句があるなら、自分でやってよ。リサイクル関係のことをしているのはいつもこちらばかりなんだからさ」
Bさん:「だから、自分でしているじゃない!言うとケンカになると思ったから、何も言わずにしていたのに……」
【2】
Aさん:「飲み終わった紙パックをゆすぐくらいは、協力してくれてもいいんじゃない?」
Bさん:「だから、私は申し訳ないけれど、紙パックは、正直、今は可燃ごみで出したらいいと思っている。子どもが小さくて色々手のかかる時期なんだし……。あなたが『リサイクルが大事』というから、あなたがリサイクルに持っていくまで『邪魔だな』と思っても、文句も言わずに黙って協力しているのに。さらに私がゆすぐのもしないといけないわけ?」
【3】
Aさん:「今時、環境に配慮してリサイクルに協力するのは常識でしょ? リサイクルしないなんてありえない!」
Bさん:「こうやってケンカになるから普段は言わないのに……。自分の価値観を一方的に押し付けてくるのはやめて!!」
Aさんは、この時点で「しまった!」と思ったそうですが、もはや後の祭りだったそうです。
今回のAさんとパートナーとの口論の原因は、どこにあったのでしょうか?
大きくは、①物理的な原因と、②コミュニケーション上の原因が考えられます。
1つ目の物理的な原因は明快です。Aさんのゆすいでおいた牛乳パックからパートナーが気になるレベルの臭いが発生していたことです。
2つ目の、コミュニケーション上の主な原因としては、Aさんが「紙パックが臭わないようにしてほしい」というBさんに対して、それを受け止めたり、寄り添ったりせず、唐突に論点をすり替えたこと【2】、
そして、相手を悪者にし(=Aさん自身の行為を正当化し)攻撃することで自分の弱さ、不完全さ、傷つきから目を背け【2】、さらに、Aさん自身のニーズ(パートナーが紙パックリサイクルに協力してほしい)に対するケアの強要【3】も始めてしまったこと
が考えられます。
◆リサイクルのためではなく、「臭いから」とすすいだことに対する不満
では、一体なぜ、Aさんはこのような反応をしてしまったのでしょうか?
Aさんは、パートナーが自分のゆすいだ牛乳パックをゆすいでいるところを見て、どう感じていたのでしょうか。
「最初、パートナーに『自分の思いがやっと通じたんだ!』と嬉しくなりました。でも、実際にはそうじゃなかったんです。だから、余計にがっかりして腹が立ったんだと思います……。GADHAで学び、自分としては、パートナーに加害しないようにしよう、パートナーを少しでもケアしようと日頃から気をつけていただけに、『自分としてはこんなに頑張っているのに、まだダメなのか……』と、すごくショックでした」
僕は、Aさんに聞いてみました。
「Aさんとしては、実際の自分の状況と、自分の思い描く理想の状況とのギャップが大き過ぎて、到底それを認めたり受け入れたりできる心境ではなかった、もっと言えば『認めたら負けだ!』くらいに感じていたということでしょうか?」
Aさんは、「そう……そうです!そうなんです!!自分ができていないことを認めてしまったら、何だか今までの自分の頑張りや努力が、何なら存在や人生そのものまでが全て無意味になってしまうような気がして……」と力なくつぶやきました。
このケースに関して、Aさんは、今後どのようにすることができるのか、考えてみたいと思います。
まず、物理的なレベルでは、Aさんがこれまで以上に牛乳パックをしっかりゆすいだり、パートナーが普段利用しない別の場所にゆすいだ紙パックを置いておく等、そもそもパートナーが気になる臭いを発生させていなければ、パートナーとの口論は避けられると思われます。
