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日本航空石川 “能登半島対決”で全力プレーを貫き、恩返しの夏へ発進

スポニチアネックス 2024年7月15日 5時33分

 ◇第106回全国高校野球選手権石川大会2回戦 日本航空石川10―0能登(2024年7月14日 石川県立)

 第106回全国高校野球選手権(8月7日開幕、甲子園)の出場校を決める地方大会が14日、各地で開催された。石川では、今春選抜出場の日本航空石川が能登を5回コールド勝ちで制して、2季連続の聖地へ好発進を決めた。

 夏初戦が能登半島対決となった意味を、日本航空石川の宝田一慧(いっけい)主将(3年)は考え続けてきた。「能登高校が地震で経験した苦しい思いが自分たちには分かる。その気持ちを持って真剣勝負で戦おうと思いました」。試合は3回表に67分間の降雨中断。悪化したグラウンド状況にも集中力は途切れず、9安打10得点と全力プレーを貫いた。

 石川県輪島市内にある学校は、1月の能登半島地震で被災。野球部は出場が有力視されていた選抜に備え、1月中旬から系列校のある山梨に避難していた。選抜後、新学期が始まる4月からは同校の全生徒が拠点を東京に移す予定だった。それが一転、4月中旬に同校の寮の断水が改善されたことで事態が動いた。避難先はナイター設備などが整っていないことが考慮され、野球部員のみ一足先に輪島市内の学校に戻ることになったのだ。

 慣れ親しんだ場所での練習が再開されたものの、以前の生活を取り戻したわけではない。今月上旬までエアコンが動かず、寝苦しい夜は窓を全開にして過ごした。寮は現在も県職員らの生活拠点となっており、至る所に被災の爪跡は残ったままだ。こうした生活環境の中でも、宝田主将は「ずっと練習してきた場所で、いい調整ができました」と自信を持って夏本番を迎えた。

 初戦で敗れた選抜の後、学校には奮闘に感動したというお礼の電話や手紙が数多く届いた。宝田主将は、その感動を忘れない。「諦めないプレーが心に響いたと言っていただいた。自分たちが頑張ることで、そういう気持ちになってくれる人がいる。この夏に恩を返したいです」。春は避難先から聖地に向かった。夏は能登から甲子園へ――。支えてくれた地元への感謝が、選手たちの原動力となっている。 (河合 洋介)

 ≪震災後の日本航空石川の足跡≫

 ▼24年1月1日 能登半島地震が発生し、校舎が被害を受ける。

 ▼同15日 山梨キャンパスで野球部員の受け入れを開始。

 ▼同19日 旧増穂商を使用し、一足先に山梨入りした選手26人で全体練習を再開。

 ▼同26日 4年ぶりの選抜出場の吉報を山梨で受け取る。

 ▼2月13日 全野球部員が山梨に集まって全体練習を再開。

 ▼3月25日 常総学院(茨城)との選抜1回戦に0―1で敗れる。

 ▼4月上旬 今春石川大会に出場する選手や3年生のみ輪島市内に居残り、他の選手は新たな避難先となる東京に移る。

 ▼4月中旬 水道など寮のライフラインが復旧したため、全野球部員が輪島市内の同校に拠点を戻して練習再開。

 ≪胸を張る完全燃焼≫能登は打線が1安打に終わり、日本航空石川に5回コールド負けを喫した。初回にチーム唯一の安打となる中前打を放った竹下仁平主将(3年)は「雰囲気よく戦えました。強い相手だったけど、自分たちの野球はできたと思います」と顔を上げた。震災の影響で練習再開は1月下旬にずれ込み、現在もグラウンドの左翼後方には仮設の寮が立てられている。近隣の学校の練習場を借りるなどして迎えた夏を終え、「楽しかったです」と完全燃焼した。

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