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【内田雅也の追球】藤本定義と岡田彰布 「コーヒー」と「アメ」の決断

スポニチアネックス 2024年7月4日 8時1分

 ◇セ・リーグ 阪神2―1広島(2024年7月3日 マツダ)

 1962(昭和37)年、阪神を2リーグ制初優勝に導いた監督・藤本定義は出身の松山市を冠して「伊予の古だぬき」と呼ばれる策士だった。

 そんな藤本について参謀格の打撃コーチだった青田昇が著書などで意外な性分を明かしている。

 甲子園での試合中、中盤以降で投手交代期が近づいてくると、ベンチからいなくなるというのだ。探すといつも「談話室」でコーヒーを飲んでいた。ちなみに談話室とは選手や関係者の食堂で77年に「サロン蔦(つた)」となって今もある。

 青田が「大事な時に監督がいないと困る」と詰め寄ると、藤本は「見てると代えたくなるからね」と笑っていたそうだ。

 そんな藤本が持つ阪神監督での最多勝(514勝)に岡田彰布が並んだ。更新も間違いない。「そんなの関係ないわ」と意に介さなかったが、時代を超え、名実ともに阪神監督でのトップとなった感慨はあろう。

 何しろ、藤本が阪神監督だった61~68年、岡田は3歳~小学5年生だった。阪神の有力後援者だった父・勇郎に連れられ、甲子園のスタンドで応援していた。村山実、藤本勝巳、三宅秀史……ら選手とともに藤本の姿も目に映っていた。

 岡田は試合中、コーヒーは飲まない。おなじみのパインアメをなめ、時にベンチ裏でたばこを吸う。ただし、投手起用の決断は鈍らない。

 この夜は7回表に一つ決断した。1点リードの1死一塁で投手・大竹耕太郎に打席が回った。代打で継投に出る手もあったが、大竹をそのまま打席に送った。「まだ余力があった」とみていた。

 大竹はその裏も無失点で抑え、7回2安打1失点(自責0)と役割を果たした。岡田が決断した続投は正解だった。

 8回裏、2番手ハビー・ゲラが2死から安打を浴び、代打・松山竜平が出てくると、岡田は桐敷拓馬にスイッチした。

 前夜、ゲラは松山を二ゴロ併殺打に切っていたが「柳の下のどじょう」はもういないと分かっていたのだろう。桐敷は松山を三振に切り、継投策は成功した。

 「オレが一番のファン」という阪神を率いる監督という存在について、岡田は語っていた。「長いタイガースの歴史の中で監督なんてほんの一コマに過ぎんよ」。猛虎に魂をささげた岡田にとっては記念すべき1勝も「1勝に過ぎん」のかもしれない。

=敬称略=(編集委員)

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