その際のポイントとしては、解決策を「(相手ではなく)自分の行動の中に見出すこと」です。なぜなら、今回のケースのように「他者の行動を支配(コントロール)しようとする(=自分が相手に解釈を強要する)こと」はモラハラの最たるものであり、そのようなケアの方法は持続不可能だからです。
また、コミュニケーションのレベルでは、①相手のニーズや感じている感情を受け止めたり、寄り添ったりするとともに、②自分の非を率直に認めること、そして、③自分の期待とは異なるパートナーからの反応(相手からのNo)から、素直に学び直そうとすることが考えられます。
例えば、今回のケースであれば、パートナーの表明してくれたニーズ「紙パックが臭わないようにしてほしい」に対して、
「臭くしてしまってごめんね。すぐに片づけるよ」
「次からはすすぐ回数を増やして、臭くならないように気をつけるね」
といった趣旨のことをAさんがパートナーへ伝えられていたなら、おそらく違う結果になっていたと思われます。
◆ケアは相手のニーズを理解してようやく成り立つ
最後に、僕はAさんの話の中で感じた違和感を、思い切って伝えてみることにしました。
「先ほど、Aさんは『パートナーに加害しないようにしよう、パートナーを少しでもケアしようと日頃から気をつけている』と言っておられましたが、この紙パックリサイクルに関して、Aさんのパートナーのニーズは何だとお考えですか?」
「え?……えーと何だろう?……『紙パックを臭わないようにしてほしい』……でしょうか?」
そして、重ねて質問してみました。
「そうですね。それもあると思います。他にはどうでしょうか?今のAさんのパートナーのもっと大きなニーズというか、根本的なニーズは何でしょうか?」
「え……、うーん……。……何だろう?」
Aさんは言葉に詰まってしまいましたが、僕は続けました。
「Aさん。相手のニーズがわからない状態では、いくら『ケアしよう(=相手のニーズを満たそう)』と意識していても、具体的に相手をケアすることはできませんよね。
今回のケースで言えば、紙パックリサイクルに関してAさんのパートナーが感じ考えていること『子どもが小さくて色々手のかかる時期なんだから、今は可燃ごみで出したい』に対して、尊重した言動をAさんができるのかということです。
残念ながら、Aさんの話をお聞きする限り、Aさんは、パートナーのニーズよりも、概ね一貫して『リサイクルしたい!』というご自身のニーズの方を優先した言動をしているように感じました。だからこそ、『パートナーに思いが通じたと思ったけど、そうじゃなくてガックリきた』という話なのではないでしょうか?」
「あ……。確かに、そう……ですね……」
Aさんは、小さな声で、うつむき加減に答えてくれました。
◆相手がしてくれたことに対し、シンプルに感謝を示すことが大事
そして、僕がAさんのパートナーはもう既にAさんに対して相当気を遣ってくれている旨を伝えると、Aさんは「……え?そうですか?パートナーは今もリサイクルには非協力的なんですよ!?」と驚いて顔を上げました。
なぜなら、普段は『今は紙パックリサイクルに協力できない』と常々表明しているパートナー自身が、自分の気になった牛乳パックの臭いについて、Aさんには何も言わずに、自分でゆすいでいたのです。
それはAさんの『リサイクルが大事』という価値観【ニーズ】に対して、パートナーが現状できる限り最大限の尊重【ケア】をしてくれているということです。
それを聞くとAさんは、「…………あ!……言われてみれば……確かに……そうかも……」と一言一言かみしめるように答えてくれました。
僕は、一呼吸置いて次のように提案してみました。
「Aさんは、もう既に自分のニーズをパートナーにケアしてもらっているのですから、それに対して感謝することだってできるはずですよね。今、Aさんがパートナーにしてもらっていることは、牛乳パックの件に限らず、何一つとして当たり前のことではありません。『加害しない』とか『ケアしよう』とかあまり難しく考え過ぎないで、まずは、シンプルに感謝の言葉を伝えてみるのはどうでしょうか?」
