お笑いコンビ「宮下草薙」の宮下兼史鷹(33)が、お笑いコンビ「鬼越トマホーク」のYouTubeチャンネル「鬼越トマホーク喧嘩チャンネル」に出演。26日に配信された動画で、自身の生い立ちを語った。
家族について「親父が不良な感じで、母親がキャバ嬢やってたり」と紹介した宮下。母がキャバクラ店に勤務するようになったのは、宮下が小学生のころで「離婚してから、働かないとってなって、親父が養育費を入れてくれてなかったんで、母親が女手一人で僕を育てなきゃいけなかったんで、キャバクラで働くっていう。水商売は割がいいんで」という。
そして、宮下が小学5年生になると、母はうつ病を発症。過食症の症状が出始め「そっから結構家の雰囲気もガラっと変わっちゃったというか」と振り返った。
しかし「なんとなく嫌だなと思ってたんですけど、学校行ったときに、それをネタにしたんですよ。過食症の人って、太らないようにチューイングっていう行為をするんですよ。要は、食べ物をかむだけ。かんで、飲み込まずに出す。あるとき僕が家帰って、ポテトチップスがあったので食べようと思ったら、チューイングされたやつだったっていう話を小学生のときにしたら、めちゃくちゃウケて。そのときに、一般的に不幸って言われることも、笑いに変えれば、精神衛生上すごくいいなと思って。そっから、母親のうつとか過食症が、僕の中で全くそういうものじゃなくなった」と思考を明るく変換できるように。
その後、高校に入学するも、わずか半年で中退。「母親の病気があったんで、働かなきゃってことで」と、当時の母の恋人と同じ現場で大工として就職した。高校生活は「なじめてなかったわけではないですけど、楽しいとは思ってなくて」と、全く未練がなかったそう。母とその恋人が破局した後は、「気まずいんで、辞めますって言って、親父のやってるコーキングを手伝う」と、似た仕事をしている父の元で働いた。
その後、他のアルバイトなどもした結果、夢だったお笑い芸人になるため思い切って単身上京。「週4で深夜のバイトして、週3で群馬帰ってた」と、慌ただしい日々を過ごしたが、心身が限界に。再び実家に戻ると、改めて貯金して太田プロの養成所に入った。そこで現在の相方・草薙航基と出会い、現在までの芸能生活につながっていったと語った。