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【内田雅也の追球】歴代阪神監督の最多勝に迫る岡田監督 藤本定義監督が優勝へ導いた1962年との共通項

スポニチアネックス 2024年6月29日 8時3分

 前夜、監督通算700勝に達した阪神監督・岡田彰布が今度は歴代阪神監督の最多勝に迫っている。1962(昭和37)、64年とリーグ優勝に導いた藤本定義の514勝で「あと2勝」。藤本は巨人、阪神双方で監督を務めた唯一の人物で、通算1657勝は歴代3位の名将である。

 そんな藤本と岡田はどこか似ている気がする。

 一つは投手力を中心とした守りの野球を推し進めた点である。阪神を2リーグ制初優勝に導いた62年は今年と同様に「投高打低」のシーズンだった。セ・リーグの3割打者は3割7厘で首位打者となった森永勝治(広島)の1人きり。今季も27日現在で2人だけだ。

 同年のチーム打率2割2分3厘、64本塁打はともにリーグ5位。三宅秀史、吉田義男、藤本勝巳、並木輝男、藤井栄治らの打線は得点力が低かった。今季も目下2割2分、28本塁打でともにリーグ最下位である。

 ただし、投手力が群を抜いていた。27勝の小山正明、25勝の村山実の二枚看板を中心にチーム防御率2・03を誇った。今季も目下2・13。投手陣の踏ん張りで首位戦線にとどまっている。

 藤本が巨人監督だった川上哲治を「テツ」と呼びつけ、選手たちに「ウチの監督はすごい」と思わせたという逸話が残る。大洋監督・三原脩も「ミハラ」。ともに戦前、巨人監督時代の選手だった。57歳は当時としては超ベテランだった。

 岡田もいま、監督として球界最年長の66歳。一昨年秋の監督就任時、リーグの他5監督について「皆、見下してやっていったるわ」と漏らしたのを覚えている。

 藤本は「伊予の古だぬき」と呼ばれた。松山出身の高齢で、どこか人を食ったような物言いが「たぬき」だった。当時、現役投手だった本間勝が『月刊タイガース』で<表面的には好々爺(や)的存在のように言われていたが、どうして、どうして。(中略)確かに一筋縄ではいかない人だった>と記している。

 岡田の言葉も独特で、報道陣やチーム関係者もけむに巻く。たぬき的な部分も藤本的である。

 もう一つ。藤本は感激屋、感動家だった。3年前、遺族から遺品を公開してもらった。大量のメモのなかに<選手に夢と希望を持たせる>とあった。ともに夢を追い、優勝した際には涙を流した。岡田も何度か泣いているのを知っている。 =敬称略=

 (編集委員)

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