Aさんは、少し沈黙した後、
「……そうですね。パートナーに感謝の気持ちを改めてはっきりと伝えることにチャレンジしてみます」と、静かに答えてくれました。
◆相手の考えや厚意をないがしろにするのも十分に「加害行為」である
(被害者かもしれないあなたへ)
もしもあなたが、相手の意向に「喜んで、主体的に」従わなければいけないと思い込まされているとしたら、一緒にいることが辛くなってくるかもしれません。それは決してあなたが悪いわけではありません。身近な人に相談しても「それくらい普通でしょ」とか「大袈裟な……」とか、ひどいと、逆に「あなたにも問題があるのでは?」などと言われることもあるかもしれません。
くれぐれも一人で抱え込まずに、早めに専門家へ相談してみることをお勧めします。
(加害者かもしれないあなたへ)
「加害」とは、相手への直接的な暴力・暴言だけに限定されません。相手の厚意や、感じ考えていることなどを軽視し、蔑ろにすることも、重大な「加害」です。
「自分は正しい」「相手が間違っている」と思えるときにこそ、相手が、なぜ、そのように感じ考え、行動しているのかといった、相手の価値観や背景などを知ろうとすること、そして、それらを尊重していくことが重要になります。自分の価値観や考えなどを一旦脇に置き、自分以外の視点から改めて考え直してみることで、相手や自分自身の、本当の価値観やニーズに気づくこともよくある話です。
また、加害者には、以前の記事『不幸や孤独を脱するためには、「愛されること」よりも「愛を受け取る能力」がより重要な理由』で述べたように、既に与えられている愛情に気づけない人が少なくありません。
相手と真に「持続可能な人間関係」を築いていくために重要なことは、自分勝手な期待や理想、あるいは世間の常識などを振りかざし、相手に文句や皮肉を言ったりすることではありません。今、もう既にあなたが受け取っていることに改めて気づき、感謝の気持ちを具体的に伝えていくことなのです。
【えいなか】
DV・モラハラなど、人を傷つけておきながら自分は悪くないと考える「悪意のない加害者」の変容を目指すコミュニティ「GADHA」代表。自身もDV・モラハラ加害を行い、妻と離婚の危機を迎えた経験を持つ。加害者としての自覚を持ってカウンセリングを受け、自身もさまざまな関連知識を学習し、妻との気遣いあえる関係を再構築した。現在はそこで得られた知識を加害者変容理論としてまとめ、多くの加害者に届け、被害者が減ることを目指し活動中。大切な人を大切にする方法は学べる、人は変われると信じています。賛同下さる方は、ぜひGADHAの当事者会やプログラムにご参加ください。ツイッター:えいなか
―[モラハラ夫の反省文]―
DV・モラハラ加害者が、愛と配慮のある関係を作る力を身につけるための学びのコミュニティ「GADHA」を主宰しているえいなかと申します。コミュニティではさまざまなグチや悩みなども共有されるのですが、共通するものがたくさんあります。
「パートナーが紙パックのリサイクルに非協力的なんです。仕方ないから、いつも自分一人でやっています。少しくらい協力してくれたってよさそうなものなのに……」(Aさん)
今回はこのセリフの背景に迫りたいと思います。
最近、パートナーとの喧嘩が増えてきたことがきっかけでGADHAに参加しているAさん。インターネット検索で偶然見つけたGADHAのページに記載されている内容が、これまでの自分によくあてはまり、とても驚いたと言います。思い切ってSlackにも参加し、今は自分の加害報告や変容報告を重ねながら、愚痴や弱音もこぼしつつ、パートナーとのコミュニケーションを日々試行錯誤しているそうです。
そんなAさんの紙パックリサイクルをめぐる状況について、僕はもう少し詳しく話を聞いてみると、Aさんは次のように教えてくれました。
「うちの家族は皆、牛乳や野菜ジュースが好きで、よく紙パック飲料を購入するんです。だからこそ、少しでも環境負荷を軽減できるように、自分としてはリサイクルには積極的に協力していきたいと考えているのですが、パートナーはリサイクルには消極的で。可燃ごみとして捨てようとしていたのを自分が止めることもしょっちゅうです。
だから、家でリサイクル関係のことは結局、自分が一人で何もかもやっている状態なんです。子どももまだ小さくて手伝いを頼めないし……。リサイクルは自分のちょっとした心がけでできることなのですから、異常気象や地球温暖化の叫ばれる昨今、もう少し協力してくれたって罰は当たらないと思うのですが……。
先日も、次のようなやり取りがあって、パートナーと口論になってしまったんです」
ある日、Aさんが仕事で夜遅くに疲れて帰宅したら、偶然、パートナーが牛乳パックをゆすいでいる場面を目撃したそうです。Aさんは、ついにパートナーが協力してくれる気になってくれたと嬉しくなったのですが、よく見ると、もう自分がゆすいで置いてあった牛乳パックをもう一度洗い直しているところでした。
がっかりしたAさんは、パートナーと次のように口論になったと教えてくれました。
◆「環境への配慮は常識」とこだわりを押し付ける夫
この会話には複数の要素があるので、番号で区切ることにします。
【1】
Aさん:「その牛乳パックは、もうゆすいであったんだけど」
パートナーBさん(以下、Bさん):「臭いがしていたから、気になって」
Aさん:「文句があるなら、自分でやってよ。リサイクル関係のことをしているのはいつもこちらばかりなんだからさ」
Bさん:「だから、自分でしているじゃない!言うとケンカになると思ったから、何も言わずにしていたのに……」
【2】
Aさん:「飲み終わった紙パックをゆすぐくらいは、協力してくれてもいいんじゃない?」
Bさん:「だから、私は申し訳ないけれど、紙パックは、正直、今は可燃ごみで出したらいいと思っている。子どもが小さくて色々手のかかる時期なんだし……。あなたが『リサイクルが大事』というから、あなたがリサイクルに持っていくまで『邪魔だな』と思っても、文句も言わずに黙って協力しているのに。さらに私がゆすぐのもしないといけないわけ?」
【3】
Aさん:「今時、環境に配慮してリサイクルに協力するのは常識でしょ? リサイクルしないなんてありえない!」
Bさん:「こうやってケンカになるから普段は言わないのに……。自分の価値観を一方的に押し付けてくるのはやめて!!」
Aさんは、この時点で「しまった!」と思ったそうですが、もはや後の祭りだったそうです。
今回のAさんとパートナーとの口論の原因は、どこにあったのでしょうか?
大きくは、①物理的な原因と、②コミュニケーション上の原因が考えられます。
1つ目の物理的な原因は明快です。Aさんのゆすいでおいた牛乳パックからパートナーが気になるレベルの臭いが発生していたことです。
2つ目の、コミュニケーション上の主な原因としては、Aさんが「紙パックが臭わないようにしてほしい」というBさんに対して、それを受け止めたり、寄り添ったりせず、唐突に論点をすり替えたこと【2】、
そして、相手を悪者にし(=Aさん自身の行為を正当化し)攻撃することで自分の弱さ、不完全さ、傷つきから目を背け【2】、さらに、Aさん自身のニーズ(パートナーが紙パックリサイクルに協力してほしい)に対するケアの強要【3】も始めてしまったこと
が考えられます。
◆リサイクルのためではなく、「臭いから」とすすいだことに対する不満
では、一体なぜ、Aさんはこのような反応をしてしまったのでしょうか?
Aさんは、パートナーが自分のゆすいだ牛乳パックをゆすいでいるところを見て、どう感じていたのでしょうか。
「最初、パートナーに『自分の思いがやっと通じたんだ!』と嬉しくなりました。でも、実際にはそうじゃなかったんです。だから、余計にがっかりして腹が立ったんだと思います……。GADHAで学び、自分としては、パートナーに加害しないようにしよう、パートナーを少しでもケアしようと日頃から気をつけていただけに、『自分としてはこんなに頑張っているのに、まだダメなのか……』と、すごくショックでした」
僕は、Aさんに聞いてみました。
「Aさんとしては、実際の自分の状況と、自分の思い描く理想の状況とのギャップが大き過ぎて、到底それを認めたり受け入れたりできる心境ではなかった、もっと言えば『認めたら負けだ!』くらいに感じていたということでしょうか?」
Aさんは、「そう……そうです!そうなんです!!自分ができていないことを認めてしまったら、何だか今までの自分の頑張りや努力が、何なら存在や人生そのものまでが全て無意味になってしまうような気がして……」と力なくつぶやきました。
このケースに関して、Aさんは、今後どのようにすることができるのか、考えてみたいと思います。
まず、物理的なレベルでは、Aさんがこれまで以上に牛乳パックをしっかりゆすいだり、パートナーが普段利用しない別の場所にゆすいだ紙パックを置いておく等、そもそもパートナーが気になる臭いを発生させていなければ、パートナーとの口論は避けられると思われます。
その際のポイントとしては、解決策を「(相手ではなく)自分の行動の中に見出すこと」です。なぜなら、今回のケースのように「他者の行動を支配(コントロール)しようとする(=自分が相手に解釈を強要する)こと」はモラハラの最たるものであり、そのようなケアの方法は持続不可能だからです。
また、コミュニケーションのレベルでは、①相手のニーズや感じている感情を受け止めたり、寄り添ったりするとともに、②自分の非を率直に認めること、そして、③自分の期待とは異なるパートナーからの反応(相手からのNo)から、素直に学び直そうとすることが考えられます。
例えば、今回のケースであれば、パートナーの表明してくれたニーズ「紙パックが臭わないようにしてほしい」に対して、
「臭くしてしまってごめんね。すぐに片づけるよ」
「次からはすすぐ回数を増やして、臭くならないように気をつけるね」
といった趣旨のことをAさんがパートナーへ伝えられていたなら、おそらく違う結果になっていたと思われます。
◆ケアは相手のニーズを理解してようやく成り立つ
最後に、僕はAさんの話の中で感じた違和感を、思い切って伝えてみることにしました。
「先ほど、Aさんは『パートナーに加害しないようにしよう、パートナーを少しでもケアしようと日頃から気をつけている』と言っておられましたが、この紙パックリサイクルに関して、Aさんのパートナーのニーズは何だとお考えですか?」
「え?……えーと何だろう?……『紙パックを臭わないようにしてほしい』……でしょうか?」
そして、重ねて質問してみました。
「そうですね。それもあると思います。他にはどうでしょうか?今のAさんのパートナーのもっと大きなニーズというか、根本的なニーズは何でしょうか?」
「え……、うーん……。……何だろう?」
Aさんは言葉に詰まってしまいましたが、僕は続けました。
「Aさん。相手のニーズがわからない状態では、いくら『ケアしよう(=相手のニーズを満たそう)』と意識していても、具体的に相手をケアすることはできませんよね。
今回のケースで言えば、紙パックリサイクルに関してAさんのパートナーが感じ考えていること『子どもが小さくて色々手のかかる時期なんだから、今は可燃ごみで出したい』に対して、尊重した言動をAさんができるのかということです。
残念ながら、Aさんの話をお聞きする限り、Aさんは、パートナーのニーズよりも、概ね一貫して『リサイクルしたい!』というご自身のニーズの方を優先した言動をしているように感じました。だからこそ、『パートナーに思いが通じたと思ったけど、そうじゃなくてガックリきた』という話なのではないでしょうか?」
「あ……。確かに、そう……ですね……」
Aさんは、小さな声で、うつむき加減に答えてくれました。
◆相手がしてくれたことに対し、シンプルに感謝を示すことが大事
そして、僕がAさんのパートナーはもう既にAさんに対して相当気を遣ってくれている旨を伝えると、Aさんは「……え?そうですか?パートナーは今もリサイクルには非協力的なんですよ!?」と驚いて顔を上げました。
なぜなら、普段は『今は紙パックリサイクルに協力できない』と常々表明しているパートナー自身が、自分の気になった牛乳パックの臭いについて、Aさんには何も言わずに、自分でゆすいでいたのです。
それはAさんの『リサイクルが大事』という価値観【ニーズ】に対して、パートナーが現状できる限り最大限の尊重【ケア】をしてくれているということです。
それを聞くとAさんは、「…………あ!……言われてみれば……確かに……そうかも……」と一言一言かみしめるように答えてくれました。
僕は、一呼吸置いて次のように提案してみました。
「Aさんは、もう既に自分のニーズをパートナーにケアしてもらっているのですから、それに対して感謝することだってできるはずですよね。今、Aさんがパートナーにしてもらっていることは、牛乳パックの件に限らず、何一つとして当たり前のことではありません。『加害しない』とか『ケアしよう』とかあまり難しく考え過ぎないで、まずは、シンプルに感謝の言葉を伝えてみるのはどうでしょうか?」
Aさんは、少し沈黙した後、
「……そうですね。パートナーに感謝の気持ちを改めてはっきりと伝えることにチャレンジしてみます」と、静かに答えてくれました。
◆相手の考えや厚意をないがしろにするのも十分に「加害行為」である
(被害者かもしれないあなたへ)
もしもあなたが、相手の意向に「喜んで、主体的に」従わなければいけないと思い込まされているとしたら、一緒にいることが辛くなってくるかもしれません。それは決してあなたが悪いわけではありません。身近な人に相談しても「それくらい普通でしょ」とか「大袈裟な……」とか、ひどいと、逆に「あなたにも問題があるのでは?」などと言われることもあるかもしれません。
くれぐれも一人で抱え込まずに、早めに専門家へ相談してみることをお勧めします。
(加害者かもしれないあなたへ)
「加害」とは、相手への直接的な暴力・暴言だけに限定されません。相手の厚意や、感じ考えていることなどを軽視し、蔑ろにすることも、重大な「加害」です。
「自分は正しい」「相手が間違っている」と思えるときにこそ、相手が、なぜ、そのように感じ考え、行動しているのかといった、相手の価値観や背景などを知ろうとすること、そして、それらを尊重していくことが重要になります。自分の価値観や考えなどを一旦脇に置き、自分以外の視点から改めて考え直してみることで、相手や自分自身の、本当の価値観やニーズに気づくこともよくある話です。
また、加害者には、以前の記事『不幸や孤独を脱するためには、「愛されること」よりも「愛を受け取る能力」がより重要な理由』で述べたように、既に与えられている愛情に気づけない人が少なくありません。
相手と真に「持続可能な人間関係」を築いていくために重要なことは、自分勝手な期待や理想、あるいは世間の常識などを振りかざし、相手に文句や皮肉を言ったりすることではありません。今、もう既にあなたが受け取っていることに改めて気づき、感謝の気持ちを具体的に伝えていくことなのです。
【えいなか】
DV・モラハラなど、人を傷つけておきながら自分は悪くないと考える「悪意のない加害者」の変容を目指すコミュニティ「GADHA」代表。自身もDV・モラハラ加害を行い、妻と離婚の危機を迎えた経験を持つ。加害者としての自覚を持ってカウンセリングを受け、自身もさまざまな関連知識を学習し、妻との気遣いあえる関係を再構築した。現在はそこで得られた知識を加害者変容理論としてまとめ、多くの加害者に届け、被害者が減ることを目指し活動中。大切な人を大切にする方法は学べる、人は変われると信じています。賛同下さる方は、ぜひGADHAの当事者会やプログラムにご参加ください。ツイッター:えいなか
―[モラハラ夫の反省文]―